「 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。 」
ヨハネ13章 16節
十字架らつけられる前の晩、弟子たちと夕食を共にした時、主イエスは、上着を脱ぎ、おそらくは上半身裸になられ、
腰に巻くと長くたれる手拭いを身につけて、まさに奴隷の姿になって弟子たちの足を洗い始めました。弟子たちは驚き、
ペテロは「足など、決して洗わないでください」と言ったと記されています。
主イエスは、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何のかかわりもないことになる」と答えられました。
汚い足は、私たちの罪を意味しています。主イエスは、私たちの罪を身代わりに負って父なる神の裁きを受けてくださったのです。
私たちがなにか立派な人間だと思っているなら、主イエスとの関係はありません。醜いボロボロの自分でみ前に出る時、
はじめて主イエスとの関係ができるのです。主イエスは、私たちに仕えてくれるために、命をも捧げてくださったのです。
主イエスは今こう言われるのです。私が遣わす人を受け入れる人は、私をお遣わせになった方(父なる神)を受け入れるのですと。
また、主人がしもべに求めることは、理解することではなく、聞き従うことです。
申命記 28:2
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」
箴言 1:33
「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」
ルカ 10:16
「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。
わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」