マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

御心なら

2017年08月11日 | キリスト教

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

                                             ルカ 22章 42節

 

イエスご自身も、戦っておられました。それは、ご自分の意思と御父の意思との間にある葛藤です。

自分の最期が刻々と迫っていることを意識したイエスが、非常に深い悩みの中で、自分の本心を父である神に訴えられた

祈りとして私たちに伝えられています。

( 私たちはこの一方的な恵みと赦しを受けるだけでよいのです。決して赦されるために戦う必要はないのです。)

イエスは、苦しみや悲しみ、そして死を全く恐れない冷徹な印象を絶与える方ではありませんでした。

人間らしい自然な、感情の豊かな方でした。死ぬのは嫌だ。出来ればこの死から逃れたいと思って、 

このように願われたのではなかったでしょうか。「この杯をわたしから取りのけてください」 と主ははっきりと祈りました。

しかし、そう祈りながらも、神の望みは、自分の願っていることとは違って、死を受け入れる事であろうと

イエスは気が付いておられました。

神の望みを受け入れるのが苦しいとき、この場面を思い起こし、イエスの後に従って苦しみの中にも

神の教えに従って歩めるように祈っていきましょう。

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