「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」
Ⅰテサロニケ 5章16節~17
主はよく祈っていました。福音書のあちらこちらに祈られる姿がよく見受けられます。
「喜んでいなさい」とありますが、これは神が、イエスさまにあって私たちにしてくださったことを思い、
また神ご自身のすばらしさを思うときに与えられます。
喜ぶということは、幸せとは異なります。幸せは、自分の周りの状況が良ければ存在しますが、
状況が悪ければなくなります。
けれども、喜びは、たとえ愛する者が世を去っても、残っている深い確信です。
ですから、悲しみながら喜んでいることができます。辛苦をなめながら、なおかつ喜ぶことができます。
私たちが求めなければいけないのは、気分の上での喜びではなく、霊の深みにおける喜びです。
「祈りなさい」というのは、もちろん、祈祷院に行って24時間祈っているということではありません。
神をいつも意識して、必要であれば心の中で祈り、人と語っているときにも祈ることです。
そして「感謝する」ことは、自分の身の周りに起こっていることが、神の許しがあって起こっていることであり、
何か目的があると知って感謝することです。
これが神が望んでおられることとあります。神さまとの関係が書かれています。