私は、小浜氏に、思想的な営為において使う言葉の孕まざるを得ない矛盾・限界についてお尋ねしました。対する小浜氏は、それを「頭と身体の矛盾」のようなものという言い方でうまく言い当ててくれました。
そこから、私の思考は、どう返事を書こうかと思案するうちに、夏目漱石が指摘した(言葉は正確ではありませんが)「近代そのものの性急さと、日本が近代を西洋から移植することにまつわる性急さの二重性」という日本近代特有の問題に及びました。さらに、小林秀雄がプロレタリア文学の累々たる思想的屍(しかばね)を目にしながらつぶやいた言葉のいくつかが自ずから浮かんできました。次の返信は、そんな状態で送ったものです。
日本近代の特殊性はマイナス・イメージで語られるのが一般的であり続けてきました。そういうものと言い切れるものでもないだろう、というのが私の返信の主旨です。つまり私に、「頭と身体の矛盾」を強いる歴史的背景の可能性としての肯定的な一面に目を向けようと試みたのが以下の文面です。
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小浜逸郎様
私の、自分でも何を気にしているのかいくぶん不明なところを抱えたままの問いかけにして、これ以上はないような誠意にあふれたご返事をいただけたことを、心の底から嬉しいと思っています。
小浜さんの、「ぎりぎりの回答」に対して、私がお返しできる言葉は、それほど多くありません。
だから、無理やり話を広げようとすることは慎んで、一つだけお伝えしておこうと思います。
仕事帰りの電車の中で、小浜さんのメールの内容を頭の中で振り返るともなく振り返っていたら、脳裏に小林秀雄の『私小説論』のなかのあの有名なキー・ワードである「社会化された私」がひょっこりと浮かんできました。そうして、その言葉が、これまで とちょっと違うニュアンスを帯びているように感じられたのです。
確かその言葉は、ルソーの『告白』を取り上げたところで、「ルソーはたしかにここで 私の告白をしている。ただし、その私は、あらかじめ社会化された私なのだ。」という ふうな言い方がされていたと記憶しています(本がどこにあるかすぐに探し出せないので不正確ですみません)
そこから後は、読者が勝手に補助線を引いて、その真意をさぐるほかないような感じではなかったでしょうか。
私は、これまで「だから、西欧での告白は、日本のように私小説にならないのだ」という理解の仕方でした。
さらに、「だから、社会化されない私の告白としての、日本の私小説は、近代小説たりえないのだ」と小林は言おうとしていると、私は考えていたような気がするのです。
むろん、小林秀雄が「だから日本の私小説はダメなのだ」とまでは言っていないのは確かです。
しかし、私小説を積極的に評価する、ということでもなかったと記憶しています。
ここからの話は、私小説から離れます。
「社会」という言葉がsocietyの翻訳語であることから分かるとおり、「社会化」という観念的な営為は、とりあえずは日本の歴史・習慣とは切れた、意識的さらには人工的なものではないかと思うのです。その営為の繰り返しによって、ある程度は日本の精神風土に根付くところがあることは思いますが、翻訳語であるという出自はどうしてもその痕跡を残すのではないでしょうか。
とはいうものの、他方では、国際社会の中で日本がまともな形で、つまり独立国として生き残っていくには、 とにもかくにも、資本主義経済を発展させなければならいないし、政治制度もそれに対応した近代的なものに切り替えていかなければならないし、絶えず更新しなくてはならないというリアルな圧力を、私たち日本人は庶民レベルにおいてもこれまで感じ続けてきたのではないでしょうか。
だから、いくぶん「他所行き」の着心地がしても、日本の「私」は「社会化」に対していやいやながらも開かれ続けてきたし、その舶来の着物を身にまとおうとも努めてきました。
また、そのことで、(第二次世界大戦における敗北という大きな代償を払いながらも)豊かな社会を獲得するという大きな国民的な成果を得ることにもなりました。
私はなにを言いたいのか。
欧米人にとって歴史的・習慣的であるがゆえにほとんど無意識的な「社会化」が、日本人 にとっては、そうではないがゆえに極めて意識的・自覚的なものとなるからこそ、「社会化」されない残余の「私」の領域についての感知が、そっくりそのまま豊かに残されているのではないかと言ってみたいのです。
だから、吉本さんによって(おそらく近代世界思想で)はじめて「共同幻想」と「対幻想」の峻別が思想として明確に打ち出されることにもなったし、個人的なレベルでは、私がこれまで述べてきたような、思想上の居心地の悪さを小浜さんに訴え、小浜さんからそれに対して、深い明晰な言葉で感応してい だくことにもなったのではないかと思うのです。
この、「社会化」されない残余の「私」の領域について、そこをprivateという個人主義的な硬い言葉・ニュアンスで塗りつぶしてしまいがちな(と私には思える)欧米人の感度には、正直なところ、あまり豊なものが感じられません。この領域を語る微細で繊細な言葉を、かれらはあまり持ちあわせていないような感じがするのです。
もしかしたら、ここは日本人の独壇場なのかもしれないと思ったりもするのです。大きな世界思想が生まれる、生き生きとした沃野を私たちは手にしているのかもしれない、と。
「春雨じゃ、濡れて帰ろう」。これについて、欧米人も分かるような語りができたら、世界はその分豊かになりますよね(笑)。
小林秀雄が直観的に掴んだものを、知的に掴みなおす入口に私たちが立つことができる ほどには、歴史には進展があったのかもしれませんね。
大風呂敷を広げてしまいました。このあたりで終わります。
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その後すぐに小浜氏から返事が来ました。
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美津島明様
間髪をいれずにお答えする私の性急な癖に辟易するようでしたら、どうぞ、十分な間合いを取ってください。
日本が近代化に当たって、不慣れな「社会」概念をそれなりに消化しつつ、やっぱりいくぶんの消化不良を残してきてしまった、そしてその「澱」のようなものをよく見つめることには、それなりに深い意味があるということ、これはそのとおりと思います。
> 欧米人にとって歴史的・習慣的であるがゆえにほとんど無意識的な「社会化」が、日本人 にとっては、そうでないがゆえに極めて意識的・自覚的なものとなるからこそ、「社会化 」されない残余の「私」の領域についての知が、そっくりそのまま豊かに残されているのではないかと言ってみたいのです。この、「社会化」されない残余の「私」の領域について、そこをprivateという個人主義的な 硬い言葉・ニュアンスで塗りつぶしてしまいがちな欧米人の感度には、正直なところ、あまり豊かなものが感じられません。この領域を語る微細で繊細な言葉をかれらはあまり持ちあわせていないような感じがするのです。もしかしたら、ここは日本人の独壇場なのかもしれないと思ったりもするのです。大きな世界思想が生まれる、生き生きとした沃野を私たちは手にしているのかもしれない、と。
この指摘もそのとおり、と拍手を送りたいのですが、本当の問題は、私たちが西洋文化を摂取するその仕方に、もともと当然の限界がある、ということなのではないかとも思うのです。文化的な伝統がこれだけちがえば、一種の誤解のようなものが生まれるのは、いたし方のないことですよね。
じつは、私たちが把握できないところで、彼ら西洋人も、「微細で繊細な」感性を持ち合わせているのではないでしょうか。そうだとすれば、だからこそ、私たち日本人の感性を言語化して、それを人間の普遍的なあり方として世界発信する意味もあろうというものです。
貴兄がこの前、ブログで茂吉の短歌を取り上げて詳しい分析をされていましたね。じつは私も、「七人の思想家」の大森荘蔵の章で、期せずして子規、晶子、定家の短歌を取り上げて、同じような分析をしてみたのです。これは、大森に対する批判の文脈のなかでです。
要するに、大森は、「心と物」の二元論的枠組みにはまっていて、前者を否定して後者に「心」のありどころをすべて明け渡すという極端なカウンター論理に落ち込んでいる。いわゆる「西洋哲学的枠組み」を一挙に破壊しようとの問題意識が強すぎる分だけ、文学的感度が足りないのです。
*上記の「西洋哲学的枠組み」とは、主観(心)-客観(物)の二元論のことです。近代西欧哲学の歴史とは、この、哲学的な基本的前提をめぐっての、言語による格闘の歴史であると申し上げても過言ではないでしょう。また、「主観-客観」問題を「存在」問題と言いかえることもできるでしょう。そういう意味で、近代西欧哲学は、これまでずっと「存在」問題を中心的なテーマとして展開されてきたともいえるでしょう。つまり、「存在物」を「存在物」たらしめる「存在」とはいったい何なのかをうまく言い当てる説得のゲームを繰り広げてきた、と。大森氏は、そのような、近代哲学を根のところで規定してきたものを一気に乗りこえようとしてちょっと力あまって自ら土俵を割ったところがあるのではないか、というのが小浜氏のお話ではないかと思われます。
自然詠そのものを「通して」心を表現するというのではなく、自然詠と見えるものが、じつは高度な技巧に裏付けられて、そのまま「心」の表現にもなりえている、というのが短歌芸術のひとつの粋である、と私は思います。
で、こういう繊細かつ微妙な世界感受というのは、私たちが西洋人のそれを十分に把握できないだけで、じつは西洋人の生活感覚の中にもあるのではないか、というのが私の想定です。
思いつくままに、一例を挙げます。
私は、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』に感動するのですが、あの作品で、小学校高学年の子どもたちが、なぜ同年齢の子どもの死体が放置されているという情報を得たために、あれほど興奮して、親をだましてまで長旅を覚悟でそれを見に行こうと決断するのか。学校生活に飽きたらず不良ぶっている思春期前期の浮遊した境地にある少年たちならば、日本人でも必ずそういう衝動を抱くと、私には思えます。彼らは、自分たちだけの濃密な生活感覚の共有を通して、規範とは無縁な形で、いわば裸形の「死」、人間は死ぬものだという切迫した直感に大きく支配されてしまった。
むろん、この事情は、彼らアメリカ人の家庭環境が、日本以上に壊れていることに大きく関係していることはたしかなのですが。これらを見事に表現しているこの作品は、人間の普遍的な「症状」の提示を成し遂げているがゆえに、私たち日本人にも共感を喚起することに成功していると思えます。
つまり、月並みな言い方ですが、文学、芸術は、政治思想、社会思想に比べれば、相対的に、「国境を越える」ことがより深く可能なのではないでしょうか。そういうことを、日本思想の世界発信という逆の立場から見るならば、貴兄の指摘するとおり、わが日本人の伝統である「生き生きとした沃野」を存分に利用しない手はないですよね。
今日は、これくらいで。
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上記のなかの「じつは私も、『七人の思想家』の大森荘蔵の章で、期せずして子規、晶子、定家の短歌を取り上げて、同じような分析をしてみたのです」の箇所に該当する部分を添付ファイルで合わせていただきました。以下にそれを掲げます。これは、今年の9月をメドに出版される本の一部分を成すものです。
私が述べた形容詞論の要諦を箇条書きにしてみよう。
①形容詞は、人間が事態に直面したときに真っ先にその事態を表現する素朴で原始的な私たちの感性をそのまま保存している。
②時枝が示した、述語格こそが文の基本であって主語はその中から後に抽出されたものであるという認識は、私の形容詞観と共鳴するもので、時枝が文法的に「述語格」と呼んでいるものは、たとえ文法的に形容詞ではなくとも、形容詞句または、形容詞的陳述とみなすことができる。
*「時枝」とは、言語学者時枝誠記(ときえだもとき)のことです。主著は『国語学原論』です。上記の記述は同書中にあります。同書は、数年前に岩波文庫から出ています。ついでながら、今からふりかえれば、私は同書から決定的とも言える思想的な影響を受けています。(美津島)
③形容詞は、便宜的には、.対象の様態を表現するもの、.主体の心情を表現するもの、.両者の中間に属するもの、の三つに分類できるが、ととは相互に置換可能で、にこそ形容詞本来の機能が凝縮されて表されている。
さてこの観点から大森の右の主張を捉えなおすと、そこにやや粗雑で性急な決めつけの印象が目立ってくる。大森の関心は、自然を死物化から救い出して活き活きとした生命を吹き込みなおすというところよりも、どちらかといえば、「私の心の状態」という閉鎖系を否定してその扉をこじ開け、「心」なるものが本来、すべて自然の属性なのだという論理のほうに大きく引き寄せようとしているところにある。
もちろん、こう言えば、おそらく大森は、両者は同じことだと答えるであろう。だが、「陰うつな空」「陽気な庭」なる形容が可能であることだけをもって、自然のすべてが「有情」であり、「心的」なものであると規定するのは、いかにも極端である。というよりも、大森はここで、三つの点を見落としている。
一つは、世界の一定の様相に対してある感受なり認識なりが成立するためには、その世界内の一部として位置を占め、みずからも含めたその世界を把握する主体の存在という「項」(ハイデガーを借りれば、世界内存在としての実存、現存在)がどうしても必要とされるということ。
二つ目は、「陰うつな空」とか「陽気な庭」といった表現があくまでも「言葉」であり、そのような「言葉」が成立するのは、人間主体がその時々にこの世界を一定の「意味」として「切り取って生きている」証しであるということ、つまり、空が「陰うつ」であるのは、空が有情であったり心的であったりするからではなく、空と主体とが交流しているその交流関係の様相が有情であり心的であるのだということ。言い換えると、ちょうど先に指摘した形容詞の両面性が象徴しているように、あくまでも空が「陰うつ」であると同時に、「私」の気分もまた「陰うつ」なのであるということ。前章で挙げた例で言えば、「恐ろしいトラ」というとき、トラ自身が恐ろしい相貌をはじめから持っている(これが大森説の帰着するところである)のと同時に、「私」もまた恐ろしいと感じているのだということ。あえて言えば、トラと私との出会いという場面そのものが、トラと私とのどちらにも還元しきれない「恐ろしさ」という様相を作り出しているのだということ。
そして最後に、大森は、私的な「内心」の存在を否定するのに、ただ「自然物」との関係に限定して「心」という語を定義しつつそうしているのだが、この方法によって「心」を定義しかつ否定するのは、いかにも哲学者流の把握の狭さを代表しているということ。私の考えでは、「心」という言葉はもっと広い内包と外延(簡単に言えば人間同士が関係しあうときに現実性を持つ概念も含んでいる)をもっており、そのことに思いをいたすならば、「閉鎖的な心」を捨てる方向が、必ずしも「自然」にそれを全面的に明け渡すこととは一致しないということ。
ここでは、第一と第二の見落としについて、より詳しく論じるために、短歌表現を援用してみよう。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨の降る 正岡子規
金色のちひさき鳥のかたちして 銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
いずれも名歌として名高い。しかし逐語的に意味をたどれば、この三首には「しっとりとしてしかも鮮やかなその姿に、みずみずしく洗われるような気分だ」だの「可憐でありながら華やかに散っていくものたちの美しさ、哀しさよ」だの「かやぶき小屋以外何もない秋の海辺は私の心と同じように寂しい光景だ」といった、私的な情緒を表す言葉はひと言も出てこない。それにもかかわらず、これらの歌がそうした人間の「心」を表現しているということに異論を唱える人はいないであろう。なぜそういうことになるのか。
普通、こうした歌は景物に託して作者の「思い」を歌ったものだとされる。しかしただ景物が散文的に述べられていても「思い」のすぐれた表現にはならない。そこには、まず韻文であるという条件を前提としながら、洗練された短歌に特有の言葉の技巧がいくつも込められていて、だからこそ読む人、聞く人の「心」に作者の真情が深く伝わるのである。ことに子規の歌などは、本人が古今集的技巧を排して「写生」を重んじるなどという歌論をものしながら、それとは裏腹に、最高度に技巧を凝らしたものだといってよい。
つまりこういうことなのだ。大森が述べているように、たしかに「自然」は単なる死物としての知覚対象ではなく、それ自体が活物性をもってはいるのだが、その活物性が活物性として見目鮮やかにあらわれるためには、私たち人間の、それも時にはとびきりすぐれた感性との出会いが不可欠なのである。言い換えると、大森の望むように自然の活物性をまざまざと復元せしめるためには、それと出会いそれに囲まれている私たち自身の「情」をも同時に洗練させることが要求されるのだ。
再び子規の歌について言えば、この歌には「ナ行」音が八回も出てきて、そのうち「の」音が効果的な場所に五回も使われている。さらに耳障りになりやすい擦過音や破裂音は「く」二回、「び」「ば」各一回と極端に制限されていて、それも「薔薇」の「ば」以外は周りの音たちに囲まれて自己主張をかき消されているふうである。こうした音楽的効果の妙が奏功して、一首全体のえもいわれぬしっとり感と「薔薇の芽」の鮮やかさとを演出しているのである。また「二尺」というまことに適切な長さ、「やはらか」を「針」と「春雨」との両方にかけている巧さなどはいうまでもない。写生といえば写生だが、テクニックに満ち溢れた超一級の写生なのだ。こうしてようやくのことで「物」と「心」との見事な調和が図られるのである。
結局、大森のように、「自然」の死物化と「心」の閉鎖との(極端な)二極分解を克服しようと思うなら、単に「自然」そのものが有情であり心的なのであるという論理をデカルト的二元論に対置するだけでは不十分なのであって、かえって、その有情であり心的である「自然」をそういうものとして認める私たち自身の感性、情、情緒、要するに「心」の存在が不可欠なのである。そのような出会いが実現しているとき、もはや「心」は、狭く閉鎖的なエアポケットに迷い込んでいるのではなく、私たちのものでありながら、同時に「物」に対して大きく開かれているのだ。しかるに大森は、二元論克服の情熱に性急に駆られるあまり、私たち人間主体の「心」の自立性を否定するところまで行ってしまったのである。
自然の活物化には、私たち人間という「立会人」がぜひとも必要なのであり、自然に意味(意趣、Sinn)を与え、その意味によってみずからもまた意味づけられるのは、立会人の「心」という、世界に対して閉じられもすれば開かれもする、特有のあり方である。そういう分節項を無雑作に「自然」のほうに押しやることによっては、けっしてデカルト的二元論を本当の意味で克服することはできない。
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世界規模の欧米化という不可逆的な流れの渦中で、文化ギャップを日本人として思想的にどうとらえるかという一点に話がしぼられてきました。
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小浜逸郎様
いつものように遅れ気味の返事です。お待たせ(?)しました。
今回は、やや反論気味の内容です。
「社会化」されない「私」の領域についての微細で繊細な感性が洋の東西を問わない普遍的なものであり、そのことは主に文学において理解することが可能である、という小浜さんの言は、原則的・総論的にはそのとおりでしょう。私もまた普遍性という概念を手放したくないと思っている者ですから、それには賛成せざるをえない。言葉を世に向けて発することの最終的な根拠は、そこだとも思っています。それがなくて世に言葉を発する表現者を不誠実である、とさえ思ってもいます。
しかしながら、微視的に見ていくと、つまり表現の具体的な局面においては、そうとも言い切れない面があるのではないか、と思うのです。
それは、日本語には「助詞」があって、印欧語にはそれがないという言語の根本性質の相違に関わることがらです。
とは言っても、私は言語学の専門家ではないので、学術的にそれを語るのは無理です。「短歌」の英訳の難しさ・不可能性という具体的な表現問題のほんの一例をあげることで論を展開することをご了承願います。
たまたまインターネットで検索してみたら、格好の話の種があったので、そこから歌を一つだけら引用します。(この論文の全体がなかなか興味深そうです)
http://www.info.sophia.ac.jp/amecana/Journal/10-4.htm
この論文の筆者(サトウ・ヒロアキ)が一番最後に取り上げた、俵万智さんの『サラダ記念日』からの一首を引用します。
いい男(ヤツ)と結婚しろよと言っといて我を娶らぬヤツの口づけ
筆者のコメントを次に載せておきましょう。
『サラダ記念日』には二種類の英訳があるようだ。ぼくが持っているのは、散文では安部公房や円地文子の訳で知られるJulietWinters Carpenterの訳の方。これは、出版社の講談社が翻訳者を公募するという異例の措置をとったものだが、カーペンターは訳の解説で、「短歌はしばしば“五行詩”と言われるけれども、これは誤解を招きやすい」と指摘し、「普通は一行で書かれるし、俵自身、短歌は一行詩と考えている」と述べながら、三行に訳している。
では、 Carpenter氏の訳を載せます。
“Marry a nice guy, now”
says this guy, with a kiss,
and doesn’t marry me.
筆者の訳は、次の通り。彼は、短歌の本質は一行詩であると主張し、それを訳業においてあくまでも守ろうとしている人のようです。(このこだわりは言語と情緒の本質にかなっている正しいものであると思います)
Having said, Marry a good fellow, this fellow who won’t wed me kisses me.
私見によれば、佐藤氏の訳に軍配が上がります。佐藤訳には、本歌のこころを異言語に写し取ろうと格闘した痕跡がうかがえ、半ば以上それに成功しているように見受けられるのに対して、 Carpenter氏の訳はあまりにも形式的・説明的に過ぎると感じられるからです。
この短歌の訳の肝は、おそらく、本歌の「言っといて」という言い方に込められた、恋する者の、切なさと、若い女性の自然体のコケティと、いじらしい投げやりな感じとの複合的なものをどう訳し出すかにかかっています。(本歌の対句的な押韻の美しい響きを写し取るのも大切なことですが、それについては両者ともに十分に意識して訳しているので省略します)
言いかえれば、ここが「言っておいて」となると、意味は同じでも、短歌全体がニュアンスにおいて死んでしまうのだという表現の微細な差異についての感度の有無が、訳の成否を分けると思うのです。「言っておいて」と「言っといて」との違いは、辞書をいくらひっくり返してみても分かりようのない「助詞」問題の応用編のような、感性だけが頼りのとても高度な論点です。でも、これはごく普通の日本人がすんなりと分かることですよね。
おそらく、 Carpenter氏は高名な日本学者なのでしょうが、その感度が訳からは感じられません。なぜならCarpenter氏の訳は、「言っといて」が「言っておいて」になったとしても変わりようがないからです。
突き詰めていえば、欧米人には「助詞」の微細なニュアンスが分からないのではないかということです。(だって、もともとない、のですから)それが分からないということは、結局短歌の本質が分からないということを意味します。つまり、日本語による表現の本質が分からないことを意味してしまいます。(ここは、欧米人から逆襲されてしまいそうなところでもあります。「お前らには、一神教の「神」は分からない。「絶対」は分からない。「抽象」の本質は分からない」というふうに。)
ところで、歌人・歌論家のさいかち真くんによれば、歌人というのは、助詞一つの選択をめぐって血道を上げる「野蛮な存在」であるそうです。(ここでの「野蛮」は、一種の韜晦でしょうが)そうやって、歌人は、エロスの「前言語的な世界」をそっくりそのまま言語の世界」に置きかえるという表現上の難事を遂行し、控えめに言っても半ばくらいは、それに成功して来ました。
話を前回のところにまで戻します。
「社会化」されない「私」の領域についての微細で繊細な感性は、おそらく民族・文化の違いを超えた普遍的なものではあるのでしょうが、その領域についての言語的な表現は、助詞という言語的武器をたまたま手にし、「社会化」の歴史過程が意識的・人工的なものであった日本人に、控えめに言っても、やや有利に働くのではないかと、やはり思われてしまうのです。(無論、日本の文化的な優位性を誇示して危うく自己満足に陥ろうとする『新しい歴史教科書』的な構えは、欧米コンプレクスの裏返しのようで馬鹿げているし生産的ではないと思っています)
だから、日本の表現者には、前言語的な世界を言語に写しかえるという表現者としての本質的な課題とともに、助詞によって支えられたその言語的表現世界を助詞なき異世界へつなぐ文化的通路を見つけ出すというもう一つの課題があるのではないでしょうか。それが見出される度合いに応じて、ずいぶんと気持ちが楽になる人が出てくるような気がします。これは、近代化そのものが、人類に強いている本質的な「無理」「ストレス」に対する、表現上の解毒作用を、人類が意識的あるいは無意識的に必要としているのではないか、という議論につながっていくのかもしれません。
一事から、またもや大風呂敷を広げてしまったような気もしますけれど、とりあえずは、このくらいで。
(小浜さんが、そろそろこの議論を終わりにしたければ、遠慮なくそうしてください)
*****
美津島明さま
いやいや、なんのなんの、議論はまだまだこれからです(笑)。これは議論というよりも、よい刺戟を与えてくれる実り多い発展的な対話と考えるべきでしょう。私もしつこさでは引けを取らない質ですので、よろしくご覚悟を(笑)。「反論気味の内容」とは感じませんでした。むしろ共感できる部分が多いからです。
まず、やっぱり言語論になってきたな、というところで、現在の私のポジションからすると、これは願ってもない展開です。というのは、NTT出版からのオファーで、今月末を第一回目の締め切りとして、毎月ネットコラムをやることになっており、テーマが、和辻や長谷川三千子さんが追究しているのとたいへん重なる部分の多い、「日本語を哲学する」というものだからです。どう切り込むか思案中なのですが、今後の展開にとって、貴兄のご指摘はたいへん参考になります。
サトウ・ヒロアキさんのエッセイ、よく見つけましたね。英文の難しい部分は飛ばしてざっと読みましたが、なかなかすごい人ですね。藤井貞和の義兄というのにも驚きました。こういう人がいるんですね。短歌の英訳に関しても、この人の一行訳のほうが、欧米人の訳よりはるかに優れているということは、英語に暗い私でも何となくわかります。万智ちゃんの短歌についての貴兄の分析もなかなか見事と思います。
*藤井貞和 「父は折口信夫門下の国文学者で國學院大學名誉教授の藤井貞文。姉は歌人の藤井常世。1972年、『源氏物語の始原と現在』で注目される。2001年、『源氏物語論』で角川源義賞受賞。詩人として、1999年『「静かの海」石、その韻き』で第40回晩翠賞受賞、2002年『ことばのつえ、ことばのつえ』で藤村記念歴程賞と高見順賞受賞。2006年、『神の子犬』で現代詩花椿賞と現代詩人賞を受賞。2007年『甦る詩学』で伊波普猷賞、2008年『言葉と戦争』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。2012年『春楡の木』で第3回鮎川信夫賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。1991年、湾岸戦争の際の『鳩よ!』の戦争詩特集を批判した瀬尾育生と論争をおこなった。」wikipediaより
ガイジンの訳は、散文に直しただけで、印欧語のrhymeすら踏んでいません。こんな訳で短歌の深い「興趣」が通ずると思ってもらっては困りますね。その意味では、私たちは、たしかに言語文化の大きな壁にぶつかっているわけです。日本語の音韻が等時拍音(等間隔の手拍子をイメージすればよいでしょうー編者注)であるためにこそ音数律による定型の快感が生じるのだという基本的なことも踏まえていないようです。こんな雑な訳をみせられると、上田敏の『海潮音』、西洋の詩を日本の詩にしてしまうあのすごい工夫と労苦が泣くというものですね。
ところで、ここからが本題ですが、まず、どちらかの訳に軍配が挙がる、という事実をよく考えてみてください。この事実は、「異文化における言語疎通は果たして可能か」という古くからの問いに(この問いに完璧な形でYesということはできませんが)、ある肯定的な方向性を指し示すものではありませんか?
つまり、私たちは、理念としてそういうことが可能である、と考えて異文化言語と交流するからこそ、「よりよい訳」「よりまずい訳」という判定が曲がりなりにもできるわけで、サトウさんの努力と怒りは、その疎通可能性へ向かっての信頼によって支えられているのではありませんか? そして貴兄も私も、サトウさんの訳に軍配を挙げるのは、彼の努力が少しでも短歌の「興趣」を伝え得ていると感じるからではないでしょうか。
もしこの理念を片手に抱きつつ、異文化の言語を味わい、古典を味わって、そこそこの感動を得られるならば、その理由を私たちは、言語の背景をなし、かつその基盤ともなっている、各ラング以前の「普遍人間性」とか「人類学的等価」とか「人間存在の普遍性」とか「人間の基本生活感情の変わらなさ」といったものに求める以外ないのではないでしょうか。そのことは、貴兄も「総論」として認めてくれていますよね。
それで、この点に関して厳密に言えば、貴兄の今回の論は、「日本人の感性は素晴らしく、微妙で独特であり、そう簡単にガイジンなどにわかるはずがない、わかってもらっては困る」と言いたい気持ちと、「私たちはそれでも、よりよい訳、よりよい批評などを目ざしているところから見て、究極的な理想として、分かり合えるはずだ」という理念との両面を唱えていることになると思います。論理的にはこれは矛盾するのでは?
いま挙げた四つのまずい言葉のうち前二者(すなわち、「普遍人間性」と「人類学的等価」―編者注)は、じつは、本多秋五が吉本隆明と「批評の絶対基準」をめぐって小さな論争を交わしたときに、彼自身もまずい表現と知りつつ、苦しげにひねり出した言葉です。もしよろしければ、拙著『吉本隆明』p301~p310を参照していただければさいわいです。
*本多秋五は、「人類学的等価」と「普遍人間性」を次のような文脈で使っている。
私が批評の絶対的基準と考えるものは、いわば「人類学的等価」というべきものである。人類に役立つ度合が尺度である。(中略)傑作は万人の胸に訴える。すなわち、普遍人間性がまる裸かで存在することはありえないが、それにもかかわらず、普遍人間性は考えることができるし、また、考えねばならぬと私は思う。「人類学的等価」という場合の人類は、私にあっては、この普遍人間性に通じている。「人類学的等価」は、目に見える実在の月ではなくて、批評にとっていわばアコガレの象徴である。(吉本隆明『模写と鏡』より孫引き)
話は少し脱線しますが、この論争で、吉本は本多の説こうとしていることを誤読しています。吉本は、誤読の名人ですね。私がたしかめえたかぎりでも、親鸞、時枝、小林秀雄、ヘーゲル、そして、この本多秋五と、いくつも誤読を犯しています。親鸞にいたっては、看過できない思想的過ちを犯しています。自分の言いたいことをあまりに性急に強く押し出したいために、人の言い分を心静かに聴くということができない人だったのでしょう。
さて、この「批評の基準」「翻訳可能性」の問題(両者は私には類似の問題と思えます)に関しては、戦前の小林秀雄の時代にも同じような論争があったらしく、そのときは「批評の科学性は何によって保証されるか」という問いの形を取っていたようです。小林は、この問題に関する(おそらくはプロレタリア文学者たちの)甲論乙駁、決着のつかなさにうんざりしたようで、「私の答えは、批評が今日まで続いてきたという事実が、その科学性を証してあまりある、というものです」と言い切りました。これっていかにも小林らしい、謎と含みのある言い方ですが、よくよく考えると、やっぱりなかなかの答だと私は思います。
日本語の問題に話を転換しましょう。
貴兄は、助詞のあるなしで、生活の微妙さ、繊細さを表現できるかどうかが大きく違ってくるという趣旨のことを述べています。これは、日本人の私としては、そのとおりというほかはありません。要するに「てにをは」によって言語の骨格を形作っている日本語が、いかに日常生活の感覚、感情、情緒といったものに密着した精巧な言語たりえているかということで、時枝文法の詞辞論が、橋本文法の欧米型機能主義の日本語への当てはめに対して、その哲学的把握において一等上を行っているのも、むべなるかな、というところですね。こういう言語の優れた特性は、どんどん世界発信するべきだと思います。
しかし、それにもかかわらず、欧米圏の生活意識と言語との関係に精通しているわけではない私たちには、そもそも公平な比較というのは不可能なのではないでしょうか。そのことも押さえておく必要があると思うのです。
別の角度から、日本語の特性を思いつくままに挙げてみます。
①「いる」と「ある」の区別が欧米語にはない。
この指摘は菅谷規矩雄さんのオリジナルで、私はこれをパクって、少しばかりその意味について考えを深めてみました(拙著『エロス身体論』参照)。私の所論は、簡単に言えば、この区別は有情か非情かの区別ではなく、「いる」とは、この世界に私たちが何かとともに親しく「既往」するものとして住まっている、ということだというものです。主語が話者自身でなくてもそれは同じことなのです。この議論を人間学アカデミーでしたときに、貴兄が、「英語で言えば現在完了が近いのではないか」と質問されたのを、よくおぼえています。私は、「そのとおりです。私も同じことを考えていました」と答えたと思います。
②主語がない。
源氏物語に典型的なように、息の長い文の中で何回も「動作主、感情の主体」が入れ替わる。これは三上章が、一生かけて取り組んだテーマですね。三上の所論の当否については、再読してみないとわかりませんが、これでわかってしまう前近代の生活意識、表現意識の構造とはなんなのか、ということは、日本語を考えるに当たって、最重要な考察テーマのひとつだと思います。現在でも、話し言葉ではこの構造は依然として保存されていますね。
③「は」と「が」の違い。「は」とは何なのか。「が」とは何なのか。前者はほぼ解明されていると思いますが、後者「が」については、まだいろいろと謎が隠されているように思います。
④これに関連するのですが、「の」とは何なのか。「の」と「が」とはある場合に相互転換が可能ですね。「わが国」→「私の国」 「私の好きな曲」→「私が好きな曲」
⑤またまた関連するのですが、「辞」に関するかぎり、いろいろと品詞分類がなされてはいるものの、音韻が同じならばそこに込められた生活感情、生活思想はアルカイックな時代では同じだったのではないか、まったく出自が異なる音韻が偶然一致した(その可能性を否定はしませんが)ということは、じつはあまりないのではないか、という問題意識を私はもっています。これを解明することは、げんなりするほどたいへんだ、という気がしますが、どうもそういう直観がはたらくことだけは申し上げておきます。
「の」について諸例。
・わたしの本
・この人
・美しい日本の私
・それなのに
・高名の木登り
・秋の日のヴィオロンのため息の身に沁みて
・私が言いたいのは、
・どうしたの
・いい絵じゃのう
・そうはいうものの
・わたし、あの人嫌いなの
…………………
⑥敬語の問題。古語では、しばしば尊敬語が同時に謙譲語にもなりますね。この二分類を顔色なからしめる意識構造が日本人にはもともとあったのではないか。丸山眞男の「まつりごとまをす」(「政事(まつりごと)の構造―政治意識の執拗低音―」1985年)の分析が、なかなか刺激的です。これがうまく解明されると、人間が関係存在であるという私の「バカの一つ覚え」が、歴史的根拠を持つような気がしているのです。
⑦長谷川三千子さんが追究した「こと」と「もの」の問題。
⑧欧米語の断ち切り的な言い方に比べて、日本語の会話表現では文末に「ね、さ、よ」など、相手の気持ちを誘い出す表現が頻発する現象
まだまだあると思います。じっくり考えていこうかと構えています。
前回、貴兄と同じような短歌分析をしたと書きましたが、その部分を添付でお送りします。お暇がありましたらご笑覧ください。(これは当ブログで前々回投稿分に掲載しましたー編者注)
ブログはいつも楽しみにしながら見ています。ガルブレイスって、なかなかすごいですね。