MINIはいいですねぇ。
車の内装にはまったく興味なかったのに、これに乗るとこだわり感があって、なんだか心地よいです。
オリジナルだけど、普遍的。こういうデザインは、日本車にはまだまだ届かないのかな、と思ったりします。
CR-Zもいいなあ、と思っていたのですが、あれは10年たったらたぶん古いデザインになりそうな気がしました。でも、MINIは10年経つとそれなりの味が出るというか。
そういう気がしたので購入したのもあります。
古いイギリスの家具やアンティークは見るのは好きで(買うほどではない)して。時代を経るとそれだけ重みのあるような、そういうデザインが好きですね。
まあ、単純に貧乏症なのでいいものを長く使いたいというだけではあるのですが。
できるだけ、身の回りにはそういういい物を置いておきたいなあ、と思う今日この頃。
いい物は、人にもいい影響与えますからね。
こういうのも、ヘミシンクするまでは気にもしていなかったことです。だんだん、そういう波長とか波動とか、そういうものを察知するようになるのでしょうかね。
さて、今日のヘミシンク。
まずは昨日アップしそこなったイラストから。最近、スキャナで取り込んでいるので画像がクリアになってます。

一枚目は生前の「巫女ルリカさん」 2枚目は新たに書きこし「ダーキニー」。以前、昨年の夏にチベット展見に行った時にもイラスト書いてましたが、それとはまた違った雰囲気になりましたね。
まあ、そういうことで。
私の場合、
キリスト教的世界観から、アトランティス、宇宙人、はては 伏見稲荷まで。
節操無いですねぇ。真面目な人から見たら、これほど何でもありだといい加減な人だと思われそうですが。
チベット仏教もなんか関係有りそうですし。
果たして、こういうなんでもありは「有り」なのか。ちょっと聞いてみることに。
今回のお相手はいつものルリカさんですけどね。
「で、なんであなたは伏見稲荷から来ているんですか?」
「来ているわけじゃないわよ。つながってるの。」
「どう違うので?」
「移動しているのではなくて、すでに『ここ』と『向こう』に存在している感じかしら。」
「いっつも煙に巻くような説明が多いですが」
「あなたの乏しい知覚では理解できない事もあるのよ。」
「説明責任の放棄ですか。」
「言っても分からないなら言ったって無駄でしょう?」
「なんて投げやりな。」
「しりたければ自分で調べなさい。」
「そうやって、いままで来たのですけど、知れば知るほど、なんだか何でもありに成っていく気がしてしょうがないのですけどね。」
「何でもあり、ならばいいんじゃないの?」
「なんで?」
「意識が固定化されてないからよ。」
「でも、そうやって自分で基準を作りながら行動するのも大切でしょう?基本が分からないと応用できないわけですし。」
「じゃあ、基本ってなに?」
「さあ?」
「そんな事言う人間が、こうやっているんだから、それほど気にしなくていいんじゃないの? ナンにでも、基本があると思うからそれを設定しないといけなくなる。そうじゃなくて?」
「じゃあ、適当にやってもいいって事ですか?」
「あなたの行動には一つの形がちゃんと存在しているわよ。適当には出来ないわよね。」
「その一つの形、というのが基本ということではなくて?」
「一つの形を基本にしたければすればいいのよ。それをやって先に進んだ時に、もう一つの形が出てくるかもしれないわ。その時はもう一つの形を基本にして先に進んでみればいいのよ。」
「それは、いわゆる行き当たりばったりということでは?」
「でも、その一つの形を決めるのはどうやっているのかしら?」
「うーむ。見えるとこから判断して、と言う感じでしょうかね。」
「その見えるところはどこまで?」
「非物質世界の話ですか?」
「全部ひっくるめてよ。」
「知覚できる範囲で最大限、という感じでしょうかね。」
「それだけ広大な中から、あなたはなんで一つの形を選び出すのかしら?」
「自分の目的に沿っているからですかね。」
「目的って何?」
「やりたいこととか。こうなりたいと思うこととかでは?」
「その目的はなんでそう思うの?」
「経験ですか。」
「その経験はどこから来るの?」
「なんか、問答になってますけど。」
「いいのよ、たまにはこうやって深く自分の意識を掘り下げてみるのも必要な事なのよ。それで?」
「過去の人生からですかね。」
「じゃあ、過去の人生から経験を得て、そこから目標が生まれると、そういう感じ?」
「普通はそう思いますけどね。」
「過去に経験した事のないものを目標にする人もいるけど、これはどういうこと?」
「非物質的情報源からのものでしょうかね。」
「その情報源は何?」
「まあ、俗に言うアカシックとかそういうやつかな。」
「つまり、その目標はアカシックの中にあるということ?」
「そう言われるとそうですかね。」
「ならば、あなた達がいくら考えてひねり出したと思われる目標であっても、元々宇宙にはすでにそれが存在している、という考え方になるんじゃないの?」
「まあ、そういう感じですかね。」
「なら基本とか目標とか考える必要ないじゃない。あなたが今そう思ったことが、つまりやるべき事なんじゃないの」
「目標定めないとむちゃくちゃになりません?」
「そうしたければそうすればいいのよ。目標を立てることが必要と思えば勝手に立てればいいし、それにむかってコツコツやることが必要と思えばそれをやればいいし。」
「思いつくままの人もいますけど。」
「そういう人はそういうやり方でもいいのよ。」
「周りの人迷惑しますよねぇ。」
「それはあなたの受け取り方次第。目標を定めてコツコツやるべきだとあなたが思っているから、そういう人を苦手だと思うのよ。」
「つまり、意識のとらわれと言うことですか。そういうと何でもそうですよね。」
「フォーカス世界だって、ある意味意識のとらわれなんだから。一つの基準として優れて居るからとても使いやすいけど。だんだん慣れてくるとそのフォーカスレベルの事すらあまり気にならなくなってくるでしょう?」
「確かに、フォーカス10でも21でも同じように活動している、というかそういうこと気にならなくなりますね。」
「それだけ、意識が開放されてくるとそうなってくるものなのよ。」
「じゃあ、陰陽とかの考え方は?」
「それも同じよね。光、闇 そういう考え方で居る人には、その光と闇に区別された世界しか感じられないかもしれないわね。光=善 闇=悪 とか。 でも、「黄昏」という部分もあるわけだし。
陰、陽、という考え方も、慣れてくるとどっちが優れているとかそういう考え方ではなくて、そこにあるタダの一つの形としてしか認識しなくなるんじゃないの。」
「意識が開放されていくと、そういう一つ一つの基準が崩壊していくわけですか。」
「崩壊というと言葉が悪いわね。狭い地域でのしきたりが、広い世界に出て行くと異常な場合もよくあるわよね。それと同じよ。
見えてくる世界が広がれば広がるほど、いままでのアイデンティティが崩れていって、それを包括するなんらかの基準をまた作って、それがまた崩壊して、というその繰り返しになるわ。それを繰り返すことで、世界にある大きな基準に近づいていくと、そういう感じじゃないの。」
「その崩して構築する作業が辛いですね、毎回新しい認識が出てくるといつも考え込むものです。」
「そうやって、少年は大人になるものなのよ。」
「少女に言われたくはないですね。」
「今回の件で、あなたがどう考えるのか。『私は狐様の御加護を受けたのだ!これからは神通力を駆使して悪霊と戦おう!!』とか思う?」
「全く思いません。そういう考え方イヤですし。」
「物事には順番があって、あなたが初期の頃にこういう体験をしていたら、そうなった可能性はあるわよね。その前にあなたは節操の無いくらいいろいろなエネルギー系に接触しています。
だから、今回キツネがついてきても平然としているでしょう?」
「まあ、非物質的にペットが増えたと思えばぜんぜん気になりませんし。それに、あまり相手するつもりもないですし。」
「いろいろなものと接触するのも必要な事なのよ。それが将来の役に必ず立ちますから。」
「現実世界でも同じですよねぇ。」
「だから、今後も節操無くいろいろと接触していきなさい。私達はちゃんとそのあたり面倒見てあげるから。」
「まだなんか出てくるんですか?」
「それはヒミツよ。あなたが驚く事が私の楽しみなんですから。」
「キツネ娘」
「何か言った?」
と言う感じで。だんだん、何がきても驚かなくなってきている気もしないでもないですが。
アトランティスといえば、まるの日カフェin関西に行く朝、アトランティスカードをちょっとめくってみたところ、「テレパシー」と「ウォーター」がでてきました。
雨、水は浄化の意味合いもあるので、今日の天気は雨でもいいのかなあ、とこの時思っていたのですが。
会場に来られていた方のなかにも他のカードをめくって、ウォータが出ていた方もいらっしゃって。ちょっと驚きです
あの日はなんらかの浄化も働いていたのかもしれませんね。
神社へ参る前の禊?
そういうシンクロもありましたね。
最近タロットよりもアトランティスカードめくってますが、わかり易いのでメッセージ受け取りやすいところありますかね。
でも、キツネは付くはアトランティスカードは使うわ。何がしたいんでしょうね?
車の内装にはまったく興味なかったのに、これに乗るとこだわり感があって、なんだか心地よいです。
オリジナルだけど、普遍的。こういうデザインは、日本車にはまだまだ届かないのかな、と思ったりします。
CR-Zもいいなあ、と思っていたのですが、あれは10年たったらたぶん古いデザインになりそうな気がしました。でも、MINIは10年経つとそれなりの味が出るというか。
そういう気がしたので購入したのもあります。
古いイギリスの家具やアンティークは見るのは好きで(買うほどではない)して。時代を経るとそれだけ重みのあるような、そういうデザインが好きですね。
まあ、単純に貧乏症なのでいいものを長く使いたいというだけではあるのですが。
できるだけ、身の回りにはそういういい物を置いておきたいなあ、と思う今日この頃。
いい物は、人にもいい影響与えますからね。
こういうのも、ヘミシンクするまでは気にもしていなかったことです。だんだん、そういう波長とか波動とか、そういうものを察知するようになるのでしょうかね。
さて、今日のヘミシンク。
まずは昨日アップしそこなったイラストから。最近、スキャナで取り込んでいるので画像がクリアになってます。


一枚目は生前の「巫女ルリカさん」 2枚目は新たに書きこし「ダーキニー」。以前、昨年の夏にチベット展見に行った時にもイラスト書いてましたが、それとはまた違った雰囲気になりましたね。
まあ、そういうことで。
私の場合、
キリスト教的世界観から、アトランティス、宇宙人、はては 伏見稲荷まで。
節操無いですねぇ。真面目な人から見たら、これほど何でもありだといい加減な人だと思われそうですが。
チベット仏教もなんか関係有りそうですし。
果たして、こういうなんでもありは「有り」なのか。ちょっと聞いてみることに。
今回のお相手はいつものルリカさんですけどね。
「で、なんであなたは伏見稲荷から来ているんですか?」
「来ているわけじゃないわよ。つながってるの。」
「どう違うので?」
「移動しているのではなくて、すでに『ここ』と『向こう』に存在している感じかしら。」
「いっつも煙に巻くような説明が多いですが」
「あなたの乏しい知覚では理解できない事もあるのよ。」
「説明責任の放棄ですか。」
「言っても分からないなら言ったって無駄でしょう?」
「なんて投げやりな。」
「しりたければ自分で調べなさい。」
「そうやって、いままで来たのですけど、知れば知るほど、なんだか何でもありに成っていく気がしてしょうがないのですけどね。」
「何でもあり、ならばいいんじゃないの?」
「なんで?」
「意識が固定化されてないからよ。」
「でも、そうやって自分で基準を作りながら行動するのも大切でしょう?基本が分からないと応用できないわけですし。」
「じゃあ、基本ってなに?」
「さあ?」
「そんな事言う人間が、こうやっているんだから、それほど気にしなくていいんじゃないの? ナンにでも、基本があると思うからそれを設定しないといけなくなる。そうじゃなくて?」
「じゃあ、適当にやってもいいって事ですか?」
「あなたの行動には一つの形がちゃんと存在しているわよ。適当には出来ないわよね。」
「その一つの形、というのが基本ということではなくて?」
「一つの形を基本にしたければすればいいのよ。それをやって先に進んだ時に、もう一つの形が出てくるかもしれないわ。その時はもう一つの形を基本にして先に進んでみればいいのよ。」
「それは、いわゆる行き当たりばったりということでは?」
「でも、その一つの形を決めるのはどうやっているのかしら?」
「うーむ。見えるとこから判断して、と言う感じでしょうかね。」
「その見えるところはどこまで?」
「非物質世界の話ですか?」
「全部ひっくるめてよ。」
「知覚できる範囲で最大限、という感じでしょうかね。」
「それだけ広大な中から、あなたはなんで一つの形を選び出すのかしら?」
「自分の目的に沿っているからですかね。」
「目的って何?」
「やりたいこととか。こうなりたいと思うこととかでは?」
「その目的はなんでそう思うの?」
「経験ですか。」
「その経験はどこから来るの?」
「なんか、問答になってますけど。」
「いいのよ、たまにはこうやって深く自分の意識を掘り下げてみるのも必要な事なのよ。それで?」
「過去の人生からですかね。」
「じゃあ、過去の人生から経験を得て、そこから目標が生まれると、そういう感じ?」
「普通はそう思いますけどね。」
「過去に経験した事のないものを目標にする人もいるけど、これはどういうこと?」
「非物質的情報源からのものでしょうかね。」
「その情報源は何?」
「まあ、俗に言うアカシックとかそういうやつかな。」
「つまり、その目標はアカシックの中にあるということ?」
「そう言われるとそうですかね。」
「ならば、あなた達がいくら考えてひねり出したと思われる目標であっても、元々宇宙にはすでにそれが存在している、という考え方になるんじゃないの?」
「まあ、そういう感じですかね。」
「なら基本とか目標とか考える必要ないじゃない。あなたが今そう思ったことが、つまりやるべき事なんじゃないの」
「目標定めないとむちゃくちゃになりません?」
「そうしたければそうすればいいのよ。目標を立てることが必要と思えば勝手に立てればいいし、それにむかってコツコツやることが必要と思えばそれをやればいいし。」
「思いつくままの人もいますけど。」
「そういう人はそういうやり方でもいいのよ。」
「周りの人迷惑しますよねぇ。」
「それはあなたの受け取り方次第。目標を定めてコツコツやるべきだとあなたが思っているから、そういう人を苦手だと思うのよ。」
「つまり、意識のとらわれと言うことですか。そういうと何でもそうですよね。」
「フォーカス世界だって、ある意味意識のとらわれなんだから。一つの基準として優れて居るからとても使いやすいけど。だんだん慣れてくるとそのフォーカスレベルの事すらあまり気にならなくなってくるでしょう?」
「確かに、フォーカス10でも21でも同じように活動している、というかそういうこと気にならなくなりますね。」
「それだけ、意識が開放されてくるとそうなってくるものなのよ。」
「じゃあ、陰陽とかの考え方は?」
「それも同じよね。光、闇 そういう考え方で居る人には、その光と闇に区別された世界しか感じられないかもしれないわね。光=善 闇=悪 とか。 でも、「黄昏」という部分もあるわけだし。
陰、陽、という考え方も、慣れてくるとどっちが優れているとかそういう考え方ではなくて、そこにあるタダの一つの形としてしか認識しなくなるんじゃないの。」
「意識が開放されていくと、そういう一つ一つの基準が崩壊していくわけですか。」
「崩壊というと言葉が悪いわね。狭い地域でのしきたりが、広い世界に出て行くと異常な場合もよくあるわよね。それと同じよ。
見えてくる世界が広がれば広がるほど、いままでのアイデンティティが崩れていって、それを包括するなんらかの基準をまた作って、それがまた崩壊して、というその繰り返しになるわ。それを繰り返すことで、世界にある大きな基準に近づいていくと、そういう感じじゃないの。」
「その崩して構築する作業が辛いですね、毎回新しい認識が出てくるといつも考え込むものです。」
「そうやって、少年は大人になるものなのよ。」
「少女に言われたくはないですね。」
「今回の件で、あなたがどう考えるのか。『私は狐様の御加護を受けたのだ!これからは神通力を駆使して悪霊と戦おう!!』とか思う?」
「全く思いません。そういう考え方イヤですし。」
「物事には順番があって、あなたが初期の頃にこういう体験をしていたら、そうなった可能性はあるわよね。その前にあなたは節操の無いくらいいろいろなエネルギー系に接触しています。
だから、今回キツネがついてきても平然としているでしょう?」
「まあ、非物質的にペットが増えたと思えばぜんぜん気になりませんし。それに、あまり相手するつもりもないですし。」
「いろいろなものと接触するのも必要な事なのよ。それが将来の役に必ず立ちますから。」
「現実世界でも同じですよねぇ。」
「だから、今後も節操無くいろいろと接触していきなさい。私達はちゃんとそのあたり面倒見てあげるから。」
「まだなんか出てくるんですか?」
「それはヒミツよ。あなたが驚く事が私の楽しみなんですから。」
「キツネ娘」
「何か言った?」
と言う感じで。だんだん、何がきても驚かなくなってきている気もしないでもないですが。
アトランティスといえば、まるの日カフェin関西に行く朝、アトランティスカードをちょっとめくってみたところ、「テレパシー」と「ウォーター」がでてきました。
雨、水は浄化の意味合いもあるので、今日の天気は雨でもいいのかなあ、とこの時思っていたのですが。
会場に来られていた方のなかにも他のカードをめくって、ウォータが出ていた方もいらっしゃって。ちょっと驚きです
あの日はなんらかの浄化も働いていたのかもしれませんね。
神社へ参る前の禊?
そういうシンクロもありましたね。
最近タロットよりもアトランティスカードめくってますが、わかり易いのでメッセージ受け取りやすいところありますかね。
でも、キツネは付くはアトランティスカードは使うわ。何がしたいんでしょうね?
C1では、面倒をみていただけるようで、やはり
まるさんが主人公のようですね。
今度、一度ルリカさんに「ガイドとしての
マニュフェスト」でも聞いてみて下さい。
・・但し、命の保証はしませんが~♪
でも、それが良いんですよね。
好奇心旺盛で良いと思いますよ。
ルリカさんも、その辺の所は、よく分かっていますね。
また、これからが楽しみです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4849238
shamataさん、神戸牛さん、ヒビキさん、アールさん、喫中さんにも、またお会いしたいです☆
ほんと素敵な方々です☆
職場でも、「それは、あなたのやるべきことでしょ」って、言ってやりたかったですね。
まるさんの過去のブログ、「胸の痛み」とか、オープニング・ザ・ハートのとこを読んで、本当だよと思いましたよ。
わざわざ試験の邪魔をさせるから、自分が免許の期限切れで失う。(三回お知らせしました)車の事故も、差し押さえも、全部鏡で跳ね返ったんですね。鏡はエネルギーも返しますから。
あくまでも、個人的にですが、野口さんの「鏡の法則」は、相手ではなくて、自分だと思います。
店長も、実家も悪意があったはずですね。
話は変わりますが、まるさん!DVDを注文した前後辺りから、ルリカさんをとても身近に感じます。
今日、買い物に出たときに、私の背後上で、スキップしてるのを感じましたし、今日のブログを読んだときも、CDなしでエネルギーを感じます。(まるさんが、受けられるような、エロチックとは違うみたいですぅ?)(^0^)/
そのお陰か、読書も進んじょりますよ。
どうも、ルリカさんは、同時多発テロみたいですね。
…そんな言葉が浮かびますね。
今日、オヤジさんにちょこっと話を聞きに行くと、予想外の事実が発覚して、ビビリました(;^ω^)
まるの日さんに『伏見稲荷』につれていってもらった・・・そんな気がしてたのですが、やっぱり僕自身も呼ばれていたようです・・・。
やっぱ、『伏見稲荷』で巫女さんをやってたユリさんがガイドに付いたのも、当然なような気が・・・
長くなるので、日記見てくださいね~
ボクの方も、あちこちのエネルギー系がごちゃ混ぜになってるようですが、それは当然なんでしょうね。ルリカさんの話もとても役に立ちますね~
それを受け取れるまるの日さんの器があってこそでしょうが。
ボクも顔晴るぞぉ~
ヒビキさんは否定してたけど、やっぱり伏見稲荷におった時のヒビキさんは寡黙で、とても話しかけられる雰囲気やなかったよ。
他の神社を参拝した時とは雰囲気が全然違ってた。
コースも当日になって変更になって一番最後の訪問場所になったけど、やっぱり意味があったのやね。
我々、自分でコースを決めたつもりになってたけど、あちらの意思に従っていただけなんやね。
まるの日さんとヒビキさんの”物語”にちょっとでも絡むことができて良かったです。
エンブレンスさんが「まるの日カフェin 静岡」の宣伝してくれはったけど(ありがとうございます。エンブレンスさん)、これもあちらの世界の意向で流れがそこに行かなければ実現しないような気がしますわ。
もう流れに任せるしかない。
「東西南北と言うけれど、たとえば 西という言葉は存在するが 西という場所は存在しない。
阿蘇から見れば 西は金峰山。しかし、金峰山に辿り着いても そこが西かと言えば そうではない。
では、金峰山から見て 西はどこかと言えば 雲仙。しかし、雲仙に辿り着いても そこは西ではない。
つまり、西と言う場所は存在しない」と云います。
つまり、「基本」に置き換えれば、
「基本」と言う言葉は存在するけれど、「基本」と言う場は存在しないということでしょうかね。
その お坊さん曰く「西と言う場所は存在しないけれど、西と言う方向は存在する」
「基本」というものも 所詮、場の存在を求めても辿り着かないものではないかと思います。
「基本」は常に向かっていくもの 目指すもの 開拓していくものではないかと思います。
お坊さんも なかなか創意工夫して話されます。
しかし、その お坊さん 延々1時間近く説教されて皆くたびれた挙句に「胡座を忘れて来て足が痛くなったので もうやめる」と云います。
そして しびれた足を引きずり帰っていかれました。胡座があったら いったい何時間 説教されていたことか・・
まあ、私も数珠を忘れて来たので お坊さんを悪く言えませんが・・。