政治家や官僚への贈収賄だけで無く、民間の不正な金の問題について、私の経験と、私の考えを何回かに分けて書きます。「美しい国、日本」では無くて、私は「できるだけ清らかな日本」になって欲しいと考えています。
【IR汚職から考えたこと】
IR汚職の報道を読んで、私は新聞記者達と大分違った考え方をしている事に気付きました。少なくとも1990年までは百万円単位の金を政治家に渡すのは、極当たり前の様に行われていました。証拠が残らない様に、種々工夫されていた事も有って、百万円単位の贈収賄が報道される事は殆ど無かったのです。
衆議院を小選挙区制にしたり、政党助成金が出る様になったりして、政治家への闇献金は、段々・必要性が無くなってきました。秋元司氏はよく知らないのですが、下地幹郎先生に面識の無い人間が百万円持って行って、何かやって貰おうと考えるのは『虫の良すぎる話し』です。多分、金を渡した方は「情報が少し欲しかったか?電話一本して欲しかった」くらいだと私は思います。全国紙が大々的に取り上げる様な話では有りません。
昔の酷かった時代を知らない若手の新聞記者やテレビ記者が増えて来ている様に思われます。彼等に、「昔の酷い状況、その後どんなにして改善されたか?」を知って貰いたいと思います。 過去と現在を知らないと、未来への提言が出来ません。
贈収賄や金に関する不正は、人間・誰でも持っている”欲望”が原因です。不正を減らす努力は必要ですが、根絶することなど出来ません。三流の新聞や雑誌は読者が好きなゴシップ記事を漁っても良いですが、一流の記者達には枝葉末節に拘らない記事を報道して頂きたいです。 水清ければ魚棲まず!
今でも闇献金で私服を肥やしたい政治家はいると思いますが、現在の政治家の多くは”金”より”票”が欲しいのです。 貴方が政治家の助が必要になったら、親戚/知人を駆けずり回って後援会名簿に署名を集めて下さい。 この手は選挙の前には特に有効です。不法行為では無いので逮捕される恐れは有りません。
【昔は選挙になんで巨額の金が必要だったのか?】
昔は衆議院は中選挙区制で、選挙区の定員は3~5人程度でした。与党の候補者の敵は、野党の候補者では無くて、与党の他の候補者だったのです。与党の県会議員や市会議員を一人でも多く、自分の味方にする必要が有りました。県会や市会の議員の中には”金”で何方に付くか?決める輩が結構沢山いたのです。
戦後、政府の指導で市町村の合併が進められ、市町村の数が段々減ってきました。それに伴って市町村会議員の定数も減少しました。ウイキペディアによると、1987年の都道府県と市区町村の議会議員の定数は69,028人で、2018年には32,448人に激減しています。
ここからは、私の独断による推測ですが、7万人の地方議員の半数に二百万円ずつ配るためには700億円必要になります。候補者が400人いたとすると、一人当たり1.75億円になります。 (ちなみに、現在の政党助成金は年300億円ほどです。)
【買収請負人】
私の故郷の集落には、1965年ころまで『買収請負人』がいました。彼は、誰からの依頼でも良かったのです。 当時の田舎では、日が落ちると人の往来は殆ど無かったのですが、投票日の一、二日前に夜の八時過ぎに懐中電灯をもって、彼は話の付いていた家を廻って金を配りました。川の対岸の集落からは、彼の動きは丸見えでした。どの家が金を受け取ったか、秘密では有りませんでした。
昔は核家族では無かったので、多いい家では四、五票有りました。一票が五千円ほどだったそうです。当時は国会や県会の選挙を待ち望んでいた家も有ったのです。彼は、多分・『ちょろまかし』はしなかったのでしょう。 その筋では信頼の有る人間だったと思います。 (当時、買収で一万票を得るには、6,000万円以上必要だったと思われます。)
(余談) 彼は1960年頃に共産党員になりましたが、その後も『買収請負人』を続けていました。彼の小遣い稼ぎを知らない人は村にはいませんでしたが、共産党は見ないふりをしていた様です。(共産党は意外と大人なんだと思いました。)
【昔の政治と金】
私は何にでも興味が湧く、少し困った人間です。後述の様に叔父の一人が政治家の裏金を扱っていたのと、公官庁に機械を売る仕事をしたので、政治と金について情報を集めました。 30年以上前の話しなので、名誉毀損で告訴されるが心配は有りません。 (現在は、これから書く様な事が行われていないと信じています。)
当時は選挙のたびに巨額の黒い政治献金が動いていました。その総額は、私の試算では(一般会計✙特別会計)✖0.03≒1~2兆円ほどだったと思います。その内の一部は族議員と呼ばれていた政治家の取り分で、残りの金は都道府県の知事、市町村長や地元選出の国会議員に配分される様になっていました。
有る年の一般会計と特別会計の総額がF円だとします。その内、G県の管内でFG円使われると、県選出の国会議員、知事、市町村長に3%が渡るのが一般的だった様です。(特別な県では6%~7%でした。)30年前でも、地元の政治家達に渡った金の総額は、年間1兆円ほどになったと思われます。配分の仕方の一例を書いておきます。
H市で市民病院を建設する計画が始まったとします。7階に”W”と言う機械を据える部屋が設けられ、機械Wを製造する会社が4社有る場合、4社がそれぞれ自分の会社の機械を据え付けた時の配置図を病院の設計事務所に提出します。(4社は提出する配置図に、自分の会社が描いた図面だと分かる、目立たない仕掛けを入れておきます。)
4社はそれぞれの先生(国会議員、知事、市町村長の何れか)にお願いして置きます。病院の計画が進み、何かの選挙が近づくと極秘の会議で先生達に権利が配分されるのです。機械Wの権利を市長が得たとすると、市長にお願いしていた会社(N社)の図面で入札が行われる事になります。(これを、『天の声』と呼んでいました。)
N社は市長や秘書から落札上限価格と最低制限価格を教えてもらい、他の3社に入札価格を指示します。三回目の入札で落札する時は、3社に3通りの金額を指示して、毎回・N社が一番低い金額になる様にするのです。非常に稀なケースですが、落札してはいけない3社の内の1社が三回目に出す金額を一回目に出してしまって、落札する様なアクシデントが起こります。 そんな場合には、厳しい罰が与えられる事になっていました。この手のミスは、機械Wの業界だけの問題では無くて、ミスした会社が”四の五の言う”と、日本での商売が難しくなる横の連絡体制が整っていました。
先生へのお礼(賄賂)は機械Wの検収(受け取り)後に現金で行われました。先生がその前に金が必要な時は、銀行から借りるのですが、銀行は例の秘密会議で先生が得た権利の総額を知っていた様でした。
業界の談合は全て口頭で行われ、一切書類は作成されませんでした。担当者はスーツのポケットに入る手帳にメモを取って、肌身離さずに持っていました。会社に警察や検察の家宅捜査が入っても、個人のスーツの中身を調べる事は無かったためです。上司への談合に関する報告も、全て口頭で行われました。
(余談) 秘密会議で配分された権利は、生存している事が条件だった様です。例えば、前述の市民病院が完成する前に、銀行から金を借りて選挙に突入して、選挙運動中に亡くなったら、権利が消滅して借金だけが残る事になります。(二世の政治家には権利が継続したのかも?)
(余談) 談合には種々のタイプが有りました。例えば、機械Wが必要な設備でも顧客が最適なメーカ(M社)を選定して、M社に「宜しく頼む」と連絡する場合も有りました。M社が他の3社に『天の声』が出たと報告して、業界を纏める分けです。 そんな場合でも、黒い金は動いた様です。
【政治家の裏事務所】
もう20年ほど前に二人とも亡くなられたので書きます。私の叔父の一人が某衆議院(A氏)の裏金を扱う役を長年やっていました。 叔父は高収入の有る立派な仕事をしており、裏の仕事は全くのボランティアでしていたのです。叔父はA氏を尊敬していて、A氏は”どろどろ”した金を集めるのは苦手な方だったので、友人二、三人と裏の仕事をしていたのだと思いました。叔父の家は広かったので、一室が裏事務所になっていました。晩年になってA氏は大臣になられたので、叔父は嬉しかったと思います。
志の有る立派な方でも、お金が無かったら政治家になれず、続ける事も出来ませんでしたが、昔は損得抜きで(黒子に徹して)応援する旦那衆達がいたのです。戦後、段々と世知辛い世の中になって、叔父の様な旦那衆達は絶滅してしまったのです。
【政治家に一生を捧げた女性】
某県で大きな計画が始まり、担当者(B係長)に機械を売り込みたくて何回も面談をお願いしたのですが、会って頂けませんでした。他社のベテラン営業マンに相談すると、県庁所在地の小さな鉄工所の女性を訪ねる様にとアドバイスしてくれました。
鉄工所に入ると、絣の”もんぺ”を着た中年の女性がおられて、応接室に案内してくれました。彼女がお茶を持ってきてくれ、「今日は、どんな御用件ですか?」と言われました。”なんと!”彼女が紹介して貰った女性だったのです。「県庁のB係長に会いたいのですが」と言うと、目の前で電話してくれました。会社のトラックで県庁に送って頂くと、B係長が丁寧に応対してくれました。
彼女は若い時からC代議士が好きで、一生独身でC氏を裏で支えたのです。C氏は彼女のお蔭で清廉潔白な政治家だと言われていました。後にC氏は総理大臣になりました。 当時、総理大臣になるためには二十、三十億円の裏金が必要だと言われていました。 彼女の手には負えない金額でしたから、某代議士が大活躍しました。(その代議士はまだ御健在ですから、金集めの話は書けません。)
(余談 :総理になるための金) 強力な業界団体が昔の自民党の主流派を支援していて、総理になる時に必要な金を工面していました。1970年代~80年代に集金能力に乏しい方が総理になる前にやった、酷い話を書いておきます。私達が苦労して受注した案件を取り上げられたのです。二人の総理候補が、『1億円以上/件』の仕事・数件を、無かった事にしたのです。 内・2件は民間の大手企業向けの仕事でしたので、私は”啞然と”してしまいました。
正式な注文書を頂いて、既に制作を開始していました。製作打合せ(詳細な仕様を詰める打合せ)を何回かした後で、顧客の担当者が、ある日突然「本件は無かった事にして下さい、理由は聞かないで下さい」と平身低頭に謝りました。自民党の総裁選挙間近でしたから、聞かなくても理由は分かります。 会社で、営業担当と私は”こっぴどく”怒鳴られました。 (当時・国内向け案件の契約書には、違約金について書かないのが一般的でした。)
【役人と賄賂】
昔は役人が賄賂を要求したと言う話は殆ど聞きませんでした。 役人達が清廉潔白だった分けでは決して有りません。役所の仕事に関する情報、例えば『落札上限価格』を教えるのは政治家本人か秘書がやりました。勝手に役人が入札情報を漏らしたりすると、閑職に飛ばされたのです。
1990年以降、役人の汚職事件が時々報道される様になりましたが、「国や地方公共団体の発注に政治家が絡む割合が少なくなってきた」と私は見ています。
(余談) 私は某市の案件を営業と二人でフォローしていました。某市の担当者を業界では『タヌキ』と呼んでいました。彼は、ある企業から小遣程度の金を貰って、他社の入札妨害をするのです。 段々大胆になって来たので、業界の偉い方達が市長に談判しました。その市には動物園が今でも有りますが、彼は”なんと!”狸の飼育担当”に左遷されました。
(余談) 役人の汚職は、業界(企業)の談合と密接な関係が有ります。私は「企業が国際競争力を付けるために、日本は談合体質から出来るだけ早く脱却すべきだ」と考えていますが、談合は単純な問題では有りません。談合体質が改まらない状態では、権力を握った役人に『魔の手が伸びる』のです。逆説ですが、収賄で逮捕される役人達は、日本の体質の犠牲者だと言えます。談合については、後日・私の考えを公表したいと考えています。
【IR汚職から考えたこと】
IR汚職の報道を読んで、私は新聞記者達と大分違った考え方をしている事に気付きました。少なくとも1990年までは百万円単位の金を政治家に渡すのは、極当たり前の様に行われていました。証拠が残らない様に、種々工夫されていた事も有って、百万円単位の贈収賄が報道される事は殆ど無かったのです。
衆議院を小選挙区制にしたり、政党助成金が出る様になったりして、政治家への闇献金は、段々・必要性が無くなってきました。秋元司氏はよく知らないのですが、下地幹郎先生に面識の無い人間が百万円持って行って、何かやって貰おうと考えるのは『虫の良すぎる話し』です。多分、金を渡した方は「情報が少し欲しかったか?電話一本して欲しかった」くらいだと私は思います。全国紙が大々的に取り上げる様な話では有りません。
昔の酷かった時代を知らない若手の新聞記者やテレビ記者が増えて来ている様に思われます。彼等に、「昔の酷い状況、その後どんなにして改善されたか?」を知って貰いたいと思います。 過去と現在を知らないと、未来への提言が出来ません。
贈収賄や金に関する不正は、人間・誰でも持っている”欲望”が原因です。不正を減らす努力は必要ですが、根絶することなど出来ません。三流の新聞や雑誌は読者が好きなゴシップ記事を漁っても良いですが、一流の記者達には枝葉末節に拘らない記事を報道して頂きたいです。 水清ければ魚棲まず!
今でも闇献金で私服を肥やしたい政治家はいると思いますが、現在の政治家の多くは”金”より”票”が欲しいのです。 貴方が政治家の助が必要になったら、親戚/知人を駆けずり回って後援会名簿に署名を集めて下さい。 この手は選挙の前には特に有効です。不法行為では無いので逮捕される恐れは有りません。
【昔は選挙になんで巨額の金が必要だったのか?】
昔は衆議院は中選挙区制で、選挙区の定員は3~5人程度でした。与党の候補者の敵は、野党の候補者では無くて、与党の他の候補者だったのです。与党の県会議員や市会議員を一人でも多く、自分の味方にする必要が有りました。県会や市会の議員の中には”金”で何方に付くか?決める輩が結構沢山いたのです。
戦後、政府の指導で市町村の合併が進められ、市町村の数が段々減ってきました。それに伴って市町村会議員の定数も減少しました。ウイキペディアによると、1987年の都道府県と市区町村の議会議員の定数は69,028人で、2018年には32,448人に激減しています。
ここからは、私の独断による推測ですが、7万人の地方議員の半数に二百万円ずつ配るためには700億円必要になります。候補者が400人いたとすると、一人当たり1.75億円になります。 (ちなみに、現在の政党助成金は年300億円ほどです。)
【買収請負人】
私の故郷の集落には、1965年ころまで『買収請負人』がいました。彼は、誰からの依頼でも良かったのです。 当時の田舎では、日が落ちると人の往来は殆ど無かったのですが、投票日の一、二日前に夜の八時過ぎに懐中電灯をもって、彼は話の付いていた家を廻って金を配りました。川の対岸の集落からは、彼の動きは丸見えでした。どの家が金を受け取ったか、秘密では有りませんでした。
昔は核家族では無かったので、多いい家では四、五票有りました。一票が五千円ほどだったそうです。当時は国会や県会の選挙を待ち望んでいた家も有ったのです。彼は、多分・『ちょろまかし』はしなかったのでしょう。 その筋では信頼の有る人間だったと思います。 (当時、買収で一万票を得るには、6,000万円以上必要だったと思われます。)
(余談) 彼は1960年頃に共産党員になりましたが、その後も『買収請負人』を続けていました。彼の小遣い稼ぎを知らない人は村にはいませんでしたが、共産党は見ないふりをしていた様です。(共産党は意外と大人なんだと思いました。)
【昔の政治と金】
私は何にでも興味が湧く、少し困った人間です。後述の様に叔父の一人が政治家の裏金を扱っていたのと、公官庁に機械を売る仕事をしたので、政治と金について情報を集めました。 30年以上前の話しなので、名誉毀損で告訴されるが心配は有りません。 (現在は、これから書く様な事が行われていないと信じています。)
当時は選挙のたびに巨額の黒い政治献金が動いていました。その総額は、私の試算では(一般会計✙特別会計)✖0.03≒1~2兆円ほどだったと思います。その内の一部は族議員と呼ばれていた政治家の取り分で、残りの金は都道府県の知事、市町村長や地元選出の国会議員に配分される様になっていました。
有る年の一般会計と特別会計の総額がF円だとします。その内、G県の管内でFG円使われると、県選出の国会議員、知事、市町村長に3%が渡るのが一般的だった様です。(特別な県では6%~7%でした。)30年前でも、地元の政治家達に渡った金の総額は、年間1兆円ほどになったと思われます。配分の仕方の一例を書いておきます。
H市で市民病院を建設する計画が始まったとします。7階に”W”と言う機械を据える部屋が設けられ、機械Wを製造する会社が4社有る場合、4社がそれぞれ自分の会社の機械を据え付けた時の配置図を病院の設計事務所に提出します。(4社は提出する配置図に、自分の会社が描いた図面だと分かる、目立たない仕掛けを入れておきます。)
4社はそれぞれの先生(国会議員、知事、市町村長の何れか)にお願いして置きます。病院の計画が進み、何かの選挙が近づくと極秘の会議で先生達に権利が配分されるのです。機械Wの権利を市長が得たとすると、市長にお願いしていた会社(N社)の図面で入札が行われる事になります。(これを、『天の声』と呼んでいました。)
N社は市長や秘書から落札上限価格と最低制限価格を教えてもらい、他の3社に入札価格を指示します。三回目の入札で落札する時は、3社に3通りの金額を指示して、毎回・N社が一番低い金額になる様にするのです。非常に稀なケースですが、落札してはいけない3社の内の1社が三回目に出す金額を一回目に出してしまって、落札する様なアクシデントが起こります。 そんな場合には、厳しい罰が与えられる事になっていました。この手のミスは、機械Wの業界だけの問題では無くて、ミスした会社が”四の五の言う”と、日本での商売が難しくなる横の連絡体制が整っていました。
先生へのお礼(賄賂)は機械Wの検収(受け取り)後に現金で行われました。先生がその前に金が必要な時は、銀行から借りるのですが、銀行は例の秘密会議で先生が得た権利の総額を知っていた様でした。
業界の談合は全て口頭で行われ、一切書類は作成されませんでした。担当者はスーツのポケットに入る手帳にメモを取って、肌身離さずに持っていました。会社に警察や検察の家宅捜査が入っても、個人のスーツの中身を調べる事は無かったためです。上司への談合に関する報告も、全て口頭で行われました。
(余談) 秘密会議で配分された権利は、生存している事が条件だった様です。例えば、前述の市民病院が完成する前に、銀行から金を借りて選挙に突入して、選挙運動中に亡くなったら、権利が消滅して借金だけが残る事になります。(二世の政治家には権利が継続したのかも?)
(余談) 談合には種々のタイプが有りました。例えば、機械Wが必要な設備でも顧客が最適なメーカ(M社)を選定して、M社に「宜しく頼む」と連絡する場合も有りました。M社が他の3社に『天の声』が出たと報告して、業界を纏める分けです。 そんな場合でも、黒い金は動いた様です。
【政治家の裏事務所】
もう20年ほど前に二人とも亡くなられたので書きます。私の叔父の一人が某衆議院(A氏)の裏金を扱う役を長年やっていました。 叔父は高収入の有る立派な仕事をしており、裏の仕事は全くのボランティアでしていたのです。叔父はA氏を尊敬していて、A氏は”どろどろ”した金を集めるのは苦手な方だったので、友人二、三人と裏の仕事をしていたのだと思いました。叔父の家は広かったので、一室が裏事務所になっていました。晩年になってA氏は大臣になられたので、叔父は嬉しかったと思います。
志の有る立派な方でも、お金が無かったら政治家になれず、続ける事も出来ませんでしたが、昔は損得抜きで(黒子に徹して)応援する旦那衆達がいたのです。戦後、段々と世知辛い世の中になって、叔父の様な旦那衆達は絶滅してしまったのです。
【政治家に一生を捧げた女性】
某県で大きな計画が始まり、担当者(B係長)に機械を売り込みたくて何回も面談をお願いしたのですが、会って頂けませんでした。他社のベテラン営業マンに相談すると、県庁所在地の小さな鉄工所の女性を訪ねる様にとアドバイスしてくれました。
鉄工所に入ると、絣の”もんぺ”を着た中年の女性がおられて、応接室に案内してくれました。彼女がお茶を持ってきてくれ、「今日は、どんな御用件ですか?」と言われました。”なんと!”彼女が紹介して貰った女性だったのです。「県庁のB係長に会いたいのですが」と言うと、目の前で電話してくれました。会社のトラックで県庁に送って頂くと、B係長が丁寧に応対してくれました。
彼女は若い時からC代議士が好きで、一生独身でC氏を裏で支えたのです。C氏は彼女のお蔭で清廉潔白な政治家だと言われていました。後にC氏は総理大臣になりました。 当時、総理大臣になるためには二十、三十億円の裏金が必要だと言われていました。 彼女の手には負えない金額でしたから、某代議士が大活躍しました。(その代議士はまだ御健在ですから、金集めの話は書けません。)
(余談 :総理になるための金) 強力な業界団体が昔の自民党の主流派を支援していて、総理になる時に必要な金を工面していました。1970年代~80年代に集金能力に乏しい方が総理になる前にやった、酷い話を書いておきます。私達が苦労して受注した案件を取り上げられたのです。二人の総理候補が、『1億円以上/件』の仕事・数件を、無かった事にしたのです。 内・2件は民間の大手企業向けの仕事でしたので、私は”啞然と”してしまいました。
正式な注文書を頂いて、既に制作を開始していました。製作打合せ(詳細な仕様を詰める打合せ)を何回かした後で、顧客の担当者が、ある日突然「本件は無かった事にして下さい、理由は聞かないで下さい」と平身低頭に謝りました。自民党の総裁選挙間近でしたから、聞かなくても理由は分かります。 会社で、営業担当と私は”こっぴどく”怒鳴られました。 (当時・国内向け案件の契約書には、違約金について書かないのが一般的でした。)
【役人と賄賂】
昔は役人が賄賂を要求したと言う話は殆ど聞きませんでした。 役人達が清廉潔白だった分けでは決して有りません。役所の仕事に関する情報、例えば『落札上限価格』を教えるのは政治家本人か秘書がやりました。勝手に役人が入札情報を漏らしたりすると、閑職に飛ばされたのです。
1990年以降、役人の汚職事件が時々報道される様になりましたが、「国や地方公共団体の発注に政治家が絡む割合が少なくなってきた」と私は見ています。
(余談) 私は某市の案件を営業と二人でフォローしていました。某市の担当者を業界では『タヌキ』と呼んでいました。彼は、ある企業から小遣程度の金を貰って、他社の入札妨害をするのです。 段々大胆になって来たので、業界の偉い方達が市長に談判しました。その市には動物園が今でも有りますが、彼は”なんと!”狸の飼育担当”に左遷されました。
(余談) 役人の汚職は、業界(企業)の談合と密接な関係が有ります。私は「企業が国際競争力を付けるために、日本は談合体質から出来るだけ早く脱却すべきだ」と考えていますが、談合は単純な問題では有りません。談合体質が改まらない状態では、権力を握った役人に『魔の手が伸びる』のです。逆説ですが、収賄で逮捕される役人達は、日本の体質の犠牲者だと言えます。談合については、後日・私の考えを公表したいと考えています。