「 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。
しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。」
マルコ 9章 31節
主イエスははっきりと、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、
人の子はよみがえる。」と語られましたが。弟子たちはこの言葉がわからなかったと言います。
( 本当は、解らなかったのではなく、考えようとしなかったのです。この事実を受け入れることは、
あまりにも恐ろしいことだったからです。だからこのことはとうてい受け付けることはできなかった )
この点の主イエスの三十三年の生涯は、弟子のユダに裏切られ、無罪だと分かっていたポンテオ・ピラトにより処刑され、
ペテロをはじめ弟子たちに裏切られたと言った理解されない報われない生涯でした。
キリスト教の一番大切な点は私たちを愛し救うため「殺されること」を承知で三十三年の生涯を終えられた主イエスにあります。
パウロは私たちが持つ罪、無知、醜さ、悪、弱さ、病死など「否定的な部分」がキリストの十字架の死によって受け入れられ、
キリストの復活によって「好ましい部分」に変えられることを語り続けています。
ここに語られている神の愛、私たちの罪、その罪を引き受けるキリストの死、救いと恵み、復活による天国の王座に就くこと、
これが聖書に示す「神の国への道」なのです。