東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋氏は、一連のツイッターで、消費増税関連法案をめぐるここ数日の動きの核心・今後の動向に関してなかなか鋭いことを発言しています。
普通の人と官僚の違いはなにか。普通の人は「法律は守るもの」と思ってる。官僚は「法律は自分がつくるもの」と思ってる。国会議員はどうかというと「あ、法律をつくるのはオレだったのか」と思ってる。記者は「法律はできる前から宣伝するもの」と思ってる。ここがなかなか理解されない。
"普通の人は「法律は守るもの」と思ってる"とは、一般国民が、消費増税法案が今国会で可決されたらもうどうしようもないと思い込みがちなことを言っているのでしょう。一度成立した法案でも、国民の選挙での意志表示によって凍結することができるのを忘れがちなのです。
官僚たち、とくに消費増税に関して財務官僚たちは、自分たちが行政府の「公僕」にすぎないことを忘れて、自分たちに立法権があると思い込んでいる。それが、「官僚は「法律は自分がつくるもの」と思ってる」の意味。「国会議員はどうかというと「あ、法律をつくるのはオレだったのか」と思ってる」の言葉は、国会議員たちに自分たちに立法権があることの自覚が薄い現実を指し示しています。「記者は「法律はできる前から宣伝するもの」と思ってる」。これは、大手5紙とその系列テレビによる〈消費増税やむなし・財務再建まったなし〉の大合唱に対する皮肉です。
選挙とその結果である国会は政策に関して、基本的にオールマィティ。増税だろうが増税凍結だろうが、はたまた減税だろうが、なんでも出来ます。法律さえ通せば。そういう基本的なことを忘れてる人が多い。官僚依存政治の弊害。
主権が自分たち国民にあることの自覚が、民主主義の核心であると長谷川氏は述べているのではないでしょうか。その意味で、立法権を実質的に官僚に委ねる官僚依存は、民主主義と真っ向から対立します。それをふまえたうえでの政治主導は、民主主義の根本義であると言えるでしょう。
政治の本当の戦いは突き詰めれば、国会の採決にあるのではなく、ほぼ2年半に一度ある選挙です。多くの国民に納得感がない政策は結局、うまくいかない。「決められない政治」だから悪いのではなく、納得感のない政策はダメ。世論が大事。「決められればいい」という話ではない。
「決められる政治」という野田内閣のキャッチフレーズの空疎さにはほとほと参ります。国民の納得感を伴わないこと、国民を地獄に突き落とすようなことをバカみたいにどんどん決めてもなんの意味もありません。野田さんは、脳みそのくり抜かれた猛牛みたいで本当に困ってしまいます。
永田町の情勢に目を奪われると、増税が決まったかのように見えるが、政治の方向を決めるのは結局、世論の大きな潮流。暮らしが良くならないどころか、悪くなるのに増税賛成が増えるわけがない。それでも増税OKというのは、よっぽど豊かな人か増税賛成論を唱えると自分にプラスになる人たちだろう。
まったくもってその通りです。消費増税法案の成立は国民に将来不安の増大をもたらすので、実際に増税が実施される前から景気にマイナスに働くのではないかと私は思っています。増税実施前の駆け込み需要を相殺してあまりあるのではないでしょうか。それほどに、今の日本の経済状況はヒドイのです。これが、国民の実感です。
景気条項の扱いが焦点になっているが、基本はあくまで景気が本当に回復するかどうか。欧州情勢の混迷をみると、相当不透明。日本は日銀のおかげでデフレ脱却が見込めず、国内情勢もダウンサイドリスクが高い。電気料金値上げもある。それで消費税、本当に上げられるか。選挙カーで増税演説できるか。
景気条項については据え置きが決まりました。削除されるよりはよっぽどマシですが、これはあくまでも「努力目標」であって義務ではありません。自民党は当条項の義務化を民主党に対して求めるべきだったのです。それとは真逆に削除を求めたことは、同党の経済成長路線が官僚主導という本音の表面に塗られたメッキに過ぎないことを図らずも自ら暴露してしまいました。「選挙カーで増税演説できるか」との長谷川氏の問いかけはごもっともです。しかし、先ほどテレビで、若手の民主党議員が自分の選挙区で選挙民に対して消費増税の必要性をこれから訴えていくと眦(まなじり)を決していました。その馬鹿面に唖然としてしまいました。
自公民が談合増税派であることがはっきりしたので、次の総選挙と参院選は談合増税派vs増税見直し派の戦い。原発推進派vs脱原発派の戦いでもある。この対立軸はきわめて分かりやすい。
これをちがった角度からまとめれば、来るべき総選挙は、「官僚依存派VS国民経済派」の闘いです。ただし、国民経済派からすれば、短兵急な脱原発は国民経済に打撃を与えるので、脱原発依存に向けての長期的な着実な展望を示す必要があります。
今回、消費税引き上げ法案が決まれば、もう消費税は焦点にならないという話もあるが、とんでもない。世論調査では半分以上が引き上げに反対か慎重。焦点は世論が決める。今回、引き上げ法案が可決成立しても、次は増税凍結法案が必ず焦点になるだろう。
私もそうなるのではないかと思っています。大手マスコミは、それが焦点にならないように躍起になって消費増税をめぐるウソ報道をさらに膨大に垂れ流すことでしょう。
消費税引き上げの第一弾は2014年4月。衆院の任期満了は13年8月29日、参院は同じく7月28日なので、それまでには必ず総選挙と参院選がある。引き上げ実施まで少なくとも7カ月あって、その前に臨時国会も通常国会もあるだろう。
この日程は頭に叩き込んでおきたいものです。
マスコミが一斉に同じようなキャッチフレーズを言い出すときは、たいてい舞台裏に官僚がいる。今回の「決められない政治」というのは、その典型。思考停止に陥っているとこうなる。
これについては、元財務官僚の高橋洋一氏がツイッターで興味深い指摘をしています。
大新聞が似たような論調の時には、だいたい後ろに官僚がいる。大蔵省にいたときの話。課長クラス以上に対し各紙論説クラスやコメンテーターに根回してどのように書かせるか、言わせるかを競わせた。出世競争だから各課長は必死。昨日の「決められない政治からの脱却」の大合唱はそうかもね.
各紙論説クラスや各テレビ局コメンテーターに根回してどのように書かせるか、言わせるかを競わせたと書いた。明日はその結果の「反省会」があるはず(といっても正式会議でない)。うまく書かせたり、言わせた課長は上向いているけど、失敗した課長は下向いている.
高橋氏には、財務官僚の、マスコミや御用学者との関わり方についての生々しいツイートがあります。必見ものです。彼の批判には日本人離れした辛辣さがあります。
マスゴミを官僚が洗脳する方法。1.出向くこと(取材先にいくことが多いマスゴミにいくとそれだけで先方は恐縮)、2.内部資料といって資料をもっていく(マスゴミはデータを調べられないから喜ばれる。内部資料はマスゴミ配布用)、3.メール、携帯電話を教える(取材源の確保になって喜ばれる).
御用学者に官僚が仕立てる方法。1.審議会、勉強会委員にする(先生のご意見が聞きたいとおだてる)、2.資料、メモだし(研究サポート)、3.顎足海外出張(ファーストグレードアップ、現地アテンドなど)、4.弟子の就職斡旋(公的機関紹介)、5.研究費や委託調査費の優先配分.
ポチマスコミと御用学者がそろうと、それらの相互協力関係にも、官僚は一役買う。ポチマスコミに御用学者の紹介などの完成。今の情報の大半がこのトライアングルから生み出される.
今回の民自公の協議でそっくりそのまま先送りされた社会保障懸案事項と歳入庁の設置問題については、「国民会議」なるもので話し合うことになっています。この会議が、高橋氏の言う「官僚、ポチマスコミ、御用学者の鉄のトライアングル」から生み出されるものであることは間違いないでしょう。そういう視線で、次の長谷川氏のツイートを眺めたい。
国民会議とか有識者会議とか、やめてほしいね、そういう「もっともらしい権威」を装うのは。国民会議なんて言ったって「自公民で事前に合意を図る」って3党合意の確認書に書いてあるじゃない。それで、どこが「国民」の会議なの?「自公民会議」でしょ。そういう本質を言わないマスコミも悪い!
普通の人と官僚の違いはなにか。普通の人は「法律は守るもの」と思ってる。官僚は「法律は自分がつくるもの」と思ってる。国会議員はどうかというと「あ、法律をつくるのはオレだったのか」と思ってる。記者は「法律はできる前から宣伝するもの」と思ってる。ここがなかなか理解されない。
"普通の人は「法律は守るもの」と思ってる"とは、一般国民が、消費増税法案が今国会で可決されたらもうどうしようもないと思い込みがちなことを言っているのでしょう。一度成立した法案でも、国民の選挙での意志表示によって凍結することができるのを忘れがちなのです。
官僚たち、とくに消費増税に関して財務官僚たちは、自分たちが行政府の「公僕」にすぎないことを忘れて、自分たちに立法権があると思い込んでいる。それが、「官僚は「法律は自分がつくるもの」と思ってる」の意味。「国会議員はどうかというと「あ、法律をつくるのはオレだったのか」と思ってる」の言葉は、国会議員たちに自分たちに立法権があることの自覚が薄い現実を指し示しています。「記者は「法律はできる前から宣伝するもの」と思ってる」。これは、大手5紙とその系列テレビによる〈消費増税やむなし・財務再建まったなし〉の大合唱に対する皮肉です。
選挙とその結果である国会は政策に関して、基本的にオールマィティ。増税だろうが増税凍結だろうが、はたまた減税だろうが、なんでも出来ます。法律さえ通せば。そういう基本的なことを忘れてる人が多い。官僚依存政治の弊害。
主権が自分たち国民にあることの自覚が、民主主義の核心であると長谷川氏は述べているのではないでしょうか。その意味で、立法権を実質的に官僚に委ねる官僚依存は、民主主義と真っ向から対立します。それをふまえたうえでの政治主導は、民主主義の根本義であると言えるでしょう。
政治の本当の戦いは突き詰めれば、国会の採決にあるのではなく、ほぼ2年半に一度ある選挙です。多くの国民に納得感がない政策は結局、うまくいかない。「決められない政治」だから悪いのではなく、納得感のない政策はダメ。世論が大事。「決められればいい」という話ではない。
「決められる政治」という野田内閣のキャッチフレーズの空疎さにはほとほと参ります。国民の納得感を伴わないこと、国民を地獄に突き落とすようなことをバカみたいにどんどん決めてもなんの意味もありません。野田さんは、脳みそのくり抜かれた猛牛みたいで本当に困ってしまいます。
永田町の情勢に目を奪われると、増税が決まったかのように見えるが、政治の方向を決めるのは結局、世論の大きな潮流。暮らしが良くならないどころか、悪くなるのに増税賛成が増えるわけがない。それでも増税OKというのは、よっぽど豊かな人か増税賛成論を唱えると自分にプラスになる人たちだろう。
まったくもってその通りです。消費増税法案の成立は国民に将来不安の増大をもたらすので、実際に増税が実施される前から景気にマイナスに働くのではないかと私は思っています。増税実施前の駆け込み需要を相殺してあまりあるのではないでしょうか。それほどに、今の日本の経済状況はヒドイのです。これが、国民の実感です。
景気条項の扱いが焦点になっているが、基本はあくまで景気が本当に回復するかどうか。欧州情勢の混迷をみると、相当不透明。日本は日銀のおかげでデフレ脱却が見込めず、国内情勢もダウンサイドリスクが高い。電気料金値上げもある。それで消費税、本当に上げられるか。選挙カーで増税演説できるか。
景気条項については据え置きが決まりました。削除されるよりはよっぽどマシですが、これはあくまでも「努力目標」であって義務ではありません。自民党は当条項の義務化を民主党に対して求めるべきだったのです。それとは真逆に削除を求めたことは、同党の経済成長路線が官僚主導という本音の表面に塗られたメッキに過ぎないことを図らずも自ら暴露してしまいました。「選挙カーで増税演説できるか」との長谷川氏の問いかけはごもっともです。しかし、先ほどテレビで、若手の民主党議員が自分の選挙区で選挙民に対して消費増税の必要性をこれから訴えていくと眦(まなじり)を決していました。その馬鹿面に唖然としてしまいました。
自公民が談合増税派であることがはっきりしたので、次の総選挙と参院選は談合増税派vs増税見直し派の戦い。原発推進派vs脱原発派の戦いでもある。この対立軸はきわめて分かりやすい。
これをちがった角度からまとめれば、来るべき総選挙は、「官僚依存派VS国民経済派」の闘いです。ただし、国民経済派からすれば、短兵急な脱原発は国民経済に打撃を与えるので、脱原発依存に向けての長期的な着実な展望を示す必要があります。
今回、消費税引き上げ法案が決まれば、もう消費税は焦点にならないという話もあるが、とんでもない。世論調査では半分以上が引き上げに反対か慎重。焦点は世論が決める。今回、引き上げ法案が可決成立しても、次は増税凍結法案が必ず焦点になるだろう。
私もそうなるのではないかと思っています。大手マスコミは、それが焦点にならないように躍起になって消費増税をめぐるウソ報道をさらに膨大に垂れ流すことでしょう。
消費税引き上げの第一弾は2014年4月。衆院の任期満了は13年8月29日、参院は同じく7月28日なので、それまでには必ず総選挙と参院選がある。引き上げ実施まで少なくとも7カ月あって、その前に臨時国会も通常国会もあるだろう。
この日程は頭に叩き込んでおきたいものです。
マスコミが一斉に同じようなキャッチフレーズを言い出すときは、たいてい舞台裏に官僚がいる。今回の「決められない政治」というのは、その典型。思考停止に陥っているとこうなる。
これについては、元財務官僚の高橋洋一氏がツイッターで興味深い指摘をしています。
大新聞が似たような論調の時には、だいたい後ろに官僚がいる。大蔵省にいたときの話。課長クラス以上に対し各紙論説クラスやコメンテーターに根回してどのように書かせるか、言わせるかを競わせた。出世競争だから各課長は必死。昨日の「決められない政治からの脱却」の大合唱はそうかもね.
各紙論説クラスや各テレビ局コメンテーターに根回してどのように書かせるか、言わせるかを競わせたと書いた。明日はその結果の「反省会」があるはず(といっても正式会議でない)。うまく書かせたり、言わせた課長は上向いているけど、失敗した課長は下向いている.
高橋氏には、財務官僚の、マスコミや御用学者との関わり方についての生々しいツイートがあります。必見ものです。彼の批判には日本人離れした辛辣さがあります。
マスゴミを官僚が洗脳する方法。1.出向くこと(取材先にいくことが多いマスゴミにいくとそれだけで先方は恐縮)、2.内部資料といって資料をもっていく(マスゴミはデータを調べられないから喜ばれる。内部資料はマスゴミ配布用)、3.メール、携帯電話を教える(取材源の確保になって喜ばれる).
御用学者に官僚が仕立てる方法。1.審議会、勉強会委員にする(先生のご意見が聞きたいとおだてる)、2.資料、メモだし(研究サポート)、3.顎足海外出張(ファーストグレードアップ、現地アテンドなど)、4.弟子の就職斡旋(公的機関紹介)、5.研究費や委託調査費の優先配分.
ポチマスコミと御用学者がそろうと、それらの相互協力関係にも、官僚は一役買う。ポチマスコミに御用学者の紹介などの完成。今の情報の大半がこのトライアングルから生み出される.
今回の民自公の協議でそっくりそのまま先送りされた社会保障懸案事項と歳入庁の設置問題については、「国民会議」なるもので話し合うことになっています。この会議が、高橋氏の言う「官僚、ポチマスコミ、御用学者の鉄のトライアングル」から生み出されるものであることは間違いないでしょう。そういう視線で、次の長谷川氏のツイートを眺めたい。
国民会議とか有識者会議とか、やめてほしいね、そういう「もっともらしい権威」を装うのは。国民会議なんて言ったって「自公民で事前に合意を図る」って3党合意の確認書に書いてあるじゃない。それで、どこが「国民」の会議なの?「自公民会議」でしょ。そういう本質を言わないマスコミも悪い!