「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。」
詩編126篇 5節
いくら種をまいても、生えないこともあります。イエス・キリストのたとえ話にあるように、
道端に落ちて鳥に食べられてしまう種もあれば、石ころだらけの石地にまかれて、
すぐ芽を出しても、間もなく枯れてしまったり、雑草の生い茂るところに落ちて実を結ばない種もあるでしょう。
労多くして、実りの少ない、これが人生の現実かもしれません。
しかし、「蒔かぬ種は生えぬ」これこそ原則中の原則ではないでしょうか。ですから、涙と共に、
いのちの種、愛の種、親切の種、祈りの種をまき続ける人だけが、やがて喜びながら刈り取ることができるのです。
蒔かない限り、生えないのです。私たちは涙をもって種をまき、しっかりと希望をもって忍耐して待たねばなりません。
愛の労苦の後には必ず報いがあります。
ヘブル書6章10節、
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、
また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」私たちが、固い土地に御言葉の種を蒔いたら、いつか必ず刈り取る時が来ます。
マルコ4:3-8
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、
根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」。
箴言 11:1
「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」
箴言 11:6
「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、
あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである」