「主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。」
詩編 27篇 14節
詩編 27篇 14節
聖書の中でいろいろなところで、主ご自身が、「強くなりなさい」という言葉をかけておられます。
けれども、今、明確に主からの声が聞こえないときは、私たちに、自分自身に対して、
「心を強くせよ」と言いかけています。主からの約束を、自分に言い聞かせているのです。
さて、人生には二つの困難があります。第一は、道を踏み外し、いつのまにか迷ってしまうことです。
第二は、へとへとになって、へたばってしまうことです。こんな人生にとって「神を待ち望む」こと
ほど大切で積極的なことはないのです。けれども、じっと黙って待っていることは、
ときどき、消極的で弱弱し、愚かで無策な事と人に思われ、自分でもそう感じるのではないでしょうか。
聖書は待ち望むことについてこう言っています。「幸いな事よ。主を待ち望むすべての者」
イザヤ書40章の終わりには、「若者も疲れ、たゆみ、若い男も躓き倒れる、しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼を駆って舞い上がることができる、走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」とあります。
神に祈り、信頼し、期待し、じっと主を待ち望む人は、決して恥を見ることがありません。
「待ち望む」ことの大切さは。期待して待つこと、忍耐を要求します。心の中はうめきます。
何も期待しなければ、ある意味、楽です。しかし、期待して待つ者に主は豊かな報いを用意しておられます。
ヘブル書に、こう書いています。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、
信じなければならないのです。(ヘブル11:6)」