「丸山は大正2年に警視庁第二代特高課長に就任。その時の方針として当時期鬼畜のように恐れられた社会主義者も結局は人間であり、血も涙もある人間に相違ない、出来ることなら人間的に接してみたい、自分にこれを導きうるだけの力がないにしても、何か人間的な接触によって一道の光明をその間に見出すことができないとも限らない。内務省のご趣旨には反するかもしれないが、機会あるごとに主義者と会見をすることを避けまいと決心をした」らしい(183ページ)。
「フランス物で、今明瞭に記憶していないが社会主義理論を翻訳した小さなパンフレットが無届で出版されて、主義者の間で流布していたのを発見したのである。その出版者が●●君であるということも明瞭になった。そこでわたしはこれを機会に●●君と一席談じてみたいと感じた」(185ページ)。
「●●君には娼妓あがりの内縁の妻があった。」
「●●君は警視庁に出頭すれば直ちに検挙される、留守中の妻君の生活費のことを心配して、ある雑誌社からたのまれた原稿をせっせと書き上げて、自分が監獄に行くまでに原稿料を受け取っておきたいと非常な努力をした様子」(185ページ)。
大杉君が警視庁も門前まで●●君を送ってきた。その時はちょうど夏の盛り。
「会見の顛末を当時の社会主義の機関誌に、○○君が小説『夏』と題して書いた。その『夏』、いっそう●●君と私との会見に関する心理状態を読むことができた」(190ぺーじ)。
そのご、心が通うようになったと見えて、「大杉君と●●君は時々私の官舎に二人して訪れてくるようになった」(192ページ)。
「かくしてわたしが警視庁特高課長在任2年半の間には●●君は一回も法律規則に違反した、乱暴な行動にでることはなかった」と。
そして最後に
「大杉君はまたこんなことも言っていた様子である。『どうも丸山という男は惜しい男で、役人をしているから、あんな心にないことを言っているが、あれを不遇にして野に置けば、きっとわが党の士になる男である』と。わたしも大杉君の頭の良いこと、非常に敏感なこと、またある点において非常に純情なことも、接触するに従って見抜いていたので、どうも家庭の関係や周囲の関係で、大杉君はかかる憐れむべき主義者となっているが、彼をして志を得せしめれば、立派な文芸家となり、政治家を志せば立派な政治家になるのであるが、誠に惜しむべきことであると人に語ったことがある」(195ページ)と書いている。
この丸山の記述はやや言葉が滑った感じがする部分だが、これから察するに大杉周辺には警察側への密通者が配されていたのだろ。
小説「夏」を機関誌に執筆し、娼妓上がりの内妻をもつフランス語の翻訳できる社会主義運動家が誰であったのか、わたしには判らないが、これは丸山が社会主義者を転向させ、社会建設に寄与させる方向で動いたことがあることを少しくほのめかした興味深いエピソードだ。
変節(節をまげること)・転向の社会主義者と昔の同志たちから随分攻撃された西川光二郎の著書『悪人研究』に寄せた高島の序文には社会主義運動に対する西川の情熱をもっとほかの面に向けるほうがよいことが書かれているが丸山の主張もこれと同じ発想の思(保守的な言説)いの表明にすぎなかった訳だ。
『入神第一』によると出獄直後の経済的難局期に、西川「心懐語」に感激した高島が西川を支援すべく河本亀之助を使者に立てて、自らが主宰する「楽之会」に西川を引っ張り込んでいく。
ところで「当時かれら主義者が出していた平民新聞など、随分辛辣な手段で印刷前にその内容を知る方法を講じて、新聞の刷り上がると同時に、発売頒布の禁止を断行して全部を差し押さえたことなどしばしばあった。そしてそういう事件のあるたびに大杉君は」「目をつりあげて怒鳴りこんで来」た(192-193ページ)とか。
この「随分辛辣な手段で印刷前にその内容を知る方法」とは一体どういう方法で、だれを介してリーク(漏えい)情報をキャッチしていたのだろ。
社会主義運動から離脱した西川は大正15年の建国祭(赤尾敏提案、丸山が準備委員会を立ち上げ、その委員の中に西川光二郎)には準備委員会のメンバーとして参加。西川の性格上思いっきり右旋回して疑似右翼の丸山と行動を共にするまでになっていた。
赤尾敏・西川光二郎は共に元社会主義者で、『50年ところどころ』に描かれた警察官僚OB丸山の人柄や丸山ー高島平三郎の繋がり等から類推すると、もしかすると・・・・
「フランス物で、今明瞭に記憶していないが社会主義理論を翻訳した小さなパンフレットが無届で出版されて、主義者の間で流布していたのを発見したのである。その出版者が●●君であるということも明瞭になった。そこでわたしはこれを機会に●●君と一席談じてみたいと感じた」(185ページ)。
「●●君には娼妓あがりの内縁の妻があった。」
「●●君は警視庁に出頭すれば直ちに検挙される、留守中の妻君の生活費のことを心配して、ある雑誌社からたのまれた原稿をせっせと書き上げて、自分が監獄に行くまでに原稿料を受け取っておきたいと非常な努力をした様子」(185ページ)。
大杉君が警視庁も門前まで●●君を送ってきた。その時はちょうど夏の盛り。
「会見の顛末を当時の社会主義の機関誌に、○○君が小説『夏』と題して書いた。その『夏』、いっそう●●君と私との会見に関する心理状態を読むことができた」(190ぺーじ)。
そのご、心が通うようになったと見えて、「大杉君と●●君は時々私の官舎に二人して訪れてくるようになった」(192ページ)。
「かくしてわたしが警視庁特高課長在任2年半の間には●●君は一回も法律規則に違反した、乱暴な行動にでることはなかった」と。
そして最後に
「大杉君はまたこんなことも言っていた様子である。『どうも丸山という男は惜しい男で、役人をしているから、あんな心にないことを言っているが、あれを不遇にして野に置けば、きっとわが党の士になる男である』と。わたしも大杉君の頭の良いこと、非常に敏感なこと、またある点において非常に純情なことも、接触するに従って見抜いていたので、どうも家庭の関係や周囲の関係で、大杉君はかかる憐れむべき主義者となっているが、彼をして志を得せしめれば、立派な文芸家となり、政治家を志せば立派な政治家になるのであるが、誠に惜しむべきことであると人に語ったことがある」(195ページ)と書いている。
この丸山の記述はやや言葉が滑った感じがする部分だが、これから察するに大杉周辺には警察側への密通者が配されていたのだろ。
小説「夏」を機関誌に執筆し、娼妓上がりの内妻をもつフランス語の翻訳できる社会主義運動家が誰であったのか、わたしには判らないが、これは丸山が社会主義者を転向させ、社会建設に寄与させる方向で動いたことがあることを少しくほのめかした興味深いエピソードだ。
変節(節をまげること)・転向の社会主義者と昔の同志たちから随分攻撃された西川光二郎の著書『悪人研究』に寄せた高島の序文には社会主義運動に対する西川の情熱をもっとほかの面に向けるほうがよいことが書かれているが丸山の主張もこれと同じ発想の思(保守的な言説)いの表明にすぎなかった訳だ。
『入神第一』によると出獄直後の経済的難局期に、西川「心懐語」に感激した高島が西川を支援すべく河本亀之助を使者に立てて、自らが主宰する「楽之会」に西川を引っ張り込んでいく。
ところで「当時かれら主義者が出していた平民新聞など、随分辛辣な手段で印刷前にその内容を知る方法を講じて、新聞の刷り上がると同時に、発売頒布の禁止を断行して全部を差し押さえたことなどしばしばあった。そしてそういう事件のあるたびに大杉君は」「目をつりあげて怒鳴りこんで来」た(192-193ページ)とか。
この「随分辛辣な手段で印刷前にその内容を知る方法」とは一体どういう方法で、だれを介してリーク(漏えい)情報をキャッチしていたのだろ。
社会主義運動から離脱した西川は大正15年の建国祭(赤尾敏提案、丸山が準備委員会を立ち上げ、その委員の中に西川光二郎)には準備委員会のメンバーとして参加。西川の性格上思いっきり右旋回して疑似右翼の丸山と行動を共にするまでになっていた。
赤尾敏・西川光二郎は共に元社会主義者で、『50年ところどころ』に描かれた警察官僚OB丸山の人柄や丸山ー高島平三郎の繋がり等から類推すると、もしかすると・・・・