今日は、ついに代車のサニーとお別れ。
一週間以上乗っていると、それなりに愛着はわきますが、あくまで「それなりに」です。
そつなく走り、そつなく止まり、そつなく乗り心地も良い。
親のカローラも運転したことありますが、そういう感じですね。大衆車としてのバランスはいい感じです。
ただ、ひねくれものの人生をあるく私にとって、「普通」というのは最も忌み嫌う言葉の一つでして。
「普通ってなんや?」と常に問いただしながら生きているようなものですから。いつも「普通」に喧嘩売ってきてます。
こういう一般的な答え方。私の行動に対して、
「普通は、そういう事しないよねぇ。」
といわれると、異常に反応しますよ。「オマエの普通ってなんや?」って感じで。
まあ、表立っては言いませんが(笑)。
普通の基準は「その時代に大多数の人が共通だと思っている現象もしくは行動」だと思っているので、時代が変われば普通な事も異常になり、異常なことも普通になるのだと思っています。
ただ、世の中にある原理原則で変化しないものもあるわけでして。
そういうものを見据えた上で、「普通」を語る方には「参りました。」となってしまいます。
リンゴの木村さんなんかそうですね。あの方はその当時の人間的には「異常」なことしていましたが、自然のなかにある原理、つまり自然のなかの「普通」なことをしてリンゴを実らせていますよね。
実は人それぞれ、「普通」の基準はかなり違っていたりします。私の普通と同じ会社の人の普通はたぶんかなりかけ離れてますし。
日常的に憑依されても「あ、普通だよね」と流せるか、「うわぁ!怖えー!! 非常識!」と思うか。その人の体験次第で「普通」な事を受け入れる幅が広がるのだと思います。
なので、やたらと「非常識」とか「普通はね」という方は、「普通の幅が狭い人なのかなぁ」と私は思います。
まあ、私のような、こういう「普通」に異常反応する「捕われ領域」に住んでいる住人も居るという事で(笑)。
以前は車にデザインなど求めもしてなかったのですが。
ある日BMWミニの載っている雑誌を読んで、衝撃受けました。
「これ、いい!」
って感じで。凝っているんですよね。無駄に。
で、それを見た後に日本車の内装が写っている写真を見ると、ものすごく殺風景でまったく良く感じませんでした。
年をとると、こういうところに気が向くようになるのか。
木目調パネルとか、内装の上質感が、とかいう話は今まで興味ありませんでしたが、最近それが理解できるようになりましたね。
オッサン化しているのか?とやや不安にもなりましたが。
まあ、そういう流れもあって、「あれは、いいものだぁ!」とマ・クベさんの名台詞のように、わたしもそういえるものを手に入れて、こころの安定を図ろうと思いまして。
ついに無理してローン組んで、BMWのミニを入手したわけです。半分はまだローン会社のモノですけどね。
購入の経緯も、ガイドの導き的要素もあり。一応、ガイド公認なので問題はないと思うのですが。
今後どうなることやら。不安要素を挙げるとキリがないですが、そういうところに意識を集めないためにも人間は「悪い事があった時こそ良いものを」入手することは必要なのかな、と思います。
これも「エネルギー変換」の一つの方法だと思いますので。
もちろん、無理しすぎるとダメですけどね。
そして、今日は納車日なのに雨。ルーフを全開にして走行する、というのはいきなりNG。
普通ならばここでブルーになったり、外応を気にする人はここで「新車が納入される時に天候が悪いのは、今後の流れを意味しているのではないか?」と不安になったりするかもしれませんが、私はこう考えます。
車が納車される嬉しい気持ち「陽」 雨でブルーになる「陰」
つまり、この納車の時に雨が降るというのは陰陽のバランスが取れていて、中庸に近づいている状態(安定はしませんので)と思われます。
陰陽にブレる波の高さが低く抑えられるので、「今後、この車に乗っても安心だなあ。」と思えるという感じです。
この時、やたらと「ウレシィー!!!!」とか思って、しかも晴天だったりしてしまうと、後でそのバランスを取るような波がくるかも? しれないわけでして。
そういう時は、わざと汚れるところを走って、すぐに洗車するといいんじゃないかな、と思います。水「陰」、汚れる気持ち「陰」と考えたりして。
最近、そういう感じで、無意識に風水的思考をしている場合もあったりします。
「ヘミシンクをやると風水も上達するのか?」
さてさて、これはどんなモンなんでしょうかね?エネルギーの流れを見るという事では、基本一緒なんでしょうけどね。
まあ、こればかりに意識を集めるとそれがそのモノになってしまいますので、あまり気にしないのも一つの方法でもあるかと。
今度、「ドクターまる、の運気を上げる風水術」でも書きますかね(笑)
かなりインチキ臭い本になると思いますよ。
話は変わって、先日妻の足のヒーリングをしていた時に思ったことを記録ついでに書いておきます。
妻が庭のシイタケを収穫しに行ったところ、足を痛めたのだとか。
なので、妻が風呂に入っている間にメタミュージックの「アセンション」聞きながら妻の足へと意識を向けて、オーラを見るつもり(見えませんがつもり、です)になってみると、足のそこの部分だけ、オーラが反転していたのです。
つまり、内側と外側が入れ変っている感じ。
私の見え方は、外側に「カラ」のような緑色やらいろいろな色の膜があって、その内側にすこし暗い感じの何かがある感じに見えるのですが。内側にあるリンゴゼリーの外側を、薄くメロンゼリーで包んでいる2層ゼリーのような、そんなイメージですね。
内側に外側のカラが入り込んでいる感じ。
そこで来た情報は、「次元が入れ替わっているのではないか?」という事。
ここからの説明は、私もまだ確実に思ってないのでただ書き連ねているだけですので分かり難いかもしれませんが、まあ、流して雰囲気だけ感じていただければと。
三次元からボールが4次元に行くと、裏表が入れ替わることができる、というような話を森田さんの本で読んだ事あります。最近の小説「神のなせる技なり」にもそういう話書いてありましたね。
それがオーラ的に起こっているのが、実は体の不調や事故の原因ではないのか?
というもの。
オーラが次元上昇し、そこで反転して表と裏が入れ替わる、そういう現象が起こっているとき、現実世界では足をぶつけるとか、足をくじくとか、事故に合うとか、そういう出来事に変換されてしまうのではないか?
もしくは、その足をぶつけるとかそういうキッカケでオーラに傷が入り、それが何らかの理由で次元上昇して戻ってきたときに反転する。
もしくは、足をぶつけたキッカケで、次元上昇していたオーラが反転してしまう。
このあたり、説明がしにくいのですが。
向こうの世界が原因で、こちらの世界にはその結果が現れている。
ならば、向こうの世界でのその反転が起こりそうなところを修正すればいいのではないのか?
という考えになったりして。
オーラが仮に3次元にあるとして、でもオーラ自体は次元を超越して存在しているとして。
オーラの位置を4次元に移行した際に、現実世界でなんらかのアクシデントが起こってオーラが反転して戻ってくるのか、基本的に反転したからオーラに影響が出るのか。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
そういう話にもなりそうで。
<仮説?>
オーラが意識として一つ次元を上がっている時に、人間の意識がそこでインパクトを与えてしまう。たとえば強いネガティブもしくはポジティブな。陰とか陽でもいいですが。
その時にオーラに強い意識の波動によって傷ができる。
そして、その勢いで回転して戻ってきた場合、オーラが反転し、その現象として現実世界では事故として現れる。
ならば、その強い意識のインパクトを与えないようにすればいいのか?
もしくは回転を与えるような意識の持っていき方をしなければいいのか?
うーむ、説明しにくい。
概念は頭の中で動くのですが、それを表現するのが難しいですね。
とりあえず、妻のヒーリングでちょっと面白い事を発見したと、そういう感じですね。
「何言ってんだ?こいつ。」
と思われそうですが、とりあえず物事が起こる場合、目の前にある事象のみで判断できないのではないか?という事を考えているだけの事ですので。
膨大なネットワークのごく一部がここに現れている。そういう感覚ですね。
一週間以上乗っていると、それなりに愛着はわきますが、あくまで「それなりに」です。
そつなく走り、そつなく止まり、そつなく乗り心地も良い。
親のカローラも運転したことありますが、そういう感じですね。大衆車としてのバランスはいい感じです。
ただ、ひねくれものの人生をあるく私にとって、「普通」というのは最も忌み嫌う言葉の一つでして。
「普通ってなんや?」と常に問いただしながら生きているようなものですから。いつも「普通」に喧嘩売ってきてます。
こういう一般的な答え方。私の行動に対して、
「普通は、そういう事しないよねぇ。」
といわれると、異常に反応しますよ。「オマエの普通ってなんや?」って感じで。
まあ、表立っては言いませんが(笑)。
普通の基準は「その時代に大多数の人が共通だと思っている現象もしくは行動」だと思っているので、時代が変われば普通な事も異常になり、異常なことも普通になるのだと思っています。
ただ、世の中にある原理原則で変化しないものもあるわけでして。
そういうものを見据えた上で、「普通」を語る方には「参りました。」となってしまいます。
リンゴの木村さんなんかそうですね。あの方はその当時の人間的には「異常」なことしていましたが、自然のなかにある原理、つまり自然のなかの「普通」なことをしてリンゴを実らせていますよね。
実は人それぞれ、「普通」の基準はかなり違っていたりします。私の普通と同じ会社の人の普通はたぶんかなりかけ離れてますし。
日常的に憑依されても「あ、普通だよね」と流せるか、「うわぁ!怖えー!! 非常識!」と思うか。その人の体験次第で「普通」な事を受け入れる幅が広がるのだと思います。
なので、やたらと「非常識」とか「普通はね」という方は、「普通の幅が狭い人なのかなぁ」と私は思います。
まあ、私のような、こういう「普通」に異常反応する「捕われ領域」に住んでいる住人も居るという事で(笑)。
以前は車にデザインなど求めもしてなかったのですが。
ある日BMWミニの載っている雑誌を読んで、衝撃受けました。
「これ、いい!」
って感じで。凝っているんですよね。無駄に。
で、それを見た後に日本車の内装が写っている写真を見ると、ものすごく殺風景でまったく良く感じませんでした。
年をとると、こういうところに気が向くようになるのか。
木目調パネルとか、内装の上質感が、とかいう話は今まで興味ありませんでしたが、最近それが理解できるようになりましたね。
オッサン化しているのか?とやや不安にもなりましたが。
まあ、そういう流れもあって、「あれは、いいものだぁ!」とマ・クベさんの名台詞のように、わたしもそういえるものを手に入れて、こころの安定を図ろうと思いまして。
ついに無理してローン組んで、BMWのミニを入手したわけです。半分はまだローン会社のモノですけどね。
購入の経緯も、ガイドの導き的要素もあり。一応、ガイド公認なので問題はないと思うのですが。
今後どうなることやら。不安要素を挙げるとキリがないですが、そういうところに意識を集めないためにも人間は「悪い事があった時こそ良いものを」入手することは必要なのかな、と思います。
これも「エネルギー変換」の一つの方法だと思いますので。
もちろん、無理しすぎるとダメですけどね。
そして、今日は納車日なのに雨。ルーフを全開にして走行する、というのはいきなりNG。
普通ならばここでブルーになったり、外応を気にする人はここで「新車が納入される時に天候が悪いのは、今後の流れを意味しているのではないか?」と不安になったりするかもしれませんが、私はこう考えます。
車が納車される嬉しい気持ち「陽」 雨でブルーになる「陰」
つまり、この納車の時に雨が降るというのは陰陽のバランスが取れていて、中庸に近づいている状態(安定はしませんので)と思われます。
陰陽にブレる波の高さが低く抑えられるので、「今後、この車に乗っても安心だなあ。」と思えるという感じです。
この時、やたらと「ウレシィー!!!!」とか思って、しかも晴天だったりしてしまうと、後でそのバランスを取るような波がくるかも? しれないわけでして。
そういう時は、わざと汚れるところを走って、すぐに洗車するといいんじゃないかな、と思います。水「陰」、汚れる気持ち「陰」と考えたりして。
最近、そういう感じで、無意識に風水的思考をしている場合もあったりします。
「ヘミシンクをやると風水も上達するのか?」
さてさて、これはどんなモンなんでしょうかね?エネルギーの流れを見るという事では、基本一緒なんでしょうけどね。
まあ、こればかりに意識を集めるとそれがそのモノになってしまいますので、あまり気にしないのも一つの方法でもあるかと。
今度、「ドクターまる、の運気を上げる風水術」でも書きますかね(笑)
かなりインチキ臭い本になると思いますよ。
話は変わって、先日妻の足のヒーリングをしていた時に思ったことを記録ついでに書いておきます。
妻が庭のシイタケを収穫しに行ったところ、足を痛めたのだとか。
なので、妻が風呂に入っている間にメタミュージックの「アセンション」聞きながら妻の足へと意識を向けて、オーラを見るつもり(見えませんがつもり、です)になってみると、足のそこの部分だけ、オーラが反転していたのです。
つまり、内側と外側が入れ変っている感じ。
私の見え方は、外側に「カラ」のような緑色やらいろいろな色の膜があって、その内側にすこし暗い感じの何かがある感じに見えるのですが。内側にあるリンゴゼリーの外側を、薄くメロンゼリーで包んでいる2層ゼリーのような、そんなイメージですね。
内側に外側のカラが入り込んでいる感じ。
そこで来た情報は、「次元が入れ替わっているのではないか?」という事。
ここからの説明は、私もまだ確実に思ってないのでただ書き連ねているだけですので分かり難いかもしれませんが、まあ、流して雰囲気だけ感じていただければと。
三次元からボールが4次元に行くと、裏表が入れ替わることができる、というような話を森田さんの本で読んだ事あります。最近の小説「神のなせる技なり」にもそういう話書いてありましたね。
それがオーラ的に起こっているのが、実は体の不調や事故の原因ではないのか?
というもの。
オーラが次元上昇し、そこで反転して表と裏が入れ替わる、そういう現象が起こっているとき、現実世界では足をぶつけるとか、足をくじくとか、事故に合うとか、そういう出来事に変換されてしまうのではないか?
もしくは、その足をぶつけるとかそういうキッカケでオーラに傷が入り、それが何らかの理由で次元上昇して戻ってきたときに反転する。
もしくは、足をぶつけたキッカケで、次元上昇していたオーラが反転してしまう。
このあたり、説明がしにくいのですが。
向こうの世界が原因で、こちらの世界にはその結果が現れている。
ならば、向こうの世界でのその反転が起こりそうなところを修正すればいいのではないのか?
という考えになったりして。
オーラが仮に3次元にあるとして、でもオーラ自体は次元を超越して存在しているとして。
オーラの位置を4次元に移行した際に、現実世界でなんらかのアクシデントが起こってオーラが反転して戻ってくるのか、基本的に反転したからオーラに影響が出るのか。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
そういう話にもなりそうで。
<仮説?>
オーラが意識として一つ次元を上がっている時に、人間の意識がそこでインパクトを与えてしまう。たとえば強いネガティブもしくはポジティブな。陰とか陽でもいいですが。
その時にオーラに強い意識の波動によって傷ができる。
そして、その勢いで回転して戻ってきた場合、オーラが反転し、その現象として現実世界では事故として現れる。
ならば、その強い意識のインパクトを与えないようにすればいいのか?
もしくは回転を与えるような意識の持っていき方をしなければいいのか?
うーむ、説明しにくい。
概念は頭の中で動くのですが、それを表現するのが難しいですね。
とりあえず、妻のヒーリングでちょっと面白い事を発見したと、そういう感じですね。
「何言ってんだ?こいつ。」
と思われそうですが、とりあえず物事が起こる場合、目の前にある事象のみで判断できないのではないか?という事を考えているだけの事ですので。
膨大なネットワークのごく一部がここに現れている。そういう感覚ですね。
奥様の足大丈夫でしょうか…
オーラの反転、どっちが先なんでしょうかね。影響を与えるのは肉体だけなのでしょうか。神経系統に影響を与えて、バランスを崩したとかだったら怖いです。私が神経痛もちなもので…(汗)
「奇跡のリンゴ」ならぬ「奇跡のMINI」ですね!ちょっと真似できませんが笑
前からガイドさんに聞いてもらえたらと思ってたことがありまして、(自分で聞けばいいですが、答えが聞けていません)それは、自分が悩んでいたり苦しかったりする時にヘミシンクとかすると、自分の周波数が重くて、上に行けず、ガイドとつながれず、逆にその下の何かとつながったり、重い周波数とリンクしやすい所にいっちゃたりしないかしらと思ったりします。その結果現実でなお嫌な事があったりしないかしら?
何でも無い時は、ヘミシンクしても体脱しても、あぶない信念体系領域へ行けるような腕がないので、まわりには自分のガイドしかいないので全く心配ないと考えてますが、心配事があったりしてるときはどうかなあ?ひかえた方がいいかなあ?と思ったりして、その辺、圭さんのガイドさんならなんて答えられるんでしょうね。
(ヘミしたいけどちょっとブルーなブーでした)
偶然か必然か?今日我が家にもあるものが届きました。成る程なぁ、こうやって陰陽バランスはとれるんじゃん!と思いました。
かなりショックだったようで、大きな溜息を四回、大好きな納豆を混ぜ混ぜしながら、ぶつぶつ独り言を言ってましたが、何だか納豆ご飯も喉の通りが悪いみたい。
まるさんの車は白と黒のツートンカラー?結構目立ちそうですね。よかったら写真見せて下さいね。
オーラの反転・・ですか・・?
おらには分からね~(って ダジャレかい?)
「タマゴが先か、ニワトリが先か」とは、事故が起きたからオーラが反転したのか、はたまた、何らかの理由でオーラが反転したから事故が起きたのかという事でしょうか。
そこのところは、今後の課題でしょうか。
いずれにせよ、凄い発見ですね\(◎o◎)/!
突きつめれば、何らかの真理が つかめるかもですね。
BMWミニ 買いましたか。
いずれ、圭さんのBMWミニ 道で見かけることもあるのでしょうね。
私の感じる事故や怪我というのは…引き寄せ または 引き合い(磁石のような)が多いように思います。
怪我を例にすると…怪我する前の肉体エネルギー状態がSとして 怪我した現場のエネルギー状態や次元の歪みに あたる状態 N に Sが引き寄せられ ゼロの状態 いわゆる怪我という形でNのエネルギー場が正常な状態に戻ったと…。
自殺の名所や大事故の現場なんかも そんな感じで 歪んだエネルギー場が極小から極大までありますね。
ただ…これも一つの視点でしかなく、事故や怪我だけでなく 天災に至るまで人間の想像を超えた緻密な意図も あったりしますね。
私は、父の遺産相続で、今住んでいる家を出なければいけないようです。
これから、家を探さなければ、その時はまるの日さんの、家探しを参考にして、ガイドさんと、相談しながら探したいと思います。
良いところが、見つかりますように。
お二人の関係はとても理想だと思います。お互いに高め合っていった方がより多くのものを引き寄せてくれますね。とても嬉しく感じます?。良い意味でのライバルですね。私はまるさんのブログでムンクさんの本に出会えましたし、やっぱ私幸せだなぁと思えます。お二人の活躍とご発展を心から願っています。まるさんのDVDが購入できたら、森健さんDVDを見たときよりも倍以上の感動かも。何たって二人一緒ですからエネルギーも大きいですよ。