「私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。」
詩編 22篇 4章
人には誤解され、わかってもらえず、どこを向いてもとりつく島もない。
しかも、いくら神に叫んでも、神はだんまり、そんな経験があなたにはあるでしょうか ?
魂が呻き、もだえる時です。自分の中には、罪も咎も間違いもないと思うのに、
神に答えてもらえない、ダビデもヨプもそんな経験をしたのです。
しかしダビデは暗くてつらい魂の経験を通して教えられたことを、ここに告白しているのです。
神は聖です。ご自分の清さ、愛と真実に、決して背くことができないのです。
神は聴いてくださるのです。ひがまず、のろわず、神を賛美し、神を礼拝し続ける民に、
やがて御顔が見えてくるのです。決して呪いの中には神はおられないのです。
ここには、苦しみのときに、なぜ苦しむのかという理由は分からないが、
神のご臨在を知ることができるというのがヨブ記の結論でしたが、
主イエス・キリストが私たちのために、呼んでも神が答えてくださらないという
苦しみをすでに味わっておられました。だから、私たちがそのような祈りが聞かれているのか
わからないという悩みと弱さもすべて同情することがおできになるのです。
そうです、私たちが人生で経験するすべての苦しみの目的は、
神への信頼の絆を強めることにあることを信じます。
苦難・拒絶・放浪・苦渋・・・それらのすべては神との信頼のいのちをあかしするための
ものであったことを知るとき、私たちはなんと励まされることでしょう。
苦しみの極みの中で、信頼の極みを貫いて下ったイエスによって、私たちは神との信頼の絆を
築くことができるのです。どんなに賛美しても賛美しきれません。ただ感謝するのみです。