今日は朝から良い天気。さっきまでご近所さんから石窯ピザパーティーにお呼ばれしていまして、今帰ってきたところです。その時に来られていたのが、ギター職人ご夫婦。こだわりのある人のところには何かを作る人が集まるものですね。そのご夫婦もちょっと精神世界系に興味がありそうなので、じきにヘミシンク仲間にしてしまおうかと思ったりしてしまいました。帰り見上げた空には天の川が綺麗でしたね。
昨日、今月中に一度、ヘミシンク仲間が集まって話をする会でも開こうかと思っていたら、ガイドなどから警告が入りまして、まだタイミングが早いという感じの指示が来ました。まだ機が熟していないようですね。私の人生、急いで何かしようとすると何かと失敗が多かったので、その辺気をつけろという事でしょうか。なのでもちょっと内容やタイミングを検討してから詳しい日取りなどを考えてみようかと思っています。
さて、昨日の共同探索でフォーカス27へ行きやすくなったと思いますが、どなたか行かれたかたはいますかね? 今日はその様子を見るのと、なぜか急に「レトリ―バルをやらねば。」という感じがしたのでとりあえずフォーカス21に行きました。今日はなぜか朝っぱらから専務が草を切っていまして、その音がうるさくて最初集中できませんでしたが、イメージが見えてきだすと全く気にならなくなりました。慣れてくると、どのような環境でもヘミシンクできるようになるもんです。しかし、専務もご苦労様ですね。この会社は、社長を始めみんな働く人ばっかりですから、困ったものです。ま、人のことは言えませんが。
そして、サオリさんと一緒にまるの日カフェに到着。昨日設置した看板を見ながら、外のテーブルに座ります。向こうに見えるキッズルーム(外の木です。中がキッズルームになっています)では子供達が楽しげに遊びまくっています。夢の中でもここには来られるので、今店に来ている人たちも夢の状態で来ている人も多数いそうです。
私の目の前にはコーヒーのような茶色の液体が入ったカップが出てきました。どうやら飲めという感じなので飲んでみますと、水のようにとくに味は感じられませんでした。その後、ガーデン席でサオリさんとなにかを話していると、横に彼が登場です。全体が光で覆われているのに、なぜか右腕だけがはっきりと見えて、今日はレトリーバルをやるように薦められました。そして、「今の私の状況でいいんですかね?」と聞くと、「君がたのしい事をやりなさい」と言われました。基本、放任主義のようです。
ピラミッドの頂上からなにか光のチューブのようなものが上に伸びているのが見えます。昨日掘ったトンネルでしょうか? そして私達はフォーカス27に行くのに昨日の道を使うことに。ジーラとサオリさん、私でピラミッド内の水晶を囲んで、カゴメカゴメをやります。するとふっというかんじでフォーカス27のサミーのレストラン中庭に到着です。そこで私はまずは腹ごしらえをしようと中に入って行きます。そこには品の良い感じの親切なウエイターさんがいて、席まで案内してくれます。「この人がサミーさん?」と思ったりしましたが。そこで出てきたのが、カニの身をふんだんに使用したサラダと、ポタージュっぽいスープです。食べてみると、カニはちゃんと本物を使っている感じがして、なんとも贅沢な一品です。スープの方はなんだかよくわからない感じでした。とりあえずエネルギーフードを食べて、中庭に出てみると、そこにヘルパーがやってきました。いつもの、背の高いほうと低いほうの2人です。そういえば、この人達に名前つけていませんでしたね。そして、なぜここに来たのか聞くと、ヘルパー島はあくまで目印として存在していたので、この中庭をこれから目印に設定すればわざわざあそこまで行かなくても良いとか。便利になったものです。今後、レトリーバルを目指す方も、ここを目印にしてヘルパーと落ち合うという方法も取れそうですね。待ち時間に何か食べられますし。
そしてヘルパーと一緒にフォーカス23あたりにむかいます。見えてきたのは山。「北アルプス」というイメージが来ます。その中腹あたりに男性が一人倒れていました。近寄ってみると、上から滑落して亡くなった方のようです。服装から見て、わりと最近の方のようですが。落ちた痛みに捕らわれて、まだ成仏していないもよう。私が声をかけると、痛みにこらえながら、「エトウ」という名前を教えてくれました。私が、すぐにレスキュー隊を呼んできます。と言ってヘルパーを呼びますと、二人ともヘリで救援に来た人のような格好になって、手際よくエトウさんを担架にのせてゆきます。その間に痛み止め、と言いながら何かを注射したりしていましたが。その後、ヘリで持ち上げるふりをしてそのままフォーカス27の癒しの空間へ搬送されてゆきました。これで一安心。と思っていると、ふと疑問が浮かびました。「生きている人間の捕らわれた意識もレトリーバルできるのか?」とそれで、その辺にいる人(ヘルパー?)に聞いてみると、できると言います。そこでフォーカス25の信念体系領域に入り込んで、妻をレトリーバルしてみる事に。妻は以前キリスト教に入っていましたので、未だに罪と罰思想が根底に残っているようです。あと、偶像崇拝を嫌がるとか。今はだいぶ気にならなくなっているようですが、私から見ると、まだまだそういう信念に縛られているのが見えます。これを前世からの因縁として過去生をレトリーバルするやり方は聞いた事ありますが、ダイレクトに生きている人間意識をレトリーバルとはあまり聞いた事無いと思います。なので、あえて挑戦してみました。今の人生に自分の過去生が影響している、と言う考え方に抵抗のある方もいらっしゃると思います。そういう方に向けたレトリーバル法ですね。たぶん彼が言っていたレトリーバルをやれという真の意味はこれだったのではないかと思いまして。
フォーカス25に行きます。すると、教会のある信念体系領域が見えてきました。皆でミサか何かが終った様子で多くの人が中央の教会から聖書片手に出てきます。上空から見ていると、妻がいました。私が目の前に降りて行くと、明らかに警戒しています。どうやら捕らわれているのは私と出会う前の妻のようですね。なので、まだ若い感じがします。まあ、知らない男が空から降りてくれば普通、驚きます。何か良い方法ないかなあ、と一緒に来ているヘルパーをちらっと見ると、お手並み拝見、と言う感じで私を見ています。しょうがないので、妻にここにいて何か疑問を感じないか?とか聞き始めました。最初警戒していましたが、だんだん話を聞いてくれるようになってきまして、次第に私も、もっと真理が知りたくないか?とか大きな事言い始めました。妻はだんだん話しに乗ってきます。もう少しかな。と思っていると、妻の体が浮き上がりました。ヘルパーが成功した、というような意識を伝えてきます。妻はそのまま上空の光の方へと飛んでゆきました。レトリーバル完了のようです。これは自分の意識を開放するのにも使える方法のようで、一般の方々も行えるとヘルパーさんは言っています。じゃあ、自分の捕らわれ人格もレトリーバルできるのか?と思ったら、一気に視界が変化して、荒野の様相が見えてきました。高い崖の上には一人の男が立って、荒野を眺めています。よく見ると、それは私でした。荒野を吹く風を受けて、「一人でいるほうが全てが見えるはずだ。」という事を考えているようです。つまり、このような風景を一人で見て納得しているわけですね。はあ、一人孤高を楽しむ。そんな感じ。私の中にこういうところあるかもなあ、と思っていると、私の意識がそちらの“私”に移行しました。“私”の目線で風景が見え、物を考えています。広い大地の様子を見ていると、子供達が急にわらわらとやってきました。そして、「あそこには森があるよ」と一人が言って指差します。すると荒野の一角に森が現れました。「あそこにはお花畑が。」もう一人の子供が言いました。すると森の横に美しい花畑が現れます。「向こうには海が見える。」「空は青くて気持いいね。」次々と子供達が言うとそれが目の前に現れてきました。“私”は最初はうろたえましたが、だんだん、見えてくる美しい風景に心奪われるようになってきました。一人で見ている時は荒野が美しいと思っていたが、子供達が来てくれたおかげで、さらに美しいものが見えてきた。青い空と遠くに見える青い海、森と草原と花が咲き乱れる大地。そして吹き渡る風の気持ちよさ。子供達の笑い声も聞えてきて、なんだかさっきまで一人でいたのが嘘のようです。後ろに人の気配を感じて振り返りました。するとそこには妻がいます。「ほら、そこにも花が咲いている。」妻は私の足元を指差します。するとそこには美しい野の花が咲いていました。自分の足元にある美しいものにさえ気が付いていなかったのか。“私”はそう思うと今、大勢の子供や妻に囲まれている事に感謝の気持がこみ上げてきました。
「一人で見ているよりも、多くの仲間と一緒に見たほうが、いろいろな物が見えてくる。多くの人と高いところから物を見なさい」
ハッとして、私、になりました。“私”が崖の上に立ってにこやかにしています。サオリさんに促され、私は“私”に近づいてゆき、そして、融合しました。周りにいた子供達と妻の姿は消え、同時に体中を震動が走り、涙が出てきました。私の一部が私になった、気付きを得た、そして気付かせてもらった感謝、愛、いろんな感情が体を駆け巡ります。ヘミシンクは自分自身をレトリーバルできる。そんな確信を得た気がしました。崖の上で、気持の良い風に吹かれながらサオリさんと話していると、戻って来いナレーションが聞えてきます。私はそのままフォーカス12へ降りてゆき、モンローさんと会いました。
「ヘミシンクってすごいですね!」と私が言うと、「自分自身と周りの世界を成長させることができる。これがヘミシンクだ。」みたいな事を言われました。モンローさんに感謝です。ヘミシンクの奥深さを改めて知らされた気がします。宇宙に行って想像の源を探す事もできて、自分の内面の成長も促せる。正直、フォーカス100(と思います)以上にいった時点で、「あ、これからどうしよう。」とか思った時もありましたが、まだまだ、探検するフィールドはいくらでもありそうです。しかし、このように生きている人間の意識をレトリーバル(?)するようなセッションって、あるんですかね?
今回のことで、私はもっと人との関係を持って、ヘミシンクの高みを目指さないといけないのかなあ、という事を思いました。正直人付き合いはめんどうなので、なるべく一人でやってしまおうという考えがあったので今までヘミシンク関連の接触を絶ってきたのですが、TSTに行ってから何かが変化してきた気はしますね。もっと人と協力して上げて行かないといけないのでしょうね。
オマケですが、昼寝にオープニング・ザ・ハート2を聞いて寝ていましたら、女性の声が途中で「こっちは間違いかしら」「こっちでいいんじゃない」と、やたらとはっきり聞えてきて、誰か部屋に来たかな?と思って起き上がったら誰もいませんでした。それに良く考えると、イヤホンしているので外の音があんなにはっきり聞えるわけもありません。どうやら別の空間の音を聞いていたようですね。オープニング・ザ・ハートの癒しのエネルギーに引かれて、だれかの霊が間違って私のところに来たんですかね?
昨日、今月中に一度、ヘミシンク仲間が集まって話をする会でも開こうかと思っていたら、ガイドなどから警告が入りまして、まだタイミングが早いという感じの指示が来ました。まだ機が熟していないようですね。私の人生、急いで何かしようとすると何かと失敗が多かったので、その辺気をつけろという事でしょうか。なのでもちょっと内容やタイミングを検討してから詳しい日取りなどを考えてみようかと思っています。
さて、昨日の共同探索でフォーカス27へ行きやすくなったと思いますが、どなたか行かれたかたはいますかね? 今日はその様子を見るのと、なぜか急に「レトリ―バルをやらねば。」という感じがしたのでとりあえずフォーカス21に行きました。今日はなぜか朝っぱらから専務が草を切っていまして、その音がうるさくて最初集中できませんでしたが、イメージが見えてきだすと全く気にならなくなりました。慣れてくると、どのような環境でもヘミシンクできるようになるもんです。しかし、専務もご苦労様ですね。この会社は、社長を始めみんな働く人ばっかりですから、困ったものです。ま、人のことは言えませんが。
そして、サオリさんと一緒にまるの日カフェに到着。昨日設置した看板を見ながら、外のテーブルに座ります。向こうに見えるキッズルーム(外の木です。中がキッズルームになっています)では子供達が楽しげに遊びまくっています。夢の中でもここには来られるので、今店に来ている人たちも夢の状態で来ている人も多数いそうです。
私の目の前にはコーヒーのような茶色の液体が入ったカップが出てきました。どうやら飲めという感じなので飲んでみますと、水のようにとくに味は感じられませんでした。その後、ガーデン席でサオリさんとなにかを話していると、横に彼が登場です。全体が光で覆われているのに、なぜか右腕だけがはっきりと見えて、今日はレトリーバルをやるように薦められました。そして、「今の私の状況でいいんですかね?」と聞くと、「君がたのしい事をやりなさい」と言われました。基本、放任主義のようです。
ピラミッドの頂上からなにか光のチューブのようなものが上に伸びているのが見えます。昨日掘ったトンネルでしょうか? そして私達はフォーカス27に行くのに昨日の道を使うことに。ジーラとサオリさん、私でピラミッド内の水晶を囲んで、カゴメカゴメをやります。するとふっというかんじでフォーカス27のサミーのレストラン中庭に到着です。そこで私はまずは腹ごしらえをしようと中に入って行きます。そこには品の良い感じの親切なウエイターさんがいて、席まで案内してくれます。「この人がサミーさん?」と思ったりしましたが。そこで出てきたのが、カニの身をふんだんに使用したサラダと、ポタージュっぽいスープです。食べてみると、カニはちゃんと本物を使っている感じがして、なんとも贅沢な一品です。スープの方はなんだかよくわからない感じでした。とりあえずエネルギーフードを食べて、中庭に出てみると、そこにヘルパーがやってきました。いつもの、背の高いほうと低いほうの2人です。そういえば、この人達に名前つけていませんでしたね。そして、なぜここに来たのか聞くと、ヘルパー島はあくまで目印として存在していたので、この中庭をこれから目印に設定すればわざわざあそこまで行かなくても良いとか。便利になったものです。今後、レトリーバルを目指す方も、ここを目印にしてヘルパーと落ち合うという方法も取れそうですね。待ち時間に何か食べられますし。
そしてヘルパーと一緒にフォーカス23あたりにむかいます。見えてきたのは山。「北アルプス」というイメージが来ます。その中腹あたりに男性が一人倒れていました。近寄ってみると、上から滑落して亡くなった方のようです。服装から見て、わりと最近の方のようですが。落ちた痛みに捕らわれて、まだ成仏していないもよう。私が声をかけると、痛みにこらえながら、「エトウ」という名前を教えてくれました。私が、すぐにレスキュー隊を呼んできます。と言ってヘルパーを呼びますと、二人ともヘリで救援に来た人のような格好になって、手際よくエトウさんを担架にのせてゆきます。その間に痛み止め、と言いながら何かを注射したりしていましたが。その後、ヘリで持ち上げるふりをしてそのままフォーカス27の癒しの空間へ搬送されてゆきました。これで一安心。と思っていると、ふと疑問が浮かびました。「生きている人間の捕らわれた意識もレトリーバルできるのか?」とそれで、その辺にいる人(ヘルパー?)に聞いてみると、できると言います。そこでフォーカス25の信念体系領域に入り込んで、妻をレトリーバルしてみる事に。妻は以前キリスト教に入っていましたので、未だに罪と罰思想が根底に残っているようです。あと、偶像崇拝を嫌がるとか。今はだいぶ気にならなくなっているようですが、私から見ると、まだまだそういう信念に縛られているのが見えます。これを前世からの因縁として過去生をレトリーバルするやり方は聞いた事ありますが、ダイレクトに生きている人間意識をレトリーバルとはあまり聞いた事無いと思います。なので、あえて挑戦してみました。今の人生に自分の過去生が影響している、と言う考え方に抵抗のある方もいらっしゃると思います。そういう方に向けたレトリーバル法ですね。たぶん彼が言っていたレトリーバルをやれという真の意味はこれだったのではないかと思いまして。
フォーカス25に行きます。すると、教会のある信念体系領域が見えてきました。皆でミサか何かが終った様子で多くの人が中央の教会から聖書片手に出てきます。上空から見ていると、妻がいました。私が目の前に降りて行くと、明らかに警戒しています。どうやら捕らわれているのは私と出会う前の妻のようですね。なので、まだ若い感じがします。まあ、知らない男が空から降りてくれば普通、驚きます。何か良い方法ないかなあ、と一緒に来ているヘルパーをちらっと見ると、お手並み拝見、と言う感じで私を見ています。しょうがないので、妻にここにいて何か疑問を感じないか?とか聞き始めました。最初警戒していましたが、だんだん話を聞いてくれるようになってきまして、次第に私も、もっと真理が知りたくないか?とか大きな事言い始めました。妻はだんだん話しに乗ってきます。もう少しかな。と思っていると、妻の体が浮き上がりました。ヘルパーが成功した、というような意識を伝えてきます。妻はそのまま上空の光の方へと飛んでゆきました。レトリーバル完了のようです。これは自分の意識を開放するのにも使える方法のようで、一般の方々も行えるとヘルパーさんは言っています。じゃあ、自分の捕らわれ人格もレトリーバルできるのか?と思ったら、一気に視界が変化して、荒野の様相が見えてきました。高い崖の上には一人の男が立って、荒野を眺めています。よく見ると、それは私でした。荒野を吹く風を受けて、「一人でいるほうが全てが見えるはずだ。」という事を考えているようです。つまり、このような風景を一人で見て納得しているわけですね。はあ、一人孤高を楽しむ。そんな感じ。私の中にこういうところあるかもなあ、と思っていると、私の意識がそちらの“私”に移行しました。“私”の目線で風景が見え、物を考えています。広い大地の様子を見ていると、子供達が急にわらわらとやってきました。そして、「あそこには森があるよ」と一人が言って指差します。すると荒野の一角に森が現れました。「あそこにはお花畑が。」もう一人の子供が言いました。すると森の横に美しい花畑が現れます。「向こうには海が見える。」「空は青くて気持いいね。」次々と子供達が言うとそれが目の前に現れてきました。“私”は最初はうろたえましたが、だんだん、見えてくる美しい風景に心奪われるようになってきました。一人で見ている時は荒野が美しいと思っていたが、子供達が来てくれたおかげで、さらに美しいものが見えてきた。青い空と遠くに見える青い海、森と草原と花が咲き乱れる大地。そして吹き渡る風の気持ちよさ。子供達の笑い声も聞えてきて、なんだかさっきまで一人でいたのが嘘のようです。後ろに人の気配を感じて振り返りました。するとそこには妻がいます。「ほら、そこにも花が咲いている。」妻は私の足元を指差します。するとそこには美しい野の花が咲いていました。自分の足元にある美しいものにさえ気が付いていなかったのか。“私”はそう思うと今、大勢の子供や妻に囲まれている事に感謝の気持がこみ上げてきました。
「一人で見ているよりも、多くの仲間と一緒に見たほうが、いろいろな物が見えてくる。多くの人と高いところから物を見なさい」
ハッとして、私、になりました。“私”が崖の上に立ってにこやかにしています。サオリさんに促され、私は“私”に近づいてゆき、そして、融合しました。周りにいた子供達と妻の姿は消え、同時に体中を震動が走り、涙が出てきました。私の一部が私になった、気付きを得た、そして気付かせてもらった感謝、愛、いろんな感情が体を駆け巡ります。ヘミシンクは自分自身をレトリーバルできる。そんな確信を得た気がしました。崖の上で、気持の良い風に吹かれながらサオリさんと話していると、戻って来いナレーションが聞えてきます。私はそのままフォーカス12へ降りてゆき、モンローさんと会いました。
「ヘミシンクってすごいですね!」と私が言うと、「自分自身と周りの世界を成長させることができる。これがヘミシンクだ。」みたいな事を言われました。モンローさんに感謝です。ヘミシンクの奥深さを改めて知らされた気がします。宇宙に行って想像の源を探す事もできて、自分の内面の成長も促せる。正直、フォーカス100(と思います)以上にいった時点で、「あ、これからどうしよう。」とか思った時もありましたが、まだまだ、探検するフィールドはいくらでもありそうです。しかし、このように生きている人間の意識をレトリーバル(?)するようなセッションって、あるんですかね?
今回のことで、私はもっと人との関係を持って、ヘミシンクの高みを目指さないといけないのかなあ、という事を思いました。正直人付き合いはめんどうなので、なるべく一人でやってしまおうという考えがあったので今までヘミシンク関連の接触を絶ってきたのですが、TSTに行ってから何かが変化してきた気はしますね。もっと人と協力して上げて行かないといけないのでしょうね。
オマケですが、昼寝にオープニング・ザ・ハート2を聞いて寝ていましたら、女性の声が途中で「こっちは間違いかしら」「こっちでいいんじゃない」と、やたらとはっきり聞えてきて、誰か部屋に来たかな?と思って起き上がったら誰もいませんでした。それに良く考えると、イヤホンしているので外の音があんなにはっきり聞えるわけもありません。どうやら別の空間の音を聞いていたようですね。オープニング・ザ・ハートの癒しのエネルギーに引かれて、だれかの霊が間違って私のところに来たんですかね?
ヘミシンク中に見るものには、その世界に実際に存在し皆さんと共有出来るものと、個人的に(のみ)意味ある象徴的なイメージ等と2種類あるわけですよね。この時体験したのも薄ぼんやりしたイメージで、いきなりそんな上に行けるはずもないだろうし、多分個人的なイメージだったんでしょうけど(感じたフォーカスレベルも、心許ないです)何にせよ、ヘミシンク中って普段の意識では妄想しようとしても出来ないものが見えて面白いですね。(^_^;
見えないとか、こんなことは体験できないだろうとか、自分自身のかせを外したら、ヘミシンクにはいろんな可能性があるんですね!
自分をレトリーバルとは心理学で言うインナーチャイルドとかそういうものと同じなのかなあと思ったりしました。これを行ったあとは、考え方がより前向きになる気はしますね。それと、現実的な周りの世界がまた広がった気がします。
ヘミシンクで見えているものは、すべて自分にとって意味のあるものである。という考えが大切です。共通のものが知覚できることも多いですが、基本的に個人的な体験ですからね。楽しく見えるものを感じていくのが良い聞き方のようですよ。