「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、
実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」
黙示録 3章 17節
「自分が富んでいる、豊かになって、乏しいものは何もない」というのは、いまの自分の生活に満足している姿です。
もちろん主にあって満足する心は大事ですが、ここでは、神がなくとも、キリストがいなくても、別に大きな支障はないとする心です。
自己満足の状態に対して、「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者である」と言われています。
私たちの自己評価と、主の評価とは、このように正反対になるほど異なることが多いです。
私たちは人と比較して、「自分はそんなに悪くない」と思ってしまいますが、私たちが比較すべき対象は、唯一、神ご自身であり、イエスさまなのです。
自分の写真を、イエスさまの写真と照合させます。そこに映し出される自分の姿こそが、本当の姿なのです。
自己満足の信仰生活、礼拝を守りさえすれば良いという人々に、主は「私はあなたを知らない」と言われる。
マタイ7:21-23
「私に向かって、主よ、主よと言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。
かの日には、大勢の者が私に、主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、
御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんかと言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう。
あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ」。