*八月四日投稿の拙文『戦後民主主義の墓場とその棲息地 ごくささいな経験から』http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/7f3ee76616d1853da99f856bf0c56e4cに対して、soichi2011さんから後日率直なコメントをいただきました。それをきっかけに、2,3回意見交換をしました。そうするうちに、コメント欄の1000字制限の枠がどうにも邪魔になってきたので、今後、場を本投稿欄に移します。もし、私の文章で脈絡のつかないところがあれば、コメント欄でのやり取りをご覧ください。
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soichi2011さんによれば、お子様教=児童中心主義と戦後民主主義はけっこう違うとのこと。私としては、この両者に少なくとも一定の親和性・相補性あるいは補強性を認めるのはそれほど不自然なことではないような気がします。それさえも否定してしまうとすれば、いささか奇異な印象を受けることになりましょう。また、その程度の関連性が認められれば、論のロジックはまだかろうじて成り立つ(言説そのもが正しいかどうかは別問題ですが)のではないかと思われるので、私としては十分です。自分から「お子様教は戦後民主主義の産物」と言い出しておいてなんですが、「産物かどうか」という論点にこれ以上拘泥する気にはあまりなれません。
それはそれとして、soichi2011さんと昨日お会いして感じたことを述べます。soichi2011さんは、学校教育の諸問題を論じるとき、それに関連して戦後民主主義批判をし、日教組を敵視するという保守派的な教育言説の定番を私のそれに見出し、そのことに違和感を抱いていらっしゃるように受けとめました。
《教育問題をイデオロギー闘争の代理戦争の場にしてはならない。それは不毛なことである。教育問題はできるだけ教育問題として語られ、その解決案は実効性のある具体的制度論として語られることが必要である》
soichi2011さんは、おそらくそう考えていらっしゃるのではないでしょうか。そうして、前回の返事で申し上げたように、私はそういう考え方に全面的に賛成です。当たり前のことですが、問題は解決されるためにあるからです。実際的な解決とは程遠い迂遠な道を堂々めぐりするのは、時間とエネルギーを空費するつまらないことですね。
いまさらながらの感もなくはないのですが、一つ確認したいのは、私は当論で、例の問題児B君の授業妨害を解決するには戦後民主主義を否定する必要がある、などとは一言も言っていない、ということです。というか、問題の解決そのものにさえ話の焦点は当たっていないでしょう。私が当論で突き止めたかったのは、一連の学校の対応に対して私が抱いた違和感の正体です。その正体を突き止めたら、授業妨害が解決される、とは口が腐っても言っていませんし、そんなバカなこと、考えたこともありません。
その正体を、私は学校関係者における戦後民主主義の平等原理主義的な言動パターンの残骸である、としたわけです。で、彼らは戦後民主主義の理念を正義と信じてそういう言動に出ているのではなく、なかば以上慣習化されたものを無自覚にとりあえずなぞっているだけです。また、その言動の核心には、おそらく、soichi2011さんが指摘した「「民主主義」も「自由平等」も関係ない、自分の子どもは特別なんだから、特別に面倒を見てくれ、と、あられもなく要求する親たち」への学校関係者の苦慮があります。それを私は、当論で学校関係者の「オバタリアニズム」の襲来に対する学校側の怯えと表現しました。
だから、soichi2011さんが言っていることと私が言っていることは、なんというか、実質的にそれほど隔たってはいないような気がするのです。
おそらく、soichi2011さんが苛立っているのは、私が「お子様教」やオバタリアニズムと戦後民主主義とを強く関連付けようとしているからでしょう。さらには、そこから、日教組解体論を立ち上げようとするからでしょう。それではまるで絵に書いたような保守派言説ではないか、と。
それに対して、私はなにを申し上げればいいのでしょう。
私の日教組嫌いなんですが、これはこれでけっこう根が深いのです。中学校時代からの私の友人で高校教師をやっている人がいます。彼は、これまでずっと組合活動をしてきました。そうして、いまや組合の中核を担う存在になっています。若い頃からずっと、彼と私は日教組や左翼をめぐって会うたびに論戦を交わしてきました。彼は左翼の立場から、昔の私は左翼批判の吉本隆明的な立場から。
彼の言動を極端に受け入れ難く思うようになってきたのは、思えば、民主党が政権を取ってからです。きっかけは、同じく民主党シンパの人と彼とが「岡田外務大臣はよくやっている」などと、私からすれば、のうのうと内輪ぼめをしているのを横で聞かされたことと、外国人選挙権問題で、その危険性についての私の必死の訴えに対して彼が「そうかなぁ」という鈍感な態度に終始したことです。岡田など、私は馬鹿だと思っていましたので、二人の話ぶりに腹が立ってしかたがありませんでした。
そのときから、民主党に票を入れたことを心底後悔しはじめました。「こんな愚劣でレベルの低い、心底ガッカリするような政治話を聞かされる羽目に陥ることに自分は図らずも加担してしまったのか」と思ったのです。私が民主党の批判をすると、彼は浮かない顔をしてやり過ごそうとするばかりです。腹の中で「それでも、自民党が政権を取っているよりはマシだろう」くらいのことを考えているのがなんとなく分かるので、ますます不愉快になってくるのです。正直に言えば、私は彼の人としての誠意を疑い始めました。彼は、腹の底で私との対話を拒んだのです。そういう政治的百姓根性を、私は、党派性と呼んでいます。
こんなこともありました。浅田真央がフィギア・スケートの世界選手権で金メダルを取り、日の丸を身にまとってとても綺麗な笑顔でスケートリンクを一周したのを、私が好感を持って語ったところ、彼はシニックに「あんな、下着にメンスの血が付いたような薄汚い国旗を見せつけられたら気分が悪くなるんだよな」と言い放ちました。日教組の過激分子が、授業で「日の丸は、日本が間違った戦争をしたので薄汚れている。あの赤は流された血で、白は白骨の山」と教えていると耳に挟んだことがありますが、それに勝るとも劣らない強烈な反日的な言葉でした。
日教組が強力に支持する民主党が権力を取ってからというもの、天下を取ったような気分になったのか、彼の日教組的な言動は傲慢極まりないものになってきたのです。それをストレートに表すのならまだしも、その言動から漏れてくる形でその所在をこちらが感知してしまうのです。それは、とても不快な経験です。それにつれて、彼らの標榜する平和教育と人権教育とが、以前にも増して、日本弱体化のイデオロギーとして強く禍々しく印象づけられるようになっていきました。彼の言動の忌まわしさと日教組という存在の忌まわしさとが私の頭のなかで重なり合っていて、現状ではすっきりと腑分けできません。
こんなことばかり言っていてもしょうがないので、これくらいにしますが、今の私の目に創価学会と日教組は同じような社会的存在として映ります。つまり、活発な政治運動をすることによって、国家権力と太いパイプでつながっている(学会は、つながっていた、というべきです)点が同じなのです。そうして、ろくなことを考えていないところもよく似ています。創価学会が、世のため人のために早く消えてなくなってほしいと願うのと同じように、日教組も世のため人のために一日でも早く消えてなくなってほしいと、私は心から願うのです。
日教組が反日・反戦・平和の戦後民主主義を流布するのに教育の現場の最前線で果たしてきた歴史的な役割については、いろいろとご存知のsoichi2011さんに対して多言を要するには及ばないでしょう。彼らにとって、教研大会に朝鮮学校の代表者や解放同盟の幹部を講師として三顧の礼で招くくらいのことは朝飯前です。
そうして、とりあえずの最後の論点。戦後民主主義と「「民主主義」も「自由平等」も関係ない、自分の子どもは特別なんだから、特別に面倒を見てくれ、と、あられもなく要求する親たち」の、社会秩序を軽視した凄まじいまでの自己肯定、すなわち、私のいうオバタリアニズムとの関係をどうとらえるか。「私の公への異議申し立て」を正義としてきた戦後民主主義が、オバタリアニズムに対抗する原理としては無効であるのはもちろんであるし、さらには、その原理からすれば、それを全肯定するほかないのではありませんか。つまり、戦後民主主義は、教育現場でいま起こっている困った事象に対して、現実的にも原理的にも完敗であると私は考えます。
思想の作法として、無効になった思想は、きちんと埋葬しなければならない、と私は考えるのです。そうしなければ、それは形骸化したゾンビとして祟る。先の論においても、soichi2011との議論においても、私が一番申し上げたいのは、これです。
思想をナメてはいけません(soichi2011さんがナメていると言っているわけではありません)。現実世界に対して無効になった思想に何の力もないなんて嘘っぱちです。戦後世界において、思想としては無効なマルクス主義が、世間知らずの知識人たちの青白い脳みそに隠然とした大きな力を振るい続けてきた歴史が、そのことを物語っています。
戦後民主主義をきちんと埋葬することは、すなわち、民主主義の理念の再定義・鍛え直しをすることです。いま私が考えているのは、それを主権概念を導きの糸にして「私が公を担うこと」と再定義し、それを徹底するという方向です。つまり、民主主義以外の理念を探すのではなく、民主主義そのものをシンプルに鍛え上げることで、政治・経済・社会の立て直しの根本に据える、というアイデアです。(その観点から、憲法改正は当然射程に入ってきます)おそらくここで、私はいわゆる保守派と袂を分かつはずです。
soichi2011さん、バトンタッチです。
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soichi2011さんによれば、お子様教=児童中心主義と戦後民主主義はけっこう違うとのこと。私としては、この両者に少なくとも一定の親和性・相補性あるいは補強性を認めるのはそれほど不自然なことではないような気がします。それさえも否定してしまうとすれば、いささか奇異な印象を受けることになりましょう。また、その程度の関連性が認められれば、論のロジックはまだかろうじて成り立つ(言説そのもが正しいかどうかは別問題ですが)のではないかと思われるので、私としては十分です。自分から「お子様教は戦後民主主義の産物」と言い出しておいてなんですが、「産物かどうか」という論点にこれ以上拘泥する気にはあまりなれません。
それはそれとして、soichi2011さんと昨日お会いして感じたことを述べます。soichi2011さんは、学校教育の諸問題を論じるとき、それに関連して戦後民主主義批判をし、日教組を敵視するという保守派的な教育言説の定番を私のそれに見出し、そのことに違和感を抱いていらっしゃるように受けとめました。
《教育問題をイデオロギー闘争の代理戦争の場にしてはならない。それは不毛なことである。教育問題はできるだけ教育問題として語られ、その解決案は実効性のある具体的制度論として語られることが必要である》
soichi2011さんは、おそらくそう考えていらっしゃるのではないでしょうか。そうして、前回の返事で申し上げたように、私はそういう考え方に全面的に賛成です。当たり前のことですが、問題は解決されるためにあるからです。実際的な解決とは程遠い迂遠な道を堂々めぐりするのは、時間とエネルギーを空費するつまらないことですね。
いまさらながらの感もなくはないのですが、一つ確認したいのは、私は当論で、例の問題児B君の授業妨害を解決するには戦後民主主義を否定する必要がある、などとは一言も言っていない、ということです。というか、問題の解決そのものにさえ話の焦点は当たっていないでしょう。私が当論で突き止めたかったのは、一連の学校の対応に対して私が抱いた違和感の正体です。その正体を突き止めたら、授業妨害が解決される、とは口が腐っても言っていませんし、そんなバカなこと、考えたこともありません。
その正体を、私は学校関係者における戦後民主主義の平等原理主義的な言動パターンの残骸である、としたわけです。で、彼らは戦後民主主義の理念を正義と信じてそういう言動に出ているのではなく、なかば以上慣習化されたものを無自覚にとりあえずなぞっているだけです。また、その言動の核心には、おそらく、soichi2011さんが指摘した「「民主主義」も「自由平等」も関係ない、自分の子どもは特別なんだから、特別に面倒を見てくれ、と、あられもなく要求する親たち」への学校関係者の苦慮があります。それを私は、当論で学校関係者の「オバタリアニズム」の襲来に対する学校側の怯えと表現しました。
だから、soichi2011さんが言っていることと私が言っていることは、なんというか、実質的にそれほど隔たってはいないような気がするのです。
おそらく、soichi2011さんが苛立っているのは、私が「お子様教」やオバタリアニズムと戦後民主主義とを強く関連付けようとしているからでしょう。さらには、そこから、日教組解体論を立ち上げようとするからでしょう。それではまるで絵に書いたような保守派言説ではないか、と。
それに対して、私はなにを申し上げればいいのでしょう。
私の日教組嫌いなんですが、これはこれでけっこう根が深いのです。中学校時代からの私の友人で高校教師をやっている人がいます。彼は、これまでずっと組合活動をしてきました。そうして、いまや組合の中核を担う存在になっています。若い頃からずっと、彼と私は日教組や左翼をめぐって会うたびに論戦を交わしてきました。彼は左翼の立場から、昔の私は左翼批判の吉本隆明的な立場から。
彼の言動を極端に受け入れ難く思うようになってきたのは、思えば、民主党が政権を取ってからです。きっかけは、同じく民主党シンパの人と彼とが「岡田外務大臣はよくやっている」などと、私からすれば、のうのうと内輪ぼめをしているのを横で聞かされたことと、外国人選挙権問題で、その危険性についての私の必死の訴えに対して彼が「そうかなぁ」という鈍感な態度に終始したことです。岡田など、私は馬鹿だと思っていましたので、二人の話ぶりに腹が立ってしかたがありませんでした。
そのときから、民主党に票を入れたことを心底後悔しはじめました。「こんな愚劣でレベルの低い、心底ガッカリするような政治話を聞かされる羽目に陥ることに自分は図らずも加担してしまったのか」と思ったのです。私が民主党の批判をすると、彼は浮かない顔をしてやり過ごそうとするばかりです。腹の中で「それでも、自民党が政権を取っているよりはマシだろう」くらいのことを考えているのがなんとなく分かるので、ますます不愉快になってくるのです。正直に言えば、私は彼の人としての誠意を疑い始めました。彼は、腹の底で私との対話を拒んだのです。そういう政治的百姓根性を、私は、党派性と呼んでいます。
こんなこともありました。浅田真央がフィギア・スケートの世界選手権で金メダルを取り、日の丸を身にまとってとても綺麗な笑顔でスケートリンクを一周したのを、私が好感を持って語ったところ、彼はシニックに「あんな、下着にメンスの血が付いたような薄汚い国旗を見せつけられたら気分が悪くなるんだよな」と言い放ちました。日教組の過激分子が、授業で「日の丸は、日本が間違った戦争をしたので薄汚れている。あの赤は流された血で、白は白骨の山」と教えていると耳に挟んだことがありますが、それに勝るとも劣らない強烈な反日的な言葉でした。
日教組が強力に支持する民主党が権力を取ってからというもの、天下を取ったような気分になったのか、彼の日教組的な言動は傲慢極まりないものになってきたのです。それをストレートに表すのならまだしも、その言動から漏れてくる形でその所在をこちらが感知してしまうのです。それは、とても不快な経験です。それにつれて、彼らの標榜する平和教育と人権教育とが、以前にも増して、日本弱体化のイデオロギーとして強く禍々しく印象づけられるようになっていきました。彼の言動の忌まわしさと日教組という存在の忌まわしさとが私の頭のなかで重なり合っていて、現状ではすっきりと腑分けできません。
こんなことばかり言っていてもしょうがないので、これくらいにしますが、今の私の目に創価学会と日教組は同じような社会的存在として映ります。つまり、活発な政治運動をすることによって、国家権力と太いパイプでつながっている(学会は、つながっていた、というべきです)点が同じなのです。そうして、ろくなことを考えていないところもよく似ています。創価学会が、世のため人のために早く消えてなくなってほしいと願うのと同じように、日教組も世のため人のために一日でも早く消えてなくなってほしいと、私は心から願うのです。
日教組が反日・反戦・平和の戦後民主主義を流布するのに教育の現場の最前線で果たしてきた歴史的な役割については、いろいろとご存知のsoichi2011さんに対して多言を要するには及ばないでしょう。彼らにとって、教研大会に朝鮮学校の代表者や解放同盟の幹部を講師として三顧の礼で招くくらいのことは朝飯前です。
そうして、とりあえずの最後の論点。戦後民主主義と「「民主主義」も「自由平等」も関係ない、自分の子どもは特別なんだから、特別に面倒を見てくれ、と、あられもなく要求する親たち」の、社会秩序を軽視した凄まじいまでの自己肯定、すなわち、私のいうオバタリアニズムとの関係をどうとらえるか。「私の公への異議申し立て」を正義としてきた戦後民主主義が、オバタリアニズムに対抗する原理としては無効であるのはもちろんであるし、さらには、その原理からすれば、それを全肯定するほかないのではありませんか。つまり、戦後民主主義は、教育現場でいま起こっている困った事象に対して、現実的にも原理的にも完敗であると私は考えます。
思想の作法として、無効になった思想は、きちんと埋葬しなければならない、と私は考えるのです。そうしなければ、それは形骸化したゾンビとして祟る。先の論においても、soichi2011との議論においても、私が一番申し上げたいのは、これです。
思想をナメてはいけません(soichi2011さんがナメていると言っているわけではありません)。現実世界に対して無効になった思想に何の力もないなんて嘘っぱちです。戦後世界において、思想としては無効なマルクス主義が、世間知らずの知識人たちの青白い脳みそに隠然とした大きな力を振るい続けてきた歴史が、そのことを物語っています。
戦後民主主義をきちんと埋葬することは、すなわち、民主主義の理念の再定義・鍛え直しをすることです。いま私が考えているのは、それを主権概念を導きの糸にして「私が公を担うこと」と再定義し、それを徹底するという方向です。つまり、民主主義以外の理念を探すのではなく、民主主義そのものをシンプルに鍛え上げることで、政治・経済・社会の立て直しの根本に据える、というアイデアです。(その観点から、憲法改正は当然射程に入ってきます)おそらくここで、私はいわゆる保守派と袂を分かつはずです。
soichi2011さん、バトンタッチです。