今回は選挙の話しです。「政治には金が掛かる」とは、「選挙に金が掛かる」と同義語です。 昔の政治家は超高級料亭や高級ホテルで密会していましたが、その費用は選挙の費用と比較したら大した額では無かったと思います。
【ボランティアの選挙運動をやってみませんか!】
リタイアされた方には、ボランティアでの選挙運動をお勧めします。 足腰が丈夫でしたら仕事は沢山有りますから、参加させてもらえます。特に、車を持っていたら大歓迎されるでしょう。 日本の選挙の問題点だけで無く、政治家の問題についても勉強出来ます。
私は2009年7月の衆議院選挙で、民主党候補の選挙運動に参加しました。(この選挙で民主党政権が誕生しました。) 私は”手弁当”で参加したいと考えたので、最初に五万円政治献金しました。 (ちゃんと領収書を頂きました。) この時の話しは、本稿の最後に書きます。
選挙運動に参加して、若い人達に参加してもらえる様な選挙運動にする必要が有ると痛感しました。選挙は、春休み/夏休み/冬休みに行う事にして、インターネットを活用する等したら、選挙が盛り上がり、投票率が高くなると思います。
【選挙と法律】
公職の選挙については、1948年(昭和23年)に制定されたと政治資金規正法・1950年の『公職選挙法』に従って行わなければなりません。選挙で、やってはいけない事が細かく規定されたいる、先進国では珍しい法律の様です。 この法律は総務省の所轄だと思いますが、衆議院のホームページで『公職選挙法』で検索すると全文が読めます 選挙運動の規定の解説は『総務省❘現行の選挙運動の規制』で検索して下さい。
公職選挙法の精神は「金を掛けない選挙をしなさい!運動は原則として無償のボランティアを集めてやって下さい。ウグイス嬢、手話通訳者や事務員には規定の給料を払って良いが、届が必要だ!」 法律に従った選挙をしたら、昔から(1950年から)そんなにお金は掛かりません。然し、現実には違法な事が半ば公然と行われてきたので、昔はトンデモナイ金が必要だったのです。
時々問題になるウグイス嬢の給料は公職選挙法施行令の第129条「実費弁償及び報酬の額の基準等」に規定されています。 衆議院選挙の場合は、ウグイス嬢は連続12日間、朝8時から夜8時(12時間)働いて、最大で18万円しか貰えません。声が綺麗で、まあまあの美貌で若い女性を、こんな金額で雇えと言う法律が間違っています。 いっそのこと、「シルバーセンターに依頼しなければならない」と施行令に書くべきです。
① 公職選挙法&公職選挙法施行令
② 政治資金規正法&政治資金規正法施行令
【政治家への国からの補助】
国会議員の受ける恩恵を以下に整理して見ました。落選して次の選挙を目指している政治家と比べると、国は現職議員に沢山お金を与えています。然し、野党議員でも地元に事務所を持っており、公設秘書以外の事務員を抱えているので、政治献金が必要です。政治力の無い議員は、自分の歳費を回す必要があります。
私の独断と偏見ですが、有力議員の秘書は多忙で、秘書は三人では足りない様ですが、陳情者が殆ど来ない議員に三人も公設秘書が必要か?疑問に思います。
国会議員の年金は2006年に、地方議会議員の年金は2011年に廃止されました。従って、現在・議員は国民年金に入る事になります。 老後を考えると、議員のうちに蓄財する必要が有ります。(地方議員の中で御用組合出身者は、会社の社員として厚生年金に加盟している人もいる様です?)
① 東京事務所 :衆・参議員会館 ;100m2 無料
② 地元事務所 :議員の自己負担
③ 東京の宿舎 :格安マンション ;3LDK(82m2)で8.4万円
④ 秘書 :国費で三人の秘書が雇える(政策担当秘書、第一秘書、第二秘書)
⑤ 旅費 :JRと飛行機の切符が国から貰える。
⑥ 文書通信交通滞在費 :100万円/月
【選挙の仕事】
選挙には多種雑多な仕事が有ります。給料を払って良い仕事と、無給(ボランティア)の仕事が有ります。費用対効果の観点で法律を見直す時期ではないかと思います。例えば、ハガキやポスティングの廃止。 関西大学の三浦麻子教授は、「選挙カーは効果が有る」と報告していますが、顔と名前で投票するのは止めませんか!
❶ 出納責任者
❷ 選挙事務所の責任者 :仕事の分担、演説場所の決定
① ウグイス嬢 :有給
② 選挙カーの運転手 :有給
③ 手話通訳者 :有給
④ 事務員 :有給
⑤ 応援演説者
⑥ 電話掛け
⑦ ビラ配り
⑧ ハガキの宛名書き :衆議院選挙では35,000枚以下
⑨ ポスター貼り :有給
⑩ ポスティング
⑪ 街頭演説の準備/場所取り
⑫ 個人演説会の会場設定 :椅子を並べるなど
⑬ 昼食や飲み物の手配
【党員とボランティア運動員】
前述の様に、選挙には色々な仕事が有るので、運動員が沢山必要です。然し、法律では一部の仕事を除いて無給(ボランティア)でやる事になっています。「候補者の後援会員と党員を動員して選挙しなさい」と言うのが法律の建前です。
ウイキペディアで調べた近年の党員数を下に整理しました。公明党と共産党は全国で戦える党員数です。自由民主党の党員数は、ずば抜けて多いいですが、「汗水たらして選挙運動をする党員は極めて少ないのでは?」と推察します。「金持ちは喧嘩も、選挙運動もしない」のでしょう?!
立憲民主党と国民民主党は党員数が少ないので、連合の支援が得られ無ければ選挙運動は難しいと思います。同じ選挙区に立憲民主党と国民民主党が、それぞれ候補者を立てたらどうなるか?連合がどちらを支援するか?興味深いです。
日本維新の会は、歴史が浅く、党員も少なく、労働組合と財界(企業)の支援が殆ど無いと思われるのに、国政選挙を戦っている事に感服します。多分、党員で無い支持者達が選挙運動に参加しているのでしょう!
★ 自由民主党 :約107万人
★ 公明党 :約47万人
★ 日本共産党 :約28万人
★ 立憲民主党 :約6万人
★ 国民民主党 :約8万人
★ 社会民主党 :約1.5万人
★ 日本維新の会 :約2万人 ;衆議院=10名、参議院=16名
(余談 :自由民主党と選挙の方法) 私が見聞きした範囲から判断すると、自民党議員の選挙運動を熱心にやるのは、公明党の中年の婦人達の様です。自民党は党員を増やす運動をしていますが、”しんどい”選挙運動に参加して貰えない党員の数を増やしても問題は解決しません。大昔は手弁当で応援する旦那衆達が沢山いましたが、すでに絶滅しています。
自民党は、党員組織の弱点/力を分析して、従来の人手の掛かる/騒々しい選挙方法を変えないと、法律違反で逮捕される議員は今後ますます増加する様に思われます。自民党にとっては、欧米先進国の選挙を参考にした、公職選挙法の改定が不可欠です。最近話題になっている河井夫妻は、「金で運動員を集める」と言う初歩的な法律違反をやった様です。党本部は、「地盤・看板・鞄」の無い候補者にどう戦えと指導しているのでしょか?
【昔の田舎の選挙運動】
私は山奥の村で育ちました。戦前に水力発電所が3か所建設されていましたが、電気は町に送っていて、村の個人の家に電気が引かれたのは、私が小学校に入学した1952年頃です。殆どの家は電力計無しの一灯契約(?)でした。居間に電灯用のコンセントを一つだけ設ける、定額料金制の契約です。ラジオを含め、家庭電気製品は何も無かったのです。
新聞を取っている家も殆ど有りませんでしたので、村の人達は「世の中のニュース」には疎(うと)かったのです。衆・参、知事と県会の選挙の時は、集落の人達が集まって、誰を応援するか? どの先生に集落の票を何票分けるか?等を相談して決めていました。
2月8日に書いた様に、当時・『買収請負人』が活躍しましたので、集落の決定通りにはなりませんでしたが、それで咎められる事は無かったです。 父は何時も開票立会人を務めていました。「誰が集落の決定に従わなかったか?分かる」と言っていましたが、「どうして分かるのか?」は教えてくれませんでした。
(余談) 家で寝込んでいた病人は、青年達が担架かリヤカーで運んで投票させました。 病人は久しぶりに、外の景色を楽しめて良かったのかも知れません。
【昔の故郷の村長選挙】
1965年頃、村に山林地主が二軒の残っていて、一軒は白浜の別荘で生活されていましたが、一軒(K氏)は村に住んでおられました。 村長選挙が近づくと、候補者達がK氏に支援をお願いしました。K氏は、自分の選んだ候補者に”ポント”選挙資金を提供したそうです。 私の父は、「K氏は金は出すが、口は出さない!」立派な方だと言っていました。
選挙運動は、村に残っていた青年達が中心になって、お祭り騒ぎの様にして(ボランティアで)やっていました。 公職選挙法で(既に)酒宴を設けるのは禁止されていましたが、選挙期間中は、何処かの家に集まって、毎晩の様に”どんちゃん騒ぎ”をしていました。当時、村には居酒屋は無かったと思います。
選挙が終わると、警察は落選した候補者と運動員を出頭させて、取り調べをしました。刑務所に入った人はいなかったと思います。安酒と裂きイカ程度では、”目くじらを立てる”程の金では無かったのです。 今から考えると、娯楽の少ない村の青年達にとっては、秋祭と同じほど楽しみな事だったと思います。 落選した人には痛手だったでしょうが、青年達が(自分達の楽しみの為に)、「野心の有る/裕福な人を煽てて立候補させたのは、民主主義を広める点で意味の有る事だった」と私は思います。 そうしなかったら、無投票当選になったでしょうから。
(余談) その後、国からの補助金で、各種道路(国道、県道、村道、農道、林道)の改修工事、簡易水道と簡易下水工事、学校の建替えなどが毎年の様に行われ、村長には『金の悪魔』が頻りに手を差し伸べて来るようになりました。村には、青年が少なくなってきた事も有って、お祭り騒ぎの様な村長選挙は無くなりました。
【明治生まれの人達が元気だった頃】
私の父は衆・参と知事選挙の時は、家に帰って来ませんでした。特に知事選挙の時は一か月ほど留守にしました。何処で何をしていたかは一切話しませんでしたが、選挙運動をしていたのは確かです。義理の父も、元気な頃は家業をホッタラカシテ選挙で走り回っていたそうです。旦那衆達は『損得抜き/魂胆無し』のボランティアでやったのです。
旦那衆達の活躍は段々と無くなりました。 逆に、日本は豊になって、土木工事が全国的に行われる様になりました。(土木工事が地方の重要な産業と言われる様になったのです。) 中小の土建会社が雨後の筍の様に設立されて、選挙運動に社員を派遣する様になりました。 私の従弟も土建会社を設立して、選挙に社員を出していました。勿論、土建会社は魂胆が有って、与党を応援したのです。 (企業が社命で従業員を選挙運動に参加させるのは、”違法”です。)
全国的に土木工事の予算が増えなくなり、衆議院が小選挙区制になった事も有って、土建会社が社員を選挙運動に派遣する悪習は少なくなってきたと思います。 (現在は無いと信じています。)
(余談) 先見の明の有る暴力団の親分達も、土建会社を設立する様になりました。親分は息の掛かった人間を市や町の議員にまでしました。そして、継続的に土建の仕事を獲得する様になりました。現在は大分少なくなって来た様ですが、私の知っている暴力団の会社は今でも存在しています。
【連合が支援する選挙】
初めに書いた様に、2009年の衆議院選挙で民主党候補者(D氏)の選挙運動に参加しました。その時に知った、差しさわりの無い話を書きます。
D氏は、国会議員で有る他にキリスト教の牧師で有り、福祉団体の理事でした。国会が休みの日曜日には地元に必ず帰って来られて、牧師を務められていました。地元事務所には女性秘書が一人勤務していて、パートの女性一人と、時々ですがパートの若い男性が一人いました。 私は、与党議員の事務所を少し知っていましたが、公示されるまではD氏の事務所に出入りする人は無く、全く違う静寂の世界でした。
私は、子供の頃は敬虔なカトリック教徒でしたので、牧師のD氏と宗教の話をしたかったのですが、水を向けても応じて貰えませんでした。 (本当に神を信じていたのか?少し疑問に思いました。)
D氏は市民運動家の様な方で、既に6回当選していましたが、経済、産業、教育、防衛・・・には興味が無かった様に見えました。政治のドロドロした面にも興味が無かったと思います。 市会議員が、「市役所職員の天下り問題を、こんなに改善した」と言う話をしても、全く聞いていなかったです。
D氏の後援会名簿を見せてもらいましたが、ビックリするほど会員が少なかったです。公示の少し前から、女性の会員(小母さん達)が、十人ほど事務所に出入りする様になりました。県会議員と市会議員から、後援会名簿が届けられました。 私は、やっと腕が振るえると思ったのですが、彼女達は躊躇い(ためらい)も無く、選挙ハガキの宛名書きを始めました。 法律で衆議院候補者の選挙ハガキは35,000枚以下と定められています。 私は、エクセルで名簿を作成して、『フィルター』機能を使って重複しない様にするつもりでした。 法定数を遥かに超える枚数の宛名書きが完了したら、真夜中に日本郵便の郵便区分機で町内毎に仕分けして、重複しているハガキを破棄しました。
公示直前に東京事務所の秘書・二人がやって来ました。 二人とも「選挙は自分の仕事では無い」と言う態度で、傲慢/無礼で、選挙は素人だと直ぐ分かりました。公示日から連合が選挙事務所に沢山の運動員を連日送り込んで来ました。連合の責任者が、運動員の仕事の分担を決めていました。 私は、12日間の選挙期間中に、朝から晩まで外を走り回っていて、事務所には朝と昼食時間にしか行きませんでしたが、連合の責任者が東京の秘書に「東京に帰れ!」と怒鳴っている所に遭遇しました。 そこにいた人達は、「よくぞ言ってくれた」と言う顔付でした。
(トラブル ①) 公営の選挙ポスター掲示板の見回りが必要でした。私がチェックしていた範囲でも、投票所の近くの掲示板でD氏のポスターだけが3枚剥がされていました。
(トラブル ②) 私は二人一組で、市会議員達が了解を取ってくれていた家のヘンス等にポスターを貼って回りました。 奥さんが、「主人から、ポスターを貼りに来ると聞いているのですが、町内に○○会の方がおられて、嫌がらせをされるので勘弁して下さい」と、何軒も断られました。
(感想) 連合が全面的にバックアップしてくれる候補者の場合は、現行法の枠内で選挙運動をする事は出来ると思います。但し、連合の集票力は衰えている様に見えます。
(余談) 公示日と翌日くらいは、マニフェストやチラシを強引に渡す状態でしたが、欲しい人が段々増えてきて、在庫が少なくなって来ました。欲しい人にだけに渡す事になりましたが、「もう・これだけしか残ってない! 明日からどうしようか?」と言っていたら、党本部から追加が届く様になりました。 一週間程して、週刊誌が「民主党が勝利する」と報じ、私も選挙事務所で「民主党の勝利は間違いない」と言いたのですが、周りの人達は半信半疑でした。 (D氏は7回目の当選を果たされました。)
【ボランティアの選挙運動をやってみませんか!】
リタイアされた方には、ボランティアでの選挙運動をお勧めします。 足腰が丈夫でしたら仕事は沢山有りますから、参加させてもらえます。特に、車を持っていたら大歓迎されるでしょう。 日本の選挙の問題点だけで無く、政治家の問題についても勉強出来ます。
私は2009年7月の衆議院選挙で、民主党候補の選挙運動に参加しました。(この選挙で民主党政権が誕生しました。) 私は”手弁当”で参加したいと考えたので、最初に五万円政治献金しました。 (ちゃんと領収書を頂きました。) この時の話しは、本稿の最後に書きます。
選挙運動に参加して、若い人達に参加してもらえる様な選挙運動にする必要が有ると痛感しました。選挙は、春休み/夏休み/冬休みに行う事にして、インターネットを活用する等したら、選挙が盛り上がり、投票率が高くなると思います。
【選挙と法律】
公職の選挙については、1948年(昭和23年)に制定されたと政治資金規正法・1950年の『公職選挙法』に従って行わなければなりません。選挙で、やってはいけない事が細かく規定されたいる、先進国では珍しい法律の様です。 この法律は総務省の所轄だと思いますが、衆議院のホームページで『公職選挙法』で検索すると全文が読めます 選挙運動の規定の解説は『総務省❘現行の選挙運動の規制』で検索して下さい。
公職選挙法の精神は「金を掛けない選挙をしなさい!運動は原則として無償のボランティアを集めてやって下さい。ウグイス嬢、手話通訳者や事務員には規定の給料を払って良いが、届が必要だ!」 法律に従った選挙をしたら、昔から(1950年から)そんなにお金は掛かりません。然し、現実には違法な事が半ば公然と行われてきたので、昔はトンデモナイ金が必要だったのです。
時々問題になるウグイス嬢の給料は公職選挙法施行令の第129条「実費弁償及び報酬の額の基準等」に規定されています。 衆議院選挙の場合は、ウグイス嬢は連続12日間、朝8時から夜8時(12時間)働いて、最大で18万円しか貰えません。声が綺麗で、まあまあの美貌で若い女性を、こんな金額で雇えと言う法律が間違っています。 いっそのこと、「シルバーセンターに依頼しなければならない」と施行令に書くべきです。
① 公職選挙法&公職選挙法施行令
② 政治資金規正法&政治資金規正法施行令
【政治家への国からの補助】
国会議員の受ける恩恵を以下に整理して見ました。落選して次の選挙を目指している政治家と比べると、国は現職議員に沢山お金を与えています。然し、野党議員でも地元に事務所を持っており、公設秘書以外の事務員を抱えているので、政治献金が必要です。政治力の無い議員は、自分の歳費を回す必要があります。
私の独断と偏見ですが、有力議員の秘書は多忙で、秘書は三人では足りない様ですが、陳情者が殆ど来ない議員に三人も公設秘書が必要か?疑問に思います。
国会議員の年金は2006年に、地方議会議員の年金は2011年に廃止されました。従って、現在・議員は国民年金に入る事になります。 老後を考えると、議員のうちに蓄財する必要が有ります。(地方議員の中で御用組合出身者は、会社の社員として厚生年金に加盟している人もいる様です?)
① 東京事務所 :衆・参議員会館 ;100m2 無料
② 地元事務所 :議員の自己負担
③ 東京の宿舎 :格安マンション ;3LDK(82m2)で8.4万円
④ 秘書 :国費で三人の秘書が雇える(政策担当秘書、第一秘書、第二秘書)
⑤ 旅費 :JRと飛行機の切符が国から貰える。
⑥ 文書通信交通滞在費 :100万円/月
【選挙の仕事】
選挙には多種雑多な仕事が有ります。給料を払って良い仕事と、無給(ボランティア)の仕事が有ります。費用対効果の観点で法律を見直す時期ではないかと思います。例えば、ハガキやポスティングの廃止。 関西大学の三浦麻子教授は、「選挙カーは効果が有る」と報告していますが、顔と名前で投票するのは止めませんか!
❶ 出納責任者
❷ 選挙事務所の責任者 :仕事の分担、演説場所の決定
① ウグイス嬢 :有給
② 選挙カーの運転手 :有給
③ 手話通訳者 :有給
④ 事務員 :有給
⑤ 応援演説者
⑥ 電話掛け
⑦ ビラ配り
⑧ ハガキの宛名書き :衆議院選挙では35,000枚以下
⑨ ポスター貼り :有給
⑩ ポスティング
⑪ 街頭演説の準備/場所取り
⑫ 個人演説会の会場設定 :椅子を並べるなど
⑬ 昼食や飲み物の手配
【党員とボランティア運動員】
前述の様に、選挙には色々な仕事が有るので、運動員が沢山必要です。然し、法律では一部の仕事を除いて無給(ボランティア)でやる事になっています。「候補者の後援会員と党員を動員して選挙しなさい」と言うのが法律の建前です。
ウイキペディアで調べた近年の党員数を下に整理しました。公明党と共産党は全国で戦える党員数です。自由民主党の党員数は、ずば抜けて多いいですが、「汗水たらして選挙運動をする党員は極めて少ないのでは?」と推察します。「金持ちは喧嘩も、選挙運動もしない」のでしょう?!
立憲民主党と国民民主党は党員数が少ないので、連合の支援が得られ無ければ選挙運動は難しいと思います。同じ選挙区に立憲民主党と国民民主党が、それぞれ候補者を立てたらどうなるか?連合がどちらを支援するか?興味深いです。
日本維新の会は、歴史が浅く、党員も少なく、労働組合と財界(企業)の支援が殆ど無いと思われるのに、国政選挙を戦っている事に感服します。多分、党員で無い支持者達が選挙運動に参加しているのでしょう!
★ 自由民主党 :約107万人
★ 公明党 :約47万人
★ 日本共産党 :約28万人
★ 立憲民主党 :約6万人
★ 国民民主党 :約8万人
★ 社会民主党 :約1.5万人
★ 日本維新の会 :約2万人 ;衆議院=10名、参議院=16名
(余談 :自由民主党と選挙の方法) 私が見聞きした範囲から判断すると、自民党議員の選挙運動を熱心にやるのは、公明党の中年の婦人達の様です。自民党は党員を増やす運動をしていますが、”しんどい”選挙運動に参加して貰えない党員の数を増やしても問題は解決しません。大昔は手弁当で応援する旦那衆達が沢山いましたが、すでに絶滅しています。
自民党は、党員組織の弱点/力を分析して、従来の人手の掛かる/騒々しい選挙方法を変えないと、法律違反で逮捕される議員は今後ますます増加する様に思われます。自民党にとっては、欧米先進国の選挙を参考にした、公職選挙法の改定が不可欠です。最近話題になっている河井夫妻は、「金で運動員を集める」と言う初歩的な法律違反をやった様です。党本部は、「地盤・看板・鞄」の無い候補者にどう戦えと指導しているのでしょか?
【昔の田舎の選挙運動】
私は山奥の村で育ちました。戦前に水力発電所が3か所建設されていましたが、電気は町に送っていて、村の個人の家に電気が引かれたのは、私が小学校に入学した1952年頃です。殆どの家は電力計無しの一灯契約(?)でした。居間に電灯用のコンセントを一つだけ設ける、定額料金制の契約です。ラジオを含め、家庭電気製品は何も無かったのです。
新聞を取っている家も殆ど有りませんでしたので、村の人達は「世の中のニュース」には疎(うと)かったのです。衆・参、知事と県会の選挙の時は、集落の人達が集まって、誰を応援するか? どの先生に集落の票を何票分けるか?等を相談して決めていました。
2月8日に書いた様に、当時・『買収請負人』が活躍しましたので、集落の決定通りにはなりませんでしたが、それで咎められる事は無かったです。 父は何時も開票立会人を務めていました。「誰が集落の決定に従わなかったか?分かる」と言っていましたが、「どうして分かるのか?」は教えてくれませんでした。
(余談) 家で寝込んでいた病人は、青年達が担架かリヤカーで運んで投票させました。 病人は久しぶりに、外の景色を楽しめて良かったのかも知れません。
【昔の故郷の村長選挙】
1965年頃、村に山林地主が二軒の残っていて、一軒は白浜の別荘で生活されていましたが、一軒(K氏)は村に住んでおられました。 村長選挙が近づくと、候補者達がK氏に支援をお願いしました。K氏は、自分の選んだ候補者に”ポント”選挙資金を提供したそうです。 私の父は、「K氏は金は出すが、口は出さない!」立派な方だと言っていました。
選挙運動は、村に残っていた青年達が中心になって、お祭り騒ぎの様にして(ボランティアで)やっていました。 公職選挙法で(既に)酒宴を設けるのは禁止されていましたが、選挙期間中は、何処かの家に集まって、毎晩の様に”どんちゃん騒ぎ”をしていました。当時、村には居酒屋は無かったと思います。
選挙が終わると、警察は落選した候補者と運動員を出頭させて、取り調べをしました。刑務所に入った人はいなかったと思います。安酒と裂きイカ程度では、”目くじらを立てる”程の金では無かったのです。 今から考えると、娯楽の少ない村の青年達にとっては、秋祭と同じほど楽しみな事だったと思います。 落選した人には痛手だったでしょうが、青年達が(自分達の楽しみの為に)、「野心の有る/裕福な人を煽てて立候補させたのは、民主主義を広める点で意味の有る事だった」と私は思います。 そうしなかったら、無投票当選になったでしょうから。
(余談) その後、国からの補助金で、各種道路(国道、県道、村道、農道、林道)の改修工事、簡易水道と簡易下水工事、学校の建替えなどが毎年の様に行われ、村長には『金の悪魔』が頻りに手を差し伸べて来るようになりました。村には、青年が少なくなってきた事も有って、お祭り騒ぎの様な村長選挙は無くなりました。
【明治生まれの人達が元気だった頃】
私の父は衆・参と知事選挙の時は、家に帰って来ませんでした。特に知事選挙の時は一か月ほど留守にしました。何処で何をしていたかは一切話しませんでしたが、選挙運動をしていたのは確かです。義理の父も、元気な頃は家業をホッタラカシテ選挙で走り回っていたそうです。旦那衆達は『損得抜き/魂胆無し』のボランティアでやったのです。
旦那衆達の活躍は段々と無くなりました。 逆に、日本は豊になって、土木工事が全国的に行われる様になりました。(土木工事が地方の重要な産業と言われる様になったのです。) 中小の土建会社が雨後の筍の様に設立されて、選挙運動に社員を派遣する様になりました。 私の従弟も土建会社を設立して、選挙に社員を出していました。勿論、土建会社は魂胆が有って、与党を応援したのです。 (企業が社命で従業員を選挙運動に参加させるのは、”違法”です。)
全国的に土木工事の予算が増えなくなり、衆議院が小選挙区制になった事も有って、土建会社が社員を選挙運動に派遣する悪習は少なくなってきたと思います。 (現在は無いと信じています。)
(余談) 先見の明の有る暴力団の親分達も、土建会社を設立する様になりました。親分は息の掛かった人間を市や町の議員にまでしました。そして、継続的に土建の仕事を獲得する様になりました。現在は大分少なくなって来た様ですが、私の知っている暴力団の会社は今でも存在しています。
【連合が支援する選挙】
初めに書いた様に、2009年の衆議院選挙で民主党候補者(D氏)の選挙運動に参加しました。その時に知った、差しさわりの無い話を書きます。
D氏は、国会議員で有る他にキリスト教の牧師で有り、福祉団体の理事でした。国会が休みの日曜日には地元に必ず帰って来られて、牧師を務められていました。地元事務所には女性秘書が一人勤務していて、パートの女性一人と、時々ですがパートの若い男性が一人いました。 私は、与党議員の事務所を少し知っていましたが、公示されるまではD氏の事務所に出入りする人は無く、全く違う静寂の世界でした。
私は、子供の頃は敬虔なカトリック教徒でしたので、牧師のD氏と宗教の話をしたかったのですが、水を向けても応じて貰えませんでした。 (本当に神を信じていたのか?少し疑問に思いました。)
D氏は市民運動家の様な方で、既に6回当選していましたが、経済、産業、教育、防衛・・・には興味が無かった様に見えました。政治のドロドロした面にも興味が無かったと思います。 市会議員が、「市役所職員の天下り問題を、こんなに改善した」と言う話をしても、全く聞いていなかったです。
D氏の後援会名簿を見せてもらいましたが、ビックリするほど会員が少なかったです。公示の少し前から、女性の会員(小母さん達)が、十人ほど事務所に出入りする様になりました。県会議員と市会議員から、後援会名簿が届けられました。 私は、やっと腕が振るえると思ったのですが、彼女達は躊躇い(ためらい)も無く、選挙ハガキの宛名書きを始めました。 法律で衆議院候補者の選挙ハガキは35,000枚以下と定められています。 私は、エクセルで名簿を作成して、『フィルター』機能を使って重複しない様にするつもりでした。 法定数を遥かに超える枚数の宛名書きが完了したら、真夜中に日本郵便の郵便区分機で町内毎に仕分けして、重複しているハガキを破棄しました。
公示直前に東京事務所の秘書・二人がやって来ました。 二人とも「選挙は自分の仕事では無い」と言う態度で、傲慢/無礼で、選挙は素人だと直ぐ分かりました。公示日から連合が選挙事務所に沢山の運動員を連日送り込んで来ました。連合の責任者が、運動員の仕事の分担を決めていました。 私は、12日間の選挙期間中に、朝から晩まで外を走り回っていて、事務所には朝と昼食時間にしか行きませんでしたが、連合の責任者が東京の秘書に「東京に帰れ!」と怒鳴っている所に遭遇しました。 そこにいた人達は、「よくぞ言ってくれた」と言う顔付でした。
(トラブル ①) 公営の選挙ポスター掲示板の見回りが必要でした。私がチェックしていた範囲でも、投票所の近くの掲示板でD氏のポスターだけが3枚剥がされていました。
(トラブル ②) 私は二人一組で、市会議員達が了解を取ってくれていた家のヘンス等にポスターを貼って回りました。 奥さんが、「主人から、ポスターを貼りに来ると聞いているのですが、町内に○○会の方がおられて、嫌がらせをされるので勘弁して下さい」と、何軒も断られました。
(感想) 連合が全面的にバックアップしてくれる候補者の場合は、現行法の枠内で選挙運動をする事は出来ると思います。但し、連合の集票力は衰えている様に見えます。
(余談) 公示日と翌日くらいは、マニフェストやチラシを強引に渡す状態でしたが、欲しい人が段々増えてきて、在庫が少なくなって来ました。欲しい人にだけに渡す事になりましたが、「もう・これだけしか残ってない! 明日からどうしようか?」と言っていたら、党本部から追加が届く様になりました。 一週間程して、週刊誌が「民主党が勝利する」と報じ、私も選挙事務所で「民主党の勝利は間違いない」と言いたのですが、周りの人達は半信半疑でした。 (D氏は7回目の当選を果たされました。)