マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

恵みにて

2020年09月11日 | キリスト教

「 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。

   天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、

       正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」

                   マタイ 5章45節

 

私たちは、目に見える区別にばかり気を取られます。金持ち、教養のある人、知恵のある人、

力のある人、こんな人ばかりに注目します。そして、お年寄り、弱い人、貧しい人、力のない人、

知恵のない人を見下したり、無視したり、忘れたりしやすいのです。


しかし、死を前にして、神のさばきの前に立って考えるとき、お金や肩書などは何の力もないのです。

すべて神の前には平等です。神の力の前に自分を置いてみた時に、一羽の雀さえ、野の一本の花でさえ、

神の御心によって歌い、美しく咲いています。まして、神に愛されていない人はこの世には一人もいません。

神の恵みにならって上に立つ人は、すべての人に公平な思いやりを持ってほしく思います。

 

主が敵を愛しなさいと言われる根拠が、「天におられるあなたがたの父の子どもになるため」です。

主は山上の垂訓において、天の御国における王なる神を、父であると紹介しておられます。

神の国において、神はもちろん王ですが、その王子になることができるというのが、

福音です。ここで覚えて欲しいことは、私たちが敵を愛したから神の子となるというのではない、

人は何かの行いによって御国の民となる事は出来ないからです。( キリスト教は行いによっての救いはありません。)

 

太陽や雨は、等しく正しい人にもそうでない人にも神は与えておられます。

自然に啓示されている神の恵みは、人との関係においても惜しみなく与えられている、

 

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