夜行バスを利用して足かけ4日の帰省。
実はN潟から帰ってきて
夜中に頭痛発作がおきてフラフラ状態からの
復活~!!という強行軍でした。
しかし着いてからは体調が持ち直したので
電球替えや水回りやレンジまわりなど
お掃除がはかどりました。
年明け早々、マンションの排水口洗浄があるということ。
電話ではくわしい日時などがあやふやで
事情がよくわからなかったのですが、
12月の指定日にできなかったので
再度1月に行うというお知らせが届いていました。
お知らせの内容は私には理解できますが、
母にはわかりにくかったようです。
届いていた広報もチェックしましたが、
〇〇するにはどこどこの窓口まで・・
というような細かい情報はお年寄りには
わかりにくいですよね。
母目線でいろんな書類をみてみると
わかりにくいったらありゃしない!!
いやはや高齢化社会を生き抜くのは
大変なことですね。
広報にのっていたコミュニティーセンターを
確認してみたり、ある業者さんの家事サポートの
話をしてみたりいろいろと提案してみました。
あまり乗り気ではなさそうでしたが
離れている私はちょっとした情報を耳に入れて
あげることしかできないかなあ。
2~3カ月に一度くらいのペースで応援にいけば
今のところは大丈夫かしら。
昨年の交通事故は母にとっても弟たちにとっても
大きな出来事でしたが、そのおかげで私も
母に目が向くようになったのでよかったのかなあと
思います。そうでなければ、なんとかやってるだろうと
なかなかK知に足が向かなかったでしょうね。
冷蔵庫の溜め込んであった食材を処分したり
料理して食べたり・・・
そればかりではさびしいので
ちかくのカフェのランチもいただきました。
母ひとりでは入らないだろうという
おしゃれなお店でしたが、女性向けランチは
優しい味でペロリといただきました。
帰る前にたまたま母の年賀状をみて
電話をくださった方と話をしました。
私が3.4歳くらいの時にかわいがってくださっていた
当時女子大生(今は70歳)の方です。
「Mちゃんは目がくりくりしてとっても可愛かったのよ。」
私にもそんなときがあったんだなあ。
「先生(父)がとっても優しい目をして頭を撫でていた姿を
今でもはっきりと思い出すわ。」
おぼろげな記憶しかないけれど
小さい頃にいろんな方に可愛がってもらうというのは
大切なことなんでしょうね。
話をうかがっているだけで幸せな気分になりました。
お世話になりました☆
母が日にちや曜日をどうやって確認しているのか
気になってましたが、
「携帯をみてるよ」とのこと。
なるほど新聞をとってないと携帯がたよりなんですね。
お正月は弟家族がお寿司パーティーを開いてくれたり
姪の成人式の着物姿を楽しませてもらったとか。
私は『遠距離ヘルパーさん』としてたまに通いながら
これからも母の昔話につきあいたいと思います。
(高知みやげ)