当ブログ4月29日投稿分の『パラオと尖閣諸島 主権をめぐる一考察』について、批評家の小浜逸郎氏から、メールでコメントをいただきました。それをきかっけに、メールのやり取りがキャッチ・ボールのように続き、話が四方八方へ及ぶことになりました。実は、いまも継続中です。今回からシリーズで、それらを公開することにします。実名を載せるので、公開することおよび掲載内容について、ご本人のご了承をいただいています。
まずは、小浜氏の一通目のメールから。
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美津島明さま
ブログでの精力的な活躍ぶり、ただただ感嘆しております。
経団連批判、パラオ事件、茂吉の短歌読解など、政治、経済、文学と、縦横無尽の論及ですね。特に経団連批判には、大いに共感しました。「異議なし!」のひと言です。
ところで、パラオ事件に関する貴兄の文章にだけは、珍しくも少々違和感を抱きました。ブログの効果、ということを考えると、まあ、見過ごしてもいいようなものなのですが、ことが政治問題となると、私のほうがどうもセンシティヴになるようです。やはりここは、お互いに本音をぶつけ合ったほうがいいと思い、メールをしたためる次第です。ちょっと「サヨク」になるかも(笑)。
私の感じた違和感は、整理すると次の二つに絞られます。
①貴兄は、人口わずか21000のパラオが、中国漁船の領海侵犯に対して毅然とした態度を取り、その結果、舐められることなく、大国である中国を屈服させ、国家主権を貫いた、それにひきかえ、日本の民主党政権の何たる情けなさよ、と論じています。
私は、この事態は、むしろこんなにちっぽけな国で、国際的に重要視されていないからこそ、中国が旦那の寛容さを示して、「妥協したってどうってことないさ」という対応を示したのだと思います。パラオのほうは極小国なので、国家としての複雑さなどもたず、またそんなことを考えるゆとりなどなく、いわゆる「主権国家」の原則どおりに行動する以外なかった。つまり結束はただちに得られた、ということなのではないでしょうか。
チワワがドーベルマンに吠え立てても、たぶんドーベルマンは知らん顔をしているでしょう。しかし、秋田犬が吠え立てたらどうでしょうか。全世界に大きな影響力を持つ東アジアにおける二大国が、しかも、ただでさえ長い不幸な歴史を持つ国どうしが、現在危険な関係にあり、そういう状況・背景のなかで、同じような緊迫した事件を起こしたとき、その処理をめぐって、ただ単に「毅然と主権国家としての態度を示したか、示さなかったか」という点だけで、パラオと同列に論じることが妥当でしょうか。私は、「国家主権」という抽象的な概念の枠組みだけでこの問題を論じることが、パラオと日本との国情の途方もない水準の違いを軽視することに繋がり、結果的に理性的な政治判断を曇らせることになるような気がしてなりません。
貴兄は、戦前・戦中にあったとされる「大和魂」なる美学的概念を持ち出していますが、これはどうも、よくある保守派の情念のパターンをそのままなぞっているように思われて、あまりいただけません。
私は常日頃、「大和魂」とか「武士道」とか「特攻隊精神」などを、戦争を知らない世代の小林よしのりのように後から美化する試みは、あの大失敗の正確な意味を見えなくさせる以外の何物でもないと考えています。負け戦が誰の目にも明らかになってきたからこそ、戦争に要求される高度な政治性、合理性をかなぐりすてて、負け惜しみの自己慰安に耽ってしまったのが、あの惨めな敗戦ではなかったでしょうか。
もっとも、現在、あまりにだらしない日本の政治状況に対して国民の多くが潜在的に抱いている不満を顕在化させるための、一種のアジテーション効果を狙ったものだ、芽生え始めている国民の自覚をいっそう促すためのものだ、というならば、それはそれでわからないことはありません。
②昨年九月の中国漁船衝突事件に対する政府の対応をめぐっての評価ですが、貴兄はこれもまた同じ文脈での「情けなさ」として総括しています。あの時、多くの人が感じたように、この「情けなさ」は、一見、正論です。なにしろ、ハイジャック事件、湾岸戦争時の「金だけ出すけど血は流さない」対応、ペルー大使館事件、バスジャック事件などなど、これまで、同じような「情けなさ」を、戦後日本の政府は幾度となく繰り返してきたのですから。
しかし私は、この戦後日本の「情けなさ」を、単に精神論的に批判するだけでは、思想的に有効ではないと思っていて、それが日本の制度改革、特に憲法改正のような大きな改革に結びつくのでなければ、何度、憂国の情を表してみても、あまり意味はないと考えています。「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことが至難の業だからです。「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値があります。どちらが大事か、ということは、一般的には語れず、個別的な状況において、政治の責任者がそのつど決断を下していくのでなくてはなりません。
ですから、上記の諸事件に関しても、それが、たとえば憲法がはめた足枷によるものであることが明瞭である限りで、批判の効力を発すると考えるわけです。その意味では、このたび自民党が、みずからの党是である「改憲」のアイデアを示したことは、大いに歓迎すべきことと思います。
ところで、おぼえておいでと思いますが、あの漁船衝突事件の折、読書会仲間のYさんと私とが、酒の席で議論したことがあります。私の論旨は次のとおり。
あの事件を、その成り行きの部分だけを個別に取り出して、政府のだらしなさをひたすら批判する前に、考えておかなくてはならないことがある。それは、中国船員を逮捕した直後に、偶然とはけっして思われない仕方で、北京政府が「フジタ」の社員2名を、不当な言いがかりで拉致したことである。日本政府がいわゆる「毅然とした」態度を示して逮捕者を正式に裁判にかければ、北京の人権無視の国柄からして、ただちに2名を空とぼけて処刑したにちがいない。処刑されても「国家のディグニティ」を優先させるべきだという確乎たる思想を貫くなら、それはそれでひとつの見識であろう。しかし、民主主義政治の責任者の立場に立った場合、そういうことをそうやすやすとできるものだろうか? 天安門事件の政治的理不尽さ、小平の「五百人くらいがなんだ」なる発言(真偽のほどはともかくとして)の人権無視の態度を、私たちは大いに批判してきたのではなかったか?
要するにあの事件にかかわって私が不満に感じたのは、政府を批判するどの言論も、この日本人2名の拉致との関係において語ろうとしていなかった点です。私に名案があったわけではない。また、民主党政府(菅政権)の対応をそのままよしとしたわけでもない。しかし少なくとも、彼ら政治の責任者(おそらくその主導権を握っていたのは外務官僚だったでしょう)が、拉致された2人の日本人の生命に配慮していたことだけは確実で、その問題をあわせて論じるのでなければ、いくら対応のひどさだけを批判しても、本当の議論にはならなかったと思います。
以上です。
わが民主主義大国において、多様で複雑な情念の渦巻く国民をまとめ上げるために国家理性を貫くことは、ことほどさように難しい。「ディグニティ」だけをその要件として抽出して事足れりとすることは、そういうものに憑依しうる感性、情念の持ち主においてだけです。そこだけをたよりにすることは、主張としては純粋でわかりやすいですが、近代政治というものが孕まざるをえない根本的な複雑さに、目をふさぐことに繋がらないでしょうか。思想は、こういう複雑さを前提とするところからこそ、本当に出立するのではないでしょうか。
美津島さんを本心から応援したいとの思いのために、つい熱くなりました。乞ご再考。妄言多謝。
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小浜氏の第一信だけで相当な分量になっていますので、それに対する私の返事は次回の投稿に載せます。
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小浜逸郎氏の話の要点は、次の2点に集約できるでしょう。
〔1〕パラオは極小国。それに対して日本は世界の経済大国。置かれたポジションの違いからくる外交的対応の難しさが自ずから異なる。それを勘案しない日本外交批判は有効性に限界がある。
〔2〕「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことは至難の業。日本外交の「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある。フジタ社員2名の命を救おうとした政府の対応の「情けなさ」には、その価値が見受けられる。だから、その「情けなさ」を単純に批判するだけでは、その価値を見過ごしてしまうことになる。
それに対する私の返信を以下に掲げます。
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小浜逸郎様
まず、私があの文章を書いた経緯を申し上げます。
4月28日(土)に、私は自民党本部で催された「主権回復記念日国民集会」に参加しました。ブログのネタ探しが主な動機です。(読書会仲間のMさんと同席しました)
入江隆則氏、藤井聡氏、安倍元総理、小堀圭一郎氏、平沼赳夫たちあがれ日本代表など保守系のそうそうたる顔ぶれが次々と挨拶をしました。(安倍氏と平沼氏はビデオ での挨拶でした)司会は、ちゃんねる桜の水島総(さとる)氏でした。
そうして、トリを務めたのが、『月刊 日本』の編集長南丘喜八郎氏でした。南丘氏の憂憤の情に溢れた話に私はけっこうインスパイアされてしまったのですね。私のあの文章は、南丘氏のお話が元ネタになっています。
私なりにアレンジをしたつもりだったのですが、小浜さんの反応を見ると、あまりうまくいっていないようです。南丘氏のパッショネートな話しっぷりに私が影響されて 一気に書いたので、言葉の端々に彼の保守派としての情念が乗り移っているところがあるのではないでしょうか。また、私がもともと持っている憂憤の念が、彼の話しっぷりによって触発されたところがあるのも事実でしょう。
だから、もう少しモチーフを寝かせておけばよかったのかなという反省があります。とくに「大和魂」の取り扱いについて、慎重さが足りなかったと反省しています。とはいうものの、パラオの特に年配者にそういう気風があるのは、事実のようです。歴史は、そんなふうにして、意外な形でその素顔を覗かせるものだといったことを、もう少しうまくいうことができればよかったのですけれど。(そういうものを無視 する論は、過度の抽象化のほどこされた空論なのではないでしょうか)
そのように自分の拙速を認めたうえで、一点、それでも小浜さんの言い分を飲み込めないところがあります。当時の菅内閣の、違法漁業中国船船長逮捕事件における意思決定のあり方の評価に関わることです。
しばらく、原則的な話をします。
政治問題は、大きく対内問題と対外問題に分けられると思われます。ほかにも分類法はたくさんあるとは思いますが、いまはこの二分法で話を進めます。
当たり前の話を続けます。対内問題は内政とよばれ、対外問題は外交とよばれます。この場合、外交に戦争も含めます。
内政は、国民の目すなわちいわゆる国内世論という舞台で繰り広げられる政治的演技です。基本的には、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、政治家は理と情を尽くして世論を説得しようとします。(情にだけ訴えて勝ち取った支持や力はポピュリズムと称され、あまりその政治的価値を認められません)
それに対して、外交は、国際社会の目すなわち国際世論という舞台で繰り広げられる国家間の政治的演技です。内政の場合と同じく、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、諸国家は理と情を尽くして国際世論を説得しようとします。そうやって得た国際的支持を背景に、相手国に対して、自国を有利な立場に置こうとします。極限的な外交である戦争においても、その事情は基本的に変わりません。(先の大戦では、日本政府が国際世論を無視したことが主たる敗因であると私は思っています。敗因を物量の差に帰すのは誤りです)
私がここで強調したいのは、内政と外交とは、それらが繰り広げられる舞台が違うのだから、その成否を評価する場合、その二つをなるべくきっちりと分けるべきではないか、ということです。
つまり、内政の成否を評価する場合は国際事情をなるべく持ち込むべきではないし、逆に外交の成否を評価する場合は国内事情を同じくなるべく持ち込むべきではない、と言いたいのです。
前者の例を一つあげれば、「欧米先進国家のほとんどは死刑を廃止しているのだから日本もそうすべきだ」というよくある論の立て方です。これは、誤りですね。死刑の是非論は、それが国民の、社会に対する秩序安定の感覚に関わる最重要事なので、国内世論を十二分に踏まえたものであるべきです。国連の「政府が国民を説き伏せるべき」などという勧告は余計なお世話の最たるものです。ましてや、国民が、その勧告を論拠に自国である日本に対して死刑廃止を迫るのはおかしなことです。
他方、後者の例を一つあげれば、先の大東亜戦争に日本が参戦したことの是非について、冷静に当時の国際政治の構図のなかで判断するべきところを、変に自虐的に倫理的に誤りと断罪することです。そういう馬鹿なことを戦後日本は繰り返してきました。
小浜さんの尖閣問題をめぐる微妙な言い方が、後者の「外交の成否を論じるときに国内事情を持ち込む誤り」の例に当てはまってしまうような気がするのです。つまり、 尖閣問題における政府の外交的判断をいちがいに否定することはできない、という言い方のなかに、国内事情への配慮がややバランスを失するほどに多量に混入しているように感じるのです。それは、外交問題をリアルに扱う手つきとしてはまずいだろうと思うのです。
日本政府の「情けなさ」には、「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある、だからといって、日本の「情けない」外交姿勢を肯定するうわけではないが、かといって、バッサリと全否定してしまうこともできない、という小浜さんの論は、「内向き」には一定の説得力があります。でも、これは、国際世論の舞台では、まったく説得力を持たないのではないでしょうか。あのとき日本外交は中国にボロ負けしてしまったという国際社会の認識は、小浜さんの論でびくともしないのではないかと思われるのです。
大急ぎで付け加えたいのですが、私は「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきを戦後の唯一の思想的達成であるとまで思っています。その根づきが、大東亜戦争の膨大な犠牲者たちの言葉にならない無念に応える唯一の道筋なのではないかと思うからです。
だったら、それを日本外交の柱にして、あの時も中国と堂々と渡り合えばよかったではないか、と私は言いたいのです。
日本政府が腹を据えて取り組んだならば、たとえあの船長を法治国家の手順に従って裁いたとしても、拉致されたフジタの社員2名の命を救うことは十分にできたと私は考えています。それらを両立させるギリギリの努力を日本政府がした痕跡を私は認められません。
中国政府によるフジタ社員の拉致事件は、明らかに国際人権違反問題です。それは、人権感覚の研ぎ澄まされた欧米人にとっては自明のことだったでしょう。
だから、日本政府があらゆる手段を使って国際世論に中国の不当な振る舞いを訴えることは、大いに功を奏したことでしょう。国連の諸機関に中国の人権侵害を訴えるのもよいでしょうし、漁船の体当たりの映像をニューヨークの高層ビルの壁に大写しにするのもいいでしょうし、世界の大新聞に日本政府がでっかい意見広告をするのもいいでしょうし、フジタの社員の家族にテレビに登場してもらって拉致された家族の帰還を訴えてもらい、その映像をyou tube を通じて世界中に配信するのもいいでしょう。もっといいのは、それらすべてを同時に遂行することでしょう。そうすれば、(ロシアと北朝鮮以外の)国際世論は、日本に強力に味方をしたことでしょう。
中国は、損をするのをとても嫌がる国です。国内ではあいかわらず人権蹂躙を犯しまくっていますが、外交の主流が人権重視であることはよくわかっているので、人権をめぐって、全世界が日本の味方についてしまったら,さすがの中国でも、馬鹿みたいに拉致した外国人を無理やり殺してしまうことはなかったでしょうし、できなかった でしょう。国際世論から総スカンを喰らうことが国家にとってどれほどの痛手か、中国 政府要人は、天安門事件で思い知っていますから。
ところが、実際のところ日本政府は、それらのうちどれひとつとしてしなかった。それが「情けない」という、一般国民の胸の内にある思いの核心なのではないでしょうか。中国に対して腕まくりをしなかったから情けないと思ったのは、それこそ保守オヤジくらいのものだったのではないでしょうか。
日本政府の振る舞いには、実は人命重視の影さえありません。北朝鮮の拉致問題に関して、人命尊重・人権尊重の観点から北朝鮮に対して毅然とした態度がとれないのと同根です。それは、矮小で小心で卑屈で亡国的な姿です。
日本政府の不甲斐なさに、戦後ヒューマニズムの影を読み取って、妙に考え込んでしまう小浜さんをいささかいぶかしく思います。戦後ヒューマニズムという肯定的価値を担っているのは、政府ではなく実は名も無き一般国民の方なのではないでしょうか。
(それを、ソフト左翼イデオロギーの色に染め上げようとしたところが、戦後知識人の致命的な欠陥の少なくとも一つである、といえるでしょう)
そういう意味で、というのはつまり、今の日本政府には人命尊重の影さえ認められず「外交的配慮」という名の怯懦さ・無能ぶりが見られるばかりであるという意味で「同じ中国の不法漁船に対する態度として、弱小国のパラオがまともで、日本が変だと思うのは、日本の保守オヤジだけではなく、国際世論一般もだ」という 意見にやはり私は与したくなる次第です。
日本政府が、人命尊重を外交の柱として懸命に努力し、そこで対外的にブレないのならば、日本国家は対外的な「ディグニティ」をキープできるし、国益を守ることもできる。国家イメージの毀損は、国益毀損の最たるもの、とは先の論でも申し上げました。そういう日本政府に対してならば、一般国民は基本的信頼感を抱くでしょうし、それを守るための不慮の犠牲を厭わないのではないでしょうか。それが、国民が場合によっては主権の存する存在として「命を賭ける」ということの内実です。
複雑な政治過程をアピール力のある基本路線としてまとめあげる力が政府には求められているのではないでしょうか。まあ、ダブル・スタンダードでも構いませんけれど。複雑な政治過程を一つ一つ踏まねばならないことは、対外的アピール力が欠如していることの免罪符にはまったくならないということです。
もし、もともと保守思想に傾斜気味の美津島が変に暴走して、悪くはない調子のブログを台無しに してしまうかもしれないと小浜さんが危惧されたのだとしたら、小浜さんの言葉で我に帰ったところがあるのは事実ですから、深く深く感謝します。
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私の返事も膨大な量になってしまっているので、今回はここで終わります。
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私は、5月3日から5日まで、福島に取材旅行に行っていました。そこから帰ってきた直後に送った私の返事に対して、すぐに第二信が小浜氏から届きました。
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美津島明さま
旅からお帰りになったばかりなのに、さっそく詳しい返信メール、ありがとうございます。私の疑問を誠実に受け止めてくださったことを深く感謝いたします。
前半の、内政というパフォーマンスと、外交というパフォーマンスとを分けるべきだという議論には、あまり納得できませんでした。というのは、ご存知のように、現代は超情報社会ですから、国内事情と国際事情の違いを認知することは重要でしょうが、その認知にもとづいて実際の政治対応において使い分けをしたとしても、「二枚舌」的な情報操作は通じず、一定の見識あるものの目には、すぐにその意図の不純さ、ダメさなどが見破られてしまうでしょう。
私の論が国際社会の常識には通じないということは認めます。しかし、国際社会の常識に通じないからといって、本質的な問題(国家価値と生命価値の二重性)がなくなるわけではありません。この価値の二重性を現実的にまったく克服できなくさせているもののひとつに戦後憲法があるわけです。たとえば憲法の足枷がなければ、国際的な事件に関しての戦術的対応が可能ですから、ペルー大使館事件や湾岸戦争時の政府対応などは、もっといくらでもマシな対応ができたはずですね。実際ドイツは憲法を変えていますから、あるテロリストの人質事件で、人質を一人も死に追いやらずに、テロリストたちをすべて殺すことに成功しています。
それはともかく、たとえば死刑廃止の問題などは、使い分けの必要などない問題だと思います。私自身も自分の書き物で、堂々と存置論を展開しましたし、おこがましい言い方ですが、仮にこれが国際発信されたとしても、いささかたりともひるむ気も変える気もありません。日本の戦争責任の問題も同じです。敗残意識をすぐに道徳的な過誤意識に読み替えてしまった戦後日本人は、そのそもそもの国民性からしてだんだんに変えていく必要があるし、そのよい方向への進化の必要性を政治がしっかり取り込み、内外へ向けてまったく同じ水準で発信するべきだと思っています(少し議論がかみ合っていないような気もしますね。笑)。
そこで、政治がいずれにせよパフォーマンスであることを免れないならば、内政と外交における基本的構えを「分ける」のではなく、これからの政治は、むしろ内外に向けての「透明性の演技」の仕方を身につけるべきなのではありませんか。
後半の漁船衝突時における政府対応についての貴兄の縷説には、ほとんど説得されてしまいました。というか、私は、まさに今回、貴兄が書いてくださったような形での議論を期待していたのであり、私の疑問に対して的確に答えてくれていると感じました。ここには、確実にディアレクティークが成立していると言えます。その意味で、疑問提示を行なってそのきっかけを作った私自身を少々誇りに思っています。
繰り返しますが、当時、政府対応の情けなさを弾劾する論調には、今回、貴兄が展開してくれたような包括的かつ高度な議論があったでしょうか。寡聞にしてというか、そもそもあまり目配りのいいほうではないので、もしかしたらあったのかもしれませんが、どうもなかったような気がするのです。要は、フジタ社員の拉致事件を考慮に入れても「毅然」とするにはどうすればよいのか、という疑問に答えがほしかったわけです。
ことに今回、感心したのは、世界に向けて人権の大切さをアピールする具体的な方法を提示している部分です。こういうアイデアがほしかったのですよ。中国が損をするのをとても嫌がる国だ、というのもそのとおりですね。それを利用しない手はない。たしかにそのあたりの読み、外交感覚が、臆病な日本政府には完全に欠落していたといえるでしょう。いままでいつもそうだったように。
ただし、少しだけ言わせてもらうと、あれからわずか二年弱しか経っていないわけですが、よかれあしかれ、その間の中国におけるさまざまな面での変化は著しく、ずいぶん情報化が進んで、北京もあのときに比べれば、さらに国際世論を気にせざるを得なくなったのではないかと思います。今回の人権活動家・陳さんに対する中国政府の対応を見ているとそれを感じますね。陳さん自身も、自由と人権を旗印に掲げたアメリカの弱点をよく心得ていて、
それをおおっぴらに利用している。それに対して、北京も横暴なことができなくなっているわけです。というか、ただでさえ国内矛盾の沸騰で苦しんでいる北京としては、ああいう反体制分子には、早く出て行ってほしいのでしょうね。大した活動家でもない陳さんのあの傲慢な態度は、日本人の感性からすると、ずいぶん居丈高だな、とも感じるのですが。
たまたまBSフジの「プライムニュース」で、憲法特集をやっていて、最終回(4日)、西部さんが戦後日本人、戦後政治への絶望を語っていて、その筋金入りの「姿」に妙に共感してしまいました。魯迅の言葉ではないですが、絶望も語り方によっては、ある種の希望を与えるのかもしれない、と思った次第です。
前回お会いしたときに、「みんなの党」の消費税増税反対論を評価したのですが、この党の改憲論は、「維新の会」べったりで、全然ダメですね。同じ番組に党員の柿沢未途(柿沢弘治の息子)が出席していて、「自分たちのほうが維新の会よりも先に考えてきたので、便乗しているように受け取られるのは非常に不本意だ」みたいなことを言っていましたが、改憲論の中身そのものが浅薄です。
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次は、上記に対する私の返信です。
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小浜逸郎様
すぐにでも返事をするような言い方をしていて、けっこう遅くなってしまいました。すみません。
(このブログでは省いてある短いメールで予告しておいたー補)「残余の細い論点にお付き合いを」と申し上げていたことについて。
それは、パブリックな政治的な議論における自分の言説と、ラディカルな一個の純然たる思想家(うまい言葉がほかに見つかりません)としてのそれとの、一種の矛盾についての話です。
なにを言っているのか。
私は、内政については、自分なりに国民主権を突き詰めることによって批判することがしばしばです。主権概念を突き詰め鋭利な武器にして政治を批判しようとするのですね。
ところが、一個の純然たる思想家としては、一般国民が主権を担いうるかどうかについて、かなり懐疑的です。一般国民が主権を担うには、どこかで自分の身の丈を超えることが求められる(一般意思を体現するのですから)のですが、それがそういう存在に可能かどうか、また担おうとした場合、その意思決定が常に正しいのかどうか、相当に怪しいと考えています。民の声は神の声という楽観主義に対する疑いをかなり根深く持っているのです。もしかしたら、吉本さんの「大衆の原像」をまだどこかで引きずっているのかもしれません。
*故吉本隆明氏は、あくまでも、生まれて、結ばれて、子を産んで、老いて、死ぬだけの存在であって、民主主義を担う市民のレベルにまで知的に上昇しえない「大衆の原像」に積極的肯定的な意義を認め、そこに自分の思想の根拠を置きました。その思想的な構えの影響がまだ自分には残っているのかもしれないと、私はここで言っているのです。故吉本隆明氏の「大衆の原像」は、いわゆる進歩的文化人(ソフト左翼知識人・社会主義に胸襟を開いたリベラリスト)を批判する上で大きな威力を振るいました。しかし、他方では、ありのままの庶民を美化する別の意味の左翼性を払拭し切れないところもあります。呉智英氏が「オウム真理教の上祐の追っかけをやるコギャルたち。あれが大衆の原像だ」と彼一流のシニック・ユーモアを交えて吉本批判をしたのが思い出されます。
また、対外的に、日本は人権外交・人命尊重外交を徹底することで活路を見出しうると考えています。これは、前回お話しした通りです。
ところが、他方では、呉智英さんが指摘しているように、たかだか法律上のフィクショナルな概念にすぎない人権にあまりにも肩入れするのは、思想として偏りがあるので、何かにつけ人権を強調したがる向きに対しては、私はむしろそれを相対化することの方に重心を置こうとします。人権真理教の面々に対する嫌悪感とか危惧の念が私には抜きがたくあるのです。
また、人命尊重についても、佐伯啓思さんや西部邁(すすむ)さん的な問題意識を持っています。つまり、命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである、という考え方に半ば以上納得してしまうところがあるのです。さらには、自由・平等それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つという考え方に対しても、深く耳を傾けてしまうところがあるのです。
かといって、そういうことを言い募りすぎると、知識人の与太話みたいになってくるという側面にも目が行ってしまいます。
つまり、政治的な主体としては、国民主権・民主主義・人権さらには自由・平等を武器として振りかざす局面が多々あるのに対して、価値の本質論みたいな次元においては、それらに対して懐疑的な態度で接するのが基本である、という矛盾というか二重性というか、そういうものを自認せざるをえない、ということです。さらには、その二重性の弄びが過ぎるのは、思想として生産的ではないだろうという思いも他方ではあります。
こういうことについては、思想の顕教と密教としてある種の使い分けをするほかないものと考えるべきなのか、それともその矛盾を統一的にとらえる第3の視点のようなものがあるのか、正直に言って、よくわからないところがあるのです。
これって、もしかしたらちゃんと整理しておかないと、ある現実的なテーマをめぐってだれかと議論している場合に、なんだか噛み合わないという原因にもなりかねないのではないでしょうか。自己分裂をしかねないと言いましょうか。
私がいま不器用に申し上げているようなことは「政治と文学」以来、延々と議論され尽くしてきたテーマなのかもしれません。
これまで交わしてきた議論とは、いささか風向きが違うとは思いますが、小浜さんは、こういうことについてはどう考えられますか。
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私は、広い意味における思想的な営為(つまりはモノを書くこと全般)において、自分が使っている言葉が孕んでしまう矛盾や限界にどうしても目が行ってしまいます。それを小浜氏はどう考えていらっしゃるのか、知りたくなったので、主権国家についての議論が取りあえず一段落したのを機に、私は率直に伺ってみました。以下は、それに対する小浜氏の返事です。
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美津島明さま
貴兄の問題意識、というよりも、「引き裂かれた悩み」は、思想者が抱える問題として最も本質的なもので、しかも永遠の課題であると考えます。これまで、どんな偉大な思想者もすっきりした答えを提出できているとは思えません。
いささか先輩風を吹かせることになるかもしれません。といって、誤解なきように。私は貴兄の今回の問題提起に対して、何か有効な回答の用意があるわけではまったくありません。私はただ、ずっと前から(おそらく青年時代に思想なるものに目覚めたはじめから)、同じ問題をずっと考え、答えが見出せずに悩んできたというだけで、要するに生理的な時間の長さにおいてのみ、多少とも貴兄より「一日の長」があるかなあ、と思うばかりです。
何から話し始めましょうか。
いろいろと心が散乱し、言語が持つ「線型性」(言語は本質的にいつまでもどこまでもひとつながりであること。細長い一文幅の紙の表面に、文字が上から下へ句読点を介しながら無限につながっているイメージを思い浮かべればよいでしょうー引用者注)を呪いたくなり、また、思想言語というものの厄介なパターン(論理的な整理を強制される)の轍を踏まなければならないことを悔しく思います。思いつくまま、未整理のままに、いろいろなことをともかく言ってみます。貴兄の問題意識に的中しているかもしれないし、的外れであるかもしれない。そちらのご判断にゆだねますので、少しでも参考になればさいわいです。
私は最近、たまプラーザに越してきてから、けっこう飲み屋めぐり、スナックめぐりを繰り返していて、そこで出会うさまざまな人たちに積極的に話しかけて、関係づくりを目ざしています。これは老いて独身者になったことの大きな功徳と考え、これからも続けていこうと思っています。といっても、じつはただ寂しいだけなのですが(笑)。
本当にいろいろな人がいるので、その人たちのそれぞれのポジションを直感的に了解して、そのたびごとに使う言葉のモードを切り替える必要が生じます。向こうは誰もが私を「先生」とか「教授」とか呼んでそれなりの仕方で遇してくれるわけですが、太宰の「富岳百景」ではないけれど、私は「黙ってそれを受け」ています。ごく少数ですが、私に対して「世間知らずの学者先生バカ」という偏見(?)を抱いて接する人もいます。
こんなことがありました。この人ならこういう言葉を遣っても理解されるだろうと思って、何かの文脈で、「私は言われなき権威主義が最も嫌いです」と言ったところ、「なに? いわれなき何とか? そういう言い方がよくわからないんだよ」という反応が返ってきました。そこで私はとっさに、「要するに、中身がないのに威張っているやつらのことですよ」と答えたのですが、私が言いたかったのは、私たち一人ひとりの中にある「卑屈な根性」こそが「いわれなき権威主義」を支えてきたのだということです。どこまで相手に伝わったか・・・
ところで、ご承知のとおり、私は「ゆとり教育」やフェミニズムの一部に象徴されるような「悪平等主義」「人権真理教」に対して、自分なりに闘いを演じてきました。その闘いの意志をひと言でまとめるなら、「千差万別の生き方をしている多くの人たちの現実相を見ずに、イデオロギー的な理想で人間をならしにできるなどと思うな!」ということに尽きます。これらの安手の思想が全体主義に直通するものであることは、貴兄もわかりすぎるほどよくわかっていますよね。そういう意味では、私はニーチェ、オルテガ、西部邁などのような精神のアリストクラットの心境がよく理解できるし、共感もするのです。
ところが一方、自分の日々の言動を反省してみると、どう考えても人間はみな同じで、魚屋も「偉大な」学者も、変わりはない、ならば誰も自分の肩書きなどを傘に着ずに、対等に接するのが理想的なのだ、という感じ方をしているのが確認できます。どこまで実現できているかは別として、いま私が地域の人たちと話し合えることにささやかな喜びを得ているのも、この感覚あればこそ、と思っています。
これは思想命題に還元してしまうと、解決至難の「矛盾」ということになります。
最近、法然、親鸞を少しばかりかじり、五木寛之氏の『親鸞』などを読むと、僭越ながら、いわゆる「偉大な」先人たちも、同じ問題で悩んでいたのだろうな、ということがひしひしとわかります。
吉本さんも、「人間はみな等価だ」という思想を持った人でしたが、私から見ると、彼はキャラとして、孤独に過ぎます。そのことをどこまで彼は自分特有の「問題」として把握していたのか、もちろん把握はしていたと思いますが、あるところからそのことにあまり真剣に悩まなくなってしまったのではないか。これは拙論で指摘した、彼の途中からの「大衆偶像視」と表裏一体のように思えます。「固有時との対話」ほか、初期の詩篇は感動的ですが、あれも「屹立」という言葉が本当によく似合うスタイルですよね。
西部さんは、思想表現あるいは思想体質としてはオルテガの嫡出子だと思いますが、キャラ、身体像は、吉本さんとちがって、「大衆」に対してとても開かれています(可愛い人です)。彼のお宅にお邪魔したとき、吉本さんのことを「うつ病だ」と評していました。当たらずといえども遠からず、ですね。
西部さんはどこかで、朝日新聞はひどい新聞だが、個人的に記者と接するとみんな賢くてよくわかっているのだ、と語っていました。彼のこの直観は正しいと私は思います。ただ、こう指摘しただけでは、人間というものは「個人」とか「庶民的生活者」のレベルではみんなだいたい同じようによくわかっているのだが、集団となると手がつけられなくなるのだ、みんなイデオロギーにやられてしまうのだ、というロジックが引き出せるだけに留まっていて、それ以上に思考を進める手立てが見つかりません。ここに、貴兄が悩んでおられる問題が、別の形で浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
呉智英さんの「顕教密教」「愚民」「偏差値をオレは九割信じる」「吉本の愚鈍な弟子・芹沢」などは、実に痛快ですが、これは、人権真理教イデオロギーが支配している戦後社会であればこそ、カウンターとしての思想的意味を大きく持つので、それもまた、彼のユーモラスな搦め手スタイルと切っても切れない関係にある、と私は思います。彼は、とても「現実」というものをわきまえている人で、自分の思想表現を「イロモノだ」と自覚して恥じません。
しかし、というか、だからこそ、というべきか、彼のキャラにじかに接すると、非常な人情家だ、という印象を持ちます。とても優しい人で、言論では一見「愚民蔑視」を平然かつ堂々と行なっていても、行路で倒れた見知らぬ人がいれば、真っ先に「よきサマリア人」たろうとするのではないでしょうか。また彼は、封建主義や儒教イデオロギーを好んで持ち出しますが、これもまた、時代の子としての不可避性をよくよく自覚しながら意識的にやっているスタイルで、これらの思想をナイーブに信じているのではないと思います。そこが彼のよい意味での「知的」なところだと思います。文学のよくわかる人でもありますよね。
これに対して佐伯さんは、とても真面目に(愚直なほどに)ものを考えるタイプで、彼の説く、「命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである」という考えは、そのとおりだと思いますが、そこから導き出している「自由それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つ」という考え方には真面目すぎる思考が孕んでしまう苦しさのようなものがにじみ出ているように思います。
というのは、彼の『自由とは何か』の末尾における「義」という概念の持ち出し方は、私などにはとても唐突に思え、ついに抽象概念どうしの対置に終っているという印象が拭えないのです。
私の考えでは、「義」という概念は、それだけでは、公共性のレベルでしか効力を持たない概念であって、もっと具体的に、「あなたはどういう『義』(「他者への配慮」)のことを言っているのか」と問われたならば、とたんにその一枚岩的な弱さをさらすのではないでしょうか。言うまでもなく、女房子どもへの「義」、友人に対する「義」、公共世界における「義」等々は、それらを合い交わらせれば、この人生の実相においては、必ず解決不能な矛盾を内包していることが暴露されますよね。
これは、「愛」という言葉がもともと持っている多義性と、ほぼ同じ事情だと思います。えらそうに聞えるかもしれませんが、私は大学の講義でいつも、具体例を出しながら、この「愛」という言葉の多義性、個々の「愛」が互いに矛盾して両立不可能である姿をよく見つめよ、と学生に話しています。「義」も同じでは?こういう事情があるからこそ、吉本さんの「共同幻想・対幻想」の峻別の思想が生きるのではないでしょうか。
あえて吉本さんを持ち出すまでもありますまい。通俗歌謡でも歌われていますよね。「義理と人情をはかりにかけりゃ 義理が重たい男の世界」と。「君に忠ならんと欲すれば」云々というのもあるし、歌舞伎の「名木先代萩」における「でかしゃった、でかしゃった」という母親の嗚咽、大衆はみな、この両立不可能な理不尽さに苦しみ、悲しみ、共感を余儀なくされてきたのではないでしょうか。文学って大事ですよね。
「公共性における義」を言説の中心価値として重んじる西部思想にしても、それだけで完結しているわけではなく、彼が「朝ナマ」で語っていた、「自分の娘が強姦などされようものなら、私はひとりバズーカ砲を肩に担いでそいつをぶっ殺しにゆく」という言葉が印象的です。そういう身近な、等身大の「他者」に対する切実な共感を媒介にしてこそ、はじめて彼の「義」の思想が肉体を持つのだと思います。ただ、それがただちに「公共性」における「義」に通じるかどうかについては、いろいろと面倒な思想的手続きが必要とされるわけで、そのプロセスの解明こそが、社会思想に与えられた任務だと愚考します。ヘーゲルはかなりのところまでそれをやっていた、かな。
先に、七人の日本近代思想家について書き(これは幻冬舎から9月をメドに出版されますー引用者注)、和辻がいかに偉大であり、その偉大さが正しく評価されていないかについても書きましたが、私の本当の感じから言うと、いちばん共感を感じたのは、やはり小林秀雄でした。彼の「政治嫌い」、「文学愛好」は、まことに徹底しており、どんな時代状況にあってもいささかも揺らいでいません。これは、西洋文明の浅薄な摂取など(ポスト・モダンなどその典型でしたね)をゆうに超える普遍的な強さを秘めています。文学の私的性格、ただの思い出のつづり、一見すると「弱さ」と見えるもの、主観にしか過ぎないと思えるもの、それが深く語られさえするならば、思想としてはいちばん強いのです。そのことに確信を持っていた小林は、やはりすごいと感じました。
まとまりがなく、拡散してきました。最後にできるだけ貴兄の問題意識に沿いながら、現時点でできる範囲で少しまとめてみます。こういう捉え方がどこまで説得力を持つかどうかは、わかりません。
「主義」「イデオロギー」としての平等概念に対しては、私たちは不断に闘う理由と根拠を持っています。政治的な平等主義は、現実の苛酷さに目を瞑らせる悪しき「宗教」でしかなく、それを隠れ蓑にして権力の横暴がまかり通っていくからです。またこの麻薬は、それぞれの人間の誇りと尊厳という一番大事なものを「平板さ」のもとに押しつぶしていくからです。
しかし、身体感覚、私的なかかわりにおける関係認識、開かれた感性としての平等的人間観は、大切なものだと思います。これがなければ、言葉が本当に通じるための地盤が根こそぎにされていしまいます。ニーチェは「同情」を蛇蝎のごとく嫌い、「」は、超人によって超えられるためにある、と説きました。
しかし、その彼でさえ、最後の著作、『この人を見よ』のなかで、自分は行商に来る八百屋のおばさんと仲良く話をする、哲学者になるためにはこのくらいでなくてはダメだ、などと滑稽なことを言っています(ちなみにこの八百屋のおばさんは、ニーチェのこの記述によって、のちに有名になったそうです)。この発言がなぜ滑稽かといえば、彼ほど狂人と紙一重なくらいに孤立した哲学者もめずらしく、事実、晩年の彼は、散歩しているときに、子どもたちにからかわれて石をぶつけられているのです。すでに頭がおかしくなっているので、彼のそのときの気持ちがどうだったかはわかりませんが、まあ、普通に考えて、こんな孤立した人の境涯が幸せなはずがないですよね。
「主義」としての平等を否定することと、「対人感覚」としての平等観を肯定すること、両者はどうしても矛盾してしまうのだろうか。
そうではない、と思いたい。美津島さんや私が抱えているこの「頭と身体の矛盾」のようなものを、言語によって克服することは可能だろうか。必ず可能である、と思いたい。それがこの問題に対する現在の私の、ぎりぎりの回答です。
命あるかぎり、まともな精神を維持できているかぎり、これからもお互いに勉強していきましょう。
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小浜氏の返信だけで膨大な量なので、今回はこれで終わります。
まずは、小浜氏の一通目のメールから。
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美津島明さま
ブログでの精力的な活躍ぶり、ただただ感嘆しております。
経団連批判、パラオ事件、茂吉の短歌読解など、政治、経済、文学と、縦横無尽の論及ですね。特に経団連批判には、大いに共感しました。「異議なし!」のひと言です。
ところで、パラオ事件に関する貴兄の文章にだけは、珍しくも少々違和感を抱きました。ブログの効果、ということを考えると、まあ、見過ごしてもいいようなものなのですが、ことが政治問題となると、私のほうがどうもセンシティヴになるようです。やはりここは、お互いに本音をぶつけ合ったほうがいいと思い、メールをしたためる次第です。ちょっと「サヨク」になるかも(笑)。
私の感じた違和感は、整理すると次の二つに絞られます。
①貴兄は、人口わずか21000のパラオが、中国漁船の領海侵犯に対して毅然とした態度を取り、その結果、舐められることなく、大国である中国を屈服させ、国家主権を貫いた、それにひきかえ、日本の民主党政権の何たる情けなさよ、と論じています。
私は、この事態は、むしろこんなにちっぽけな国で、国際的に重要視されていないからこそ、中国が旦那の寛容さを示して、「妥協したってどうってことないさ」という対応を示したのだと思います。パラオのほうは極小国なので、国家としての複雑さなどもたず、またそんなことを考えるゆとりなどなく、いわゆる「主権国家」の原則どおりに行動する以外なかった。つまり結束はただちに得られた、ということなのではないでしょうか。
チワワがドーベルマンに吠え立てても、たぶんドーベルマンは知らん顔をしているでしょう。しかし、秋田犬が吠え立てたらどうでしょうか。全世界に大きな影響力を持つ東アジアにおける二大国が、しかも、ただでさえ長い不幸な歴史を持つ国どうしが、現在危険な関係にあり、そういう状況・背景のなかで、同じような緊迫した事件を起こしたとき、その処理をめぐって、ただ単に「毅然と主権国家としての態度を示したか、示さなかったか」という点だけで、パラオと同列に論じることが妥当でしょうか。私は、「国家主権」という抽象的な概念の枠組みだけでこの問題を論じることが、パラオと日本との国情の途方もない水準の違いを軽視することに繋がり、結果的に理性的な政治判断を曇らせることになるような気がしてなりません。
貴兄は、戦前・戦中にあったとされる「大和魂」なる美学的概念を持ち出していますが、これはどうも、よくある保守派の情念のパターンをそのままなぞっているように思われて、あまりいただけません。
私は常日頃、「大和魂」とか「武士道」とか「特攻隊精神」などを、戦争を知らない世代の小林よしのりのように後から美化する試みは、あの大失敗の正確な意味を見えなくさせる以外の何物でもないと考えています。負け戦が誰の目にも明らかになってきたからこそ、戦争に要求される高度な政治性、合理性をかなぐりすてて、負け惜しみの自己慰安に耽ってしまったのが、あの惨めな敗戦ではなかったでしょうか。
もっとも、現在、あまりにだらしない日本の政治状況に対して国民の多くが潜在的に抱いている不満を顕在化させるための、一種のアジテーション効果を狙ったものだ、芽生え始めている国民の自覚をいっそう促すためのものだ、というならば、それはそれでわからないことはありません。
②昨年九月の中国漁船衝突事件に対する政府の対応をめぐっての評価ですが、貴兄はこれもまた同じ文脈での「情けなさ」として総括しています。あの時、多くの人が感じたように、この「情けなさ」は、一見、正論です。なにしろ、ハイジャック事件、湾岸戦争時の「金だけ出すけど血は流さない」対応、ペルー大使館事件、バスジャック事件などなど、これまで、同じような「情けなさ」を、戦後日本の政府は幾度となく繰り返してきたのですから。
しかし私は、この戦後日本の「情けなさ」を、単に精神論的に批判するだけでは、思想的に有効ではないと思っていて、それが日本の制度改革、特に憲法改正のような大きな改革に結びつくのでなければ、何度、憂国の情を表してみても、あまり意味はないと考えています。「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことが至難の業だからです。「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値があります。どちらが大事か、ということは、一般的には語れず、個別的な状況において、政治の責任者がそのつど決断を下していくのでなくてはなりません。
ですから、上記の諸事件に関しても、それが、たとえば憲法がはめた足枷によるものであることが明瞭である限りで、批判の効力を発すると考えるわけです。その意味では、このたび自民党が、みずからの党是である「改憲」のアイデアを示したことは、大いに歓迎すべきことと思います。
ところで、おぼえておいでと思いますが、あの漁船衝突事件の折、読書会仲間のYさんと私とが、酒の席で議論したことがあります。私の論旨は次のとおり。
あの事件を、その成り行きの部分だけを個別に取り出して、政府のだらしなさをひたすら批判する前に、考えておかなくてはならないことがある。それは、中国船員を逮捕した直後に、偶然とはけっして思われない仕方で、北京政府が「フジタ」の社員2名を、不当な言いがかりで拉致したことである。日本政府がいわゆる「毅然とした」態度を示して逮捕者を正式に裁判にかければ、北京の人権無視の国柄からして、ただちに2名を空とぼけて処刑したにちがいない。処刑されても「国家のディグニティ」を優先させるべきだという確乎たる思想を貫くなら、それはそれでひとつの見識であろう。しかし、民主主義政治の責任者の立場に立った場合、そういうことをそうやすやすとできるものだろうか? 天安門事件の政治的理不尽さ、小平の「五百人くらいがなんだ」なる発言(真偽のほどはともかくとして)の人権無視の態度を、私たちは大いに批判してきたのではなかったか?
要するにあの事件にかかわって私が不満に感じたのは、政府を批判するどの言論も、この日本人2名の拉致との関係において語ろうとしていなかった点です。私に名案があったわけではない。また、民主党政府(菅政権)の対応をそのままよしとしたわけでもない。しかし少なくとも、彼ら政治の責任者(おそらくその主導権を握っていたのは外務官僚だったでしょう)が、拉致された2人の日本人の生命に配慮していたことだけは確実で、その問題をあわせて論じるのでなければ、いくら対応のひどさだけを批判しても、本当の議論にはならなかったと思います。
以上です。
わが民主主義大国において、多様で複雑な情念の渦巻く国民をまとめ上げるために国家理性を貫くことは、ことほどさように難しい。「ディグニティ」だけをその要件として抽出して事足れりとすることは、そういうものに憑依しうる感性、情念の持ち主においてだけです。そこだけをたよりにすることは、主張としては純粋でわかりやすいですが、近代政治というものが孕まざるをえない根本的な複雑さに、目をふさぐことに繋がらないでしょうか。思想は、こういう複雑さを前提とするところからこそ、本当に出立するのではないでしょうか。
美津島さんを本心から応援したいとの思いのために、つい熱くなりました。乞ご再考。妄言多謝。
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小浜氏の第一信だけで相当な分量になっていますので、それに対する私の返事は次回の投稿に載せます。
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小浜逸郎氏の話の要点は、次の2点に集約できるでしょう。
〔1〕パラオは極小国。それに対して日本は世界の経済大国。置かれたポジションの違いからくる外交的対応の難しさが自ずから異なる。それを勘案しない日本外交批判は有効性に限界がある。
〔2〕「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことは至難の業。日本外交の「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある。フジタ社員2名の命を救おうとした政府の対応の「情けなさ」には、その価値が見受けられる。だから、その「情けなさ」を単純に批判するだけでは、その価値を見過ごしてしまうことになる。
それに対する私の返信を以下に掲げます。
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小浜逸郎様
まず、私があの文章を書いた経緯を申し上げます。
4月28日(土)に、私は自民党本部で催された「主権回復記念日国民集会」に参加しました。ブログのネタ探しが主な動機です。(読書会仲間のMさんと同席しました)
入江隆則氏、藤井聡氏、安倍元総理、小堀圭一郎氏、平沼赳夫たちあがれ日本代表など保守系のそうそうたる顔ぶれが次々と挨拶をしました。(安倍氏と平沼氏はビデオ での挨拶でした)司会は、ちゃんねる桜の水島総(さとる)氏でした。
そうして、トリを務めたのが、『月刊 日本』の編集長南丘喜八郎氏でした。南丘氏の憂憤の情に溢れた話に私はけっこうインスパイアされてしまったのですね。私のあの文章は、南丘氏のお話が元ネタになっています。
私なりにアレンジをしたつもりだったのですが、小浜さんの反応を見ると、あまりうまくいっていないようです。南丘氏のパッショネートな話しっぷりに私が影響されて 一気に書いたので、言葉の端々に彼の保守派としての情念が乗り移っているところがあるのではないでしょうか。また、私がもともと持っている憂憤の念が、彼の話しっぷりによって触発されたところがあるのも事実でしょう。
だから、もう少しモチーフを寝かせておけばよかったのかなという反省があります。とくに「大和魂」の取り扱いについて、慎重さが足りなかったと反省しています。とはいうものの、パラオの特に年配者にそういう気風があるのは、事実のようです。歴史は、そんなふうにして、意外な形でその素顔を覗かせるものだといったことを、もう少しうまくいうことができればよかったのですけれど。(そういうものを無視 する論は、過度の抽象化のほどこされた空論なのではないでしょうか)
そのように自分の拙速を認めたうえで、一点、それでも小浜さんの言い分を飲み込めないところがあります。当時の菅内閣の、違法漁業中国船船長逮捕事件における意思決定のあり方の評価に関わることです。
しばらく、原則的な話をします。
政治問題は、大きく対内問題と対外問題に分けられると思われます。ほかにも分類法はたくさんあるとは思いますが、いまはこの二分法で話を進めます。
当たり前の話を続けます。対内問題は内政とよばれ、対外問題は外交とよばれます。この場合、外交に戦争も含めます。
内政は、国民の目すなわちいわゆる国内世論という舞台で繰り広げられる政治的演技です。基本的には、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、政治家は理と情を尽くして世論を説得しようとします。(情にだけ訴えて勝ち取った支持や力はポピュリズムと称され、あまりその政治的価値を認められません)
それに対して、外交は、国際社会の目すなわち国際世論という舞台で繰り広げられる国家間の政治的演技です。内政の場合と同じく、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、諸国家は理と情を尽くして国際世論を説得しようとします。そうやって得た国際的支持を背景に、相手国に対して、自国を有利な立場に置こうとします。極限的な外交である戦争においても、その事情は基本的に変わりません。(先の大戦では、日本政府が国際世論を無視したことが主たる敗因であると私は思っています。敗因を物量の差に帰すのは誤りです)
私がここで強調したいのは、内政と外交とは、それらが繰り広げられる舞台が違うのだから、その成否を評価する場合、その二つをなるべくきっちりと分けるべきではないか、ということです。
つまり、内政の成否を評価する場合は国際事情をなるべく持ち込むべきではないし、逆に外交の成否を評価する場合は国内事情を同じくなるべく持ち込むべきではない、と言いたいのです。
前者の例を一つあげれば、「欧米先進国家のほとんどは死刑を廃止しているのだから日本もそうすべきだ」というよくある論の立て方です。これは、誤りですね。死刑の是非論は、それが国民の、社会に対する秩序安定の感覚に関わる最重要事なので、国内世論を十二分に踏まえたものであるべきです。国連の「政府が国民を説き伏せるべき」などという勧告は余計なお世話の最たるものです。ましてや、国民が、その勧告を論拠に自国である日本に対して死刑廃止を迫るのはおかしなことです。
他方、後者の例を一つあげれば、先の大東亜戦争に日本が参戦したことの是非について、冷静に当時の国際政治の構図のなかで判断するべきところを、変に自虐的に倫理的に誤りと断罪することです。そういう馬鹿なことを戦後日本は繰り返してきました。
小浜さんの尖閣問題をめぐる微妙な言い方が、後者の「外交の成否を論じるときに国内事情を持ち込む誤り」の例に当てはまってしまうような気がするのです。つまり、 尖閣問題における政府の外交的判断をいちがいに否定することはできない、という言い方のなかに、国内事情への配慮がややバランスを失するほどに多量に混入しているように感じるのです。それは、外交問題をリアルに扱う手つきとしてはまずいだろうと思うのです。
日本政府の「情けなさ」には、「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある、だからといって、日本の「情けない」外交姿勢を肯定するうわけではないが、かといって、バッサリと全否定してしまうこともできない、という小浜さんの論は、「内向き」には一定の説得力があります。でも、これは、国際世論の舞台では、まったく説得力を持たないのではないでしょうか。あのとき日本外交は中国にボロ負けしてしまったという国際社会の認識は、小浜さんの論でびくともしないのではないかと思われるのです。
大急ぎで付け加えたいのですが、私は「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきを戦後の唯一の思想的達成であるとまで思っています。その根づきが、大東亜戦争の膨大な犠牲者たちの言葉にならない無念に応える唯一の道筋なのではないかと思うからです。
だったら、それを日本外交の柱にして、あの時も中国と堂々と渡り合えばよかったではないか、と私は言いたいのです。
日本政府が腹を据えて取り組んだならば、たとえあの船長を法治国家の手順に従って裁いたとしても、拉致されたフジタの社員2名の命を救うことは十分にできたと私は考えています。それらを両立させるギリギリの努力を日本政府がした痕跡を私は認められません。
中国政府によるフジタ社員の拉致事件は、明らかに国際人権違反問題です。それは、人権感覚の研ぎ澄まされた欧米人にとっては自明のことだったでしょう。
だから、日本政府があらゆる手段を使って国際世論に中国の不当な振る舞いを訴えることは、大いに功を奏したことでしょう。国連の諸機関に中国の人権侵害を訴えるのもよいでしょうし、漁船の体当たりの映像をニューヨークの高層ビルの壁に大写しにするのもいいでしょうし、世界の大新聞に日本政府がでっかい意見広告をするのもいいでしょうし、フジタの社員の家族にテレビに登場してもらって拉致された家族の帰還を訴えてもらい、その映像をyou tube を通じて世界中に配信するのもいいでしょう。もっといいのは、それらすべてを同時に遂行することでしょう。そうすれば、(ロシアと北朝鮮以外の)国際世論は、日本に強力に味方をしたことでしょう。
中国は、損をするのをとても嫌がる国です。国内ではあいかわらず人権蹂躙を犯しまくっていますが、外交の主流が人権重視であることはよくわかっているので、人権をめぐって、全世界が日本の味方についてしまったら,さすがの中国でも、馬鹿みたいに拉致した外国人を無理やり殺してしまうことはなかったでしょうし、できなかった でしょう。国際世論から総スカンを喰らうことが国家にとってどれほどの痛手か、中国 政府要人は、天安門事件で思い知っていますから。
ところが、実際のところ日本政府は、それらのうちどれひとつとしてしなかった。それが「情けない」という、一般国民の胸の内にある思いの核心なのではないでしょうか。中国に対して腕まくりをしなかったから情けないと思ったのは、それこそ保守オヤジくらいのものだったのではないでしょうか。
日本政府の振る舞いには、実は人命重視の影さえありません。北朝鮮の拉致問題に関して、人命尊重・人権尊重の観点から北朝鮮に対して毅然とした態度がとれないのと同根です。それは、矮小で小心で卑屈で亡国的な姿です。
日本政府の不甲斐なさに、戦後ヒューマニズムの影を読み取って、妙に考え込んでしまう小浜さんをいささかいぶかしく思います。戦後ヒューマニズムという肯定的価値を担っているのは、政府ではなく実は名も無き一般国民の方なのではないでしょうか。
(それを、ソフト左翼イデオロギーの色に染め上げようとしたところが、戦後知識人の致命的な欠陥の少なくとも一つである、といえるでしょう)
そういう意味で、というのはつまり、今の日本政府には人命尊重の影さえ認められず「外交的配慮」という名の怯懦さ・無能ぶりが見られるばかりであるという意味で「同じ中国の不法漁船に対する態度として、弱小国のパラオがまともで、日本が変だと思うのは、日本の保守オヤジだけではなく、国際世論一般もだ」という 意見にやはり私は与したくなる次第です。
日本政府が、人命尊重を外交の柱として懸命に努力し、そこで対外的にブレないのならば、日本国家は対外的な「ディグニティ」をキープできるし、国益を守ることもできる。国家イメージの毀損は、国益毀損の最たるもの、とは先の論でも申し上げました。そういう日本政府に対してならば、一般国民は基本的信頼感を抱くでしょうし、それを守るための不慮の犠牲を厭わないのではないでしょうか。それが、国民が場合によっては主権の存する存在として「命を賭ける」ということの内実です。
複雑な政治過程をアピール力のある基本路線としてまとめあげる力が政府には求められているのではないでしょうか。まあ、ダブル・スタンダードでも構いませんけれど。複雑な政治過程を一つ一つ踏まねばならないことは、対外的アピール力が欠如していることの免罪符にはまったくならないということです。
もし、もともと保守思想に傾斜気味の美津島が変に暴走して、悪くはない調子のブログを台無しに してしまうかもしれないと小浜さんが危惧されたのだとしたら、小浜さんの言葉で我に帰ったところがあるのは事実ですから、深く深く感謝します。
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私の返事も膨大な量になってしまっているので、今回はここで終わります。
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私は、5月3日から5日まで、福島に取材旅行に行っていました。そこから帰ってきた直後に送った私の返事に対して、すぐに第二信が小浜氏から届きました。
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美津島明さま
旅からお帰りになったばかりなのに、さっそく詳しい返信メール、ありがとうございます。私の疑問を誠実に受け止めてくださったことを深く感謝いたします。
前半の、内政というパフォーマンスと、外交というパフォーマンスとを分けるべきだという議論には、あまり納得できませんでした。というのは、ご存知のように、現代は超情報社会ですから、国内事情と国際事情の違いを認知することは重要でしょうが、その認知にもとづいて実際の政治対応において使い分けをしたとしても、「二枚舌」的な情報操作は通じず、一定の見識あるものの目には、すぐにその意図の不純さ、ダメさなどが見破られてしまうでしょう。
私の論が国際社会の常識には通じないということは認めます。しかし、国際社会の常識に通じないからといって、本質的な問題(国家価値と生命価値の二重性)がなくなるわけではありません。この価値の二重性を現実的にまったく克服できなくさせているもののひとつに戦後憲法があるわけです。たとえば憲法の足枷がなければ、国際的な事件に関しての戦術的対応が可能ですから、ペルー大使館事件や湾岸戦争時の政府対応などは、もっといくらでもマシな対応ができたはずですね。実際ドイツは憲法を変えていますから、あるテロリストの人質事件で、人質を一人も死に追いやらずに、テロリストたちをすべて殺すことに成功しています。
それはともかく、たとえば死刑廃止の問題などは、使い分けの必要などない問題だと思います。私自身も自分の書き物で、堂々と存置論を展開しましたし、おこがましい言い方ですが、仮にこれが国際発信されたとしても、いささかたりともひるむ気も変える気もありません。日本の戦争責任の問題も同じです。敗残意識をすぐに道徳的な過誤意識に読み替えてしまった戦後日本人は、そのそもそもの国民性からしてだんだんに変えていく必要があるし、そのよい方向への進化の必要性を政治がしっかり取り込み、内外へ向けてまったく同じ水準で発信するべきだと思っています(少し議論がかみ合っていないような気もしますね。笑)。
そこで、政治がいずれにせよパフォーマンスであることを免れないならば、内政と外交における基本的構えを「分ける」のではなく、これからの政治は、むしろ内外に向けての「透明性の演技」の仕方を身につけるべきなのではありませんか。
後半の漁船衝突時における政府対応についての貴兄の縷説には、ほとんど説得されてしまいました。というか、私は、まさに今回、貴兄が書いてくださったような形での議論を期待していたのであり、私の疑問に対して的確に答えてくれていると感じました。ここには、確実にディアレクティークが成立していると言えます。その意味で、疑問提示を行なってそのきっかけを作った私自身を少々誇りに思っています。
繰り返しますが、当時、政府対応の情けなさを弾劾する論調には、今回、貴兄が展開してくれたような包括的かつ高度な議論があったでしょうか。寡聞にしてというか、そもそもあまり目配りのいいほうではないので、もしかしたらあったのかもしれませんが、どうもなかったような気がするのです。要は、フジタ社員の拉致事件を考慮に入れても「毅然」とするにはどうすればよいのか、という疑問に答えがほしかったわけです。
ことに今回、感心したのは、世界に向けて人権の大切さをアピールする具体的な方法を提示している部分です。こういうアイデアがほしかったのですよ。中国が損をするのをとても嫌がる国だ、というのもそのとおりですね。それを利用しない手はない。たしかにそのあたりの読み、外交感覚が、臆病な日本政府には完全に欠落していたといえるでしょう。いままでいつもそうだったように。
ただし、少しだけ言わせてもらうと、あれからわずか二年弱しか経っていないわけですが、よかれあしかれ、その間の中国におけるさまざまな面での変化は著しく、ずいぶん情報化が進んで、北京もあのときに比べれば、さらに国際世論を気にせざるを得なくなったのではないかと思います。今回の人権活動家・陳さんに対する中国政府の対応を見ているとそれを感じますね。陳さん自身も、自由と人権を旗印に掲げたアメリカの弱点をよく心得ていて、
それをおおっぴらに利用している。それに対して、北京も横暴なことができなくなっているわけです。というか、ただでさえ国内矛盾の沸騰で苦しんでいる北京としては、ああいう反体制分子には、早く出て行ってほしいのでしょうね。大した活動家でもない陳さんのあの傲慢な態度は、日本人の感性からすると、ずいぶん居丈高だな、とも感じるのですが。
たまたまBSフジの「プライムニュース」で、憲法特集をやっていて、最終回(4日)、西部さんが戦後日本人、戦後政治への絶望を語っていて、その筋金入りの「姿」に妙に共感してしまいました。魯迅の言葉ではないですが、絶望も語り方によっては、ある種の希望を与えるのかもしれない、と思った次第です。
前回お会いしたときに、「みんなの党」の消費税増税反対論を評価したのですが、この党の改憲論は、「維新の会」べったりで、全然ダメですね。同じ番組に党員の柿沢未途(柿沢弘治の息子)が出席していて、「自分たちのほうが維新の会よりも先に考えてきたので、便乗しているように受け取られるのは非常に不本意だ」みたいなことを言っていましたが、改憲論の中身そのものが浅薄です。
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次は、上記に対する私の返信です。
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小浜逸郎様
すぐにでも返事をするような言い方をしていて、けっこう遅くなってしまいました。すみません。
(このブログでは省いてある短いメールで予告しておいたー補)「残余の細い論点にお付き合いを」と申し上げていたことについて。
それは、パブリックな政治的な議論における自分の言説と、ラディカルな一個の純然たる思想家(うまい言葉がほかに見つかりません)としてのそれとの、一種の矛盾についての話です。
なにを言っているのか。
私は、内政については、自分なりに国民主権を突き詰めることによって批判することがしばしばです。主権概念を突き詰め鋭利な武器にして政治を批判しようとするのですね。
ところが、一個の純然たる思想家としては、一般国民が主権を担いうるかどうかについて、かなり懐疑的です。一般国民が主権を担うには、どこかで自分の身の丈を超えることが求められる(一般意思を体現するのですから)のですが、それがそういう存在に可能かどうか、また担おうとした場合、その意思決定が常に正しいのかどうか、相当に怪しいと考えています。民の声は神の声という楽観主義に対する疑いをかなり根深く持っているのです。もしかしたら、吉本さんの「大衆の原像」をまだどこかで引きずっているのかもしれません。
*故吉本隆明氏は、あくまでも、生まれて、結ばれて、子を産んで、老いて、死ぬだけの存在であって、民主主義を担う市民のレベルにまで知的に上昇しえない「大衆の原像」に積極的肯定的な意義を認め、そこに自分の思想の根拠を置きました。その思想的な構えの影響がまだ自分には残っているのかもしれないと、私はここで言っているのです。故吉本隆明氏の「大衆の原像」は、いわゆる進歩的文化人(ソフト左翼知識人・社会主義に胸襟を開いたリベラリスト)を批判する上で大きな威力を振るいました。しかし、他方では、ありのままの庶民を美化する別の意味の左翼性を払拭し切れないところもあります。呉智英氏が「オウム真理教の上祐の追っかけをやるコギャルたち。あれが大衆の原像だ」と彼一流のシニック・ユーモアを交えて吉本批判をしたのが思い出されます。
また、対外的に、日本は人権外交・人命尊重外交を徹底することで活路を見出しうると考えています。これは、前回お話しした通りです。
ところが、他方では、呉智英さんが指摘しているように、たかだか法律上のフィクショナルな概念にすぎない人権にあまりにも肩入れするのは、思想として偏りがあるので、何かにつけ人権を強調したがる向きに対しては、私はむしろそれを相対化することの方に重心を置こうとします。人権真理教の面々に対する嫌悪感とか危惧の念が私には抜きがたくあるのです。
また、人命尊重についても、佐伯啓思さんや西部邁(すすむ)さん的な問題意識を持っています。つまり、命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである、という考え方に半ば以上納得してしまうところがあるのです。さらには、自由・平等それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つという考え方に対しても、深く耳を傾けてしまうところがあるのです。
かといって、そういうことを言い募りすぎると、知識人の与太話みたいになってくるという側面にも目が行ってしまいます。
つまり、政治的な主体としては、国民主権・民主主義・人権さらには自由・平等を武器として振りかざす局面が多々あるのに対して、価値の本質論みたいな次元においては、それらに対して懐疑的な態度で接するのが基本である、という矛盾というか二重性というか、そういうものを自認せざるをえない、ということです。さらには、その二重性の弄びが過ぎるのは、思想として生産的ではないだろうという思いも他方ではあります。
こういうことについては、思想の顕教と密教としてある種の使い分けをするほかないものと考えるべきなのか、それともその矛盾を統一的にとらえる第3の視点のようなものがあるのか、正直に言って、よくわからないところがあるのです。
これって、もしかしたらちゃんと整理しておかないと、ある現実的なテーマをめぐってだれかと議論している場合に、なんだか噛み合わないという原因にもなりかねないのではないでしょうか。自己分裂をしかねないと言いましょうか。
私がいま不器用に申し上げているようなことは「政治と文学」以来、延々と議論され尽くしてきたテーマなのかもしれません。
これまで交わしてきた議論とは、いささか風向きが違うとは思いますが、小浜さんは、こういうことについてはどう考えられますか。
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私は、広い意味における思想的な営為(つまりはモノを書くこと全般)において、自分が使っている言葉が孕んでしまう矛盾や限界にどうしても目が行ってしまいます。それを小浜氏はどう考えていらっしゃるのか、知りたくなったので、主権国家についての議論が取りあえず一段落したのを機に、私は率直に伺ってみました。以下は、それに対する小浜氏の返事です。
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美津島明さま
貴兄の問題意識、というよりも、「引き裂かれた悩み」は、思想者が抱える問題として最も本質的なもので、しかも永遠の課題であると考えます。これまで、どんな偉大な思想者もすっきりした答えを提出できているとは思えません。
いささか先輩風を吹かせることになるかもしれません。といって、誤解なきように。私は貴兄の今回の問題提起に対して、何か有効な回答の用意があるわけではまったくありません。私はただ、ずっと前から(おそらく青年時代に思想なるものに目覚めたはじめから)、同じ問題をずっと考え、答えが見出せずに悩んできたというだけで、要するに生理的な時間の長さにおいてのみ、多少とも貴兄より「一日の長」があるかなあ、と思うばかりです。
何から話し始めましょうか。
いろいろと心が散乱し、言語が持つ「線型性」(言語は本質的にいつまでもどこまでもひとつながりであること。細長い一文幅の紙の表面に、文字が上から下へ句読点を介しながら無限につながっているイメージを思い浮かべればよいでしょうー引用者注)を呪いたくなり、また、思想言語というものの厄介なパターン(論理的な整理を強制される)の轍を踏まなければならないことを悔しく思います。思いつくまま、未整理のままに、いろいろなことをともかく言ってみます。貴兄の問題意識に的中しているかもしれないし、的外れであるかもしれない。そちらのご判断にゆだねますので、少しでも参考になればさいわいです。
私は最近、たまプラーザに越してきてから、けっこう飲み屋めぐり、スナックめぐりを繰り返していて、そこで出会うさまざまな人たちに積極的に話しかけて、関係づくりを目ざしています。これは老いて独身者になったことの大きな功徳と考え、これからも続けていこうと思っています。といっても、じつはただ寂しいだけなのですが(笑)。
本当にいろいろな人がいるので、その人たちのそれぞれのポジションを直感的に了解して、そのたびごとに使う言葉のモードを切り替える必要が生じます。向こうは誰もが私を「先生」とか「教授」とか呼んでそれなりの仕方で遇してくれるわけですが、太宰の「富岳百景」ではないけれど、私は「黙ってそれを受け」ています。ごく少数ですが、私に対して「世間知らずの学者先生バカ」という偏見(?)を抱いて接する人もいます。
こんなことがありました。この人ならこういう言葉を遣っても理解されるだろうと思って、何かの文脈で、「私は言われなき権威主義が最も嫌いです」と言ったところ、「なに? いわれなき何とか? そういう言い方がよくわからないんだよ」という反応が返ってきました。そこで私はとっさに、「要するに、中身がないのに威張っているやつらのことですよ」と答えたのですが、私が言いたかったのは、私たち一人ひとりの中にある「卑屈な根性」こそが「いわれなき権威主義」を支えてきたのだということです。どこまで相手に伝わったか・・・
ところで、ご承知のとおり、私は「ゆとり教育」やフェミニズムの一部に象徴されるような「悪平等主義」「人権真理教」に対して、自分なりに闘いを演じてきました。その闘いの意志をひと言でまとめるなら、「千差万別の生き方をしている多くの人たちの現実相を見ずに、イデオロギー的な理想で人間をならしにできるなどと思うな!」ということに尽きます。これらの安手の思想が全体主義に直通するものであることは、貴兄もわかりすぎるほどよくわかっていますよね。そういう意味では、私はニーチェ、オルテガ、西部邁などのような精神のアリストクラットの心境がよく理解できるし、共感もするのです。
ところが一方、自分の日々の言動を反省してみると、どう考えても人間はみな同じで、魚屋も「偉大な」学者も、変わりはない、ならば誰も自分の肩書きなどを傘に着ずに、対等に接するのが理想的なのだ、という感じ方をしているのが確認できます。どこまで実現できているかは別として、いま私が地域の人たちと話し合えることにささやかな喜びを得ているのも、この感覚あればこそ、と思っています。
これは思想命題に還元してしまうと、解決至難の「矛盾」ということになります。
最近、法然、親鸞を少しばかりかじり、五木寛之氏の『親鸞』などを読むと、僭越ながら、いわゆる「偉大な」先人たちも、同じ問題で悩んでいたのだろうな、ということがひしひしとわかります。
吉本さんも、「人間はみな等価だ」という思想を持った人でしたが、私から見ると、彼はキャラとして、孤独に過ぎます。そのことをどこまで彼は自分特有の「問題」として把握していたのか、もちろん把握はしていたと思いますが、あるところからそのことにあまり真剣に悩まなくなってしまったのではないか。これは拙論で指摘した、彼の途中からの「大衆偶像視」と表裏一体のように思えます。「固有時との対話」ほか、初期の詩篇は感動的ですが、あれも「屹立」という言葉が本当によく似合うスタイルですよね。
西部さんは、思想表現あるいは思想体質としてはオルテガの嫡出子だと思いますが、キャラ、身体像は、吉本さんとちがって、「大衆」に対してとても開かれています(可愛い人です)。彼のお宅にお邪魔したとき、吉本さんのことを「うつ病だ」と評していました。当たらずといえども遠からず、ですね。
西部さんはどこかで、朝日新聞はひどい新聞だが、個人的に記者と接するとみんな賢くてよくわかっているのだ、と語っていました。彼のこの直観は正しいと私は思います。ただ、こう指摘しただけでは、人間というものは「個人」とか「庶民的生活者」のレベルではみんなだいたい同じようによくわかっているのだが、集団となると手がつけられなくなるのだ、みんなイデオロギーにやられてしまうのだ、というロジックが引き出せるだけに留まっていて、それ以上に思考を進める手立てが見つかりません。ここに、貴兄が悩んでおられる問題が、別の形で浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
呉智英さんの「顕教密教」「愚民」「偏差値をオレは九割信じる」「吉本の愚鈍な弟子・芹沢」などは、実に痛快ですが、これは、人権真理教イデオロギーが支配している戦後社会であればこそ、カウンターとしての思想的意味を大きく持つので、それもまた、彼のユーモラスな搦め手スタイルと切っても切れない関係にある、と私は思います。彼は、とても「現実」というものをわきまえている人で、自分の思想表現を「イロモノだ」と自覚して恥じません。
しかし、というか、だからこそ、というべきか、彼のキャラにじかに接すると、非常な人情家だ、という印象を持ちます。とても優しい人で、言論では一見「愚民蔑視」を平然かつ堂々と行なっていても、行路で倒れた見知らぬ人がいれば、真っ先に「よきサマリア人」たろうとするのではないでしょうか。また彼は、封建主義や儒教イデオロギーを好んで持ち出しますが、これもまた、時代の子としての不可避性をよくよく自覚しながら意識的にやっているスタイルで、これらの思想をナイーブに信じているのではないと思います。そこが彼のよい意味での「知的」なところだと思います。文学のよくわかる人でもありますよね。
これに対して佐伯さんは、とても真面目に(愚直なほどに)ものを考えるタイプで、彼の説く、「命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである」という考えは、そのとおりだと思いますが、そこから導き出している「自由それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つ」という考え方には真面目すぎる思考が孕んでしまう苦しさのようなものがにじみ出ているように思います。
というのは、彼の『自由とは何か』の末尾における「義」という概念の持ち出し方は、私などにはとても唐突に思え、ついに抽象概念どうしの対置に終っているという印象が拭えないのです。
私の考えでは、「義」という概念は、それだけでは、公共性のレベルでしか効力を持たない概念であって、もっと具体的に、「あなたはどういう『義』(「他者への配慮」)のことを言っているのか」と問われたならば、とたんにその一枚岩的な弱さをさらすのではないでしょうか。言うまでもなく、女房子どもへの「義」、友人に対する「義」、公共世界における「義」等々は、それらを合い交わらせれば、この人生の実相においては、必ず解決不能な矛盾を内包していることが暴露されますよね。
これは、「愛」という言葉がもともと持っている多義性と、ほぼ同じ事情だと思います。えらそうに聞えるかもしれませんが、私は大学の講義でいつも、具体例を出しながら、この「愛」という言葉の多義性、個々の「愛」が互いに矛盾して両立不可能である姿をよく見つめよ、と学生に話しています。「義」も同じでは?こういう事情があるからこそ、吉本さんの「共同幻想・対幻想」の峻別の思想が生きるのではないでしょうか。
あえて吉本さんを持ち出すまでもありますまい。通俗歌謡でも歌われていますよね。「義理と人情をはかりにかけりゃ 義理が重たい男の世界」と。「君に忠ならんと欲すれば」云々というのもあるし、歌舞伎の「名木先代萩」における「でかしゃった、でかしゃった」という母親の嗚咽、大衆はみな、この両立不可能な理不尽さに苦しみ、悲しみ、共感を余儀なくされてきたのではないでしょうか。文学って大事ですよね。
「公共性における義」を言説の中心価値として重んじる西部思想にしても、それだけで完結しているわけではなく、彼が「朝ナマ」で語っていた、「自分の娘が強姦などされようものなら、私はひとりバズーカ砲を肩に担いでそいつをぶっ殺しにゆく」という言葉が印象的です。そういう身近な、等身大の「他者」に対する切実な共感を媒介にしてこそ、はじめて彼の「義」の思想が肉体を持つのだと思います。ただ、それがただちに「公共性」における「義」に通じるかどうかについては、いろいろと面倒な思想的手続きが必要とされるわけで、そのプロセスの解明こそが、社会思想に与えられた任務だと愚考します。ヘーゲルはかなりのところまでそれをやっていた、かな。
先に、七人の日本近代思想家について書き(これは幻冬舎から9月をメドに出版されますー引用者注)、和辻がいかに偉大であり、その偉大さが正しく評価されていないかについても書きましたが、私の本当の感じから言うと、いちばん共感を感じたのは、やはり小林秀雄でした。彼の「政治嫌い」、「文学愛好」は、まことに徹底しており、どんな時代状況にあってもいささかも揺らいでいません。これは、西洋文明の浅薄な摂取など(ポスト・モダンなどその典型でしたね)をゆうに超える普遍的な強さを秘めています。文学の私的性格、ただの思い出のつづり、一見すると「弱さ」と見えるもの、主観にしか過ぎないと思えるもの、それが深く語られさえするならば、思想としてはいちばん強いのです。そのことに確信を持っていた小林は、やはりすごいと感じました。
まとまりがなく、拡散してきました。最後にできるだけ貴兄の問題意識に沿いながら、現時点でできる範囲で少しまとめてみます。こういう捉え方がどこまで説得力を持つかどうかは、わかりません。
「主義」「イデオロギー」としての平等概念に対しては、私たちは不断に闘う理由と根拠を持っています。政治的な平等主義は、現実の苛酷さに目を瞑らせる悪しき「宗教」でしかなく、それを隠れ蓑にして権力の横暴がまかり通っていくからです。またこの麻薬は、それぞれの人間の誇りと尊厳という一番大事なものを「平板さ」のもとに押しつぶしていくからです。
しかし、身体感覚、私的なかかわりにおける関係認識、開かれた感性としての平等的人間観は、大切なものだと思います。これがなければ、言葉が本当に通じるための地盤が根こそぎにされていしまいます。ニーチェは「同情」を蛇蝎のごとく嫌い、「」は、超人によって超えられるためにある、と説きました。
しかし、その彼でさえ、最後の著作、『この人を見よ』のなかで、自分は行商に来る八百屋のおばさんと仲良く話をする、哲学者になるためにはこのくらいでなくてはダメだ、などと滑稽なことを言っています(ちなみにこの八百屋のおばさんは、ニーチェのこの記述によって、のちに有名になったそうです)。この発言がなぜ滑稽かといえば、彼ほど狂人と紙一重なくらいに孤立した哲学者もめずらしく、事実、晩年の彼は、散歩しているときに、子どもたちにからかわれて石をぶつけられているのです。すでに頭がおかしくなっているので、彼のそのときの気持ちがどうだったかはわかりませんが、まあ、普通に考えて、こんな孤立した人の境涯が幸せなはずがないですよね。
「主義」としての平等を否定することと、「対人感覚」としての平等観を肯定すること、両者はどうしても矛盾してしまうのだろうか。
そうではない、と思いたい。美津島さんや私が抱えているこの「頭と身体の矛盾」のようなものを、言語によって克服することは可能だろうか。必ず可能である、と思いたい。それがこの問題に対する現在の私の、ぎりぎりの回答です。
命あるかぎり、まともな精神を維持できているかぎり、これからもお互いに勉強していきましょう。
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小浜氏の返信だけで膨大な量なので、今回はこれで終わります。