まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> まるの日圭(真名圭史)の公式サイト

ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

たとえ話。概念とか

2011-07-07 12:08:56 | ヘミシンクについて、


ヘミシンク的考え方のちょっとした話
北海道でも、ヘミシンクとかに関して、ユーチューブとかでも「怪しくない話」をしている人少ないよね。
という話を聞きまして。
じゃあ、ちょっと書いてみようかって事で。


まあ、今までにいろいろな人がいろいろな世界観を語っておりますが。
それは1つの「海」を見て、それをそれぞれの語り口で語っていて、それぞれの体験で語っているだけではないのかな、と思うところ。

向こうの世界、いわゆる「あの世」の話ですが。
「あの世」が存在しない、と言う話もありますし、あるという話もあります。
すべて脳内現象という方もいますし。

でも、それはすべて同じものを見て、それをどのように判断しているか、だけの違いかなと思っております。

世界はすべて、自分の認識している範囲でしか存在していない。

ということで。
人間はどうあがいても、すべて自分の概念の範囲でしか物事を判断できないものですから。
宇宙人の判断基準が自分と合っていなければ、その宇宙人の言う事は理解できませんし。

まず、大地と空がある世界の人と、大地も空も一緒の世界に住む人同士では、モノの上下の感覚とか、そういう会話の基準が難しいですよね。

スピリチュアル系のやり取りでは、特にこういう事が多々起こりえるものだと思います。

海を見て。
「あ、これくらいの湖は近所にもあるよね。」
という人も居るかもしれませんし。
「琵琶湖より広い湖なんか信じられん!」
という人も居るかもしれません。それは見る人の認識の違いですよね。

「いいや、海など存在しない!」
という人も居るかもしれません。内陸の奥深くに住んでいる人は海の存在自体が信じられないでしょうし。

まず海を認識するには、海(もしくは湖の延長でも可)の存在を受け入れる事から始める事が必要でして。
とりあえず、地球には「海」があるんだなあ。と思う事がスタートですよね。
そして、海を受け入れたとしても。
それを感じる事が人それぞれでして。

ちょっと海水浴に行くとか、海辺を散策して貝殻を拾うとか、そういう楽しみ程度で海を満喫する人も居ます。
向こうの世界、を認識していても、そこに入る事は無くちょっと境界で起こる現象を楽しむというか。
たまに深みにはまってしまうと、その体験が特殊な恐怖体験として語られてしまったり。
「海って、怖いんだよ。」
みたいな。

しかし、海も慣れてくると、そして技術があれば安全に潜る事も楽しむ事も可能となってきます。

ある人が、海の浅瀬を通って、安全に奥にある深いところ、そして、そこにある貝やアワビを得て戻ってくるルートを見つけたとします。
その人が他の人を案内してそのルートを行き来するようになると、そのルートは安全な海の体験ルート、しかも貝などの獲物もゲットできる(まあ、精神的安定でもいいですけど。)場所となり。
そのルートを開拓した方は、「これが1つの海を楽しむ方法」と位置付けて大勢に公開し始めたりします。
しかし、たまに、まともに泳げないのに、貝やアワビに目がくらんでそのルートを通る人がいて、それが海に巻き込まれてひどい目に遭ったりすると、
「このルートは間違っている!」と言い始めたりして。

で、時代が進むと、他の人もそれぞれにルートを作って、「海」を満喫する方法もたくさん出てきます。

スキューバダイビングとか、個人潜水艇とか。
どれも特殊な技術を使いますが、昔のように「個人の技量のみ」で海と向き合うものとは違って、ある程度多数の人が同じように海を楽しむ事が出来るようになってきます。

そして、それぞれがそれぞれに海を楽しむルートを作っていて。
「自分で潜るなら、このルートが一番海を楽しめますよ!」
とか
「あのルートはスキューバでないと潜れませんが、私の作った潜水艦で行く海底探索は、安全で最高ですよ!」
とか、
いろいろと自分の作ったルートを人に紹介し始めます。
そこで、また潜水艦派、スキューバ派と分かれたりして、

ある時、お金持ちの人が、スキューバダイビングでもっと海を安全に楽しめる「拠点」を作ってしまいました。
浅瀬を楽しむ場所、ちょっと深いところ。そして、経験のある人は、さらに深海に近いところまで。

その施設は地上から楽に移動して、その海中にある拠点に下されます。
そして、スキューバや潜水艇など、自分で使える技術を使って、その拠点の近くを探索し、また施設を使って地上に戻ってきます。施設から海を探索するのに、まれに素潜りの人もいたりしますが。

今までは船が拠点となって、そこから潜らないといけなかったのが、この施設では海中のある深さまでは自由に潜れるようになっていて。そこから探索するので、今までよりもかなり楽になってきました。

まあ、ヘミシンク技術とはこういうものではないかと。
「拠点」、があって、そこからの探索は個人の行いたい方法、理論、で行えるので。
今までの、海に精通した人が開拓したルート、では、その精通した人が進んだルートしか探索できませんでしたが、
ヘミシンクで体験できる方法は、自分で行ける範囲はすべて自由に活動できる感じで。

そして、拠点が決まっているので、各自で得てきた体験を比較もできるようになるので、人間に必要な「共通の認識」を得やすくなってきたり。

そこで、自分の体験を受け入れやすくなるのではないかと。

まあ、いろんな向こうの世界を知る方法、いろんな人の本もありますが。
それらはすべて1つの「海」という世界をどう表現しているのか、と言う感じに似ているのかな、と思います。

いきなり深海調査船でしか海に潜った事のない人が語る海は、サンゴ礁の海を楽しんでいる人にとっては「そんなんありえんわ!」となるでしょうし。

つまりは、そういう事で人は昔から争ってきている気はしますね。
自分の認識と違う事を聞いた時は、それは「じゃあ、その人はどうしてそういう事を言うのか?」と言う事をちょっと考えてみると、人の考えを否定したり、それを陥れるような行動、言動もしないと思いますけどね。

世界はいろいろな見方で成り立っていて。それはそこに存在しているだけであって。
世界には正しい見方も間違った見方もないんだと思いますよ。

そこには多数の決めた「概念」があるだけで。

その概念をちょっと外してみると、そこには広大な、まだ見ぬ世界が広がっているものです。
その概念を外して行く作業が、「体験」ではないかな、と思うところ。

なぜモンロー研の行うヘミシンク技術の方法が自分に合っているかというと、すべてが「自分に必要な体験」として受け入れて行く事が、その先に進む道しるべになっている事に気が付けるからです。

今目の前に出てくる現象は何か?それをガイド、過去生、レトリーバル。そういう手法を用いて理解して受け入れて行く。
現実の世界、意識の世界、スピリチュアルな世界。
それが宇宙にまで広がるかもしれませんし。
すべてに存在する、「自分」を見つけて、それを受け入れて行くプロセス。

その1つの手法であって。
「霊能者養成キット」ではないって事ですね。

それと、勘違いされがちなのが。
ヘミシンクっていうのは音響技術の名前ですから。
そういう世界観があるわけではありませんよ。

あくまで、モンロー研が定義している世界観はありますけど、ヘミシンクが定義している世界観は有りませんので。

自分の信じる宗教、概念、思想、それぞれに合わせて自由に使ってみてください。

本やブログに書いてあるのは、あくまでその人が体験した内容であって。それだけが真実では無いって事をまずご理解のほどを。

その人それぞれの概念に合わせた自由さが、ヘミシンクに私がハマった理由なんですけどね。
同様に、ARIONヒーリングにハマったのもそうですね。
自由であり、自分の制限を外せば外すほど、世界が広がっていく。

すると人生、楽しくなってきますよ。

自分で稼ぎだすと、税金が驚くほど高くなって、「税金払うためにお金稼いでいるんじゃないか?」と思えるようになっても、楽しい展開が開けていそうで。
わくわくした人生を進んでいけますね。

しかし、10日までに税務署に源泉徴収分を支払いに行かないと。

住民税、所得税、源泉徴収。全部合わせると、年間の住宅ローンの分くらいなりそうで。
「いやあ、税金ってたかいねぇ。」
としみじみ思っております。

自由を得るためには、まだまだ労働もしないといけませんね。




コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北海道のおもいで | トップ | 七夕だからか? »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2011-07-07 21:26:06
「私のつかう《その言葉》とあなたのつかう《その言葉》は本当に同じ意味なのか」これは常に私の疑問でもあり、気をつけていることでもあります。人間同士、共通概念がないと話がしにくいですね(極端に言えば)。しかし、言葉に頼らずとも人を信じることもあります。直感、察知ですね。私は自分の視野があまり広くないことを知っているので自分の感覚を絶対的には見ませんが、一応自分の意志は尊重します。圭さんの「海」の喩えはとてもわかりやすかったです。
返信する
圭さんの たとえ話や概念とかは イメージでわかります。 (悩ケン)
2011-07-08 00:22:53
ただ、いま 拠点にいるのか いないのか・・いるのならば 今は その証を探している所です。

ヘミシンクに対する考え方は 人それぞれに考察があって当然だと思います。

要は、どれだけ集中して この技術に うち込めるかなのでしょうね。

懐疑的に思うも 信じるも 全て自分が決める事が前提なのでしょう。

その上でのヘミシンク技術なのでしょうね。

プロのスポーツ選手も、プロとして、そこまで たどり着くまでに 自分自身との葛藤や いろいろな苦難があったに違いありません。

ただ、それを乗り越える原動力として、自分が うち込んでいるスポーツを好きでなければ、また、信じていなければ、乗り越える力は出ないはずです。

私は、ヘミシンクも そういうものだと思っています。

第一段階の目標としては、知覚が広がった状態で「共通の認識」の証を得る事です。

返信する
皆様コメントありがとうございます。 (marunohi)
2011-07-08 20:11:50
一人ひとり、見え方や認識が違う事を受け入れていくと、そこに共通の認識が出てきたりして、
いろいろと楽になったり面白くなったりしますよね。

見え方の違いだけであって、世界にはすでにすべてが存在しているのだと思いますよ。
返信する

コメントを投稿

ヘミシンクについて、」カテゴリの最新記事