昨日はお盆だったので、祖父母の墓参りに行って来ました。
新しくお墓を作り直していたので、僕は初めて訪れる事になったのですが。
ものすごく清々しい感じがして。
お墓に参る、ということが心の安定につながる、
そんなことを体感してました。
僕は自分のお墓は無くてもいいと思う人なのですが。
祖父母のお墓の前に行くと
「お墓も、いいものだなぁ」
なんて思ってしまうところです。
空を舞う精霊トンボの群れと、緑の水田から吹き抜けてくる涼しげな風と
遠くに広がる山並み
目の前に佇むお墓
その全てが心の中に染み渡ってくるような。
そんなお墓参りでした。
その文化圏の中で形成された、あっちの世界とのアクセスポイントのような仕掛けの一つと考えてみたら、お墓が要らないとしても、それに代わる舞台設定が人間には必要なのかも。
昨年北海道のワークにも参加させて頂きました。
ヘミシンクはゲートウェイから、オープニング・ザ・ハート、内なるガイドにつながるなど、毎晩聞き続け約2年半になります。
が、皆さんのように、映像?や体験でガイドさんや故人に会えません。
ヘミシンクと並行し、1日30分の瞑想を朝晩して1年経ちます。
確かに直感が冴えることや、たまに予知夢?みたいなものを見たり、ヘミシンクや瞑想中は体が重く感じたり、少しずつ変わってきてる気もするのですが、自信が持てません。
皆さんの体験と比べすぎだからでしょうか?
私、ヘミシンクのセンスないのかな?と今はヘミシンクを聞きながら瞑想をしています。
もちろん毎日こつこつとリスニングやリーディングを積み重ねていくことを続けながらというのが前提です。
その上で、その学習期間を短縮したり、効果を加速させることが出来ないかということなんです。
例えば荒唐無稽かも知れませんが、毎回学習する直前に「情報にアクセスする」CDを聴いて外国語処理モジュールをダウンロードして定着させるとか、あるフォーカスレベルから過去世の外国語を使っていそうな自分に繋がって、その意識で外国語教材に取り組んで新たな言語脳を創り上げるとか。
可能性として考えられれば何でもいいです。
よろしくお願い申し上げます。