奈良の旅の2日目です。今日も良い天気に恵まれてかなり暑くなりそうです。今日の行程は次のようなコースで走りました。
平城宮跡(朱雀門・大極殿)→唐招提寺→薬師寺→春日大社→興福寺→帰路につく
最後の訪問地の興福寺を午後3時過ぎに出発して、天理のインターから名阪国道へ入り途中事故にも渋滞にも遭うことなく順調に走り、東名阪道経由で自宅に帰宅したのが午後6時頃でした。二日間の旅で運転と見物で疲れましたが、満足した旅でした。
平城宮跡
平城宮跡の石碑と朱雀門です。朱雀門は平城宮の正門でここから大極殿までの間は朱雀
大路が通っていました。この朱雀門は平成10年に復元されたものです。
朱雀門全景
大極殿は宮殿の中でも最も重要な建物で、即位の儀式や元日の朝賀には天皇の玉座である
「高御座(たかみくら)」がおかれました。この大極殿は平成13年から9年の歳月をかけ[平城
遷都1300年]の平成22年に完成しました。
唐招提寺
唐招提寺は奈良時代天平宝字3(795)年、平城京の右京、鑑真和上が新田部親王の旧地を
賜って創建された私寺から始まります。講堂など諸堂が整えられ、伽藍の中心である金堂は和上
が遷化(763年)した後、如宝の時代に完成しました。これまで数回の大修理を受けましたが平成
の大修理が10年間かけて行われ、創建1250年にあたる平成21(2000)年秋に国宝金堂平成
大修理の落慶法要が行われました。
金堂の威容
鑑真和上の墓
境内の苔むした庭
薬師寺金堂
薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、さらに文武天皇
の時代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成をみました。その後、平城遷都(710年)に伴い現在
地に移されたものです。爾来1300年を経、この間幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528年)
の兵火では東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願され、失われた堂塔の復興を薬師
寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊さらには平成15年3月に大講堂が
復興され、白鳳伽藍が甦りました。
西塔
ゆく秋の 大和の国の薬師寺の とうの上なる ひとひらの雲
佐々木信綱
修復中の東塔
大講堂
春日大社
春日大社は710年(和銅3年)に奈良に都が移されると、藤原不比等が神代に功績のあった
また同氏が氏神として崇める常陸鹿島神宮の{たけみちづちのみこと」を都の東方、春日御蓋山
(みかさやま)の頂上浮雲峰(うきぐものみね)に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが始りと
されています。
寄進された灯籠はおびただしく、春日の万灯籠と称されている。2月の節分と8月14、15日に
火がともされる。
興福寺(東金堂)
興福寺は法相宗の大本山。その前身は飛の厩坂寺でありさらにさかのぼると天智朝の山階寺
が起源となります。平城遷都(和銅3年・710年)の際、藤原不比等によって移され、「興福寺」
名付けられました。
五重塔
南円堂
猿沢の池
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