「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。
すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」
Ⅰ コリント 9章 22節
人々が救われるために、福音のために、自分の生活習慣を変える柔軟性をパウロは持っていました。
私たちも同じようになりたいですね。
例えば、私たちは、お中元など、人間関係を保つための習慣をしなくてもよい自由が
与えられました。聖書には、義理人情という考えは一切ありません。
すべては神の恵みであり、見かえりを期待しません。けれども、もし私たちが、
未信者の方からお中元を受け取ってばかりでお返しをしなかったら、どうなるでしょうか?
彼らは、私たちが人間関係を重んじない変な人たちと受け止めるでしょう。
そして、これがクリスチャンのあり方か、と思うでしょう。不必要に壁を作ってしまうことになります。
ですから、福音のためにお返しをします。
また、情熱をもって一つのことに取り組んでいる人を見ることは素晴らしいことです。
強く、優れた理念のもとに、一つの目的に向かって行動する人こそ真に人と呼ぶに相応しい。
多くのことに手を出す人生は、多数の支流となって、チョロチョロ流れる小川のようであり、
どれ一つ小舟を浮かべる幅もなく、深さもありません。しかし目的を持った人生は、堂々と流れる大河のように、
行き交う船を大洋へと下らせる。精神の上では聖められた愛をもって心を尽くし、
頭脳の面では壮大な天空を思わせるような思想で満たされた人、聖パウロのような人です。
ビリピ 4:11-13
「私は、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、
豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、
いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。」