江戸から明治へ
「参謀本部陸軍部測量局 五千分一東京図測量原図」に所収の36枚の地図を入手したが、これがこれはなのだ。
とりあえず、一枚の図面がA3サイズより小さい、連接する図面とのつながりが微妙に出来ない。ここでは力業でデジタル的合成してみた。いろいろ調整したがこれが限度。
よく見ると差し替え必要なくらいのズレあり
A地点(旧阿部邸)の一角には現在誠之舎がある。むかしは福山市の東京事務所がここにあって昭和40年代後半期にはたしか宿泊費がユースホステル並みだった。参考リンク
『東京市及接続郡部地籍地図. 上卷』(1912年刊)618コマ目/全647コマに「駒込西片町」
作田高太郎『日本権力史論』(363-366頁)理解に必要な徳川家香華寺:増上寺の明治16年地域情報
「参謀本部陸軍部測量局 五千分一東京図測量原図」の復刻版(昭和59)は価格相応というかないよりましといった地図資料だった。
「参謀本部陸軍部測量局 五千分一東京図測量原図」に所収の36枚の地図を入手したが、これがこれはなのだ。
とりあえず、一枚の図面がA3サイズより小さい、連接する図面とのつながりが微妙に出来ない。ここでは力業でデジタル的合成してみた。いろいろ調整したがこれが限度。
よく見ると差し替え必要なくらいのズレあり
A地点(旧阿部邸)の一角には現在誠之舎がある。むかしは福山市の東京事務所がここにあって昭和40年代後半期にはたしか宿泊費がユースホステル並みだった。参考リンク
『東京市及接続郡部地籍地図. 上卷』(1912年刊)618コマ目/全647コマに「駒込西片町」
作田高太郎『日本権力史論』(363-366頁)理解に必要な徳川家香華寺:増上寺の明治16年地域情報
「参謀本部陸軍部測量局 五千分一東京図測量原図」の復刻版(昭和59)は価格相応というかないよりましといった地図資料だった。