「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
へブル 11章 1節
「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分の心に言い聞かせて、
それがかなえられることを神に押し付けることではありません。
そうではなく、神が言われたこと、また神が願っておられることを、
そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑問も提示せず「しかり」と納得し、確信することなのです。
神が言われることが、「そのとおりである」と受け入れることが信仰であり、
信仰の結果、その目に見えないことが自分の中で体験されていることになります。
その目を閉じて、神の御手の内に一切を、素直に喜んで委ねるなら、これは最高、最善の信仰です。
それは神がなぜ其々の働きをなされるのかを知ろうとはしません。
理性と、感覚、体験には、怒りと不正以外の何物しか見えなくっても、信仰は、神が最高の慈しみであり、
正義であることを、なおも信じて寄り縋っています。このようなわけで、
信仰は、見ていない事実を確認し、見える姿と正反対の事実を確認するというのです。