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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

阿蘇の夕方

2011-07-12 20:28:18 | ヘミシンクについて、


そろそろ阿蘇の原野にキスゲやユウスゲが咲いている頃なので。
ちょっと夕方に見に行ってきました。
しかし、今年はまだ早かったようで、ぽちぽちでしたね。

でも、原野で見るとそれは、1つ1つが黄色い星のように見えて。
ぽつぽつでも美しく見えました。

来週くらいが見ごろかな、と思うところ。
なので、もしも興味がある方は、夕方5時過ぎくらいから阿蘇の原野、特に阿蘇山側なんですが。黄色い花畑が広がって、夏の夕方を美しく彩ってくれます。

阿蘇には美しい自然がたくさんありますね。
まだまだ見つけていないところもたくさんありそうです。

さて、たまにはヘミシンク的考察って事で。

ヘミシンクは、いかなるイデオロギーとも思想とも共存できる技術、
って事なんですが。
日本では「ヘミシンク教」みたいに取り扱われることが多いですね。
これはこれで、面白い日本独自の発展系だと思っています。

アメリカ人と考え方が違うので、そうなるのでしょうね。
ヘミシンクって音響技術の名前なんで、正確には「モンロー研教」ではないのかな?
と突っ込み入れたくなりますけど。
まあ、それくらい「ヘミシンク」というのがちゃんと伝わっていないって事なんかな、と思うところ。
本読めばちゃんと書いてあるんですけどね。
私も延々数年間もブログ書いてきて、まだちゃんと伝えられてないのかと反省するところですが。

ヘミシンクはキリスト教の人はその概念で理解を進めていけますし。仏教の人もその概念で理解を進めていける事ができる。
そういう、すべてのものを統括したり、それぞれの宗教の内容に対応したような体験をする事もできますし。
人それぞれ、自分の内部意識にそった体験を導いて、それから自分のもっと広い部分に気付いて行けるような、そんな感じかと思っています。
日本人にはそういう「自分」を定義する概念とかそういうのが希薄な人種だと思うので。そこがモンロー研的な思想を理解しにくいとこかな、と思ったりしますが。
他の国には人種、宗教、そういうもので自分を他者と区切る部分ありますが、
日本は「県人会」くらいでそこまで強烈じゃないですしね。
日本人のいいところはそこでもあるのですが。

日本人と欧米人、会話をするときの言葉の選び方もそうですが。

海外の人は。
「私は、思う」と言って、それから自分の考えを話していくところありますけど。結論、自分の思った事を先に言って、それに対しての理屈を後から言うような。
日本人は、「そうですねぇ」と言いながらある程度考えてからあたりさわりのない言葉で会話する習慣が付いてますよね。結論は相手の顔を見ながら切り替えたりして。

そこもモンロー研的考え方が上手く伝わらないところなんかな、と思うところでもあります。

シェアを見るとそうですよね。日本人は最初に誰かが「例えになりそうなネタ」を話さないと、なかなか盛り上がりませんし。
「これ言うと、へんな人って思われるかな」と思って話す事を控える場合も多々あると思います。
私もそうですし。
なので、私の場合も『一例として』という感じでブログで体験を書き始めたのですが。
それが1つの「形」になってしまうと、ちょっとどうしたもんかな、と思うところでもあります。何度かブログ辞めようかな、と思った。と以前書いた事もありましたが。
それはこういう事も含めてですね。
ま、しかし最近は「すべてプロセス」って事で理解してますので。

私の体験が1つの形であっても、人それぞれ、たくさんの体験の仕方がある。
って事をお知らせするには、結局文章でなくて直接の対話であるなあ、と思っているのでセミナーもたくさん行うんですけどね。

各地で公認トレーナーの方がヘミシンクセミナーを行っていますが、それを伝えるために行っているわけでして。自分の体験を導いてもらう場を提供している感じでしょうか?モンロー研でもそうでしたしね。
もちろん、トレーナーの方が一緒になって体験について考えたりアドバイスしてくれますし。その場でシェアすることに意味があったりしますし。
そういう場に行って体験するのも意味はありますので。

4月に雲黒斎さんとムンクさんとコラボ講演会しましたが、その時に感じた事をちょっと。

モンロー研的なプロセスで、たとえば、
まず自分の点を見つけます。
自分で、自分に繋がる点を見つけて行きます。
そして、それが線である事に気が付きます。
線である事を自分で見つけて行くと、それが面である事に気が付きます。
そして、その面が今度は1つの何かの一部である事に自分で気が付いて。
そして、その面が一枚の絵を構成している事に自分で気が付いて
その絵が「モナ・リザ」だとはっと分かったりして。
「ああ、なるほど。だから今じぶんがここにいるのか!」
的な見え方をするとしますと。

雲黒斎さん達のような方々は、
先にその絵が何かを見てしまった感じでしょうか。
先に「モナ・リザ」はここに存在しているから、皆はモナ・リザの中のすべてと繋がっていて、それを感じて、理解してもらうためにそれを説明している感じでしょうか。
だから、話も分かりやすいし、根本的な事を話されていて理解もしやすいと思います。
共通の認識が得やすい範囲の話になりますので。

これまでの宗教的な祖達も、この全体像を見てから、それをたとえ話や寓話などで説明してきていると思いますしね。

しかし、私が考えるモンロー研的な見方だと、自分で、今の自分がいる立ち位置を探って、
そのポイントの色を見て。「なんだ、真っ暗じゃん!」と思えばそれで終わらせて、自分の点を受け入れて終わってもいいですし。
「いや、この黒い点だけが自分じゃない。」と思うのであれば、自分を構成する点をもう一つ見つけてみたりして。
「まだ真っ暗じゃん!」と思えばその先を見つけて。
と続けて行くと、いつの間にかそれが線になっていて。
自分の事を、点ではなくて、線で見られるようになってくると、自分を理解することがより深くなって。そこで自分は線なんだなあ、と理解できて終わらせてもいいですし。

そして線で自分を見て行くと、縦の線、横の線がある事に気付いて。
今度は面で見えてくるようになって。
これまでの点でしか自分を理解出来なかった事が、面のような広い見方ができるようになるので、これまで受け入れにくかった考え方、主張も分かるようになってきて。

そして、その面が何かの絵の一部である事に気が付くと、今度は「あ、自分はここにこの色、この点で存在している事に意味があったのか。」と自分を受け入れられるようになって。
自分の今まで信じてきた教義や自分自身に対しても受け入れる事が出来るようになって。
そして、自分のそれを受け入れられると、人の「自分自身」も受け入れられるようになって。
そして、自分が全体の一部である事に気が付いて。


というプロセスを得て行くと、最後に見えてくるのは「モナ・リザ」のほほ笑みであったりして。

だから、途中のプロセスが人それぞれなんで。体験を人と共有することが難しい、だから誤解やすれ違いも得やすくなる。
そういうところでしょうか。
同じ「面」にある点の人達は理解できても、他の面にある点の人とは見え方が違うのですからね。
モナ・リザの口元の人には、髪の毛の部分の面を表している人の事が分からないですし。
しかし、面が何かの一部だという認識ができると、相手の面も理解できるようになるかと。

それぞれに自分と違う面を探索しているけど、結果的にはすべて繋がって一枚の絵になる。

それを「体験」として理解できるようになる。
そこが、私がモンロー研的プロセスにひかれたところであります。

ゲートウェイを聞いても、そういうナレーションがありますしね。
自分の体験は自分の体験であり、人の体験じゃないんですから。

本になっている人は、その体験がある程度 売れるから本になっているんであって。
そこに「人に訴える」メッセージがあるから、本として出てくるわけですし。

他にももっとたくさん、面白い体験をしている人は山ほどいます。私がこれまで会ってきた人は、私より凄い体験している人たくさんいましたしね。
そういう表に出てこないような人の体験を、何かまとめられたらおもしろいかな、と思ったりもします。

それとも、そういう本をすでに誰か描き始めているかもしれませんね。

まあ、ヘミシンク聞いて体験を求めている人は、自分の「点」はどんな色なんかな、と探してみて、それを受け入れて、別の点を探して。
その一つがリーボールの形でもいいですし。エネルギーバーツールでもエネルギー変換ボックスでもいいですし。それらを自分の形を受け入れる事は、その先に繋がる「線」になり、「面」になる最初の一歩となるはずです。

それはヘミシンク中とは限らないと思います。
買い物途中にひらめいた事、上司に言われた小言。子供の何気ない一言。
奥さんからの手痛い電話。
なんでもそうですが、それらもすべて自分の「面」を構成する一部なんですよね。

ヘミシンク中の「線」と日常生活の「線」が絡み合って、1つの「面」が織り上がっていく。

そして、それらはすべて大切な自分の一部だと気が付いて。
トータルセルフへと繋がっていくルートとなっていくような。
そんな気がします。

そのヘミシンク中と日常の「織り目」を書きたいから、今でもブログ書いているようなものですからね。

すべては自分の全体、ハイアーセルフの一部であり、自分は常にその中に存在し、そこに見えるものはすべて必要なものであり。

そう考えると、なんでも自分の体験している事はスピリチュアルであろうが無かろうが、大切な自分の1つなんだな、と思えてくるようになります。

すると、世界が広がって、たのしい事が増えてきて。

一人ひとりの幸福度も上がっていくんじゃないかなと思うところ。

そのために、ちょっと「へミる?」みたいな事が言えるようになるといいですね。

私の基本的な考え方には、「人の幸福度を上げるには?」という問いがありますので。
その1つの手段としてのヘミシンク、という考え方です。

今後、もっと良さそうなものが出たら、鞍替えするかもしれませんが(笑)、しばらくはこの道を進むと思いますよ。
ヘミシンクは一人でも、大勢でも楽しめる、面白いツールだと思いますね。














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3 コメント

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Unknown (巫佳女)
2011-07-13 08:34:45
こんにちは、はじめまして。パソコンもあんまり使えないようなオバサンですが、まるの日さんのブログ、毎日楽しみに読ませていただいています。
最初はヘミシンク?何?って感じだったのですが、(聴いたらすぐ寝てしまって)二ヶ月過ぎた頃、朝方一度だけ大きな声で誰かから名前を呼ばれて…という体験をしまして、(寝ぼけてないと思います)これから私の世界、どんどん拡がっていったらいいなぁって思っています。初心者ですが、まるの日さんや他の読者さんの意見を参考に、でも地にしっかり足をつけていくことも忘れずに、日々感謝で生きていきたいですね。
アニメの話にはあんまりついていけないのですが…これからもよろしくお願いします。
返信する
もう ユウスゲが咲く頃ですか・・ (悩ケン)
2011-07-13 01:59:36
ちょっと 扇坂あたりまで 見に行こうかな・・展望所の頂上から見渡せますしね・・

しかし・・

いきなり ドカーンと モナリザがみえる方もいらっしゃるのですね・・うらやましいです・・


まあ、私のような者は、点からボチボチ派の 亀タイプ ですね・・

まあ、その内に モナリザが見渡せる頂上に 辿り着くのか・・

車で行けたら楽で早いんでしょうけど・・

まあ、ユウスゲ見に行くようにはいきませんね・・

私は、学びながらの遠足ですかね・・
返信する
まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2011-07-12 22:08:04
 今日は、ヘミシンク的考察ですね。

 ヘミシンクは、あくまでツールですね。

 そして、自分の存在を証明すること。
 
 でも、最初は、過去生を見たい。ガイドさんに会いたい。幽体離脱がしたい。
 そんな動機で入る方が多いと思います。

 それから、自分でヘミシンクを探究していくものだと思います。

 高いCDですから、何回も聞いて、発見しましょう。
 
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