これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

ファーウェイの問題 (その2)

2019-01-19 11:12:11 | 中国
 今回は、中華人民共和国(中国)が建国以来行ってきた、少数民族に対する圧政の歴史です。 中国共産党の本性を見抜く事が出来ます。
 中国は、「そんな非人道的な事はやらないだろう」と思う事を、堂々とやってしまいます。 何故、そんな事をするのか? 他国を植民地化する時代の考え方が、現在も残っているからだと私には思えます。

【清朝の崩壊とその後】
 どんどん弱体化していった清朝では、1911年に孫文達が辛亥革命を起こしました。 1912年の元旦に、孫文は南京に中華民国の建国を宣言し、初代臨時大総統に就任しました。 清朝の総理大臣であった袁世凱が、清朝から平和的に統治権を継承し、孫文達の了解も得て中華民国の大総統になりました。 これによって清朝は崩壊したのです。(孫文は1925年に亡くなりました。)

 その後、袁世凱は帝政の復活を企て中華帝国(1915年~16年)の皇帝になりました。 袁世凱の死(1916年)から、蒋介石達の中華民国、毛沢東達の紅軍、日本軍、三つ巴への戦争が続きました。 1945年に日本が敗戦した頃は、中華民国の方が優勢でしたが、紅軍に敗れて1949年に台湾に逃げました。

 中国は、清朝の領土であった台湾とモンゴール国以外の地を全て治める事に成功しました。台湾は、今でも中国の領土であると主張していますが、モンゴール国についたは現在は友好関係を維持しています。 1991年にソビエトが崩壊しました。 1992年に5万人以上駐留していたロシア軍がモンゴール国から撤退しており、モンゴール軍の兵力は僅かに1.5万人ほどで、装備は旧式で空軍を持っていません。 中国が、簡単に併合出来る状況になっています。

 モンゴール国で、将来多量の地下資源が確認される様な事になると、中国は国際世論など気にする事無く、併合してしまうと私は予想しています。

【内モンゴル自治区】
 モンゴール国の南東の地域が中国領の内モンゴールです。 面積は、日本の3倍以上も有りますが、人口は2,600万人(2017年)ほどしか有りません。

 モンゴール国も内モンゴールも清朝の領土でした。 1924年に、現在のモンゴール国はソビエトの支援を得て清国から独立していました。 当時も、モンゴール人の数は、内モンゴールの方が多かった様です。

 内モンゴールは、共産中国が建国される前年(1947年)に共産党の支配下に入りました。 1947年当時は、モンゴール人が放牧で暮らす豊かな地域だったのです。 その後、中国では天災と農業政策の失敗で、餓死者が多数出る事態になりましたが、内モンゴールはまだ豊だった様です。

 1955年頃から漢民族を移住させる政策が実行されました。 移住した漢民族は、モンゴール人の放牧地を開墾して畑にしましたが、耕作には適さない土地が多く、目標の収穫が得られませんでした。 その為、中国政府はモンゴール人の税を高くし、移住した漢民族の支援に使ったのです。 モンゴール人の生活は厳しくなりました。 開墾や開発によって砂漠化が進んでいます

 1960年頃から中ソは対立する様になっていました。 1966年に文化大革命を起こした時、中国政府は内モンゴールで、「ソビエトが支援して独立運動を起こすのでは?」と懸念して、モンゴール人の弾圧・虐殺を始めました。 文化大革命が終わる1976年までに、モンゴール人が数十万人殺害されたと言われています。

 現在、内モンゴールの人口の79%は漢民族で、モンゴール人は17%(約440万人)に過ぎません。 もはや、漢民族の土地になっています。 (御参考:モンゴール国の人口は約300万人です。)

 内モンゴールには膨大な鉱物資源が眠っていました。 銅(世界の9%)、アルミ(世界の23%) 石炭 レアメタル、亜鉛、鉛、ニッケル等々。 これらの資源の採掘、精錬は既に大規模に行われていますが、利益は政府に収奪されて、モンゴール人は殆ど恩恵を受けていません。

【チッベット自治区】
 チッベットは高原地帯で、産業は農業と放牧が主です。 面積は、日本の3倍以上あり、人口は20%程です。 漢民族の移住政策は、今の所取っていないようで、90%以上がチベット族です。 誰でも知っている”エベレスト”はチベット自治区とネパールの国境に有り、中国では”チョモランマ”と呼んでいます。 チベットは”パンダ”の生息地でもあります。

 毛沢東は、1949年から59年に軍隊を派遣して、弱小国のチッベットを併合しました。

 共産化される前のチベットの農民は、農奴でした。 農奴を所有していた貴族達の抵抗運動も有った様ですが、中国が、1949年~76年に、チベット人を(西側の報道では)120万人以上虐殺しました。 その後も、チベット族への極めて非人道的な圧政は続いています。 なお、ダライ・ラマ14世は1959年にインドに亡命しました。

 不幸な事に、近年(1999年)チベットで大量の石油、天然ガスや鉱物資源の埋蔵が確認されたと中国政府が発表しています。 資源の採掘が進むにつれて、中国の圧政は更にエスカレートする恐れがあります。 中国共産党がチベットの独立を許すわけがありません。 「焼身自殺や反抗は辞めて、大人しく生きて下さい」と、貴方は言えますか? チベット人にとって平和に暮らす道は、中国共産党に従順になるしか無いと思われます。

(良からぬ余談) エベレストの雄大な姿にも興味がありますが、私は蜘蛛が風を利用してエベレストを超える等々の記事を追っかけていました。 チッベットの一部では、”一婦多夫制”だと言う記事を見付けました。 色々調べたら、江戸の長屋でも、一婦多夫制が有ったかも知れないそうです。 江戸は女性が少なかったうえに、高禄の武士や金持ちの旦那は二号さん、三号さんを囲っていましたから、貧しい男性は普通には結婚出来なかったかも!

【新疆ウイグル自治区】
 新疆ウイグル自治区と言うとピント来ませんが、シルクロード、トルファン、カシュガルと言ったら、どうですか? 面積は、日本の4倍以上も有りますが、人口は2,000万人ほどしか有りません。 グーグルアースで空の旅をして見て下さい。 畑が大規模に整備された幾何学模様や、鉄筋コンクリート造りの近代的な街並みが見られます。

 中央アジアの遊牧民族が、西の方に移動して唐の末期(900年より前)には現在の新疆ウイグル自治区に住むようになりました。 当時は、彼らはまだイスラム教では有りませんでした。 清朝になって、イスラム教の最大勢力である、スンニ派になった様です。

 中国に併合されたり、独立したり色々ありましたが、共産中国の建国後すぐに(1949年)、東トルキスタン共和国(ウイグル)を併合しました。 国民党に味方していた勢力を鎮圧するなどで、100万人以上のウイグル人を殺したと言われています。 1950年から漢民族を移住させる政策を始めました。 現在ではウイグル族と漢民族の人口は、ほとんど同じになっています。 移住して来た漢民族は、”虎の威を借りる狐”の様に、ウイグル族に酷いことをしていると言う報道も時々見られます。

 ウイグル族にとって最大の不幸は、油田とガス田が発見された事です。 その埋蔵量は、中国全体の約三分の一にもなり、政府直轄事業として開発されています。 ウイグル族は恩恵を受ける事が出来ません。

 ウイグル族の中には、独立運動をする人達も出て来ましたが、中国政府は”テロ”だと言って弾圧しています。 イスラム諸国は中国に石油を多量に買って貰ったりしており、ウイグル族に対する圧政には目をつぶっています。 習近平は、”再教育施設”と称する強制収容を多数建設して、共産党に従順になれと強制しています。

★★予告★★
 次回は、毛沢東の失政、粛清、夥しい餓死者の発生について書くつもりです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿