まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

映画 『神様のカルテ』

2012-08-24 12:11:25 | 生老病死の倫理学

先日、『神様のカルテ』 の小説を読みましたが、

映画もすでに昨年公開されていたと知って、DVDを借りてみました。

原作の小説があってそれが映画化されたという場合、

小説を読んだあとに映画を見ると十中八九失望するという法則があります。

ごくまれに上手く映画化したなあと感心させられることがないわけではありませんが、

(記憶に残ってるのだとハリー・ポッターの第一作くらいかな)

それもやはり 「上手く映画化したなあ」 止まりであって、

まあ映画が原作小説を超えるなんてまずムリだろうと思っています。

また、映画化する際に原作を忠実に再現しようとする場合と、

(その場合も普通の小説を2時間の尺に収めるのは至難の業なので若干の省略は否めません)

けっこう大胆に手を入れてしまい、原作とは別の作品に仕上げる場合とがあります。

『神様のカルテ』 は、大胆にというほどではありませんでしたが、

細かいところでいろいろと設定やストーリーが変更されていました。

そのせいでしょうか、なかなかよく映画化されていたとは思いますが、

原作がもっていた空気感とはだいぶ雰囲気の異なる作品に仕上がっていました。

やはり、興味のある方には先に映画を見、そのあとで小説を読むことをオススメします。

そうするとどちらの世界も楽しむことができるのではないでしょうか。

私として違和感が残った点はいくつかありましたが、

まずは、主人公夫婦の住むアパートが格安のボロアパートであるというところが、

あまり映画ではきちんと再現されておらず、けっこうキレイそうに見えたのが残念でした。

そのボロアパートで2人が出会い、結婚後もそこに住み続けることにした経緯も、

映画では全部省略されていてもったいない感じがしました。

男爵に最後まで絵を描かせないという変更も解せません。

やはりあの桜は男爵が描いてこそ意味があるのではないでしょうか。

せっかく原田泰造が男爵を好演していたので、よけいにもったいない感じがしました。

逆になるほどなと思ったのは、先日のブログで、小説を最後まで読んでも、

タイトルの 「神様のカルテ」 が何を意味しているのかわからなかったと書きましたが、

映画ではその説明が付け加えられていて、そこはちょっとすっきりしました。

ただし、原作者が本当にそういう意味であのタイトルを考えたのかは疑問です。

これでもけっこうネタバレ気味なのですが、小説も映画も知らない人はなんのことかわからず、

イライラが募っていることでしょう。

ぜひまずは映画を見、それから小説を読んでいただければと思います。

私は 『神様のカルテ2』 を読み始めてしまいました。

こちらも近々ご報告できればと思います。