さて、久々に、漫画の紹介でもしてみようかと思いまして。
私の好きな漫画の基準は、「作者にキャラクター愛があるかどうか。」これですね。
場面を盛り上げるためにあっさり重要なキャラを殺してみたり、最初意味ありげに出てきて、そのまま意味も無く消えていくキャラとか。そういうのがたくさん出てくる漫画は苦手です。有名な何かの孫が出てきたり、子供がでしゃばってくる推理漫画とかもあっさり人殺しすぎです。戦争漫画であっさり人が死ぬのは、そこに戦争と言う悲惨な表現の一つとして必要な場合もありますが。
それと、表面に無い裏設定がしっかりしていること。
これが深いと、読んでいて楽しくなってきます。諸星大二郎さんの作品なんかは、膨大な知識に裏づけされた設定がとても楽しいです。「栞と紙魚子」の話しは、一見軽く見えてもその裏にある知識の厚みを感じられて面白いですね。
これにクトゥルーちゃんのお母さんが出てきます。
で、最近好んで読んでいるのは、とりのなん子さんの「とりぱん」。今市子さんの「百鬼夜行抄」。天野こずえさんの「ARIA」ですね。
本の仕入れは妻が行っているので、最近私はそのおこぼれを読んでいるだけだったりしますが。
ただ、「ARIA」は「AQUA」の時代から私が読んでおりまして、これはずーっと買っているものですね。「浪漫倶楽部」の時代から好きな作者の方でして。たいていこの方の作品は読んでいます。
まあ、35歳のオッサンが買って読むにはいかがなものかと思われる方もいらっしゃるでしょうが(笑)。
ストーリーに害が無く、意外と深いところをつく台詞に、ほわっとしたり考えさせられたりしますね。まあ、こういうほのぼの系がダメな人には薦めませんが。
前回の私の童話に反応した方は読めるかもしれません。あんな感じですね。
現実世界で十分疲れますから、漫画の世界くらいはほんわかしたいものです。
「横浜買出し紀行」も好きでしたね。あれの影響で風見魚作ってますので。
久々に、「あれ?ARIAって今どこまで買っていたっけ?」という事を考えて、読み返したたことからこういう話をしてみました。大人になると記憶力が衰えて、「あ、同じの2冊買ってしまった!」という事態が良く起こりますからね。
改めて読んでみると最近の私の話にも通じるところがあって、「漫画侮れず。」と思った次第。
もともとこういう本がすきなのは、作者の方から同じような波動を感じるからなのでしょうけどね。
さて、今日のヘミシンク
今日は“SO”コードを堪能してみました。
特に何も意図を決めず、ただただ聞いているだけ。
この音に引き込まれると、体の感覚が喪失していくような、心地よい感覚があります。
なので、足の痛くなる結跏趺坐にて挑戦です。
座布団もしかずに座ると、すぐに足が痛くなってきます。そこで、足の痛みをキャンセルするイメージをしていると、ふっとした瞬間に体の感覚が薄くなる感じがきました。
「きたきたきた!」と一人喜んでしまいます。
肉体の感覚が薄くなると、今度は目をつぶっているのに周囲を知覚できているような感覚が来たりして。
体の感覚から開放されると、非物質の領域の知覚が活発化するのでしょうか?
そして、喉の辺りに動きが。
喉がもよもよしだしたのです。何かが動く感じ。
「現実世界に非物質世界からの愛を表現するにはどうしたら?」
とイメージしていたためでしょうか?
喉のチャクラを活発にされている感じしました。喉は表現とかそういう意味合いもあったかな?と思ったりして。
ということは、愛も自分で知っているだけではなく、語らないとダメなんでしょうね。
その後、内にある創造の光に飛び込むと、反転して外のフォーカスレベルにいけるとかいう体験をルリカさんにさせてもらったり。今回は通常バージョンの口の悪いほうです。
想像の光が太陽の光に変化していたようなイメージでした。
で、20分くらいそんな感じで結跏趺坐にて心地よく座っていましたが、これだけでは面白くない。と妙な欲が出まして。
「この世界の仕組みを表現するものを見せて欲しい。」
と意図をしました。
すると、私の目の前に、見たことの無い女性ガイドが現れました。短い髪に活発そうな表情。その人が、「さあ、こっちに来て。連れて行ってあげるわよ。」と手を差し出してきます。
そこで、その手につかまるとぐいっと宇宙の果てまで連れて行かれる感じです。
そこで言われたのが、「この世界は“道”です。」という事、
そして、私の前と後ろには一本の道が表現されています。
前に進むしかない道。横に逸れる事も後ろに下がる事もできないようです。
「あなた方が生活している世界というのは、道でしかないのです。」
と言われます。
平面でも立体でもなく、一本の道。
これは意外とすべての真理を表現しているのかもしれません。
哲学的ですね。
私達は3次元だの4次元だの、次元上昇だのと言っていますが、結局のところ1次元をたださまよう存在なのかもしれませんね。
そこにすべてが存在している。周りにあるわけではない。
自分の道にはすでにすべてが用意されている。そんなイメージです。
それに気がつけるかどうか。
そのための今なんでしょうね。
私的には、このイメージ、妙にしっくりきました。今までいろいろと説明を受けてきた情報を一番単純に表現している気がします。
さて、またもや疑問が。
この女性ガイドは誰?というもの。
目の感じが、カガミにとても似ているのですよね。成長した姿?それとも内面から接触するとこう見えるのか?
うーむ、謎です。
で、その女性ガイドのイラストはこちら。目の雰囲気とあの生意気な元気さが妙にそっくりな方でした。
ちなみに、今日からイラストは筆ペンで書いています。以前はサインペンでしたので線に微妙な表情がつけにくかったですが。
筆ペンで書くと表情が出て、上手になったように見えますね。
左がカガミで、右が今日の人。 目が似てますね?
ついでに、筆ペンでジーラも書いてみました。実はこんな人(?)です。
こうなったらもう一人、ということで、ルリカさんも筆ペンで。 あまりこの人は変化ないですね。
私の好きな漫画の基準は、「作者にキャラクター愛があるかどうか。」これですね。
場面を盛り上げるためにあっさり重要なキャラを殺してみたり、最初意味ありげに出てきて、そのまま意味も無く消えていくキャラとか。そういうのがたくさん出てくる漫画は苦手です。有名な何かの孫が出てきたり、子供がでしゃばってくる推理漫画とかもあっさり人殺しすぎです。戦争漫画であっさり人が死ぬのは、そこに戦争と言う悲惨な表現の一つとして必要な場合もありますが。
それと、表面に無い裏設定がしっかりしていること。
これが深いと、読んでいて楽しくなってきます。諸星大二郎さんの作品なんかは、膨大な知識に裏づけされた設定がとても楽しいです。「栞と紙魚子」の話しは、一見軽く見えてもその裏にある知識の厚みを感じられて面白いですね。
これにクトゥルーちゃんのお母さんが出てきます。
で、最近好んで読んでいるのは、とりのなん子さんの「とりぱん」。今市子さんの「百鬼夜行抄」。天野こずえさんの「ARIA」ですね。
本の仕入れは妻が行っているので、最近私はそのおこぼれを読んでいるだけだったりしますが。
ただ、「ARIA」は「AQUA」の時代から私が読んでおりまして、これはずーっと買っているものですね。「浪漫倶楽部」の時代から好きな作者の方でして。たいていこの方の作品は読んでいます。
まあ、35歳のオッサンが買って読むにはいかがなものかと思われる方もいらっしゃるでしょうが(笑)。
ストーリーに害が無く、意外と深いところをつく台詞に、ほわっとしたり考えさせられたりしますね。まあ、こういうほのぼの系がダメな人には薦めませんが。
前回の私の童話に反応した方は読めるかもしれません。あんな感じですね。
現実世界で十分疲れますから、漫画の世界くらいはほんわかしたいものです。
「横浜買出し紀行」も好きでしたね。あれの影響で風見魚作ってますので。
久々に、「あれ?ARIAって今どこまで買っていたっけ?」という事を考えて、読み返したたことからこういう話をしてみました。大人になると記憶力が衰えて、「あ、同じの2冊買ってしまった!」という事態が良く起こりますからね。
改めて読んでみると最近の私の話にも通じるところがあって、「漫画侮れず。」と思った次第。
もともとこういう本がすきなのは、作者の方から同じような波動を感じるからなのでしょうけどね。
さて、今日のヘミシンク
今日は“SO”コードを堪能してみました。
特に何も意図を決めず、ただただ聞いているだけ。
この音に引き込まれると、体の感覚が喪失していくような、心地よい感覚があります。
なので、足の痛くなる結跏趺坐にて挑戦です。
座布団もしかずに座ると、すぐに足が痛くなってきます。そこで、足の痛みをキャンセルするイメージをしていると、ふっとした瞬間に体の感覚が薄くなる感じがきました。
「きたきたきた!」と一人喜んでしまいます。
肉体の感覚が薄くなると、今度は目をつぶっているのに周囲を知覚できているような感覚が来たりして。
体の感覚から開放されると、非物質の領域の知覚が活発化するのでしょうか?
そして、喉の辺りに動きが。
喉がもよもよしだしたのです。何かが動く感じ。
「現実世界に非物質世界からの愛を表現するにはどうしたら?」
とイメージしていたためでしょうか?
喉のチャクラを活発にされている感じしました。喉は表現とかそういう意味合いもあったかな?と思ったりして。
ということは、愛も自分で知っているだけではなく、語らないとダメなんでしょうね。
その後、内にある創造の光に飛び込むと、反転して外のフォーカスレベルにいけるとかいう体験をルリカさんにさせてもらったり。今回は通常バージョンの口の悪いほうです。
想像の光が太陽の光に変化していたようなイメージでした。
で、20分くらいそんな感じで結跏趺坐にて心地よく座っていましたが、これだけでは面白くない。と妙な欲が出まして。
「この世界の仕組みを表現するものを見せて欲しい。」
と意図をしました。
すると、私の目の前に、見たことの無い女性ガイドが現れました。短い髪に活発そうな表情。その人が、「さあ、こっちに来て。連れて行ってあげるわよ。」と手を差し出してきます。
そこで、その手につかまるとぐいっと宇宙の果てまで連れて行かれる感じです。
そこで言われたのが、「この世界は“道”です。」という事、
そして、私の前と後ろには一本の道が表現されています。
前に進むしかない道。横に逸れる事も後ろに下がる事もできないようです。
「あなた方が生活している世界というのは、道でしかないのです。」
と言われます。
平面でも立体でもなく、一本の道。
これは意外とすべての真理を表現しているのかもしれません。
哲学的ですね。
私達は3次元だの4次元だの、次元上昇だのと言っていますが、結局のところ1次元をたださまよう存在なのかもしれませんね。
そこにすべてが存在している。周りにあるわけではない。
自分の道にはすでにすべてが用意されている。そんなイメージです。
それに気がつけるかどうか。
そのための今なんでしょうね。
私的には、このイメージ、妙にしっくりきました。今までいろいろと説明を受けてきた情報を一番単純に表現している気がします。
さて、またもや疑問が。
この女性ガイドは誰?というもの。
目の感じが、カガミにとても似ているのですよね。成長した姿?それとも内面から接触するとこう見えるのか?
うーむ、謎です。
で、その女性ガイドのイラストはこちら。目の雰囲気とあの生意気な元気さが妙にそっくりな方でした。
ちなみに、今日からイラストは筆ペンで書いています。以前はサインペンでしたので線に微妙な表情がつけにくかったですが。
筆ペンで書くと表情が出て、上手になったように見えますね。
左がカガミで、右が今日の人。 目が似てますね?
ついでに、筆ペンでジーラも書いてみました。実はこんな人(?)です。
こうなったらもう一人、ということで、ルリカさんも筆ペンで。 あまりこの人は変化ないですね。
カガミちゃん、萌え~(*´Д`*)
アクアは夏真っ盛りで(ry…
ARIAはAQUA?も含めて全巻読みましたよ
アニメも面白いです
ネオヴェネチアのほのぼのとした日常があと社長!ケットシー!
あれならほのぼのが大丈夫なら誰でも読めますよね
ルリカさんはツンデレ
楽しみにしてます~よ。
個性的な猫の社長も出てきますよね。
猫といえば、最近「変性意識状態」の時(←共同探索にチャレンジして失敗した日です)に
何故か猫や犬が出てきまして(これは夢かはっきりしないのですが)、何故か普通の人と話すように意思疎通していました。
ヒマラヤンのような猫でしたが、とても小さくて、まるで子猫のよう。
本人(本猫?)はそれ(体の大きさ)にコンプレックスをもっていましたw
「18年生きている」と言っていました。
一体全体何者でしょうかね?
いや~、さすがっすね~。
色々な方のコメント読むと本当に勉強になります。
ブログを読んで学ばせて頂き、コメントして学ばせて頂き、って感じですね。
ありがたいです。
先日の猫の童話は面白かったです。どういうわけか涙まで出てきて。こういう話は自分、弱いらしいです。泣くシーンはないと思うんですが・・。
諸星大二郎先生は、小さいころ苦手だったんですが、去年?くらいから急に買い始めましたね。そういうのが面白くなるタイミングだったのでしょう。
最近では水木しげるなんかも買うようになりましたね。明らかに好みが変化しているのを感じます。
画力も上がっているのでしょうけれど。
ジーラさんの表情はよくわからなかったんですが、今回はわかりやすいですね。
今回登場の人はカガミさんの何かじゃないですか~~?視点を変えたお姿とか。
優しいバージョンとか・・(笑)
最近ポニョのDVDが出たようですから、そちらも見るの楽しみです。週末は忙しくなりそうです(笑)。
あっ!まるの日さん、F21のカフェで、大きな女性のガイドとメタボな男性(ボク)を見掛けませんでしたでしょうか?(笑)