〔コアコアCPI(食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合物価指数(対前年比%)〕
(三橋貴明氏『新世紀のビッグ・ブラザーへ』より・情報ソースは総務省)
まずは、上の図を見ていただきたい。これは、1985年から2011年の半ばまでのコアコア消費者物価指数(CPI)の推移です。
財務省(とその御用学者たち)は、どうしても認めようとしませんが、1997年4月に橋本龍太郎内閣が消費税の税率を3%から5%にアップしたことが、デフレの沼に日本が沈みこんでいくきっかけになっていることが、グラフからよく分かりますね。実は、1986年の12月から91年の2月まで続いた平成景気(いわゆるバブル景気)が終わった一年数か月後から、デフレ傾向は現われていたのですが、橋本内閣の増税断行が、それを決定的にしてしまったのです。それに加えて、橋本内閣は、徹底的な行財政改革を断行して、中央省庁改革関連法を成立させ(いわゆる省庁のスリム化)、健康保険の自己負担率を1割から2割に引き上げました。それらは、致命的なことに、すべてインフレ時のインフレ対策として実施されるべきものだったのです。ですから、当然デフレ圧力となります。行財政改革の問題点については、小泉改革のところでもう一度触れましょう。
ちなみに、1996年から1997年の半ばまで数字が上がっているのは、1995年2月の阪神淡路大震災の復旧・復興景気が起こりかけていたことによります。橋本内閣は、それに冷水をぶっかけた形です。
また、2002年の2月から07年の10月までの69か月間続いた戦後最長の景気回復期(いわゆる「実感なき景気回復」)においても、ついにデフレから脱却できなかったこともお分かりいただけるでしょう。2008年の半ば、福田内閣の頃に一瞬0%の水面に顔を出そうとしたときがありましたが、不運にも9月のリーマン・ショックに遭遇し、再び坂を転げ落ちるようにして、デフレの泥沼に呑みこまれてしまったのです。
*コアコア消費者物価指数とは、価格が乱高下しやすい食料品(酒類を除く)と原油などのエネルギー資源の価格を除いたもの。見かけの物価の上下を排除して、精度の高い金融政策を実現するために考案されました。先進国の中央銀行では、これが主流のようです。日銀が今年の2月に打ち出した、「1%インフレ・ターゲットもどき」の数値は単なるCPIなのかそれともコアコアCPIなのか、確か明言されていないと記憶しています。なんとでも言い逃れができるように、との作為を感じます。
景気回復期にデフレから脱却できなかった主たる原因は、私見によれば次の二つです。
① 小泉内閣(2001年4月~06年9月)が「財政再建の道筋なくして株価・景気の回復なし」のスローガンで敢行した「聖域なき構造改革」は、本質的にインフレ時に実行されるべきインフレ政策であること。
その端的な例が、公共投資の大幅な削減です。2000年に約34兆円だったのが、2007年には20兆円にまで削減されました。最も金額が大きかった1996年の42兆円と比べると半分以下に減っています。その差額の総和は全額GDPを構成し、その上、乗数効果でさらにGDPをアップさせる「打ち出の小槌」なのです。それらすべてをバッサリとと切り捨ててしまったわけです。(国民はそれに喝采を送りました。そうして、かつての私も)これは、景気が過熱気味のインフレ時にやるべきことですね。そういう途方もない経済音痴的で馬鹿なことをしでかしたので、せっかくアメリカのブッシュが日本に対して円安を容認していたのにもかかわらず、そのチャンスを生かし切って、デフレを克服することのできる力強い経済成長を実現できなかったのです。
その馬鹿な政策を一時的に断ち切ったのは、麻生内閣でした。彼は、その馬鹿さ加減をよく知っていたのです。彼は、積極的な財政出動によって、リーマン・ショックによる大打撃を受けた日本経済が恐慌状態に陥ることを阻止しました。彼は、狡知に長けた財務官僚どもと格闘した末に憤死した中川元財務大臣とともに、いつしかその名誉を十二分に回復されるべき政治家です。当時の私は、マスコミといっしょになって、彼の漢字の読み間違えを嘲笑ったものでした。
② 日銀が護教的に「日銀券ルール」を墨守していること。
当時のブッシュの円安容認に歩調を合わせて、2001年3月に量的金融緩和を導入した日銀は、2006年3月に4か月連続で物価の上昇率が0%台(コアコアCPIではなくただのCPI)になったところで、すかさず量的緩和政策を解除しました。後にアメリカFRB(アメリカの中央銀行)議長になる当時のバーナンキ氏は、力強くデフレ脱却を実現できない日銀の中途半端な量的金融緩和政策を厳しく批判しつづけました。結果は、グラフにあるとおり、バーナンキに軍配が上がります。
この日銀の煮え切らない態度の根底にあるのが、「日銀券ルール」です。これは、長期国債保有額を日銀券発行額の限度内に収めるという内規で、故速水優総裁が、2001年3月の量的緩和政策を実施するときに導入しました。田村秀男氏によれば、こんなヘンテコリンなルールで金融政策を縛る中央銀行は先進国で日本だけだそうです。学術的な根拠にも乏しいそうです。これが、力強いデフレ脱却を阻んでいるのですね。ちなみに、リーマン・ショックまでの戦後の先進諸国において、デフレに陥ったのは日本だけです。1930年代のデフレ大不況に懲りた経験を持つ先進諸外国は、デフレだけはなんとしても避けようとしてきたわけですね。日本がこの20年間、いかに馬鹿げた財政政策と金融政策を実施してきたのか、よく分かるエピソードですね。
では、私があっと驚いた4月13日の日経新聞(電子版)の記事を掲げましょう。
日銀総裁「強力な金融緩和行っている」デフレ脱却会議で
日銀の白川方明総裁は13日午後、政府のデフレ脱却に向けた関係閣僚会議にオブザーバーとして出席し、日銀は「デフレ脱却に向けて強力な金融緩和を行っている」と改めて語った。そのうえで「こうした金融面の努力と同時に、成長力の強化ということも極めて大事だ」と強調した。デフレの背景には「デフレ予想が根の深い難しい問題である」と指摘し、「企業が値上げをしにくい状況が、デフレ予想が続いていることで定着しているのではないか」との分析を示した。また、経済構造を転換するために「成長力の強化は日銀としても最大限努力したい」と語った。会議後に内閣府幹部が明らかにした。
私は、日銀白川総裁が「日銀はデフレ脱却に向けて強力な金融緩和を行っている」と語ったことにも呆気にとられましたが、それにも増して、その言葉を伝える内閣府幹部の口ぶりを鵜呑みにしたものを紙面にそのまま載せる記者の無知ぶりに驚きました。
マスコミの使命は、事実を正確に読み手に伝えることです。だから、マスコミは、誰かが何かを言った場合、その当人が言っている内容が事実かどうかを吟味したうえでなければ、基本的には受け手に伝えてはいけません。なぜなら、発言をそのまま伝えることは、メッセージの受け手をミス・リードする危険を払拭できないからです。
ある芸能人が、だれそれとだれそれが恋仲ではないかと言っているという内容ならば、あるいはそのまま伝えてもかまわない場合もあるでしょう。なぜなら、その報道姿勢は、芸能人の色恋がらみのゴシップを楽しみたいという受け手のニーズにかなっているかもしれないからです。そのあたりは、芸能記者のプロとしての勘の働かせどころですね。
しかし、金融政策についての日銀総裁の言葉とその影響は国民の暮らしにとって抜き差しならない重大事です。そこに看過できないウソがあって、善意の一般国民がそれを真に受けることで、現に実行されている金融政策について間違った印象をいだくことがあるならば、その仲立ちをしたマスコミは、報道によって国益を損うという重い罪を犯したことになるでしょう。
国民をミス・リードすることが国益を損なうなんてちょっと大げさなのでは、と思ったあなた。思い起こしてください、あなたには主権が存するのですよ。国の政治の重要事項に関する最終的な意思決定権は、あなたにあるのですよ。とするならば、歪んだ情報によって主権者が誤った意思決定をしてしまう危険が生じることは、国益の毀損の最たるものである、となりますね。
この記事を読み、その内容をなんとなく真に受けた一般国民は、日銀の金融政策をおおむね是とすることになるでしょう。実はその内容と正反対の事態が現に進行している場合、国民は、日銀の金融政策に関して当然持つべき否定的見解を持つ機会を奪われることになりますね。それは、金融政策についての妥当な世論が形成されることなく終わってしまうことを意味します。
上に掲げた記事について、日経新聞は、そういう万死に値するミス・リードをしてしまったと私は断じてしまいましょう。記事がごく短くても、関係ありません。
一般国民は、まさか信用第一の天下の日銀総裁が平然とウソをつくとは思わないでしょうし、「経済の日経」が、金融政策についての日銀総裁の事実無根の発言をそのまま紙面に載せるとは普通信じないでしょう。
ところが、上の記事に関して、日銀総裁の発言内容は真っ赤なウソであり、日経はそれをそのまま伝えたというのが、残念ながら事実なのですね。本来ならば、日銀総裁は少なくとも釈明会見か謝罪会見を開かなければならないし、日経は、それを知らずに載せたとすれば、「経済の日経」の看板を下ろさなければならないでしょうし、それと知りつつ載せたのであれば、自分たちが、マスコミとしての使命感の希薄な軽々しいヘリウムのような存在であることを認めるほかはありませんね。
では、白川総裁の「日銀はデフレ脱却に向けて強力な金融緩和を行っている」という発言が真っ赤なウソであるという説明に移ります。
実は、前回の投稿でふれた、ここ20年間の日銀のデフレ許容の金融政策そのものがそれを証明している、と言ってしまえばそれで終了、とできなくもないのではありますが、それではあっさりしすぎていて、私の毒舌を期待(?)したブログの数少ない読み手の皆さまに申し訳がないので、もう少し論じる対象としての期間を絞ってそれを説明します。白川総裁が、「オレの前任者の尻拭いまではできないよ。オレは頑張っていると言っているだけだよ」と言い逃れができないようにね。国会での答弁を聞く限り、白川総裁は、さすがは経済学の元優等生だけあって頭脳明晰、国会議員の厳しい追及に遭っても、のらりくらりとうなぎのようにその舌鋒を見事にかわします。「うなぎ総裁」とニック・ネームをつけたいくらいです、本当に。
あらかじめ、話の見通しがきくようにします。話したいのは、
① 白川総裁が、2月14日に表明した「当面のインフレ1%目途」発言をめぐるいかがわしさ
② その発言をめぐる市場の期待と株価・為替の動き
③ 「1%目途」発言と市場の期待とを裏切る日銀のその後の振る舞い
の3つです。
まず①の、白川総裁が、2月14日に表明した「当面のインフレ1%めど」発言をめぐるいかがわしさについて。
日銀は、2月14日に政策委員会・金融政策決定会合での決定事項として、「わが国経済のデフレ脱却と物価安定のもとでの持続的な成長の実現に向けた日本銀行の姿勢をさらに明確化する一環として」次のような具体的数値を盛り込んだ「中長期的な物価安定の目途(めど)」を公表しました。
この「中長期的な物価安定の目途」について、日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途とすることとした。従来は、「中長期的な物価安定の理解」として、中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率の範囲を示していた。
これを受けて、ちびっこギャングの安住財務大臣は、早速テレビのインタビューに応えて「日銀がインフレ・ターゲットの実施を表明したものと受け止める」と表明しました。私はたまたまそれを観たのですね。さすがは安住さん、軽いフット・ワークですね。素早い、素早い。しかし、これ、本当にインフレ・ターゲットなのでしょうか。
「目途」を日銀は外国向けにgoalと訳したそうです。これって、「目標」という意味ですよね。ところが、「目途」っていうのは、辞書には「目指すところ。目当て。また、物事の見通し。」とあるだけで、「目標」なんて意味はどこにもない。そのニュアンスさえない。つまり、外国向けには「日銀だってインフレ・ターゲットをやるぜ」と格好をつけておいて、国内向けには「日銀がやるのは、数値を挙げたもののあくまでも一応の目安にすぎないよ」とインフレ・ターゲットと見なされることを拒否しているわけです。つまり、日銀は、国内向けと外国向けとが異なる、ダブル・スタンダードの使い分けをしているのです。平たくいえば、二枚舌ってやつですね。
次に、1%とは、あまりに低すぎませんか。欧米諸国はおおむね2%の設定とのこと。とするならば、それは円高容認ととられてもしかたがない。というのは、こういうわけです。名目金利が同じくらいならば、インフレ率が高いほど実質金利は低くなる。つまり、投機家は実質金利の高い円を欲しがることになる。デフレ脱却の目的の主たる目的は、円高という、輸出の劣悪な条件を払拭することです。だから、日銀はやはり円高を容認していると市場が判断したら、日銀のデフレ脱却の本気度が疑われることになりかねません。だから、設定は2%とすべきでしょう。
また、消費者物価指数といっても、ごく普通の消費者物価指数と、生鮮食糧品などを除いたコア消費者物価指数と、さらに原油価格などを除いたコアコア消費者物価指数との三種類があります。一時的な物価の乱高下をなるべく除外したコアコア消費者物価指数が、指標としてもっとも好ましいのですが、それらのうちのどれを使用するのか明言されていません。金融政策をどのようにでもできるようにするために、あえて明言していないとかんぐりたくなります。
さらに、いつまでにそれを実現するのかという期限が明記されていません。政策を実行するのに、そんな馬鹿な話があるでしょうか。
最後に、いままで述べてきたすべてのことに関わるのですが、目標ではなく目途であり、円高を解消するところまでも政策目標とされるのかが不明で、使用する指標の具体的な種類が不明で、さらにいつまでに実現するのかが明記されていないのであるとすれば、日銀は、数値達成の結果責任も、達成できなかった場合の説明責任もまったく負わないことになってしまいます。
これでは、日銀のインフレを極度に嫌う「デフレ容認体質」が継続されてしまう危険がそのまま温存されていると判断されてもしかたがないというよりほかはありません。
次に、②のその発言をめぐる市場の期待と株価・為替の動きについて。
こんな中途半端な「インフレ・ターゲットもどき」のようなものに対してさえも、市場は期待をこめて敏感に反応しました。
株価について言えば、発表の翌日の2月15日に日経平均終値が前日より208.27円高の9260.34円となったのを皮切りに株価高基調はずっと続き3月14日にはついに10,000円を突破しました。
では、為替相場はどうなったでしょう。発表後の2月の第3週目に1ドル76円だったのが、一ヶ月後の3月第3週には84円にまで下がったのです。
「もどき」ではあっても、日銀が積極的な金融緩和に転じたと市場が判断した場合、経済状況がどれほど好転するか、国民は目の当たりにしましたね。とするならば、日銀は手応えを感じてせっせとお金を刷続け、市中に出回る有価証券をせっせと買い続けるはずですよね。
ところが、です。4月に入って株価は低調に転じました。また、為替も円高基調に戻りました。
なぜでしょう。
(ここからが、③ の「1%目途」発言と市場の期待とを裏切る日銀のその後の振る舞いについてです。)
それは、4月3日に発表された日銀のマネタリー・ベースの3月の平均残高前年比伸び率がマイナス0.2%だったことに、市場が失望感を抱いたからです。「二月の日銀発表はやっぱりポーズだったのか」というわけです。もし日銀が、1%であっても本気でインフレ・ターゲットを実行する腹づもりであるのならば、発表の翌月にマネタリー・ベースを減らすはずがありませんね。一生懸命増やすのが普通です。
4月4日の日経平均終値は、マイナス230.40円の9,819円と1万円台を割りました。文字通り、落胆ムードを反映したわけです。
*マネタリー・ベースというのは、一言でいえば、日本銀行が供給する通貨のことです。具体的には、市中に出回っている流通現金(「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」)と市中銀行が日銀に預ける「日銀当座預金」との合計額です。経済学では、ハイ・パワード・マネーとよばれ、これが世の中に出回り、人々によって市中銀行間をぐるぐる回されると、その何倍もの額に膨らむわけです。それが、マネー・サプライです。例えば、市中銀行に預けられるお金のうち10%が準備金として銀行に残されるとすれば、元のハイ・パワード・マネー10円は、銀行間をぐるぐる回るうちに理屈上10%=0.1の逆数倍分に化ける(この逆数倍の10を信用乗数といいます)ので、マネー・サプライは10円×10=100円になります。金は天下を回るうち、世の中をずいぶん豊かにするのですねぇ。これが、お金の魔術です。「金は天下の回りもの」とはよく言ったものです。
株高・円安基調から株安・円高基調への逆戻りを懸念して、東京新聞は4月10日の朝刊で「日本銀行が10日の金融政策決定会合で追加の金融緩和を見送れば、円高・株安がさらに進む可能性もある。」と報じました。
では、日銀は10日の会合でいかなる意思決定をしたか。FNNニュースは報じています。
日銀は金融政策会議で、景気現状について、「持ち直しに向かう動きが見られる」として、金融政策の現状維持を決めた。(中略)白川総裁は、デフレ脱却に向けて導入した、物価上昇率を当面1%とする事実上のインフレ目標については、「できるだけ早く実現したい」と述べるにとどまり、具体的な達成時期などについての明言は避けた。白川総裁は「欧州債務危機問題については、緊縮財政の影響も含め、今後、どのように展開していくかは大きなリスク要因と考えられる。原油価格上昇の影響も懸念される。」と述べた。
つまり、株安だろうが円高だろうが何もしないというわけです。ザ・無策。さらに、原油価格が上昇して消費者物価指数が上昇したならば、金融の引き締めもありうることをほのめかしてもいます。ということは、コアコアCPIを使う気はどうやらないらしい。いかにも、金融引き締めとデフレが大好きでインフレと名のつくものを毛嫌いする日銀らしい選択です。白川総裁の「インフレ目標をできるだけ早く実現したい」という言葉が、それだけほかから浮いています。これ、本心とは思えないですよね。彼は、本当に二枚舌なんですね。
日銀の「無策」ぶりは徹底しています。やや遡りますが、世界を揺るがした2008年9月のリーマン・ショックのときのこと。世界各国がデフレに陥る危機意識から、大胆な金融緩和を進めたのに対し、日銀は金融政策をほとんど変化させませんでした。その結果、円高を招いて、デフレはより深刻化し、自動車などの輸出産業だけでなく、輸入品価格の下落で繊維などの産業でも日本製品は価格競争力を失い、失業や新卒者の就職難を生んだのです。
4月10日に話を戻しましょう。ここまであからさまに金融政策の担当者が現状維持を好む姿を見せつけられてしまうと、市場としては、株安・円高傾向を維持するよりほかに選択のしようがありません。事実、そういう流れになっています。翌11日の日経平均株価終値は79.28円安の9458.7円です。為替も1ドル80円の円高基調に戻っています。
さて、冒頭の日経新聞の記事に戻りましょう。
ここまでお付き合いいただいた方には、私が、白川総裁の「日銀はデフレ脱却に向けて強力な金融緩和を行っている」という発言は真っ赤なウソである、と主張するのはもっともであると、十分に納得していただけるのではないでしょうか。また、「経済の日経」が本当に馬鹿げた記事の書き方をしていることも合わせてお分かりいただけるでしょう。
まだ言いたいことがあります。
記事のなかの白川総裁の「成長力の強化ということも極めて大事だ」というのは、彼が折に触れ語っていることで、どうやら経済成長のことではなく、労働生産性の向上のことを指しているらしいのです。とすれば、それは間抜けな寝言であるし、間違ってもいる。なぜなら、デフレとは、供給能力と現実の需要量(リフレ派はこれを貨幣量とする)のギャップのことをいうのだから、労働生産性が高まって供給能力が伸びるのは、デフレ・ギャップを広げる圧力となる可能性が高いのです。つまり、彼のいう「成長力の強化」はデフレ対策としては下策である、となります。つまり、デフレ脱却とのつじつまが合いません。
さらに、白川総裁は「デフレ予想が根の深い問題」といいますが、いまや市場は端的に日銀の金融緩和に対する積極度を見てデフレ予想をしているのです。それは、2月14日の声明をめぐる株価と為替の一連の動きを見れば明らかではないでしょうか。なにを他人事みたいに、評論家面をして寝言を言っているのでしょう。「問題は、お前ら日銀なんだよ、事情をよく知る者は、もう誰もお前の御託など聞きたくないんだよ、黙ってせっせとお金を刷り続けなよ、しまいにゃ、はったおすぜ」と毒づきたくなってくるのは、お行儀の悪い私だけでしょうか。
それらすべてを等閑に付して、ひたすら馬鹿な記事を垂れ流す「経済の日経」は、日銀総裁に媚びるを売るために、主権の存する国民を徹底的に侮辱する国家的大罪を犯していることに対する怖れの念を抱かなければなりません。江戸時代なら、間違いなく市中引き回しの上、磔刑(はりつけ)、獄門、さらし首の極刑ですなあ。
最後に、白川総裁の学生時代の恩師であり、リフレ派の重鎮でもある浜田宏一教授の白川総裁に対する有名な公開書簡の一部分を掲げたい。恩師の意を尽くした言葉が届かないほどに、白川総裁の心は日銀という官僚的閉鎖空間によって変質されてしまったのでしょうか。書簡中の本書とは、対談本の『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 (2010年7月刊行 東洋経済新報社)のことです。
日本銀行総裁
白川 方明 閣下
米コネティカット州ニューヘイブン・イェール大学経済学部
浜田 宏一
拝啓
金融界の頂上に立つ白川総裁にこのような率直なお手紙を書くのは、礼に反することではないかと恐れます。
しかし、総裁の政策決定の与える日本経済への影響の大きさ、しかも、それによって国民がこうむる失業等の苦しみなどを考えると、いま申し上げておくことが経済学者としての責務と考えましたので、あえて筆をとった次第です。
貴兄に初めてお会いしたのは、1970年初、貴兄が東京大学経済学部の学生の頃でした。私は貴兄の聡明ぶり、分析力の鋭さに感銘を受けました。館龍一郎先生と私の共著の教科書には、校正、コメント等ご助力いただき、ありがとうございました。
大学院に進んで学者になってはと勧めた学生は、私の東京大学勤務の間ほんの一握りに限られましたが、貴兄はその1人でした。日本銀行に入行されてから貴兄はシカゴ大学に留学されましたが、1985年厳冬に私がシカゴ大学に1学期(クォーター)だけ客員教授として訪れたとき、大学院生としての貴兄の秀才振りには伝説さえあるようでした。シカゴ大学でジェーコブ・フレンケル教授(後にイスラエル銀行総裁)が、「シラカワはよくできた。学問を続けてほしかった」と残念そうに言っていたのが印象的でした。貴兄は職業選択にも先見の明があり、中央銀行員としての成果も上げられて、総裁に就任されたこと、心からお慶び申し上げます。
次にお会いしたのは、2001年、私が内閣府経済社会総合研究所所長の立場で、経済財政諮問会議に陪席していたときのことです。速水優・日本銀行総裁(当時)の補佐役として出席していたのが当時、日本銀行審議役であった貴兄でした。陪席者としては例外的に与えられた諮問会議での発言の機会に、私は当時の速水総裁の政策にチャレンジを試みました。
私は、いくら何でも貴兄が速水総裁の無謀(いまでもそう思います)と言うべきゼロ金利解除等の政策に、本音で賛成しているとは思いませんでした。そこで、2人で議論すれば相互理解が深まると思い、個人的にお会いしました。しかし、そのときすでに貴兄は、(世界では孤高の)「日銀流理論」を信奉するようになっていたらしく、議論はかみ合わないどころか、真っ向から対立しました。私の当時の秘書は、所長室を出て行く貴兄の顔面が蒼白であったことに驚いたと言っています。
私はいままで、貴兄の個人的な聡明さ、誠実さ、謙虚さなどをいっさい疑ったことがありません。しかし、いま重要なのは、いかに論理的に明晰な貴兄が誠実に信じて実行されている政策でも、それが国民生活のためになっていないのではないかということです。
さて、そのように意見が分かれた後でも、貴兄は、私に日本の金融の現状を説明するため、日本銀行の優れたスタッフとの昼食研究会を(後で問題がないよう割り勘で)開いてくださり、そこで私は日本銀行の政策の背景についていろいろ学びました。その紳士的態度には、いまでも感謝しております。
最後に貴兄とお会いしたのは2009年6月、その前月に亡くなられた速水総裁の「お別れの会」が経団連会館で催されたときです。ちょうど帰国中だったので、速水総裁のご霊前にお参りすることができ、「お別れの会」実行委員代表である貴兄ともごく短時間お会いしました。貴兄は「よく来てくださった」とおっしゃったと思いますが、場所がら、政策問題はいっさい話題にのぼりませんでした。
もちろん速水総裁の政策観、政策運営については、私も諮問会議の場や、メディア等で強く批判を述べさせていただきました。しかし内閣府勤務の2年の間、私にとって清涼剤と感じられたのは、個人としてお会いするとき、批判者である私に対して、速水総裁はいつもじつに丁重、誠意にあふれた態度をおとりくださったことです。元IMF専務理事・イスラエル中央銀行総裁のスタンレー・フィッシャーも、同じ理由から「議論内容が何であれ、折り目正しい速水総裁と話すのは楽しい」とうれしそうに話していました。
研究所長の任期を終えて帰米に際して、日本銀行へ挨拶にうかがったときも、(貴兄は海外出張中でしたが)硬い表情に見えた役員もいたなかで、速水総裁だけは本当に親身になって話していただきました。決して、論敵がいなくなってうれしいという表情ではありませんでした。
そのときに湧いた疑問は、「なぜ、このようなすばらしいお人柄と、『ゼロ金利解除』を強引に行うような円高志向の政策観が共存できるのか」ということでした。いま起こっている疑問は、「貴兄のように明晰きわまりない頭脳が、どうして『日銀流理論』と呼ばれる理論に帰依してしまったのだろう」ということです。
私の意見は本書の各章で述べています。本書のように日本の金融政策の責任者の頂上にある貴兄の批判をするのは、普段なら恐れ多いことで慎むべきことかもしれません。尊敬する日米の経済学者のなかにも、それはまず、日本銀行総裁に直接意見を申し上げて、その上で公に批判しなさいと忠告してくださった方もいます。
それに従わなかった理由は次のとおりです。いわゆる「日銀流理論」と、世界に通用する本書に書いたような一般的な金融論、マクロ経済政策の理論との間には、依然として大きな溝があります。講演等では、貴兄は前者を繰り返しておられ、議論の相互理解が得られる可能性は少ないと思ったからです。
「日銀の独立性」というかりそめの塹壕に引きこもり、主権の存する国民から、国運を左右する金融政策の舵取りを付託されているという厳粛な責任意識もなく、つまのまの特権意識に溺れている今の日銀には、遅からず、民主主義の本道に基づく鉄槌が下されると、私は信じています。