青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

黄昏に献ず

2018-02-22 07:06:35 | 日記
塚本邦雄著『黄昏に献ず』

「檻」「陽轉」「木賊刈」「昔に霞む」「黄昏に献ず」「赤き雪の主題」「まゆこもり」「果物急ぎ」「有憂宮」「反唇」「鳰」「白馬」「桃夭樂」「空中伽藍」「水中斜塔圖」「火宅搖籃歌」「網膜遊行」「雄蘂變」「味蕾」「狼」の21篇の掌編集。

私が17年ほど俳句を習った中で感じたことは、歌人、俳人など定型詩の巧手はだいたい文章もうまいということだ。
そもそもの観察眼や着想力が優れているということもあるが、単語や「てにをは」の選択、文字の並びの視覚的効果、音読した時のリズムにまで注意を払って創作している。言葉に対する感受性が鋭敏なのだ(ちなみに私の俳句は謙遜抜きにつまらない。小手先でそれなりの句を作れる自信はあるが、そこより先に突き抜ける感性が欠如している。人間性が陳腐なのだろう)。

塚本邦雄は言うまでもなく日本の代表的な歌人だ。
私は俳句寄りの人間なので、短歌に関しては何も知らない。塚本邦雄の短歌について言えることも何もない。だが、この掌編集が傑作であることは断言できる。
本書に収められている作品は、数ページから20ページほどの掌編ばかりであるが、すべてが頽廃と倒錯美の極み。幻想的・反写実的と言われる塚本邦雄の短歌と同様、極度に削ぎ落された文字数で豪奢で唯美的な世界を展開している。腐り落ちる直前の果実のような濃厚な香りにむせ返りながら、小説を読む楽しみに存分に浸ることが出来るのだ。
ダラダラと文字数を重ねれば傑作が書けるというものでもないだろう。たとえば、久生十蘭はいったん書き上げた原稿を音読し、不要な言葉を徹底的に削ぎ落していたという。言葉を詰め込むよりも、捨てる思い切りとセンスの方が文芸では大切だ。


「檻」でいきなり極彩色の非日常世界に放り込まれる。
女装、同性愛、主従転倒、そしてカニバリズム。わずか10ページの小品なのに、読後、ドッと疲労感に苛まされる。閉じた目を暫し開けられなくなるが、余韻に浸っているのではない。ダメージに耐えているのだ。
血統、財力、地位、名声、円満な家庭、およそ俗人が望むものすべてを手に入れ、人々からの羨望を浴びていた華晶に何が起こったのか?

五十五歳という人生の円熟期に入り、後は孫の誕生くらいしか望むものはない。
そんな華晶が、二代続きの作男兼別荘番の刀根を従えた三ヶ月の海外旅行から帰国後、狂人となった。
最初の凶行は犬殺しだった。飼い犬のセント・バーナードが頭を割られ、脳髄をくり抜かれていたのだ。娘の嵯峨子が父の書斎をノックすると、そこには唇にべっとりと血をこびりつかせた華晶が酷薄な笑みを浮かべて立っていた。机にはデッサン画が五、六枚。いずれも裸体で縛られた、幼児、少年、若者で、ひとしく頭蓋に穴を穿たれ、脳漿を吹き出している。しかもその一人一人の顔が、知人や親族に酷似しているのだ。絵の片隅には華晶によく似た男が舌を垂らし、片手に大匙を掲げて生贄を窺っている。それはもはや、絵空事の域を超えていた。
願望を実現させてしまう前に、娘夫婦の手によって華晶は妻の壬生子と刀根に付き添われ、湖畔のシャトーで幽閉生活を送ることを余儀なくされた。

その時まで、誰も異変に気が付かなかった。何故なら、それ以前に華晶から精神崩壊の兆しを感じたことがなかったからだ。
嵯峨子は思い返してみる。初めて父に違和感を覚えたのは、旅行帰りの父を空港まで迎えに行った時だった。三ヶ月ぶりに家族の前に現れた華晶は、めっきり若返り、唇が妙に赤く色づき、眼光が尋常ではなかった。献身的な刀根が付いていて万一のことなど起こるはずがないと思っていたのに、いったい華晶の身に何が起ったのか。

名家の跡取りとして生まれ、すべてを労せず手に入れ、人から敬われるのが当然の人生。
退屈だったのかもしれない。長い年月をかけて倦怠に蝕まれた心が、瑕瑾の無い人生を破壊することを望んだのかもしれない。華晶と刀根、どちらが先に相手を見出したのか。何十年も顔を合わせていた二人の主従関係が逆転したのはいつからか。旅行中に突然化学反応が起きたとは考えにくい。二人の心底に少しずつ澱の様に積もっていった昏い願望が、二人きりの海外旅行を機に決壊したのではないだろうか。

主従転倒なのだから、作男の刀根が主で、当主の華晶が従だ。
華晶が身に着けているのは、コルセットで締めた胴着と、リボンと造花で飾り立てた極彩色のボンネット。モリナールの練香が鼻腔を擽り、まるで貴婦人の盛装だ。首まで白粉を刷き、蒼ざめた頬は紅で彩られ、媚びを含んで刀根を見上げる目つきは奴隷そのもの。それが、嵯峨子が最期に見た父の姿だった。
華晶の声は掠れ、喘ぐ肩はのめっている。彼は今、庭に妻を埋めて来たばかりなのだ。それなのに、刀根は僅かの休憩も許さず次の仕事を命じる。

飼い犬殺しから始まり、遂には妻と娘まで殺害し、遺体から取り出した脳を主に捧げる。
刀根は四十五、六歳の武骨な髭面の大男。対する華晶は五十五歳の女装が似合うとは思えない老齢。そんな若くも美しくもない二人が異様に妖艶なのだ。二人のあれこれが事細かに描写されているわけでは無い。二人がいつからそういう関係にあったのか、旅行中に何が起きたのかも分からない。分からないからこそ底なし沼にずぶずぶと飲み込まれるような恐怖に囚われる。
私は愛あるSMなんて信じていない。愛だの何だのと言う人に対しては、言い訳しないでただの性癖だと認めてしまえば良いのに、と思う。
そんな私なので、当然、華晶と刀根の間には、愛情など欠片も無いと思っている。二人は己の欲望の実現に互いの心身を利用しただけだ。華晶が本当に愛していたのは、彼が殺した妻であり娘であり、飼い犬だろう。自分にとって価値のある者を無価値な者に供物として捧げつくし、人生を完全に破綻させる。その痛みが生甲斐だ。愛が無いからこそ、華晶と刀根の関係は純粋なのだろう。


「味蕾」は、収録作の中では一番地味な作品だが、私はこの話が一番好きだ。誰も死なないし、事件も起きない。それでも、仄かに甘く滅びの匂いが漂っている。
愛なんて夾雑物と言わんばかりの酷薄な作品ばかりの本書において、唯一登場人物二人の間に温かな優しさと労りが感じられる作品だ。しかし、自分たち以外の人間には気づかいの欠片もない。家族なんて弊履の如く捨ててしまう気でいる辺りはさすがである。

雪のちらつく夜、二人の男が珈琲を飲みながらオペラの感想を語り合う。今夜の歌手は入場料を返して欲しいほどの大外れだった。
會津は保健所の医師、杉谷は建築事務所の設計士。ともに三十五歳、子供が二人、夫婦仲は白け切っている。元々縁もゆかりもなかった二人が知り合ったのも、こんな夜、観劇後に索漠とした気持ちで珈琲を啜っている時だった。それから三年、二人は観劇仲間として付き合い続けてきた。この先もきっとこんな風に友人とも呼べない関係が続いていくはずだった。

二人の間の空気が変わったのは、偶然、突然のことだった。
杉谷が珈琲で舌を火傷したのだ。慌てる杉谷に口を開けさせた會津が「味蕾が荒れている」と言えば、杉谷が「未来が荒れていると聞いてぎょっしたよ。荒れているどころか真暗だもんな」と答える。家に帰るのが憂鬱。夜が怖い。會津が明るい微笑を見せる。声は沈んでいる。「未来が荒れているんならまだ望みはあるが、不気味に鎮まり返って何の徴候も見えやしない」

三年交わったのに互いにその家庭を知らない。観劇の感想を語り合うばかりで、心の内を明かしたことなどなかった。梯子酒などせず、珈琲を飲んで、遅くならないうちに別れる。それが暗黙のルールだった。言わず語らず労わり合っていたのは、一度ラインを踏み越えたら戻れなくなるのが分かっていたからだろう。

二人は初めて遠出の約束をする。
温泉に行くのだ。二人一緒なら行先はどこでもいい。炭酸泉でも硫黄泉でも、血の池地獄でも。二度と家に帰らなくてもいい。二人ならうまくやっていけそうだ。
外は吹雪になった。荒れているのなら望みはある。二人は白け切った日常から静かに逸脱していく。


本書に収められた掌編は、「味蕾」を除いて、どちらかが相手の人生を破壊するか、両者が相剋する関係ばかり。特に女性が男性に悪意を注ぐ話は、情け容赦がない。

「有憂宮」は、裕福な画商の一人娘・錫子が二十七歳の憂鬱症の男・蕗澤を飼い殺しにする話。
蕗澤は度々自立のために就職活動をするが、錫子が裏から手をまわしてすべて潰してしまう。蕗澤は錫子の汗の匂いすら嫌い、彼女から逃れたいと思うが、巧妙に追い詰められ、鍵の無い部屋から出られなくなっていく。

錫子は男を生きたまま絵画にしてしまいたいのだ。
デューラーの銅版画『アダムとイブ』と『メランコリア』。『アダムとイブ』はデューラーが三十四歳の時の作品で、三十四歳はイエス・キリストが貼り付けになった年でもある。『メランコリア』の標題は吸血蝙蝠の翼に書いてある。あと七年、彼女は蕗澤を飼い続けるつもりだ。その後はどこに飛び立とうがかまわない。倦怠と憂鬱を餌食にして生きることが様になる男なんて千人に一人もいやしない。蕗澤はデューラーの天使に匹敵する稀有な男だった。彼を額縁に入れて眺めていたかった。
錫子は蕗澤を彼女の住むマンションの、対面に立つ同じ形のマンションの同階同位置の部屋に住まわせる。彼女は毎日、窓からオペラ・グラスで彼を眺める。

人間を期間限定でオブジェにし、その後は放り出してしまう。
自立の芽を完全に摘まれ、精神をメランコリーに侵された男が、三十四歳という再出発には遅過ぎる年になって一人でどうやって生きていくのかなど、錫子の知ったことではない。三十四歳を過ぎた男はもはや天使ではなく、ただの中年男。翼は折れ、堕天するばかり。飾っておく価値などないのだ。
恐ろしく非人間的で、倦怠と頽廃美に満ちた物語だった。
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