「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、
手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。」
ルカ 15章 22節
ここで、雇い人の一人にしてください、と息子が言う前に父親が話し出しました。
ここに、大いなる恵みがあります。私たちがいかに悔い改めたか?とか、
私たちの態度がどれだけ改まったか?とか、そういったことの前に、圧倒的な恵みによって、
愛によって、父親は息子を息子として受け入れ、祝宴を開いたのです。
なんという恵みでしょうか、なんという愛でしょうか!
放蕩息子は私たち人間を、父親は神を表しています。放蕩息子がすべてを無くして帰ってきたとき、
この父親は三つのものを準備し息子を迎えました。良い着物、指輪、くつなどみな、息子の資格を示すものです。
しもべは、くつをはく ことはありませんでした。父親は、罪を赦してくれたどころか、
彼を息子の地位にまで戻してしまいました。それだけ、父は彼のことがかわいかったのです。
愛しているのです。私たちの神も同じです。神は私たちを愛し、ただ罪を赦してくださるだけでなく、
神の子どもという特権を与えてくださいました。神の持っておられる資産を、私たちは受け継ぐことができるのです。
何も資格のない者、むしろ罪の報いを受けて然るべき者が、そのまま神の息子 としての祝福を受けることができる、
というのは私たちには決して理解できるものではなく、ただ主 をほめたたえるしかありません。
ヨハネ1:12
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになっ た。」
エペソ 1:5
「 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私 たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」
エレミヤ31:34
「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさない。」と あります。思い起こさないほどの赦しです!