「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。」
詩編 111編 10節
こんなお話を聞いたことがあります。「三人の盲人の話」という物語です。三人の目の不自由な人が動物園に行き象を見学しました。一人は象の足をさわって大きな柱のようだと言い、一人は象の腹を触ったので大きな岩のようだと言い、もう一人は象の鼻を触りホースのようだと言いました。この三人の目の不自由な人が自信をもって言っているのは象の総てではありません。
同じように、私たちも日常生活において、この三人のように一部を触って総てであると考えているのではないでしょうか。また私たちは自信をもって絶対と言い切ることができるでしょうか。私たち自身は何も言い切ることができない存在です。
聖書は私たちに何を教えてくれているのか、聖書こそ私たちにどんな困難な時も解決してくれる道を指示しています。私たちの能力と知恵をはるかに超えた神。その神を畏れることです。神を畏れるということは、神を信じる、神の教えに従っていくということです。
私たちが、自分たちの心についてじっくり調べるのではなく、主のすばらしさをじっくりと調べるのであれば、神のお働きやご性質に細心の注意を払っていくならば、それが主への恐れ(畏れ)へとつながります。