![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344877979.jpg)
朝からまだ仮組みで始動試験をしている最中の、手作り波動スピーカー 試作零号機から流れるメタミュージックの音を聞きながら。
今日は早朝から気持ちよくガイドイラストなど書いてましたが。
早朝が一番調子いいですね。
最近は寝起きも健やかなので、朝飯前にスピリチュアル仕事、という感じでやっております。
その後、「合間合間にやればスピーカーも完成させられるかな。」
と思って、仮組みをバラして朝にボディに色を塗りまして。
重ね塗りの重ね塗りで。かなり重たくなりましたが「スピーカーのボディなんだから」と勝手に重いほうがいいと思い込んでいるので。
外もがっちり塗ってしまいました。
あえて、刷毛の筋を残しつつ塗った感じですね。
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344878001.jpg)
ちなみに、私がこちらのサイトを参考に作らさせていただいております。
http://www-prius.at.webry.info/201006/article_3.html
もっと読むと、はまっている人の進化の具合を知ることができますが。
私はまずは簡単なものから。
乾くまでは別の仕事して。
庭で取れた小さなスイカを妻が切っていたのでそれを食べていたりしましたが。
小さいのにちゃんと甘く出来てましたね。
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344877989.jpg)
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344877945.jpg)
その間にスピーカーの銅線をハンダ付けしたりして。久々のハンダだったので、おそるおそるやりましたが、固定は無事できまして。
ターミナルと銅線もハンダで固定して。
その後は乾くのを待って、そのまっまだとちょっとさみしいのでペイントして。
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344877931.jpg)
通常の方々は外にフィルムなどを貼って仕上げているかたが多い中、
私はイラストで勝負。
表には私が書いて、裏には子供に書かせて、いざとなったら「夏休みにお父さんと作った」という夏休みの工作の宿題にもなるかと思いまして。
ちなみに、スピーカーユニットのついている横板の固定は、最初にエアコン用の練り消しみたいなのを周りにくっつけて、それごとぎゅっと押し込んで。
はみ出したものを取り除いて、そこに木工用ボンドを流し込んだ感じです。
本来は隙間なく合わさるのが理想でしたが。
ボイド菅か、板か、自在キリのメモリが全て微妙に異なっていて。まあちゃんと確認してなかったのが悪かったんですけどね。
板と本体のあいだには2mmくらいぐるりと隙間空いてしまいましたしね。
その隙間埋めに、エアコンのパイプ隙間埋め用の粘土っぽいのを使って、それと木工用ボンドを併用しております。
コーキングも考えましたが、一回買うとほどんど残ったまま捨てることになりそうでしたしね。
コストパフォーマンス的にこの手法でやっております。
で、せっかくなので。とスピーカーの中に天然の水晶結晶を入れてしまいました。
「最先端の波動エネルギーを使用した」というようなことが、以前波動スピーカーの謳い文句に書いてあったので(今はその記述はないかな?)、じゃあ、水晶入れてみたらなんか変わる?と思って実験。
ひとつは、オモリの代わりでもありますけどね。
早速アンプにつないで、音を鳴らしてみましたら。
まずはスターダスト☆レビューのアカペラアルバム。
いやぁ、低音がさらに効くようになってて。仮組みの時よりも音質がしっかりした感じになってます。無塗装の試運転よりも2割マシくらい。
やはり外側の塗装の影響か、板の固定をしっかりしたせいか。
で、聞き込んでいるのですが。また音が安定してない感じはありますね。
妙な周波数の音が聞こえてきたり。
でも次に流すと消えていたり。
慣らしの状態でしばし流しておこうかと思います。
まあ、手間はかかりますが、低価格で作れるスピーカーはいいもんですね。
横では今も巡音ルカのCDが流れてますが。
自然でない音のほうが妙な音が出やすいので、チェック用にも重宝してます。
アカペラだとわりと問題ありませんでしたしね。
こんな感じで設置してまして。
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344877962.jpg)
まあ、試作零号機、という事で実戦用ではありませんもので。
でも、すでに次回作が頭に浮かんでおります。
このオンキョーのステレオからもつなげるようなスピーカーを作ろうと思いまして。
3mmのピンから2またに分かれてLRにできるものを作れば、アンプ内蔵の機器のヘッドフォン口から音を取れる用になりますので。
今度はサウンドホールが胴体の中央に空くタイプにしようかな、と考えております。
申し少し装飾しないと、ちょっと横から見るとさみしいですね。
![](http://pub.ne.jp/marunohi/image/user/1344878013.jpg)
「ガイド拝見のみ」カートではじめました。ディープ・キャット・ナップも再販あります。
ヒーリングサロン・ネコオル 鉱物も充実。レアなものもたまに出ますよ。
http://marunohikafe.cart.fc2.com/?ca=5
ヒーリングサロン・ネコオル「トータルセルフとつながるCD」販売中!!
なーやさんのクリスタルボウル演奏DVD、CDも発売してます。
TAIJEYUさんのピアニカヒーリングCDも販売中。
http://marunohikafe.cart.fc2.com/?preview=02naEBwNB.%2FjA
・ヒーリングサロン・ネコオルのセミナー情報、遠隔ヒーリングの内容などはこちら。
http://blog.livedoor.jp/nekooru/archives/5623812.html
スピーカーは、手を入れて良い音にしてください。
あくまで、自分にとっての音ですが。
お嬢さんの彩色も、いいですね。
家族みんなで、一つのモノを作るのは、良いですね。
教えていただき
ありがとうございます
m(_ _)m
部屋にすごくマッチしてますね
教えていただいた
サイトも覗いてみます
o(^-^)o
君の嫌いな「イジメをする者」と同じ心理構造と同じってことにさ。
ここは君のブログか?ツイッターか?
語りたいなら、自分のブログをつくりな。
客観性を身につけるべきだと思うよ。
“大人”だろ?
とにかく、まるの日圭さんとブログ読者の方には一度謝罪するべきだと思う。
意識の深い所で、その人の許せない部分に、自分の許せない部分を投影しているのではないでしょうか?
そして大抵それは自分の親との問題や、現在の家族との問題だったりします。
あるがままを許せないと思うことは、その人の出来事を通して、自分では気付かない何かを見せてくれているのではないでしょうか?
しかし許せない自分でいることは悪い事ではないですよね?良い人だけの自分でいようとすると、悪い自分がいることを否定してしまいます。
良い、悪い、宇宙はあるがままを受け入れてくれています。
許せない自分を認めて愛してあげる。
自分を癒すことが出来たとき、他人のあるがままを受け入れることが出来るのではないでしょうか?
今どんなに荒れていようと、どんなにどん底でいようと、人を憎んでいようと、大切なプロセスではないでしょうか?
ただ、指摘させていただきたいのですが、子供が成長するする過程で一切何も教えず、間違ったことをしても叱らずに育てた場合、どうなるか想像するのは容易いでしょう。
その人の為にならんのです。
味噌も糞も区別がつかない方を放置しておくのが、スピの“愛”というならば、もう彼がどんなに馬鹿げたことをしても放っておくべきなのでしょうね。
もしどうしてもとおっしゃるならば、ジローさんがブログをつくられて彼にコメントを書かせ続ければ良いのでは?
自分なら嫌ですけどね。
毎日、一生懸命ブログを更新して、このようなコメントが書き込まれてゆくのは。
"苦"があてはめられた原語の「ドゥッカ」は、"思い通りにならないこと"、"自己の欲するままにならぬこと"という意味であって、決して"苦しい"という意味はなかったのです。
(苦しいというのは、感受した後の心の反応に過ぎない)
だから一切皆苦も、原語では、サベー・サンカーラ・ドゥッカ = 諸行苦又は一切行苦= 人の生き方を含めて世の有様は、自己の欲するままにならない。が正しい訳です。
物事は移ろい行くもので常に変化している→それに対してそのまま変わらないでいて欲しいと執着する→しかし当然ながら自己の欲するままにはならない→結果、苦しみが生じる。(諸行無常)
人間も物事も独立して存在しているのではなくて相互依存の関係性の中で存在が成立している。→それに対して自分の想いだけで物事が変わって欲しいと執着する。→でも変わらない。→結果、苦しみが生じる。(諸法無我)
だから、人生の苦のもとは執着であって執着を離れれば、苦は消えて行く。
苦は、実在するのではなくて執着という因が世間の縁に触れて、それを拠り所として心の中に現れる泡ぶくのようなものである。
執着を離れれば、苦を成り立たせる原因はなくなるので消滅する。
これが、苦、集、滅、道の四諦の法門。
そういう制約条件の中でも、人生何かを達成出来た時には、喜びが生じて楽しくなる。
何時の間にかつまらない執着も離れている。
こんな構図ですね。
こんなささやかな苦の輪廻の解決の積み重ねが、より大きな輪廻の解決につながるのではないですかね。
だから、ブッダは、決して生きることは苦しみとは説いていなのです。
説いたはずが無い。
それに対しては、拒絶せず受容して、そういうことあるよね~というように自分で接していくということですが、正に自己カウンセリング的なアプローチが必要なんでしょうね。
なかなか難しいですが。
どちらか一方がなくなることはありません。
外側で起こる事に反応したとき、どちらを選ぶのかは自由だと思います。
このままではいけない、良くして行きたいと行動を起こすのはいいことだと思います。
「相手を叩き潰したい、罪悪感でいっぱいにしてやりたい」「あなたを大切に思う、だから苦言を言う」どちらの意図からおこすのかも、自由だと思います。
自分での内面で起きてる結果を、現実として見ているので、どちらも大切なプロセスだと思います。
ブログのコメント欄の限界だとおもいます。
そうであったとしても、それでも自分のこころの扱いは「犀の角のように独り歩んで」実践していくしかなくて、誰も代わってやることは出来ないんですね。
扱い方を学んだり、話を聴いてもらうことは出来てもね。
また評論家になってますかね?(^_^;)
執着が全ての元凶である、とは多くのスピリチュアルなことをやっている方々が書いておりますし言っております。
私も、さもありなん。と思いますが
しかし、執着もまた、世の中を動かす原動力にもなりますので。
「執着がダメ!」
となると、否定形でまたちょっとずれて行きそうな感じにもなりそうなので。
「自分が世の中を動かそう」と思うのであれば、執着と上手に付き合っていく間合いを自分で学ぶことも大切だと思います。
家族が結核で亡くなった、だから勉強して、結核をなくす薬を開発した。
という場合は、執着から発生した理由付けによって、世界を救う事にもなっている訳ですから。
全てにおいて「間合い」が大切で。それを知るには、やはり人との接触であり、意見交換であり。
人と人との間合いが、そのまま自分の執着にたいしての間合いだと私は思っております。
そこに現れて来る現象を、全て「自分の内面」として一度見てみると、新しい側面が見えて来る気がしますね。