WIND BENEATH MY WINGS

震災後、私たちの暮らしの「あるべき姿」を考え中。持続可能で幸せな暮らしを一緒に考えていきませんか?

NHK「アインシュタインの眼」

2009-06-24 21:37:31 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
菊本るり子先生の勤める学校で、
NHK「アインシュタインの眼」の撮影があったということです。

7月19日に放送されるヒートアイランドに関する番組で、「個人が取り組める対策」として、「緑のカーテン」が紹介されるそうです。

エコ特番、ズームインから繋がり、
いろいろなメディアにとりあげられるようになりましたね。

以前にもお話した通り、「緑のカーテン」は、メディアや広告会社が仕掛けた現象ではなく、教育現場や市民の中から自発的に始まり、「これは良い」と口コミで広がったものです。

「良いから広がる」「良いからメディアがとりあげる」「良いから企業が注目する」。実にシンプルです。だから強いです。

この夏、おそらく緑のカーテンは、もっともっと広がり、さまざまなメディアに取り上げられ社会現象になるでしょう。

しかし、決して一過性のものにはならないと私は思います。

菊本先生が教えていらっしゃる先生が何年の取り組んでいるように、
一度はじめた学校はずっと続けるでしょう。
企業もずっと応援するでしょうし、
行政、NPOは言うまでもありません。

7月19日NHK「アインシュタインの眼」が楽しみですね。

写真は我が家で昨年採れたゴーヤです。
我が家も今年で2年目ですが、ずっと続けるつもり。

●関連投稿
★「2050年の担い手たち」
http://blog.goo.ne.jp/mamiko-kouhei/e/b86aab10df777526b2dcb2458d15f499
2009年4月17日に開催された「第2回全国緑のカーテンフォーラム」での、菊本るり子先生の教育効果に関する発表と、緑のカーテン応援団 鈴木雄二理事長のお話で感じた、次代を担う子どもたちの学びについての投稿です。
★「第2回全国緑のカーテンフォーラムに行きました」
http://blog.goo.ne.jp/mamiko-kouhei/e/1ddf507d06dd97be1e33141ad2f0c4c3
同フォーラムの内容を紹介した投稿です。


★★緑のカーテンに関する情報は★★

●緑のカーテンコミュニティサイト│緑のカーテンを町中に広げよう!
http://www.midorinoka-ten.com/

●緑のカーテンを取り入れたマンション「リブラン」
http://www.livlan.com/csr/midorinokaten.html


●緑のカーテンを応援する・フリーマガジン/OHANA(オハナ)
http://www.3087.jp/index.html

●緑のカーテンのある暮らし
http://blog.goo.ne.jp/green15-1958/

●雨の道をデザインする
http://amenomichi.exblog.jp/

緑のカーテンの育て方・楽しみ方
緑のカーテン応援団
創森社

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フォロー有難う!

2009-06-24 21:14:57 | 私らしく生きる。気づきと学び
先週から、ちょっとしたストレスを抱えたら、
はじめに頭痛、次に腹痛、次に吐き気、
「また例のやつね~」とやり過ごしていたら、
昨日の夜、吐き気と蕁麻疹が加わりダウン。

数年前の休職前の記憶が蘇り
「この人、また同じことするかも」
と思ってしまったのです。

非常に忙しい時期だったので、
這ってでも行こうかと思いましたが、
「先が長いから、ここで無理すると、また心が壊れる・・。」
と思い、休ませていただきました。

それにしても、不在中の仲間たちのフォローぶりが完璧。
メールのCCを読んで、涙が出てしまいました。
本当に有難う!


「ビジョンを描く」

2009-06-24 20:58:08 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
3秒の狙撃屋 ひすいこたろうさん。
素晴らしい名言ハンターなので、この方のメルマガは本当にお奨めです。
hisuikotaro@hotmail.co.jp 

最近のメルマガで「これはいい話だなあ」と感じたのが下記です。

**** ひすいこたろうさんのメルマガより *****

アメリカのある荒れ果てた田舎町に巨大なアトラクションを作ろうとした男がいました。
スポンサーを募るために人を集め自分の構想を語る。

「子供の頃に欲しいと思っていながら、手に入れることができなかったものすべてを、この地に実現したいんだ!」

そう熱弁するも、そんな夢みたいな話と説明会ではほとんどの人が居眠りをしていたそうです。

それでも彼は、夢を語り続けた。

それから10数年……
田舎町だったフロリダにあのディズニーワールドが完成したのです。

そして迎えた一般のオープンに先立ち、マスコミを招待してのプレ・オープンの日。ある新聞記者が、ディズニーワールドを訪れ、ウォルトの兄・ロイに話しかけました。


「思い出しますね~。ウォルトが開いた説明会は、どこの会場も居眠りする人だらけで、誰もウォルトを相手にしなかった。あの時は、まさかこのフロリダにディズニーワールドという夢の国ができるなんて、誰も信じなかった。ついに完成したこのディズニーワールドを、ひと目、ウォルトに見せてやりたかったですね」


そうなんです。ウォルトは、ディズニーワールドの完成を見ることなく、
その前年に、肺ガンで亡くなっていたのです。

その新聞記者を、ロイが不思議そうに見つめ、こうつぶやきました。

「君は何を言ってるんだ。世界中の人々の中で、このディズニーワールドを最初に見たのは、ウォルトだよ。ウォルトが最初に見たから、ディズニーワールドができた。ウォルトが最初に見たから、今、僕たちがこのディズニーワールドを見ることができているんだよ」

ロイの言葉は、「ビジョンを描く」ということの本質を教えてくれます。

ウォルト・デイズニー、人生最後の傑作作品といわれる「デイズニーランド」について、本人はこう語っています。

「子供の時分に欲しいと思っていながら、手に入れることができなかったものすべてを、僕はデイズニーランドに盛りこんだ」

心からやり遂げたいという思いをビジョンに描いたら、あとは、心がけることはたったひとつです。

何があってもあきらめないこと。

あきらめない限り、そのビジョンはいつか形になります。

つまり、何があってもあきらめないと覚悟をもった、その瞬間に、あなたのビジョンは未来の地球においてすでに実現しているわけです。

未来は一瞬で変えられるのです。

いまこの瞬間に!

「夢を見ることができるなら、それは実現できるんだ」
byウォルト・ディズニー

**************

ちょっと出来すぎた話ですが、私もロイの言葉は「ビジョンを描く」ことについての本質を語っていると思います。

ひすいさん、さすがです。

「夢を見ることができるなら、それは実現できるんだ」
はちょっと甘すぎる台詞だと思いますが、
「何かを実現する」ためには、まず「夢をみて」「ビジョンを描く」ことが必須だと私は思います。
「夢をみること」で何かが自動的に実現するわけじゃあ決してない。
たとえ、誰も相手にしてくれなくても「やるんだ」と思うことが大切。

仕事を成し遂げるということも同じだと思います。
心の中に描いたことを実現するためには、
描いたことを、具体的なビジョンとして練り直し、
アクションプランにし、実行していかなければなりません。

びわ湖・淀川水系のヨシからできた「ヨシ筆ペン」 コクヨ

2009-06-24 20:45:39 | 嬉しい!楽しい!面白い!ワクワク!
コクヨグループの株式会社コクヨ工業滋賀は、びわ湖・淀川水系のヨシを使用し、環境に配慮した紙製品「ReEDEN(リエデン)」シリーズの新アイテムとして、「ヨシ筆ペン」を6月29日に発売するということです。

ReEDEN」シリーズは、枯れヨシの活用促進とびわ湖の環境保全意識を幅広く広めることを目的とし、2007年11月に発売開始されました。

この度発売する「ヨシ筆ペン」は、ボディにびわ湖・淀川水系の天然ヨシを使用、筆職人が一本ずつ丁寧に手作りしている本格派。2008年11月に便箋や封筒などとともに「ヨシ特撰手紙セット」として発売したところ、ユーザーから筆ペンのみの販売を望む声が多く寄せられ、今回商品化したということです。
コンパクトサイズの桐箱に入れ、スペアインクを同梱しています。


○ 発売予定: 2009年6月29日
○ 販売価格(消費税込): 6,300円

※ 天然素材を用いた職人による手作り商品ですので、ご注文からお時間がかかる場合があります。また、厳選素材を使用しているため年間生産数に限りがございます。ご了承下さいませ。

お問い合わせは、株式会社コクヨ工業滋賀ReEDENプロジェクト)まで。

7月5日(日)「夢をかなえる!キャリアアップセミナー」

2009-06-24 20:27:52 | 私らしく生きる。気づきと学び
枝廣淳子氏のセミナーの中でも比較的、入門編で「一度聴いてみたかった」という方に是非お奨めの講座を発見。
枝廣氏の経験や「ビジョンと自分マネジメント講座」でのノウハウをもとに、「効果的なビジョンの描き方」「自分を上手に動かしていく自分マネジメントシステム」(ぜんぜん難しくないですよ・くま注)のコツやきっかけをお話しし、参加者のみなさんの質問に答えてくれるそうです。

「なりたい自分になる」って、みんなのテーマだと思います。
でもみんな、なかなかなれないで悩むような気がします。(私もかつては悩んでいました)
でも、「なりたい自分になる」のって、ちょっとした「コツ」や「スキル」をおぼえることで、結構できちゃうもんだと思います。
そんなとっておきのノウハウを教えていただける絶好のチャンス、だと思います。

夢をかなえる!キャリアアップセミナー

○日時:2009年7月5日(日)13:30~16:30(13:00開場)

○会場:女性と仕事の未来館 4Fホール
http://www.miraikan.go.jp/access/index.html
〒108-0014 東京都港区芝5-35-3  TEL:03-5444-4151
(JR田町駅徒歩3分、メトロ三田駅徒歩1分)

○プログラム
13:00      受付開始
13:30~15:00 枝廣淳子氏講演 
        第一部「ビジョンを描き、実現する力を身につけよう」
15:00~15:15 休憩(15分間)
15:15~16:15 枝廣淳子氏講演 
        第二部「地球と私たちにとって、本当に大切なこと」
16:15~16:30 質疑応答

○定員:250名

○参加費:3,000円(税込)

こちらからどうぞ


細切れビジョンで、なんでもできる!―夢を実現する自分マネジメントシステム
枝廣 淳子
サンマーク出版

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2000年9月18日「最初で最後の抱っこ」

2009-06-24 00:07:11 | 心と身体の健康・医療
久しぶりに夢をみたので、
「ああ、私は一度、このことをふりかえるべきなのかも」
と以前の投稿を再録します。

2000年の出来事のため、「元夫」は「夫」、
すべて当時の呼び方で書いていいます。
関係者のプライバシーには配慮したつもりですが、
もしこれを見て不快になった方がいまりたらお詫び申し上げます。

この文章は、以前書いたものを加筆訂正しています。
書くことで気持ちの整理をする勝手ををお許し下さい。

**********

2000年の新春、結婚5年目にしてやっと子供をさずかりました。

夫にメールを送ったところ、
すぐにカワイイ呼び名をつけてくれました。
はじめて、小さな命が身体に宿り、本当に嬉しかったです。

つわりで吐きながら、会社に通いました。
満員電車は辛かったけれど、子供が大きくなるのが嬉しかった。
犬の日、はじめての胎動。
そして産休に入り、いよいよでした。

私たちは夫婦は幸せの絶頂にありました。
はじめての子供を待つ幸せで舞い上がっていました。

夫の苦心作のベビーベットには、
赤ちゃん用の布団があり、新生児用の服も水通しをして、
病院へ持っていく準備も完了。

私のお腹をよく蹴る赤ちゃんの足は力強く、
「きっとかけっこが好きになるね」
とふたりで話しました。
そして、
「自然の中で遊ぼう」「運動をさせよう」
「お受験はいらないよね」
などと、3人の暮らしについて話ましました。

私たちは、本当に、本当に、幸せでした。

予定日の少し前、前駆陣痛で焦る私をリラックスさせるために、
夫が、ドライブをして漁港でお寿司を食べさせてくれました。

赤ちゃんは2500グラムを超え、いつ産まれてもいい状態でした。
男の子だと言われました。
名前は夫がつけました。
夫の名前から一文字とったその名前は
「人を繋ぐ」という意味をこめたそうです。


2000年9月18日(予定日)

いつものように、検診に出かけました。
とてもいい天気だったのを憶えています。

いつものように、冗談まじりで先生の問診を受け、
超音波による画像診断を受けました。

ふと先生の雑談が途切れました。

超音波の画像をみると、
赤ちゃんの心臓が動いていません。

一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。
でも、いつも、ぽこぽこと動いているはずの
心臓が動いていません。

動いていないのです。

先生がけわしい顔で、看護士さんに、
私を別室に移すよう指示を出していました。

別室に移され、おなかに機械をまいて、
看護婦さんが心音を探す機械の位置を必死で調整していました。

何度も、何度も、もうみつかりっこないのに、
それでも何度も探していました。
どんなに探しても、心臓の音は聴こえませんでした。

「どうか赤ちゃんを助けて下さい」
と私は神様に祈りました。

泣き叫び、半狂乱になりながら祈りました。

自分の命と引き換えにしてもいいと本気で思いました。

「お願いします」
「お願いします」

ずっと叫び続けました。

やがて意識を失いました。



目覚めたときには、心音を探す機械がありませんでした。

駆けつけた夫と一緒に、先生の部屋に行きました。
まだお腹は大きいけれど、
「赤ちゃんは亡くなりました」
と告げられました。

夫は驚くほど気丈でした。
私の手を強く握り締めてくれました。

「促進剤を投与して、亡くなった赤ちゃんを産みましょう」
と言われました。

「頑張って産んで、だっこしてあげようね」と
泣きながら、夫婦で話しました。

夜になって陣痛が起こりました。

練習した通りの呼吸法でしのぎました。
母親学級での練習が役に立ちました。
夫がずっとずっと腰を押してくれました。

分娩そのものも練習通りに出来ました。
助産婦さんの指示通りいきみ、
何回かいきんだのち、赤ちゃんが産まれました。

夫は死因の説明をうけました。
赤ちゃんの首には、へその緒が何重にもまきついていたそうです。
私はみていませんが、夫はそれを見なければなりませんでした。
彼はそのことを、それ以来、一度も口にしません。
どんなに辛かったことでしょう。
そして赤ちゃんはどんなに苦しかったことでしょう。

助産婦さんたちが、きれいなおくるみに赤ちゃんを包んでくれ、
やっと対面することができました。

そして最初で最後の抱っこでした。

親子3人だけにしてもらいました。
本当に、静かな、静かな時間が流れました。

静かに私たちは語り合いました。
その後、私たちに降りかかる苦悩は、
そのときだけは、待っていてくれました。

「私たちのところへ宿ってくれて有難う」
「お腹の中にいる間、とても幸せだったよ」
と言いました。

「それなのに守ってあげられなくて本当にごめんね」。

どんなに「不可抗力の事故」
「誰にも防ぐことは出来なかった」と説明されても、
赤ちゃんを守ることが出来るとしたら
母親の私以外いなかったと思いました。

そして私は、部屋から一歩もでられなくなり、
電話にも出ず、
何を見ても、聴いても、心が止まったままに
なりました。

そして、今年も9月18日がやってきます。
生きていれば、9歳です。
数えても仕方がないと思いながら、
やはり毎年年齢を数えずにはいられません。

いま、あなたを抱きしめることが出来たら。

仕事と育児に追われる中、
考え込んでしまう閑はなくなりました。
また、さまざまな人のお陰で、
9年経ち、私はやっと自分を責めなくなりました。

今でも、時に「暗い淵」へとおちそうになることがあります。
でも、それを天国の息子が喜ぶでしょうか?

断じてそれはない。
「悲劇のヒロイン」に私はなりません。

明るく、笑いながら、精一杯生き、
今の息子たちを育て、やりたいことをやり、
天寿を全うし、
母ちゃんの人生がどんなに面白かったかを
天国の息子に面白可笑しく語るのが楽しみです。