マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

あなたを守り

2016年04月22日 | 聖書

 

「 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
                 

                          主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。 」   

                                                       詩編 121編 7~ 8節

 

神を信じていない人があっても、私たちの人生には人の及ばない何か強い力が働いていると言う事を感じている人は多くいます。

人生と言うのは、自分の力で切り開いてゆくんだと、そんなふうに豪語している人も、自分の力ではどうしょうもない事態に出くわすと、

何か自分の手の届かない特別な力が働いている、そんなふうに感じる者です、

そして運であるとか、つき、さだめというもののせいにして、特に失敗や自分の足りないところを言い逃れしようとするものです。

人の及ばぬ力はどちらかと言うと、良い方向より、悪い方向に働くもののようですが、

神には私たちを祝福し恵みに満たす力が働いています。特にこの八節の励ましの言葉により、大きな勇気を与えられ、

神の国を目指す私たちは、互いに、このような言葉を交わし合って進んでいきたいものです。

 

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良しとされた。

2016年02月26日 | 聖書

「 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。

   神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。 」

                                             創世記 1章 4節 ~ 5節


「それを見て、神様は大いに満足し、光とやみとを区別しました。 しばらくのあいだ光はそのまま輝き続け、やがて、

もう一度やみに閉ざされました。 神様は光を「 昼 」、やみを「 夜 」と名づけました。 昼と夜ができて、一日目は終わりです。 」              

                                            創世記 1章 4節 ~ 5節    リビングバイブル

 

最初に、人間にとって 「光」 は不可欠なものです。「闇」 に覆われた地に光を創造することにより、神は人間が住むための備え

をされた、このことからここでの光とは、神ご自身ではなく、神によって創られたものだということが分かります。多くの宗教は、

そのものを神として礼拝しますが、聖書は、光は神によって造られたので、神によって支配されていることを知らせています。

 

さて。神は昼を良しとされましたが、闇を良しとはされませんでした。闇は、光を離れて自分を失うのです。

しかし、神は闇を夜と名づけられました。闇が神の御手の中で、使命を与えられたことに他ならない。

夜は、人間が働くことができず、神の働きに任せ、疲れを休め、神を信頼するときでもあります。

「 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 

「  光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 」  どちらもヨハネの福音書の1章 5節です。

このことを忘れる人は、神の恵みの意味を本当には理解できないでしょう。

 

( 堕落以前には、「 闇 」 とは、悪的な要素はありませんでした。堕落以後に、この闇は悪しきものとなった。)

 

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良いことでした

2016年01月15日 | 聖書


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。  」   新改訳  詩編 119編 71節

「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」  共同訳  詩編 119編 71節

 

万物の成長を止める冬こそ、土壌にとっては安息の時であり、

その間に来年の目覚ましい活躍のための復活の力が蓄積されるのです。実に行き届いた神の愛の配慮ではないでしょうか。

私たちはこの寒い冬の中にあっても、尚その中に秘められた神の愛のみ心を悟って、この寒い冬の為にも感謝することを学びたい。

 ところで自然界に冬が来るだけではなく、私たちの人生にも冬があります。時には花咲く順調な春もあるでしょう。

あるいは額に汗して労する勤労の夏もあるでしょう。成功の実を楽しむ収穫の秋もあるでしょう。しかし

また日の光さえ見えない逆境の冬も何回となく回ってくるのです。自然界に冬を与え、草木のために配慮して。

人間のために最善の取り計らいをしてくださる神は逆境の中にも、必ず恵みを備えてくださると言う事を学びたいものです。

 

聖書から

「 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、

 私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 」      新改訳  ヘブル 12:10

 

「 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、

御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 」     共同訳   ヘブル 12:10

 

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模範として

2015年12月11日 | 聖書

 「 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

                                             ピリピ 2章 6~8

神に従うこと、これが私たちの生きる道であることを、イエスはこの地上の生涯において示されました。

しかし、従順であることは、なんと難しいことでしょう。私もイエスの救いを受ける前は、

不住順を誇っているような生き方をしていました。「どうしてですか、 ? なぜ 」 とよく口にし、態度ですねて見せました。

クリスチャンになってから、イエスは、私を抑えつけ、こわし、み言葉に従えるように訓練をしてくださいました。

人々から忠告を受けたり、( 一番辛かったのは、私をよく思わない人を通して来る忠告です。) 勧められたりするとき、

イエスからと思い従順に受け取ろうと思うのですが。なかなかできません。

この不住順にしか生きることの出来ない私の身代わりに、イエスは神の罰を受けてくださいました。

不住順の罪が赦され、その罪から解放されるためにです。ただし、主イエスは、神性を捨てられて、

人間のかたちをとられました。( しかし、神でなくなったことは一度もありませんでした。)

主( 神 ) が私たちが及びもつかない犠牲を払ってくださったことがここではっきりと知ることができます。

聖書から

「 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、

また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」  マタイ 20:28

 

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戦いによって

2015年11月20日 | 聖書


「 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。

                       神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」

                                             Ⅰペテロ 5章 6節

神は力強いお方です。世界をつくられたお方です。( ただ一度だけ神は弱くなりました。それは十字架による贖いの時 )

私たちクリスチャンは、この神の御手の下に自分を低くすることを学ばなければなりません。

( それは苦難、艱難、病を通して神の御業をなお待ち続けるという、また、私たち自身としては、髪の毛一本さえ白くも黒くも出来な

と言うことを知らねばなりません。 ) 

神が歴史を支配し、私たちの運命を動かされる方だからです。この神と共に歩むことです。

わたしたちは自分の生活設計を立て計画します。しかし、その計画を絶対化してはならないのです。

むしろ神が私に対してどのような計画をしておられ、行おうとしておられるのかを知ろうとする姿勢が必要です。

神の計画のみが固く立つとあるからです。自分の計画、事業、学び、仕事の一切を問題に不安を持ち

思い煩うのは私たち人間の本性です。だからこそ、それらの一切を神に委ねなさいとここで教えています。

それはどのように培われて行くのでしょうか。それは、信仰の戦いを続けていく過程においてのみ可能となります。

聖書から少し

「「神、主よ。あなたの偉大さと、あなたの力強い御手とを、あなたはこのしもべに示し始められました。

あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことのできる神が、天、あるいは地にあるでしょうか。」  申命記  3:24

「 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、 」          ルカ    1:51

 

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