まずは、高校生のときに教わった政治経済を思い出していただきたいと思います。生徒になった気分でおつきあいください。
第一問。基本的人権を全てあげよ。
そうですね。自由権、平等権、請求権、参政権、社会権の五つですね。これがパッパッと出てくる人はたいしたものです。
では、第二問。自由権を3つに分類せよ。
はい。精神的自由と人身の自由と経済的自由ですね。ここまでは、実は中学校三年生の公民で教わるレベルなのです。次の質問からが、実質的に高校生レベルです。
第3問。その3つの自由の中で、民主主義を支える優越的権利を選び、またその理由もあわせて答えよ。
もちろん、精神の自由です。個人の政治的思想と言論の自由交換が保証されてこそ民主主義が成り立つからですね。国家権力からの干渉・制限を排除する権利としての自由権の本質からまっすぐに導き出せる結論でもあります。
精神の自由は、内心の自由としての「思想・良心の自由」と、それを外面化する「信教の自由」、「表現の自由」、それと「学問の自由」の4つからなります。
さて、次が最後の質問です。
第4問。「表現の自由」を実質化するための制度的保障について答えよ。
答え。それは、「検閲の禁止」と「通信の秘密の不可侵」です。これは、ちょっと難しいかもしれません。でも、これも高校生レベルなんですよ。検閲というのは、ご存知のように、信書・出版物・新聞・映画などの内容を国家権力が強制的に検査することです。
「なにをそんな当たり前のことに付き合わせるんだ、オレは忙しいんだぞ」とお叱りを受けそうです。
新聞・テレビ・出版の当事者すなわちマスコミが、国家権力からの干渉・制限を排除して表現の自由を守る牙城となることが、民主主義の成立のための根幹を成していることを確認したかったのです。「世の中、教科書通りにはいかないんだよ」という言い方がありますけれど、マスコミが、そういう卑俗な考え方に慣れ切ってしまって、国家権力の干渉・制限をやすやすと受け入れることが、民主主義にとっていかに破壊的に作用するか容易に想像できるでしょう。
ましてや、マスコミがそろいもそろって、国家権力から干渉されるまでもなく、唯々諾々と自分からすすんで国家権力のお先棒担ぎをし、金銭的な見返りを期待するなんていう恥知らずな振る舞いをしているとはふつう信じられないでしょう。
ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、今回と次回は、そういう信じられないことが現に起こっている、というお話をしたいと思います。
前回の投稿で引用した、元財務官僚の高橋洋一氏のコメントをもう一度引用しましょう。
増税は税率を上げることだけれど、税収増にならないのは歴史を見れば明らか。それではなにが動機かといえば利権ですよ。増税すれば、財務財の権限が増えますから。増税すると軽減税率の陳情が来る。官僚は個別に例外措置に対応するので、そこで利権が生まれるわけです。それが天下り先確保にもつながりますからね。それこそが財務省の狙いなのですよ。(日経ビジネスオンライン 3月21日)
財務省が狙っているという、消費税増税によって生まれる軽減税率がらみの「利権」とは、具体的にはいったいなんなのでしょうか。また、マスコミは本当に財務省の狙いに乗っかる動きをしているのでしょうか。
まずは、マスコミの動きをうかがわせる生々しい情報が手に入ったので、それをお伝えします。民主党の宮崎岳志衆議院議員が3月15日に次のようにツイートしています。彼は、消費税増税をなんとしても阻止しようとしている若手の理論派の中心人物の一人です。
超党派の活字文化議連に朝日新聞社の秋山社長、日経新聞の喜多社長ら、新聞・出版業界の皆さんが参加され「新聞・書籍は消費税ゼロか軽減税率が世界の常識。文化と民主主義を守るため、新聞・出版は引き上げを適用しないか、ゼロに下げてほしい」と要望しました。
これ、みなさんどう思われますか。このマスコミの「要望」の言葉は、私には恥知らずのタワゴトか寝言にしか聞こえません。
彼ら大手マスコミは総がかりで、連日〈財政再建待ったなし、消費税増税やむなし〉の大合唱を繰り広げていますね。その一方で、国会議員に対して、新聞は文化だから、新聞を守ること=民主主義を守ることだからと鉄面皮の屁理屈をこねて、自分たちだけには消費税増税のとばっちりが来ないように懇願しているわけです。
これは、ご主人さまの言いつけを良く守ったのだから、ほかの馬鹿どもに対する冷遇とは格別の扱いをお願いしたいとへいつくばって懇願するドレイの物言いにほかなりません。
ご主人さまの言いつけとは、なにがなんでも、横車を押してでも、一般国民がどうなろうとも、消費税増税に賛成しつづけろという命令です。むろん、圧倒的な権力を持つ財務省が、露骨な命令などという野暮な伝達形式をとるはずがありませんね。ちょっとしたほのめかしとか、従僕であるマスコミ側の、ご主人様の「ご意向」の忖度(そんたく)とかいった形をとります。しかし、ご主人様とドレイとの間でそれは絶対的な命令を実質上意味します。
マスコミの消費税増税議論が論理的に破綻したどうしようもない代物であることは、私のつたない論によってさえもほぼ明らかになったと私は思っています。素人にもたわいなく論破されてしまうような、そんな恥ずかしい議論を性懲りもなく続けているからには、正論を通そうという言論機関としてのまともな意思とはべつのものを想定するのが妥当でしょう。それは、上に記した通りのものである、というのが私の考えです。
(端的に言えば、デフレ不況からの脱却が、ほかのすべての課題に優先する、という命題を真と認めることによって、政府・マスコミの消費税増税不可避論の論拠は消えてなくなります。デフレ不況からの脱却は絶対に不可能である、という証明がなされたときにのみ、政府・マスコミの議論がはじめて正しいものになるのですね。しかし、その証明の達成が意味するところは、日本国家の縮小・衰退あるいは消滅が必然的であるということです。その意味でも、政府・マスコミは馬鹿な議論を繰り広げているといえましょう。)
しかし、これだけでは、「お前の決めつけだ」とお叱りを受けるかもしれません。財務省の利権をめぐる狙いについて触れていないからですね。その議論の展開は、次回に譲ります。
第一問。基本的人権を全てあげよ。
そうですね。自由権、平等権、請求権、参政権、社会権の五つですね。これがパッパッと出てくる人はたいしたものです。
では、第二問。自由権を3つに分類せよ。
はい。精神的自由と人身の自由と経済的自由ですね。ここまでは、実は中学校三年生の公民で教わるレベルなのです。次の質問からが、実質的に高校生レベルです。
第3問。その3つの自由の中で、民主主義を支える優越的権利を選び、またその理由もあわせて答えよ。
もちろん、精神の自由です。個人の政治的思想と言論の自由交換が保証されてこそ民主主義が成り立つからですね。国家権力からの干渉・制限を排除する権利としての自由権の本質からまっすぐに導き出せる結論でもあります。
精神の自由は、内心の自由としての「思想・良心の自由」と、それを外面化する「信教の自由」、「表現の自由」、それと「学問の自由」の4つからなります。
さて、次が最後の質問です。
第4問。「表現の自由」を実質化するための制度的保障について答えよ。
答え。それは、「検閲の禁止」と「通信の秘密の不可侵」です。これは、ちょっと難しいかもしれません。でも、これも高校生レベルなんですよ。検閲というのは、ご存知のように、信書・出版物・新聞・映画などの内容を国家権力が強制的に検査することです。
「なにをそんな当たり前のことに付き合わせるんだ、オレは忙しいんだぞ」とお叱りを受けそうです。
新聞・テレビ・出版の当事者すなわちマスコミが、国家権力からの干渉・制限を排除して表現の自由を守る牙城となることが、民主主義の成立のための根幹を成していることを確認したかったのです。「世の中、教科書通りにはいかないんだよ」という言い方がありますけれど、マスコミが、そういう卑俗な考え方に慣れ切ってしまって、国家権力の干渉・制限をやすやすと受け入れることが、民主主義にとっていかに破壊的に作用するか容易に想像できるでしょう。
ましてや、マスコミがそろいもそろって、国家権力から干渉されるまでもなく、唯々諾々と自分からすすんで国家権力のお先棒担ぎをし、金銭的な見返りを期待するなんていう恥知らずな振る舞いをしているとはふつう信じられないでしょう。
ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、今回と次回は、そういう信じられないことが現に起こっている、というお話をしたいと思います。
前回の投稿で引用した、元財務官僚の高橋洋一氏のコメントをもう一度引用しましょう。
増税は税率を上げることだけれど、税収増にならないのは歴史を見れば明らか。それではなにが動機かといえば利権ですよ。増税すれば、財務財の権限が増えますから。増税すると軽減税率の陳情が来る。官僚は個別に例外措置に対応するので、そこで利権が生まれるわけです。それが天下り先確保にもつながりますからね。それこそが財務省の狙いなのですよ。(日経ビジネスオンライン 3月21日)
財務省が狙っているという、消費税増税によって生まれる軽減税率がらみの「利権」とは、具体的にはいったいなんなのでしょうか。また、マスコミは本当に財務省の狙いに乗っかる動きをしているのでしょうか。
まずは、マスコミの動きをうかがわせる生々しい情報が手に入ったので、それをお伝えします。民主党の宮崎岳志衆議院議員が3月15日に次のようにツイートしています。彼は、消費税増税をなんとしても阻止しようとしている若手の理論派の中心人物の一人です。
超党派の活字文化議連に朝日新聞社の秋山社長、日経新聞の喜多社長ら、新聞・出版業界の皆さんが参加され「新聞・書籍は消費税ゼロか軽減税率が世界の常識。文化と民主主義を守るため、新聞・出版は引き上げを適用しないか、ゼロに下げてほしい」と要望しました。
これ、みなさんどう思われますか。このマスコミの「要望」の言葉は、私には恥知らずのタワゴトか寝言にしか聞こえません。
彼ら大手マスコミは総がかりで、連日〈財政再建待ったなし、消費税増税やむなし〉の大合唱を繰り広げていますね。その一方で、国会議員に対して、新聞は文化だから、新聞を守ること=民主主義を守ることだからと鉄面皮の屁理屈をこねて、自分たちだけには消費税増税のとばっちりが来ないように懇願しているわけです。
これは、ご主人さまの言いつけを良く守ったのだから、ほかの馬鹿どもに対する冷遇とは格別の扱いをお願いしたいとへいつくばって懇願するドレイの物言いにほかなりません。
ご主人さまの言いつけとは、なにがなんでも、横車を押してでも、一般国民がどうなろうとも、消費税増税に賛成しつづけろという命令です。むろん、圧倒的な権力を持つ財務省が、露骨な命令などという野暮な伝達形式をとるはずがありませんね。ちょっとしたほのめかしとか、従僕であるマスコミ側の、ご主人様の「ご意向」の忖度(そんたく)とかいった形をとります。しかし、ご主人様とドレイとの間でそれは絶対的な命令を実質上意味します。
マスコミの消費税増税議論が論理的に破綻したどうしようもない代物であることは、私のつたない論によってさえもほぼ明らかになったと私は思っています。素人にもたわいなく論破されてしまうような、そんな恥ずかしい議論を性懲りもなく続けているからには、正論を通そうという言論機関としてのまともな意思とはべつのものを想定するのが妥当でしょう。それは、上に記した通りのものである、というのが私の考えです。
(端的に言えば、デフレ不況からの脱却が、ほかのすべての課題に優先する、という命題を真と認めることによって、政府・マスコミの消費税増税不可避論の論拠は消えてなくなります。デフレ不況からの脱却は絶対に不可能である、という証明がなされたときにのみ、政府・マスコミの議論がはじめて正しいものになるのですね。しかし、その証明の達成が意味するところは、日本国家の縮小・衰退あるいは消滅が必然的であるということです。その意味でも、政府・マスコミは馬鹿な議論を繰り広げているといえましょう。)
しかし、これだけでは、「お前の決めつけだ」とお叱りを受けるかもしれません。財務省の利権をめぐる狙いについて触れていないからですね。その議論の展開は、次回に譲ります。