- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

漁業鑑札と山鑑札

2018年01月29日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
本日は西川國臣家のアルバムと高等小学校廃校記念アルバム(大正14)を見せてもらった。後者は既知のもの、前者は4男正名家中心の家族アルバムで史料としては使えないものだった。西川は雑誌「児童研究」においてわが子自慢をした人物だが、長男一郎(のちの芳渓、地方新聞の記者で、明治~大正期の童話作家)はよほど学力がなかったと見え小学校を出て大阪の本屋に丁稚奉公させられている。一郎のその後については別稿において言及済みにつき割愛。

西川一郎こと西川芳渓の婚礼写真。背後の老人夫婦が一郎の両親(西川國臣夫婦)。西川家を継いだ弟正名の子孫(甥)の口からは一郎に関する消息は語られなかった。昨日西川家付近を遠目に眺めたところ、撮影場所は西川家の裏庭だろうか。場所は旧松永高等小学校(県立松永高等学校)の隣接地だ。


西川芳渓の新聞社での先輩挌に前田三渓。こちらは高島平三郎の目に留まったのか、洛陽堂からの出版物あり。唐突に◆五郎(昭和4年生まれ)は昭和11年に高島平三郎が松永に訪れたときのことを覚えていて、高島の奥さん(正しくは娘と長男文雄の嫁の二人)は美人だったと1月22日に例会時に語っていた(わたしは笑いをこらえながら拝聴)。


小川政右衛門所有の山鑑札(明治21)。小川政右衛門は小川恒松の兄貴。小川喜三次(幕末期の松永村組頭)

  
焼き印の山+みマークは三成屋山本家のもの(明治大正期の当主は山本秀助、ひろしま平和の歌作曲者山本秀の祖父)

コメント