これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

辺野古基地の問題

2024-03-30 10:50:39 | 米軍基地
【はじめに】
 (株)ブランド総合研究所の2023年の都道府県の魅力度調査では、北海道、京都府に次いで沖縄県が3位でした。 私が今、40歳代だったとして、「どこの知事になりたいですか?」と問われたら、「沖縄県!」と即答します。

 沖縄県には沢山魅力/可能性が有ると思います。 然し、沖縄に生まれ育った人達には、魅力/可能性が分からないのだと思います。 その典型例が、玉城デニー知事です。 玉城氏は被害者意識が強く→→沖縄は本土の犠牲になってきた→→本土の人間(ないちゃー)を困らせてやろう→→辺野古の工事を遅らせてやるぞ!・・・と意気込んでいる様に見えます。

 私は、「沖縄の可能性を引き出す為にドンナ県政が必要か?」考えています。後日私の考えを纏めてgooブログで公表します。 私の考えを理解して頂く為には、辺野古基地計画の概要と経緯を知って頂く必要が有ると思ったので、本稿を作成しました。

・・・ 沖縄の基地に関連した私のブログ ・・・
① 普天間基地の問題    :投稿日=2023年10月7日
② 普天間基地の跡地利用  :投稿日=2023年10月14日

【辺野古基地計画の概要】
 「普天間基地の周辺に民家が密集する様になって→→騒音問題/安全性問題が深刻になり→→名護市の辺野古に有る『キャンプ・シュワブ』の沖を埋め立てて→→滑走路を2本作り→→辺野古基地を建設して→→普天間基地の機能を移転し→→普天間基地を日本に返還する」と言う計画を1995年に立案して、1996年にアメリカと合意しました。

 埋め立て予定地の地盤が軟弱で有る事が判明し→→大掛かりな地盤改良工事が必要になりました。1996年時点の計画では、完成は2022年の予定で、予算総額は3,800億円ほどだった様ですが→→現在の完成予定は2036年以降、予算総額は9,300億円以上になる様です。

【歴代沖縄県知事と米軍の基地問題】
 1945年に米軍が沖縄に上陸した後、直ぐに日本軍の基地を略取しただけでなく、普天間基地の様に農地と山林を強制的に収奪して米軍の基地にしました。 アメリカは少額の借地料を琉球政府経由で支払いました。

 嘉手納基地は空軍の基地ですが、それ以外は海兵隊の基地です。アメリカの兵隊のモラルは高く有りません。 特に、1964年~75年・アメリカが十年間以上戦ったベトナム戦争の時、沖縄の基地は出撃基地と休息の場として使用されました。乱暴狼藉を働く兵士がいて、県民は被害に遭われたと想像します。 然し、沖縄はアメリカに占領されていたので、基地返還運動をする事は論外の状況でした。

 ベトナム戦争中の1972年に沖縄が返還されました。 返還後に、日本の選挙制度で選出された沖縄県知事を以下に列記します。

 返還後に左派系の知事が二人続き→→その後、自民党の支援を受けた西銘氏が12年間ほど知事を勤め→→社会民主党の大田氏が2期知事を勤め、その間(1995年)に普天間基地を辺野古に移設する計画が始まりました。 (既に、28年経過しており→→工事完了まで→→後・12年以上必要な様です。)

 1998年に稲嶺氏が無所属で知事になりましたが、稲嶺氏の父親は自民党の参議院議員を3期勤め、琉球石油(現:りゅうせき)を立ち上げた実業家でも有りました。稲嶺氏は自民党の知事と言っても良いと思われます。

 2006年から自民党の仲井眞氏が、2期8年間・知事を務めました。 鳩山由紀夫氏が、普天間基地の移転先を『最低でも県外』と言ったのは、仲井眞知事時代の『2009年7月』です。

 自民党の政治家だった翁長氏が、離党して革新系・4党の支援を受けて知事になりました。翁長氏は、自民党では『辺野古への移設計画を推進する旗振り役』をやっていましたが、知事になると→→考え方を180度転換して→→移設計画に反対する様になって→→工事を妨害して→→国との訴訟合戦に入りました。

 翁長知事が病死されたので、衆議院議員だった玉城 デニー氏が野党5党派の支持を得て2018年に知事になりました。 「普天間基地を閉鎖し、辺野古基地建設は認めない」と明言し、翁長氏が始めた国との訴訟合戦を継続しました。

(翁長氏の考えは?!) 翁長氏が知事に当選された時、私は「移設計画を適当に妨害して、国から沢山金を引き出して沖縄県の発展に活用しよう」と言う目論見だと予想していました。国との訴訟合戦に入り→→引くに引けなくなり→→膵臓ガンが急激に進行して→→後継者に指名した玉城 デニー氏に「適当な所で国と妥協すべきだ!」と遺言出来なかったのだと思っています。

① 屋良 朝苗(やら ちょうびょう)氏 :知事在任期間=1972~76年 ;沖縄社会大衆党
② 平良 幸市(たいら こういち)氏 :1976~78年 ;沖縄社会大衆党
③ 西銘 順治(にしめ じゅんじ)氏 :1978~90年 ;沖縄社会大衆党→→沖縄自由民主党→→自由民主党→→無所属→→自由民主党 ・・・78年の知事選挙では自由民主党と民社党の支援を受けて当選、最初の保守系知事になりました。
④ 大田 昌秀(おおた まさひで)氏 :1990~98年 ;無所属→→社会民主党 ・・・95年から普天間基地の移設計画が始まりました。
⑤ 稲嶺 惠一(いなみね けいいち)氏 :1998~06年 ;無所属
⑥ 仲井眞 弘多(なかいま ひろかず)氏 :2006~14年 ;自由民主党
⑦ 翁長 雄志(おなが たけし)氏 :2014~18年 ;自由民主党→→無所属
⑧ 玉城 デニー氏 :2018~ ;無所属→→民主党→→国民の生活が第一→日本未来の党→→生活の党と山本太郎となかまたち→→自由党→→無所属

(御参考 :沖縄社会大衆党) 屋良知事、平良知事を輩出した沖縄社会大衆党は、1950年に設立された地域政党です。 段々と勢力が衰えて、現在は、参議院議員が一人(髙良鉄美氏)になっています。

【辺野古基地の建設計画】
 普天間基地の滑走路の近くに民家が密集する様になり→→安全/騒音対策として、『キャンプ・シュワブ』周辺を埋め立て/拡張して→→滑走路を作る計画が→→1995年から進められる事になりました。 当時の沖縄県知事は社会民主党の大田昌秀氏(1990年~98年まで知事)で、この計画を受け入れていたと思われます。 

 2009年に衆議院選挙の直前に民主党の鳩山由紀夫代表が、軽い気持ちで「最低でも県外」と発言し→→衆議院選挙で大勝して→→鳩山氏が総理大臣になると→→前言を翻して→→辺野古基地の建設計画は続行される事になりました。 沖縄で米軍基地反対運動が盛んになる様になりました。

 2014年の知事選挙で、自民党の那覇市長だった翁長雄志氏が離党して自民党の仲井真弘多知事に挑戦して→→翁長氏が勝ちました。 この時、翁長氏を支援したのが❶共産党、❷社会民主党、❸生活の党、❹沖縄社会大衆党の4党です。

 翁長氏は長い間・自民党の党員で、辺野古基地の建設計画に賛成していましたが、4党の支援で知事に当選した後は→→計画に反対する様になり→→2015年から国を相手に訴訟を起こす様になりました。 翁長氏は任期末(2018年)に病死されました。

 玉城デニー氏は、政治経験が全く無かったのですが、2002年沖縄市市議会議員選挙に無所属で立候補してトップ当選しました。 その後は、政党を転々と渡り歩きました。

 翁長氏の逝去に伴う知事選挙で、玉城氏は➊立憲民主党、❷国民民主党、❸共産党、❹社会民主党、❺無所属の会(岡田克也氏など)の支援を受けて当選しました。

・・・ 歴代沖縄県知事と辺野古基地問題 ・・・
◎ 大田昌秀知事 :1990年~98年 ・・・社会民主党
★ 1995年 :普天間基地の移設計画→→辺野古基地の建設計画
◎ 稲嶺恵一知事 :1998年~2006年 ・・・自民党、公明党
◎ 仲井真弘多知事:2006年~14年 ・・・自民党
★ 2009年7月 :鳩山由紀夫・民主党代表が「最低でも県外」と発言→→8月の衆議院選挙で民主党が大勝→→鳩山氏が総理大臣に就任しました。
★ 2010年5月 :鳩山総理が先の発言を撤回→→辺野古基地の建設計画に戻りました。
◎ 翁長雄志知事 :2014年~18年 ;国との訴訟合戦
◎ 玉城デニー知事:2018年~現在 ;国との訴訟合戦

・・・ 翁長雄志氏の経歴 ・・・
★ 1985~92年 :那覇市市会議員 ・・・自民党党員
★ 1992~00年 :沖縄県県会議員 ・・・自民党党員
★ 2000~14年 :那覇市市長   ・・・自民党党員
★ 2014~18年 :沖縄県知事    ・・・革新系

【辺野古基地に関する訴訟】
 国が辺野古の埋め立て申請をして→→沖縄県が承認していたのを→→沖縄県が取り消したので→→2015年11月に国が沖縄県に対し代執行訴訟を起こし→→以来延々と訴訟合戦が続いてきました。 その経緯を下に列記しておきます。

 辺野古建設工事が完成したら→→普天間基地が返還される事は1996年に日米間で合意されていました。 国には有能な弁護士と官僚が沢山付いていて、設計事務所と大手ジェネコンが計画に参加していますから、国が県に提出する書類に法的な不備は殆ど無かったと思われます。従って、「訴訟合戦を続けても県に勝ち目が無い事を翁長知事は承知していた」と私は想像していました。

 翁長氏は適当な時に、①沖縄振興予算を増額してもらい、②「普天間基地の跡地再開発の費用について国が十分支援する」との約束を取り付けたら→→訴訟合戦を止めて、拡張工事に協力する考えだったのでは?

 玉城知事には、国と話し合って訴訟合戦の幕引きをする考えは無い様に見受けられます。 次回の沖縄県知事選挙は2026年9月なので、それまで訴訟合戦は続きそうです!

・・・ 翁長県政の時代の訴訟合戦 ・・・ 出典:琉球新報
★ 2015年11月 :国が提訴;代執行訴訟→→16年3月;和解
★ 2015年12月 :県が提訴;執行停止取り消し訴訟→→16年3月;取り下げ
★ 2016年2月 :県が提訴;執行停止関与取り消し訴訟→→16年3月;取り下げ
★ 2016年7月 :国が提訴;違法確認訴訟→→16年12月;県の敗訴が確定
★ 2017年7月 :県が提訴;岩礁破砕差し止め訴訟→→19年3月;県の敗訴が確定

・・・ 玉城県政の時代の訴訟合戦 ・・・ 出典:①琉球新報、②沖縄県『これまでの訴訟一覧』
★ 2019年3月 :県が提訴;執行停止関与取り消し訴訟→→19年4月;取り下げ
★ 2019年7月 :県が提訴;国交相採決の関与取り消し訴訟→→20年3月;県の敗訴が確定
★ 2019年8月 :県が提訴;国交相採決の抗告訴訟→→22年12月;県の敗訴が確定
★ 2019年7月 :県が提訴;サンゴ移植関与取り消し訴訟→→21年7月;取り下げ
★ 2022年8月 :県が提訴;国交相採決の関与取り消し訴訟→→23年8月;県の敗訴が確定
★ 2022年8月 :県が提訴;国交相是正指示の関与取り消し訴訟→→23年9月;県の敗訴が確定
★ 2022年9月 :県が提訴;国交相抗告訴訟→→高裁で係争中
★ 2023年8月 :県が提訴;サンゴ移植関与取り消し訴訟→→最高裁で係争中
★ 2023年10月 :国が提訴;設計変更申請承認の代執行訴訟→→23年12月;国が勝訴

【沖縄県に有る基地の役割は変化してきました!】
 終戦の年(1945年4月1日)に米軍は沖縄本土に上陸し、日本の本土を攻撃す為に、沖縄に有った日本軍の基地を奪い取って、米軍の基地にしました。 8月14日 にポツダム宣言を受諾したので、本土決戦は回避されました。

 沖縄には海兵隊と空軍が駐留しています。 海兵隊の航空部隊用に(1945年に)新たに普天間基地を建設しました。 その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争の時は、米軍基地は重要な働きをしたと思います。

 海兵隊にはアメリカの国土を防衛する役割は与えられていません。 海外で有事が発生した時、一早く現地に部隊を送って→→在留するアメリカ人を救出/保護し→→必要な場合は戦闘を行うのが海兵隊の任務です。

 台湾有事と朝鮮半島有事が発生しないとは断言出来ません。 有事が発生したら、日本政府には在留邦人を救出する義務があります。 外務省が発表している在留邦人の数は、2022年10月時点で、①中国≒102千人、②韓国≒65千人、③台湾≒20千人です。 「中国からの救出は不可能だ!」と私は思いますが、韓国と台湾については海兵隊と協力して救出すべきです。

 沖縄に駐屯している海兵隊には、実戦が出来る兵隊は800人程しかいませんから、緊急時に出来る事は限定的なのです。 海兵隊が、日本の防衛に寄与してくれると期待出来る状況では有りません。

 日本の周辺には核兵器を所有する『ならず者国家』が3ヶ国も有ります。 ロシアはウクライナ戦争で核兵器の使用を仄めかして、西側諸国を恫喝しています。中国は頻りに尖閣諸島の領海に侵入してきています。 ロシア、中国、北朝鮮に対応するために、『アメリカの核の傘』の重要性は高まっています。

 トランプ氏が帰り咲かなくても、アメリカが海外に駐留している軍隊を段々縮小すると予想します。 『ならず者国家』が日本に手出しする気を起こさせない対策を本気で検討する必要が有ります。 日本は防衛予算を大幅に増やす事になっています。 軍事専門家達が基本に帰って、費用対効果を加味して、『ならず者国家』への対応策を検討したら、沖縄の米軍基地を縮小しても良いと言う結論になるのでは?

・・・ 沖縄の米軍基地と国際情勢 ・・・
★ 米軍が沖縄本土上陸 :1945年4月1日 →→日本軍の基地を略取し、新たに普天間基地を建設しました。
★ 終戦 :1945年8月14日 →→ポツダム宣言受諾
★ 朝鮮戦争 :1950年6月~53年7月 ;休戦
★ ベトナム戦争 :1964年7月~75年4月 
★ イラク戦争 :2004年8月(?)~ 沖縄に駐留するアメリカの海兵隊がイラクに派兵された。
★ 北朝鮮の核実験 :2006年に第1回目の核実験を実施しました。
★ 中国の軍備増強
★ 中国の南シナ海問題
★ ウクライナ戦争 :ロシアの核兵器による恫喝




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