「 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」
ルカ 15章 7節
天地をつくられた神が、失ったものを見つけたときの喜びを知っておられる。そこで神が私たち人間よりもはるかに
思いやりがあるという子とはどんなに素晴らしい真理でしょう。正統派の人々は取税人や罪人を滅びる以外に
どうしょうもない人間と決めつけました。( 神を怒らせる者どもがこの世から消え去るとき、
神のみ前に喜びがある。というユダヤの諺があります。また、ユダヤ教では、罪びとが悔い改めるなら
神は赦してくださるという教えはありますが。その神の方から罪人を探すという考え方はありません。 ) が。
神はそうではなかった。人々は罪人に対する望みを放棄するかも知れない。神は決してそうではない。
( ただ、罪がなければ神に出会うことはない。しかし、全ての人が罪人である以上、全ての人が
神に出会える機会があると言うことです。)
神は迷い出ない群れをも愛している。しかし、たとえ迷子になる者がいても、それが見つけられて
家に帰ってきたときには、神の心には大いなる喜びがある、実を差すような人間の批判の渦中に帰るよりは、
神のもとに帰る方がいく千倍も容易なことではないでしょうか。
聖書から
「 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。――神である主の御告げ。――彼がその態度を悔い改めて、
生きることを喜ばないだろうか。」 エゼキエル 18:23