朝、悪い夢を見て起きる時ほど辛いものはない。体も芯からどよっと疲れた感じになっている。学校に行かねばならないので無理に体を起こす。
「いたたたた。」
また激しい痛みに声が出てしまう。外葉の腕は、相変わらず痛みは収まっていない。むしろ少しでも動かすと激痛が走るくらいになっている。
昨日よりひどい感じ。全く薬なんか効いてないし。本当に右腕の、肘から先しか動かせなくなっている。
苦労してボタンを外してパジャマを脱いで。下着姿になったところで鏡に肩のところを写してみる。外見では全く分からない。特に傷があるわけでも腫れているわけでもないから。
うーむ。うーん。とりあえず湿布貼っとこう。
そして、着替えで一番の難関。ブラジャーが待ち構えていた。肘が後ろに回らないのでホックが止められないのだった。とくに、いつもキツメのものを身につけるので力が入らないと難しい。諦めてフロントホックのものにしてみたが。これだと胸が強調されるので外葉は好きではなかった。どーしよう。
しばらく悩んで。結局は前で止めるタイプしか装着が無理なのでそれを身に付けて。病院でもらった薬を貼って、その日は学校へ行った。
腕が痛すぎて、いつもは二つに分けるお下げを今日は左側に一つにまとめてしか作れなかった。腕が痛いならお下げにしなければいいのだが、外葉は「これが自分のトレードマーク」と固くなにおさげにこだわっている。
祐一はその日、早めに学校途中にある道路の辻へと足を運ぶ。ここには道祖神も祀られているくらい、古くからある道路で。この交差点も、かなり昔から存在していた場所だ。
桜火と初めて合った時もこの場所であった。この時間では誰もまだいない。
辻の脇にあるバス停の小屋、そこに入り込んで、祐一は桜火を呼んだふっと、横にいつもの姿で桜火が現れる。
「ここで、話をしますか?」
「辻は向こうの世界とのつながりが強いと八坂さんも言っていたから。
ここがいいんじゃないか?」
「なかなか、いい選択をしますね。本来ならばご本人の家の近くが一番良かったのですが。それをやるとストーカー扱いになりかねませんから。」
「だから、ココにしたんだよ。で、外葉のガイドは呼び出せるかい?」
「私たちに時間と空間は意味ありません。
それはあなたたちの定義したものですから。私たちは呼べばすぐにそこに現れることができます。」
「なら、お願いするよ。」
「しばしお待ちを」
しかし実際には待つこともなく、すぐに現れた。
桜火の横にいるのは、頭の薄い老人。それも仙人風の人物だった。つえなんか持っているので、中国の掛け軸何かに出てきそうな雰囲気の人物だった。
「外葉のガイドさん?」
祐一が話しかけると、その老師風の人物は杖を突きつけて
「自分から名乗るのが礼儀であろう。小僧。」
といきなり言ってくる。なんとなく、そういう人物っぽいな、とは思っていたけど。さすがにいきなり言われるとイラっとする。とはいえ、今回は穏便にすませないと話が進まないので、祐一は素直に謝罪して自分の名を名乗る。
「わしは柳白仙(やなぎはくせん)じゃ。昨日からちょこちょこちょっかいを出してきておったが。イマイチ、おぬしは外葉の性格を知らぬようじゃ。そんなんじゃ永遠に誘うことなどできぬぞ。」
いきなり本題か~。ガイドは前置きとかそういうの無しにいきなり本質に迫るので。
心の準備をする間もない。
「それでは、どうしたらいいのですか?」
「それくらい自分で考えなされ。」
は~、なんのために、こいつを呼びたしたのやら。朝早起きしたことを後悔しつつ桜火を見ると、少し微笑んで
「そう言いながらでも、ちゃんと柳白仙様は手順を用意されてますよ。安心して下さい。」
と言った。それを聞いて柳白仙は咳を一つして。
「そう、お主が順調に、外葉を連れ出せるようにと手はずは整っておる。あとは、お主が、桜火の指示通りにうごけるかどうか。できるか?」
「と言われても。何をするかは教えてくれないのか?」
「それを先に言うと、やらない可能性が大きいからじゃ。」
「そんなに、嫌なことなのか?」
「いや、ちょっと恥をかく程度だ。」
「ちょっとなのか、それ。」
「さあ、それは個人の裁量の範囲で判断してくれればよい。」
柳白仙に聞いても教えてくれなさそうなので、桜火に聞いてみたら
「なるべく、無心で。我を入れないように行動してくれたらいいですよ。」
と微笑みながら言われてしまう。果たして、このガイドたちに任せて本当にいいのだろうか?かなり不安の残る感じで早朝打ち合わせは終了。
そして、早めに学校へ入って外葉を待ち構えることになった。
今日は桜火の指示で、祐一も三角巾で手を吊ることになった。
つまり、同じ境遇の人にあえば、それで心開くだろうというやり方のようだが。
学生服の上から吊るような感じになっているので、なんとなく違和感がないわけでもないが。正直、ガイド同士の話し合いでもこの程度の知恵なのか。と少しガッカリしていると。
外葉が校門より入ってくるのが見えた。柳白仙もそこにいるのが見える。
そして、合図を送って来る。これからアタック開始か。
・・・・・・・・・・
「で、本当にこれで大丈夫なのか?」
昼休み、一人校舎の裏に来て祐一は桜火を呼び出していた。右手を吊っていた布は邪魔なので外している。
「ええ、これで外葉さんは夕方にはあなたと一緒に来てくれますよ。」
「本当かねぇ。」
「ちゃんと私の指示通りにやったじゃないですか。私を信じて下さい。」
朝、手を吊った状態で外葉と下駄箱で遭遇するようにして。そこから話をすることができた。会話の内容は、桜火が直感的に指示してくれるのを、なるべくクリアに、そのまま言うように心がけた。通常であれば、絶対に自分は言わないようなセリフも幾つかあったが。
外葉もさすがに同じように手を吊った祐一を見て興味を持ったようで。昨日よりは話しかけて来る。
「きょうは夕方から自分の手を直してくれるところに行くんだ」
という話をして、朝はそれで終わり。その後、「その手どうしたの?」と今度は祐一がひたすらクラスメイトから聞かれることになって。昼休みには正直うんざりしていたところだった。
「ちょっと思わせぶりにしている位が、外葉にはよいのじゃ。」
柳白仙が横に現れた。
「それにしては、情報が少なすぎないか?これで興味もつかな。」
「お主よりも頭の回転が早い娘じゃ。多くを語ると逆に胡散臭く思うが、少ない言葉だと自分でそれを補うべく思考する。そういう娘には、適切な言葉をいくつかおいてくるだけで良いものじゃ。」
「今はその言葉信じるしかないけど。この手はなんとかならんものかな。」
「しょうがないじゃない。夕方までそのまましておかないと、八坂さんのところまで来てくれないですよ。」
と言って桜火がさとす。
「しかし、いろいろな奴から聞かれるのが面倒くさいんだけど。」
「その程度、自分の肩を治すためと思えば我慢して下さい。」
「しかし、外葉の腕はかなり痛そうだったな。」
「そう、今日にでも治さぬと、限界にくるかもしれぬな。」
「なんで、そこでプレッシャーかける。」
「お主との縁でこうなっておるのじゃ。お主も責任の一貫があるのじゃから。きちんと責任をとるのじゃ。」
「別に、俺が積極的にした訳じゃないのに。」
「見えるものの宿命じゃ。」
宿命ね、一言で片付く楽な言葉だ。
ガイドたちと、午後にもう一度アタックする手順を打合せして。そして祐一は教室へと戻った。
外葉は遠目に、教室に戻ってきた祐一を見ていた。
祐一は友人に「少し保健室で薬もらってきた」と言っているが。
保健室にそんないい薬あったのかしら。なら、私も行ってみようかしら。
そんなことを考えていた。湿布薬も午後に貼り直してみたけど、やはり腕の痛みは収まらない。本当に、どうしよう、これ。
「なーに、おばあさんみたいね、その湿布。」と幸子が相変わらず嫌味なことを言ってくる。
「比良坂くんも手を痛めているみたいだけど、それって、伝染病?」
と言ってケタケタ笑っている顔を張り倒してやりたくなった。その太ももを画鋲さした上履きで蹴ってやろうかしら。
なんでいちいち、この子は私につっかかってくるのかしら。嫉妬?ただの嫌がらせ?もしかして、比良坂君に気があるのかしら?それで私にイヤミを言うんだったら、大変な勘違いだわ。このまま、翌日も腕が痛かったら上履き画鋲作戦を実行してしまいそうなくらい、イライラする。
ああ、なんでこう調子悪いときには、こういう人が寄ってくるんだろう。
元気なときはなにも言ってきたりしなかったのに。
泣きっ面に蜂、なんてことわざを噛み締めていたりする。
仲の良い友人も、それなりに心配はしてくれるがそれで痛みが解消するわけでもない。
三つ編みを直してくれたりモノをもってくれたりと、とてもありがたいのだけど。
人に迷惑かけるのも申し訳なく思えるし。
あああ、この腕取ってしまいたいくらい。
友人に腕のことで、どこの整形外科がいいとか、そういう話を聞きながら。朝に祐一とかわした会話を思い出していた。
朝、下駄箱のところで祐一と遭遇したとき、なぜか自分と同じように腕を吊っていたのを見かけた。
「なに、その腕?」と今回は外葉から話かけたのだった。昨日まで普通にしていたのに、急に自分と同じように腕を吊っているので何事かと思ったのだった。
そこで、朝起きたら腕が痛くなっていたとか。腕の先しか動かないとか。
外葉と同じ症状を言ってくる。肩の痛いところも同じような感じだった。
もしかして、何か同じ原因かしら?
外葉はさらに聞いてみた。そういう時、どうするの?と。
「よく行く整体っぽい先生のところがあるんだ。原因不明の痛みでも治療してくれるから。」
それだけ。
そこで会話が終わってしまった。
祐一の友人の井出が面白そうに近づいてきたせいで、さっさと離れざるをえなかった。
「その先生ってどこ?」
その一言を聞いてみたかったが。教室では話しかけにくかった。
なんとなく、今までろくに会話もしたことのない男子といきなり話すというのも妙な感じだし。
教室内でいろいろな目で見られるのも嫌だし。
ああ、なんで祐一くんが美形男子じゃないんだろう。
あんな、普通の男子に話かけるには、外葉にはそれなりの理由が必要であった。
何よりスキャンダルされるのが嫌だった。
まあ一応、メガネ美人と言われる自分なので。それなりに釣り合う相手、というところにこだわってしまっていたりする。成績もできれば自分より上であることを期待するし。
だから、未だにフリーだということなのだが。
理想が高すぎると友人からも言われるが、確かに外葉は全てに置いて理想が高かった。
男子と話す時も、それなりに自分の立場が常に上に来るようにとバランスを図りながら会話していたりする。常に、周りとの目線と自分のバランスを取る。それが外葉の考え方だった。
でも・・・、
帰りにちょこっと聞いてみようかしら。
外葉はそう思いながら、友人と笑い合っている祐一をじっと見ていた。
・・・・・・
下校時間。外葉は、友人たちに「病院に行くから」と言って先に帰ってもらった。
祐一が帰りにその先生に会いにいくという話を盗み聞きしたので。祐一の行動を何げに観察していた。祐一が一人で教室を出る姿を確認すると、
外葉は祐一と下足箱でばったり会うようにとタイミングを図って教室を出た。
「ほら、そろそろ来るわよ。」
桜火が下足箱に来た祐一に声をかけ、前髪を揺らす。すると、下駄箱のところに外葉が一人で現れた。
「じいさんの言っていた通りだ。」
事前に柳白仙から「必ず一人で下足箱にむかうのじゃ」と指示を受けていたので、その通りにしてみたら。本当に外葉がやってきたガイドのやりくりに関心していると、横に外葉が近寄ってきた。下駄箱には二人以外人は居ない。
祐一の肩よりも少し低い頭、そしてメガネごしに祐一を見上げてくる。
「ねえ!その、今日腕を直してくれる先生のところに行くの?」
来た、きたぞ!
祐一は心の中でガッツポーズを取る。
ここで一瞬、レールバスに一緒に乗って、楽しく語らいながら移動する風景が頭をよぎる。
あけた窓から入ってくる風が外葉のお下げを揺らし、それを手で抑えながら祐一と楽しげに会話をする、そんな妄想が脳裏を巡った。
一瞬の妄想を脳内から片付けつつ。高鳴る胸を抑えながら、祐一は普通を装い答える。
「ああ、これから行くところ。」
外葉はその答えを聞いて、祐一を見た。
「そこ、ここから遠いの?」
「いいや、電車とレールバスで。40分くらいかな?」
外葉はその答えを聞いて少し考え込む様子を示した。
祐一の耳に、柳白仙がささやきかけてきた。それを聞いて、祐一は。
「原因不明のときに、とても信用の置けるところなんだ。料金も普通の整体とあんまし変わらないし。俺でも安心して行けるくらいだよ。」
それを聞いて、外葉は決めた。
最後のひと押しは、経済的なところ。これは柳白仙のアドバイスであったが。
祐一は心躍った。
やった、目標達成。これを機会に少しでもいい関係になれればいいなぁ。
三角巾で腕を吊ったペア、というちょっと変わった出で立ちであったが。
二人で電車に乗り、レールバスに乗り換えて移動をしていく。
だが、その道中は、祐一のイメージしたものとはちょっと違っていた。
「どう思う?私に対しておばさんとか言うのよ。幸子は私に恨みでもあるのかしら。」
と勢いよくまくし立てる外葉。
一緒に移動する最中。祐一が聞かされたのは腕を吊ってからの人の対応について。
特に、幸子の言動、行動に対して徹底的に語ってくる。
「幸子はいつも短いスカート履いているでしょう?あれって男子はどう思うの?」
「どうって、好きで履いてるんじゃそれでいいんじゃないか?」
「だって、あの太ももよ?見せて恥ずかしくないのかしら。私だったら恥ずかしくて見えないようにするけれど。」
幸子は、確かに外葉に比べれば多少肉付きがいいほうではあるが。それが好きな男子もいるのだからそれはそれでいいのではないか。と祐一は思っていた。
しかし、そう言っている外葉のスカートも、多少規定よりは短いのだと思うのだが。
向かい合うボックス席なので、勢いよく動きも入れて語る外葉の、形のいいふくらはぎと、スカートの中からチラチラ見える太ももに、祐一は目のやり場に困り、外を眺めていた。
あどけなさの残る顔と、華奢な体つきは祐一にとっては最高に好みなのだが。
しかし、意外と、激しい子だったんだ。
見た目だけで判断していた自分のイメージとのギャップを感じた。
メガネ美人、というともう少し物静かで、本などを読んでいるような、勝手にそういうイメージを持っていたのだったが。
現実とはそんなものか。と思っていたところだった。
しかし、この腕の痛みに関して、語れる場所がよほどなかったのだろう。
それとも、俺をなんの対象とも思ってないからこれだけ地をだせているのか。
そう思うと、少し悲しい祐一であった。
外葉は外葉なりに、「この普通男子に、変な気を起こさせないように。」という気持ちで、まったく盛り上がらないような話を、あえてしていたところもあるので、やや、キャラを作って話をしていた。
肩が痛くてイライラしていたのは事実だが、自分の弱いところを人に見せることが嫌だったので。自分の身の上を話すよりも、人に言われた言葉を使って話をしている感じだった。
あくまで、男子には強気に出ようとする外葉がいた。
結局、幸子への文句と腕の痛みに関する苦情で道中は占められ。
祐一の期待した、初夏の高原での爽やかな電車の旅、は叶えられなかった。
外葉的には、ロマンスなど感じさせないほうが好都合だったので、今回は外葉の作戦が祐一の勝手な期待を上回って成功していたのである。
ガイドが見えていても、こういう生のやりとりはまだまだ経験値が不足している祐一であった。
世界は、自分の期待した通りには、なかなか進まないものだなぁ。
レールバスを降りてから、世の中の無常を感じつつ祐一は空を見上げていると
「これから、どっちに行くの?」
外葉の声でこちらに意識が戻される。
二人で手を吊って歩くのも妙なので。祐一は三角巾を外した。
それを見て外葉が少し驚く。
「比良坂君、うでは?痛くないの?」
そう言われて、祐一は笑って
「痛いよ。でも実は吊るほどではなかったんだ。」
「なんで?じゃあ、なんで腕吊って、わざわざ学校で過ごしていたの。」
「いや、話すと長くなるから。とりあえずカバン持ってやるよ。少しここから歩くんだ、そこは。」
と言って外葉の手からカバンを受け取る。外葉は少しうさんくさそうな顔をして祐一を見る。
「もしかして、別の目的が有るんじゃないでしょうね?」
「腕を治す、という目的の場所にしか行かない。ほら、あそこに見えるデッキのある建物だ。」
外葉もその方向を見ると、山を背負ったところにログハウス風の建物が見えている。
「あら、いい雰囲気のところじゃない。あそこが比良坂君の言う整体?」
「うーん、まあ、行ってみればわかるさ。」
そう言って、祐一は外葉と自分のカバンを担いで歩き始めた。
ここまで連れてきて、何か違う目的だったらどうしようかしら。
携帯電話をすぐにかけられるように手元に持っておこうかしら。
と外葉は少し警戒しながら後ろをついていく。
でも、普通男子の比良坂君に、そんな度胸があるとは思えないけど・・・。
そんな失礼な事を考えられているとは少しも思わず、祐一は先を歩いて行く。
サロンが近づくにつれ、外葉の表情も少し明るくなってきた。
森を背負った可愛い建物に心を奪われたようで。
しきりに「可愛いところね。」とテンション上がっているのが分かる。
ヒーリングって?とか変に突っ込まれなかったのは良かったが、「比良坂ヒーリングサロン、って比良坂君のご親戚?」と聞かれ、「ただの偶然だよ」と答えた。
あの、イザナギイザナミの神話で有名な、黄泉の国との境界にある「黄泉比良坂」の比良坂だよ、とは今は口が裂けても言えなかった。
そんなことを言ったら、絶対アヤシイところだと思われるし。
いや、まあ、十分今でも怪しいけど。
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