本書は、『TPP亡国論』の中野剛志氏と『国土強靭化論』の藤井聡氏の対談本である。二〇一二年八月二〇日第一刷発行とあるので、出来たてのホヤホヤだ。本を読むのがあまり早い方ではない私が、一気に読んでしまった。今をときめく論客二人の生きのいい会話のノリノリのペースにすっかり乗せられた、ということだろう。
本書に「僕自身は、今の大学制度に極めて不満があった。先輩方には申し訳ないですが、大学の生ぬるさが許せなかった。その時に西部邁(すすむ)という人がテレビで語った一言一言が、僕の心に突き刺さった。この人は学問の門をくぐって何かにたどり着こうとしている人物に違いないと確信し、塾に入って門下生になったのです。」(藤井)とあるように、二人ともに西部邁氏の門下生である。西部門下生には、ほかに佐伯啓思氏や東谷暁(あきら)氏や若手では柴山圭太氏がいる。こうやって名前を連ねると、「西部山脈」と名づけたくなってくるほどの壮観である。彼らに共通しているのは、いわゆる経済学の知見を批判的に習得したうえで、ほかの社会科学や人文科学の分野にまでその知見を広めている点である。塾長の西部氏自身がそういう方なので、彼の薫陶を受けた門下生たちも自ずとそうなったのだろう。日本で稀有な、真の知的エリート集団といっていいだろう。
だからこそ本書において、お二人はニセ・エリート集団に対して非常に厳しい。彼らによれば、日本を破滅の淵に追いやっている真犯人は、権力機構とアカデミズムに巣食うニセ・エリート集団である。消費増税議論に関して、中野氏は、次のように指摘する。
たぶん、官僚のほうは、「自分が増税すべきと思っているのは、先生方がみんなそう言っているから」と考えている。結構、学者の権威に依存しているのです。他方、学者のほうも、「増税するしかないんだろう。なぜなら、官僚や財界が、みんな増税と言っているから」といった程度ではないでしょうか。要するに、山本七平の言う「空気の支配」ですね。「みんなが増税って言っているから、おれも増税すべきだと思う」という話。
どうして、こんなバカバカしいことになってしまうのか。彼ら二セ・エリート集団は、何故同じような言動をするのだろうか。いわく、「財政再建のためには消費増税しかない」。いわく、「ケインズ政策はもう古い、公共事業は経済成長にほとんど効かない」。いわく、「国境を超えた投資の自由を推進するグローバリズムは時代の趨勢だ」。また、お二人によれば、彼らニセ・エリートたちは明言してはいないけれど、東北大震災による被災地は、もともと過疎地域・経済の停滞地域なのだから、それらの地域の復旧・復興のために大枚をはたくのは無駄である、もったいない、と固く信じているらしい。本気でそう信じているらしい。到底、体内に温かい血が流れているとは思えない悪魔のような考えである。どうして彼らは、リーマン・ショックや東北大震災のような、国家の屋台骨を揺るがす、すさまじいまでの現実が次から次に押し寄せようともどうしようとも、頑ななまでに自分たちの反国民経済的な考えを変えようとはしないのだろうか。
中野氏によれば、それは、彼らがひとつの認識共同体に属しているからだという。ここで認識共同体とは、同じ考え方で世の中を見る人たちのコミュニティのことである。平たくいえば、彼らは、同じ新自由主義ムラの村民なのである。また、彼らの間ではびこっている考え方のひとつながりをパラダイムという。彼らは、アメリカに留学し、向こうでバリバリの新自由主義経済学のパラダイムを叩き込まれて帰ってくる。それを習得していることがエリートとしてのステイタスであるという自負心があるので、彼らは自分の考えを絶対に変えようとしない。そうすると、困ったことが起きてくる。ふたたび中野氏の発言に耳を傾けてみよう。
優れた学者は、経済学の一般均衡理論(完全競争市場において、社会全体がこれ以上変化しない均衡状態に至るとする理論。ワルラスによって提唱されたー引用者注)などはパラダイムにすぎないとわかっており、平気でそれを否定できる。でも、凡庸な学者はそのパラダイムを信じることが自分のアイデンティティになり、プライドになる。出世して教授になったりもできる。だから、パラダイムそれ自体を単なる理論ではなく、現実のように思いなすのです。しかも、パラダイムとしての知識は、権力の源泉にもなる。要するに、何が正しいかではなく、何を言えば発言権や地位が得られるかで、みんな動いているのです。したがって、御用学者は官僚の言いなりになっているのではない。学者も官僚も、同じパラダイムの住人にすぎないのです。
そういう、「俗悪な田舎者たち」(本書の言葉)が思うがままに権力を振るうと、どのような粗暴な挙に出るか、そうして、それが国民経済にどれほどの災いをもたらすのか、具体例を二つ挙げよう。(ちょっと、こまかい話になるのですが、とても重要なので、しばらくおつきあい願いたく存じます)
みなさんは、税収弾性値という言葉をご存知だろうか。これは、名目GDPが1%伸びたときに税収が何%伸びるかを示す数値である。例えば、名目GDPが3%増えたときに税収が6%伸びたら、税収弾性値は、6%÷3%=2となる。それを踏まえたうえで、藤井氏の次の発言をご覧願いたい。
実は、過去一五年間の毎年の税収弾性値の単純平均が計算されているんです。その値は4でした。つまり、GDPが1%増えると税収が平均4%伸びる。逆に1%減ると4%落ちる。これが過去の平均値なんですね。だから、素直に考えると税収弾性値は4でいいはずです。ところが、その偉い学者先生方(東大の吉川洋・井堀利宏、慶大の土居丈朗など)は単純に4にするのは非科学的すぎるという。税収はGDPだけで決まるものではなく、その他の要因も影響するのだから、それらを勘案しながら考えないといけないというわけです。では、いくらなのかとなる。実は、2008年に経済産業研究室(RIETI)が出したペーパーに1.1くらだと書かれているんです。この数字は、財務省をはじめ政府がここ最近使っているものです。
この4と1.1との違いは、数字そのものの大きさだけの違いに終わるものではもとよりない。そこから導き出される財政再建案が180°異なってくるのである。
もしも弾性値が4であるのならば、名目GDPが1%増えると税収が4%伸びるのだから、税収を増やすためには、政府として名目GDPの成長率を高めることに政策の重心を置くべきである、という意思決定がなされるはずである。より具体的に、ざっと次のような計算がなされることになるだろう。2011年度の税収が約41兆円。適正な経済政策と金融政策を組み合わせれば欧米並みに1.5~2%くらいのインフレ率が達成される。また、自然成長率はおおよそ1.5%~2%と見て、名目GDP成長率は1.5%~2%+1.5%~2%=3%~4%となる。とするならば、税収弾性率は3%~4%×4=12%~16%となる。(金利がここまで上がることはまず考えられない)よって、税収は41兆円×12%~16%≒5兆円~6.6兆円増える。次年度は、(41兆円+5兆円~6.6兆円)×12%~16%≒5.5兆円~7.6兆円増える。だから政府は、名目GDPを増やすことに全力をあげようとするだろう。
では、弾性値が1.1だったらどうなのか。これでは、名目GDPを増やしても、金利の上昇率の方が税収の伸び率より高くなってしまう危険を払拭できない。とすると、歳入と歳出との差がもっと広がり、財政状態はさらに悪化することになる。ならば、増税それもGDPが増えなくても確実に税収増が期待できる消費税の税率を上げるべきである、となるだろう。これが、現政府によって推進されている財政再建政策であることはいうまでもないだろう。
普通に考えれば税収弾性値4なのに、それが促す政策と180°異なる政策を促す弾性値1.1に変わったのは、学者たちが、財務官僚の好むにちがいない政策を忖度して、それを促す弾性値に無理やり修正したからであると考えるのが自然だろう。つまり、その数値の捻じ曲げを促したのは、官僚と学者がともに属する認識共同体の同調圧力である、ということである。私自身、消費増税をめぐる財務官僚や御用学者の言動について、なんとも名状しがたい腑に落ちなさを抱えていたので、そういうふうに理解するとストンと落ちるものを感じるのである。
「俗悪な田舎者たち」の数値的な詐術の二つ目に話を移そう。二人は、こう述べている。
中野 筑波大学名誉教授の宍戸駿太郎先生がおっしゃるように内閣モデルもひどいですね。
藤井 そうなんです。内閣モデルとは2002年、小泉内閣の竹中平蔵大臣の時につくられたものです。それまで日本政府は、マクロ経済についてのシミュレーションモデルを使っていた。宍戸先生が経済企画庁におられた時にメンテナンスをされていた、非常に信頼性の高いモデルです。国土計画をつくったり財政政策や税制を決めたりと、国の重要な経済政策を行う時に、これが活用されていたのです。ところが、行政改革で経済企画庁が廃止されて内閣府になった。その省庁再編のどさくさにまぎれてモデルを変えたのです。IMF(国際通貨基金)が使っている理論的なモデルをベースに、新たなモデルをつくったのです。(中略)IMFがつくるのは当然、緊縮財政のためのモデルです。日本はそのようなモデルに変えてしまったんですね。
さて、公共事業に支出すると、普通はどんなモデルで計算しても乗数効果が出ます。たとえば、1兆円を4~5年にわたって出し続けると、名目で言えばGDPが毎年3兆円から5兆円ほど増える計算になる。ところが、内閣府モデルで計算すると、1兆円をいくら出し続けてもGDPはほとんど伸びない、という結果になる。つまり、公共事業はムダという結論が出るようになっている。増税に関しても変な計算結果になる。これまたどんなモデルで計算しても、5%もの消費増税をして5~6年が経てば、GDPは4~6%毀損します。けれども、内閣府モデルだけはほとんどGDPの毀損はないという結果になる。
文中の「どんなモデルで計算しても」とあるのは、公共事業の乗数効果をめぐるいろいろな分析モデルのことを指している。例えば、東洋経済エコノメイトによるもの、電力中央研究所によるもの、宍戸駿太郎氏によるDEMIOS(経済企画庁で使っていたモデルをさらに改善したもの)、中期マクロモデル、日経NEEDSなどがある。そのなかで、内閣府モデルは例外的に乗数の数値が低い(公共投資の波及効果を極端に低く見積もっている)し、ほかのモデルが、継続的な公共投資によって年々乗数効果を高めていくのに対して、内閣府モデルでは、年々乗数効果が低下していく。その対照的な動きは異様ですらある。竹中平蔵は、自分の新自由主義政策を、それに対する障害物をなくした形で敢行するために、経済モデルを秘密裏に改竄した可能性が高いのである。
つまり、新自由主義村の経済学者たちは、国家経済・財政政策立案の中枢に理不尽な数値や経済モデルを持ち込んだのである。それはまるで、氷山がうようよしている海を漂うタイタニック号の船長室に、正しい羅針盤を破棄して狂った羅針盤を持ち込んだような振る舞いである。彼らは、利己的な動機から思わず知らずに、自ら国難を呼び込んだのである。それを亡国の所業と呼ばずに、何をそう呼べばいいいのか、私は知らない。
具体的提案としては、一日でも早く税収弾性率を4にし、内閣府の経済モデルを宍戸駿太郎先生のDEMIOSにすること。つまり、経済の舵取りを安全に遂行するために、狂った羅針盤をまともな羅針盤に切り替えること。その影響は甚大であると思われる。
このように本書において、国家権力の中枢を占めるニセ・エリートの所業が徹底的に叩かれている。
本書では、ほかに橋下維新の会批判、ポピュリズム批判などがなされていて、なかなかに読み応えがある。ぜひ、ご一読を。と、私がお薦めするまでもなく、確実に売れるのだろうが。
それにしても、と蛇足をひとつ。西部氏は、日本の現実に対して絶望的な言辞を展開してやまない人である。ときおり、虚無的な表情さえ浮かべることがある。にもかかわらず、彼の周りには、優秀な活きのいい若手が群れている。彼が不意に浮かべる人懐っこくて、お茶目な笑顔に象徴される何かが、人を惹きつけてやまないのだろう。と、取りあえず納得したふりをしておくが、やはり不思議だ。