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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

熊本地震のこと

2016-11-28 23:29:25 | 『日常』



今日は宮崎から来られたかたと御一種に、阿蘇大橋のほうへ足を運びましたので、その写真を主に乗せておきます。
「熊本地震から復興は終わってきてるかな?」
と思われるかたがいらっしゃるかと思いますが、まったく手のつけられてない状況の場所もあったりするもので。
写真は我が母校の並木道。
普通であれば学生たちが行き来するとこなのですが、誰一人おりません。唯一工事車両がたまに通るくらい。



半年以上たちましたが、阿蘇大橋の崩落現場は立ち入り禁止状態でこのとうりです。



横の田んぼのほうから入っていくと、さらに奥が見渡せるので歩いていきましたが。



向こうの土砂崩れしているところに橋がかかっていて。そこに国道が走っていたことがまったくわからないくらい崩落しております。



立っている足場も地割れが走ってまして、その状態がまだそのままになっていたりしますね。

そこから南阿蘇方向を見ると、こちら側の橋が落ちたとこがみえまして、下には落ちた橋の一部もまだそのままです。



まだまだ、こういうとこを修理する余裕もなく、数年はこのままなのだろうなぁと思うとこですか。

少し歩いて大学の駐車場までいくと別の角度から見ることができまして



20年前、自分はここに車を止めて、大学へ通っていたのだと思うと。
なんとも言えない気持ちになってしまうところです。
こういう気分になるのもなんだったので、いままで足を運んだことがなかったのですが。
人が来たのを機会に、今回初めて足を運んでみた次第です。

やはり、見るとちょっとショックありますね。

大学時代に徘徊していたとこが壊れて。
いまは誰もいない地区になっていて。
コンビニも裏が崖崩れで誰もおらず



博物館時実習でシャカシメジの大株を僕が発見し、それを持ち帰って同じ班のひとらと鍋やって食った思い出とか、そういうのが浮かんだり。
下宿に押しかけて鍋パーティーしていた記憶とか。酒飲んでこの辺歩いてた記憶とか。
そういうのをしみじみ思い出してしまうとこですね。

20年前より育った街路樹を見ながら、時間が立ってじわじわ変わるものもあれば、一気に変化せざるをえないものもあるものだと思うところでした。

そういう中でも季節は移ろい



自然は当たり前のように変化しながら続いてゆくものだったりします。




初めて足を運んだので。本日はいつもと違う感じで、南阿蘇の橋が落ちたとこの、現状をお伝えするだけにしておきます。
この土地で犠牲になられたかたのご冥福をお祈りしつつ、現状のご報告でした。

痛々しい見た目になってしまいましたが。この場所は妙にすっきりして清々しい空気が漂っていたのはありましたよ。


今日はこんな感じで
東京の1月ワークショップは明日から募集開始しますね。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さちこ)
2016-11-29 01:00:21
熊本地震の場合がそうだったというわけではないのですが、急激な変化が訪れるというのは、その前から兆候のあった変化に抵抗してしまったというのも原因になったりするものなのかな、って思いました。自分の人生単位の経験からしかわからないのですが、自分の身に激流が訪れた時って、その前の変化すべきタイミングをことごとく受け入れなかったことが原因だったような。激流が訪れてショック状態になってやっと目が覚めて変化したという感じです。常日頃から変化を受け入れることを恐れないでいたら激流も避けられるのかなって思ったりもしてます。
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寂しい写真 (りんパパ)
2016-11-29 05:39:15
まるの日さん、こんにちは。

 阿蘇の地震の後は、生々しいですね。
 大学は、再開までに二年ぐらいはかかるのですよね。
 それまでは、別のキャンパスで授業はしているのですね。

 寂しい写真ですね。
返信する
諸行無常 (なか)
2016-11-29 06:00:51
犠牲にあわれた方のご冥福と、更なる復興が進みますようお祈り申し上げます。
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