昨日家に帰ってきまして。
お土産にいただいたもので横浜のシュウマイがありまして、早速晩御飯にいただいていたのですが。
これに付いている醤油入れがおもしろいですね。「ヨコハマ買い出し紀行」に出てきたアヤセの持っていた醤油入れの元ネタか!と個人的に盛り上がっていましたが。
で、妻が「ゲームセンターでこれ取ってきたよ。」と見せられたのが、しゅうまい君と初音ミクのコラボ人形。
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こ、これは何のシンクロだ?
ガイドは自分に何を言いたいのだ?
とやや謎のメッセージを受け取っていたしだいです。
ガイドワークの成果をここで導き出さねば。
で、それと昨日はこういうお土産もいただきまして。
「A・Tフィールドクッキー」
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ということで。ココロの壁をくってしまえという感じでしょうか。
グリッドワーク参加者の方々は、「グリッド探し」にはまっておりまして。コミュニティーでもそういう盛り上がりを見せておりますが。
その関連でいただいてしまいまして。今日は早速お茶のおともにいただいておりました。
まあ、そういう感じでしたが。
で、今日はガイドワークの話でも、と思いましたが、それらも含めてちょっと「縁起」的な感じで書いてみようかな、と思いまして。
ちょいと最近呼んでいる「仏法」を読みつつ思い浮かんだことなどを入れつつ。
そこに書いてあった内容で
・一切のものは互いに因縁として依存し合う関係である
・一切のものは関係し合って存在する。
・一切のものは縁に依存して存在する。
・一切のものは一瞬といえども安定していない。
・一切のものはそのもの自体としては存在していない、すなわちそのものの実態(自我)はない。
・一切のものは第一原因、最初の起源というものはない。
という部分で。これはまさに私がグリッド的なイメージ、それを感じているなかで思っていることでして。
初音ミクのコンサート映像もこれを体現している。
という感じですか。
この文章と「初音ミクの激唱」の歌詞と合わせて読まれると、また意味深いものになります。
で、ちょっと縁とか因縁とか依存とか言葉に引っかかるとこの意味合いを受け取り損なってしまいますが。本の前後を読んだ上でいろいろと考えていただけましたら。
一部抜粋ですので、興味のある方は読んでください。
この行間を読んでいただくとスピリチュアルな物事で、意識がそこにはまって抜け出せなくなる罠を回避できることが書いてあると思います。
この考え方と私の過去生に関しての見方を合わせて説明してみようかな、と思いまして。
「過去生」、「未来生」、「別の時空の自分」。スピリチュアルをやっていると必ず出て来る話ですが。
そもそも生まれ変わりが存在しない。ということを言う人以外は「そういうこともあるかもね」と意識されていると思います。
今の世界、今の生を生きている世界では様々な事柄が起こっていて。
その中にはさまざまな縁だとか良縁、悪縁、依存したりされたり。
そういうものがあって。
それを一つの形として自分で確認する手法、として「過去生」という概念が存在している。
という考えで見てみますと。
現在人間関係で悩んでいる時に、その過去生で同じような状況になっているものを見て。
その意識が囚われている状態になっているのを見たとしますと。
「あ、過去生の縁で今こうなっているのだな」
と認識して、その過去世を解放することで今の自分の状態で引っかかっている意識を解放することができる。
それがレトリーバル的な解釈にもなると思いますが。
本来、生まれては消えていくことを繰り返しながら物事は変化している中で。
依存を強く持つことによってその流れに逆らい、その流れを変化させようと「自我」を持って行動しようとした時に、自分の人生の流れの変化を自分でうまく流れないようにしてしまって。
その結果うまくいかない人生を苦しいものと思う場合がありますが。
その生まれては消えていく流れ、を自分で素直にかんじて行く事をするには、今自分が何に依存して。そこに置くべきでない「自我」を作り出して自分が何を目的として行動しようとしているのか。
を見極める必要があると思います。
それをカウンセリングでやる方法もあれば、スピリチュアル的なアプローチで解決していく方法もあるとおもいますし。普通に生きている中で気づいて行くことも多いと思います。
過去生はその「今の生」にある縁を「見えやすく」してくれる一つの手法だと思っております。
それが存在する、しない、はまた別の話。
そもそも証明できませんからね。こういう話は。実例があっても、それが本当にその人の過去生か?というのは客観的な証拠が揃わないと言い切れないもので。
推測はできても証明は難しいものです。科学的な知識がある方はお分かりだと思いますが。
なので、そこで議論して労力使うよりは「そういうことも、使い方次第では人生を豊かにしてくれるのだな」と思っていればいいかなと思います。
で、過去生を見ると、今周りにある「因縁」が見えてくる。
そして、どこに強く「依存」しているかも見えてくる。
「自我」をどこに作り出してどこに向けているのかも理解できるようになる。
なぜなら、人は自分のことよりも他人のことのほうが客観的に見ることができますよね。
「過去生」という客観視できる自分の生の「投影」を作り出すことで、そこに自分の今を見て、解決すべき意識の持ち方、解放すべき自我を把握できる。
これは「ガイド」も同様で、その姿、キャラクターは「客観的に」自分の一部を表現していて。
その中にあるメッセージ、それは自分を知るための、どのような縁が今自分にあるのかを知るための一つの「投影」したイメージと捉えることもできますかね。
ガイドの存在の有無を議論するつもりはありません。
そう考えると、ガイドのメッセージを得ることに「執着」したり、その姿を見ることに執着したり。
メッセージに「依存」することもなくなるかと思います。
そういう心理状態になった時に、「ガイド」、というものはすっと見えてきたりするものではないかな、と思いますかね。
「自我」をそこに入れない感じで、人の意識、自分の意識の流れをかんじて。
それを投影する一つのシンボルとして考える感じでしょうか。
自分を知るための、自分の「今」の姿を投影している存在。
過去世もガイドも、今の生の「因縁」を映し出している鏡であると意識するなら。
それらを知ることで今の生の流れを把握し、その流れに乗って自然と豊かな生き方に乗ることが可能となる。
そういう考え方もできるかな、と思うところです。
苦を生むのは自我によって流れを妨げ、依存を強くすることで縁のつながりを遮断してしまった状態だと思いますもので。
循環する変化のなかで、生まれては消えていく流れのなかで互の存在のつながりを感じながら生きていく。
私がモンロー研で感じた一つに
「世界はギブとギフトで出来上がっている」
ということ。
ロバートマウンテンリトリーツの美しい自然のなかで得た事です。
全ては与え合っているだけ。そこには搾取も強い依存もなく。
自然にあるものは与え合って存在している。
それを人間が「自分のもの」として所有する「我」を出した時に、実はそれすらも流れて変化する縁のなかの一つの動きでしかないのに。
意識で「我」を通してしまうとそこで流れが停滞して与え合う「縁」が切り離されてしまって。
その我を生み出した人は、与えてくれる存在からのつながりを失うので、恐怖、不安、を覚えてしまって。
それから更に人から奪おうと動き出し、人の縁も切っていって。
となると、まあ、いい人生は歩めませんね。
経済的に、経営的に成功している社長達とはなしたことがある方はお分かりだと思いますが。
そういう方々はこのやり方をやっていませんでして。
つながる縁と与えていく事、そして自分だけが、という我を出していない事。
それを実戦されている方が多いような気がしますね。
まあ、それはそれで。
縁のつながりをかんじて、それから得られることを素直に受け取って、そして人にもその流れを送り出して。
「我」でとどめないで。
これは言葉でも知識でも、お金でも同じですね。
スピリチュアルな話でもそうですが、「この知識は自分だけ」と思い始めると「このやり方は自分だけのもの」と思い始めると、そこから縁の繋がりが消えて行く気がします。
まあ、そういう縁とか因縁とかを「自分で理解する」ための一つの方法としてが私の「グリッド」「ガイド」を使ったワーク、ということですかね。
自分が無意識に依存しているものは何か?
自分が無意識に感じている世界はどういうものか?
自分が無意識に思っている思考はどういうものか?
自分が無意識に行っている行動は何か?
自分が無意識に感じている世界は?
それを知るために「スピリチュアル」なワークがたくさんあって。
それぞれに必要と思う人がそこに集まって。
結局は同じ目的のために異なる手法でそれを活用して人生を豊かにしていく。
ハズなので。
そういうワークで「依存関係」もしくは「より自我と依存が増えてたり」すると、なんかねらいどころ外しているような気もします。
過去生もガイドも、「縁」の一つの形であって。
自分を構成している因縁を表現しているものだと思えばそこに惑わされることもなく。
その状況を「見て」「感じて」依存しすぎる必要はなくなると思いますが。
ただし、そこに見えるもの、感じる存在は「自分」であり「自分ではない」ものでもありますし。
その存在を「邪険」に扱う人は、自分を邪険に扱い、その人は人のこともそういう目でみたり扱ったりしてしまいます。
高次の存在だから、自分を導いてくれる存在だから、
「ありがたいから感謝の気持ちを送る」
のではなくて。
「相手は自分の投影。」だから感謝の気持ちを送る
「自分」とは「縁」の積み重なりであるなら。自分に感謝することは自分につながる縁を持つ存在全てに感謝することと同じとも言えますので。
ガイドや過去生、そういうものを見て感謝の気持ちを持つのは、
「自分につながる全ての存在を尊重し、愛していく」
ことをそこで宣言することでもあります。
自分の世界を好きになる。
だから、ガイドを好きになる必要があって、尊敬する必要がある。
まあ、そういう事ですかね。
ガイドワークなどで重要にしているのはそういうことで。
ガイドと会ってなんぼ、ではなくて。そこにつながる今の生にある縁を豊かにして人生も豊かにしていく事。
モンロー研でのゲートウェイボエッジに参加して。
私はそう言う感じで気づきを強く得ました。自分が自分を好きになるのは、自分の「自我」を好きになることではなくて。
自分につながるすべての人、縁を好きになることなんだな。
という事で。
人でも同じですかね。
目の前の人を嫌う、否定すると、自分とつながっている縁を構成する一人を拒絶して、その流れを滞らせてしまいます。
すると、自分の縁がいい方向に変化せずに自我によって流れを引き止めてしまって。
なので、そう言う人は「遠くで幸せになって欲しい」と思って拒絶をしないで。この人のメッセージはなんだろうか。
とイライラしながらでも考えて見られると、また新しい自分の側面を見いだせておもしろいと思います。
ちょっと書くつもりが長文になってしまった。
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昔は、横浜の焼売には、必ず入っていましたが、最近は、本場横浜の焼売を食べないせいか、今も陶器製の醤油さしが入っているのですね。
顔の絵も、昔のままですね。
さて、過去生もガイドも、「縁」の一つの形。そのとおりですね。
偶然なんてものはありません。
すべて、必然なのですね。
ガイドさんは、ガイドなのであって、崇めるものではありません。
ガイドさんも、そんなこと望んでいませんね。
自分に対して何かメッセージを
送ってくれているんですね。
イライラしながらも
考えてみます。。
初音ミクとシュウマイコラボ…面白いですね~。
崎陽軒の醤油差しのひょうちゃんは、昔は全部一つ一つ違っていて同じ物は無かったらしいですが、今もでしょうかね???
閑話休題
今日の記事にも考えさせられました。
当分の間、自分の中でグルグルしそうです。
いつもありがとうございます!
すべてはシェアなのかな?と思いました。