「わたしは永遠に女王だ、とお前は言い/何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった。」
イザヤ 47章 7節
私たちは終わりのことを考えないように生きていると思います。ある人は大切な家族の死を通して、
自分の人生を問い直して、大企業のエリートのポストを捨てて、神学校に行き、牧師になられました。
自分の先が見えた時、人はより意味のある人生を生きたいと願うのではないでしょうか。
死ぬということがあるから、生きている今に価値が感じられる、老いるということがあるから、
今の日々が大切になる、別れる時が来るから、一緒にいる今を大切にしたい。
すべてに終わりがあるから、すべてがいとおしくなってくるのです。
終わりから今を見ると、すごく気にしていたことも、それほど重要なことではないと気づかされます。
毎年、毎日に終わりが来ることを思って、いかに生きるべきかを考える時を大切にしたい。
歴史は覇者がその栄光を持続することは出来ないことを教える。「奢れる者は久しからず」、
そこに神の意思を認めるかどうかが信仰だ。
ルカの描く「愚かな金持ち」は、自分が死ぬことを認識しないゆえに「愚かだ」と言われる。
「(愚かな金持ちは言った)『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。しかし神は『愚かな者よ、今夜、
お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。
ルカ 12:19-21