「 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。」
伝道者の書 4章 9節
創世記には夫婦の始まりと、夫婦とはを記しています。それは結婚の意義と定義が記されています。
結婚制度は神が祝福されたものであることと、それ故にこの結婚以外の関係は神が忌嫌われるところです。
創世記 2章 20~ 25
「こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。
それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、
互いに恥ずかしいと思わなかった。」
その夫婦が力を合わせて一つの仕事にあたると、一人でするよりも行き届いて良くすることができ、
しかも、その報いを二人で喜び、楽しむことができるのです。
そして、このみ言葉をあなたとイエスに置き換えて考えてみてはどうでしょうか。
主イエスが私共におられるなら、苦労も苦労でなくなり、その報いは大きいのです。主イエスが共におられるなら、
この世から見て孤独死も周囲から見ればかわいそうに見えても、その人自身は平安のうち日常生活を終えることなると思うのです。
主イエスが共におられ、今夜もイエスと共に眠れると思うとき、すばらしい夢を見これると思えば一人でも暖かいのです。