「 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」
マタイ 5章45節
私たちは、目に見える区別にばかり気を取られます。金持ち、教養のある人、知恵のある人、
力のある人、こんな人ばかりに注目します。そして、お年寄り、弱い人、貧しい人、力のない人、
知恵のない人を見下したり、無視したり、忘れたりしやすいのです。
しかし、死を前にして、神のさばきの前に立って考えるとき、お金や肩書などは何の力もないのです。
すべて神の前には平等です。神の力の前に自分を置いてみた時に、一羽の雀さえ、野の一本の花でさえ、
神の御心によって歌い、美しく咲いています。まして、神に愛されていない人はこの世には一人もいません。
神の恵みにならって上に立つ人は、すべての人に公平な思いやりを持ってほしく思います。
主が敵を愛しなさいと言われる根拠が、「天におられるあなたがたの父の子どもになるため」です。
主は山上の垂訓において、天の御国における王なる神を、父であると紹介しておられます。
神の国において、神はもちろん王ですが、その王子になることができるというのが、
福音です。ここで覚えて欲しいことは、私たちが敵を愛したから神の子となるというのではない、
人は何かの行いによって御国の民となる事は出来ないからです。( キリスト教は行いによっての救いはありません。)
太陽や雨は、等しく正しい人にもそうでない人にも神は与えておられます。
自然に啓示されている神の恵みは、人との関係においても惜しみなく与えられている、