高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

畑田さん

2006-07-02 12:36:56 | まゆみのつぶやき室
5年前のある日、突然の電話がかかってきた。

「実は、前にある人形作家のプロデュースをしていた畑田という者ですが、一度お逢いしたい・・・」

その人形展は地元長野で見たことがあった。その時私は「こんな世界で作品を見せられる人がいるんだぁ~」と憧れを感じた。
それをまわしていた人であった。
「実は銀花という雑誌で気になって、前の作家さんのように廻したいんだよ」と彼は言った。
しかし、私の手元には一つの人形も無かった。というのは売って来てしまったからだ。そうしなければ、パートをずっと続けていることになる。
そして次の言葉だった。「二年後なら大丈夫ですか?」・・・
何とも、少し冷たい感じのビジネスワァーク的なお言葉。

しかし、あの憧れの人形展の話が今現実として目の前に来ている。
話をいただいて、とにかくやって見るしかなかった。
平成15年神戸阪急の初回展に向け、それからの私は無我夢中で製作に明け暮れた。夢中になりすぎて、トイレに倒れこむ日もあった。知らず知らず世が明けて、子供のお弁当を持たせられない日もあった。阪急の初日が来た。
そして、手回しのいい畑田さんによって作られたりっぱなジオラマに人形を置いた。

ジオラマに負けている。二年間頑張って来たけど、物足りない。
お金を払って見てくれるのに申し訳ない・・・そんな自分の中の恥ずかしさ、もどかしさを感じながら、今以上の創作意欲がわいた。

それから、毎日人形作りが仕事になっているが、今年でもう4年目。人形の数は並べ切れないほどになっている。

時々、サイン会などで、横にいる畑田さんを「ご主人ですか?」と尋ねられる人がいるが、「家の主人はもっと若いです」と私。

しかし、畑田さんと出会う前は、こんなに仕事に意欲を燃やし、バイタリティな人は廻りにいなかった。元NHKのバリバリのプロデューサーということもあり、その顔の広さ、行動力にはとても年金をもらう年とは思えない。

今の私は畑田さんの力なくしてはありえないことだが、4年も一緒にやっていると、好きなことも言える。
「いろんな事やりすぎ!奥さんもっと大事にしなよ!」などなど

はぁ~い!と畑田さんは無邪気に応えるけれど、頭と気持ちはそこに無い。
あるのは次なにしようかな・・・だ

一生、プロデュースと言う仕事が生きがいの人のようだ。