「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
イザヤ 63章 9節
この「ご自身の使い」は、ヤハウェの使いであるイエス・キリストご自身です。
イスラエルが旅をしているときに、主の使いが前を進むことを約束しておられました。
そして主は、イスラエルの苦しみと一つになってくださいました。
これが神の民であることの特権です。主イエス様は、私たちの弱さに同情できないような方ではない、
とヘブル書にあります。私たちを遠くから眺めて、苦しんでいる私たちに教訓を与えるような方ではなく、
いっしょに苦しみを感じてくださっているのです。
神は私たちの苦しみを無視するのではなく、ともに悩み苦しんでくださると言っているのです。
神は私たちの悩みのただ中に入ってくださり、ともに悩んでくださるのです。私たちの悩みを理解して、
どうすればよいかを考えてくれるのです。それだけではなく、そこから救い出して、
さらに罪の中に欲望の奴隷になって自分を失っているものを神は買い戻して、
生き生きとして自由な愛のある人生に変えてくださるのです。それがここに言う贖いということです。
このことが最もよくあらわされているのがイエスの十字架の死です。神は常に私たちを見守ってくださるのです。