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美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

岡林信康『手紙』はとても良い曲だ (イザ!ブログ 2012・7・14 掲載分)

2013年11月23日 19時04分31秒 | 音楽


私が初めて岡林信康の歌を聴いたのは、中学校一年生のときでした。いまから四〇年前の一九七一年、北海道の函館に短い夏がめぐってきたころのこと。青函連絡船が、北国の真っ青な海にその白い船体をくっきりと浮びあがらせながら悠々と行き交っているのを、函館山の中腹から、私はクラスメイトたちと飽きもせずに眺めていました。

坂の上のおんぼろ木造校舎の愛宕中学校。そこの同じ野球部に所属する永遠の親友・蔵井幸好くんのお兄さんがマニアックな音楽好きで、あるとき岡林信康の『チューリップのアップリケ』を自慢のテープ・デッキで聴かせてくれました。そのとき、何故かエマーソン・レイク&パーマー(略してELP)の『展覧会の絵』もいっしょに聴かせてくれました。どちらも、こちらにそれらをすんなりと受け入れる音楽的な素養のない状態だったので、困惑がないといえばウソでした(アイドル歌手の天地真理なんかにたわいもなく胸をときめかせていた口なので)。しかし、それらから、なにやら名状しがたい衝撃を受けたのは確かなことだったのです。それらが誰の音楽で題名は何なのか、そのときは知らずじまいでした。ましてや、岡林信康が当時「フォークの神様」と呼ばれていたなんて知る由もなかったのです(そういえば、ヒゲをたくわえた若いころの岡林の風貌って、どこかイエスに似ていますね)。

それから二年ほどの時が経ちました。中学校三年生になった私は、その二つの音楽のことが気にかかってしかたがなくなったのです。喉仏がちょっと出てきたりして、少しだけ精神的に成長したのかもしれません。私は、住まいを函館市から同じ北海道の松前を経て、神奈川県の藤沢市に移していました。それらは、ラジオでオン・エアされることがないし、近くに蔵井くんがいるわけではないし、ほかに題名を知る手がかりがありませんでした。

それで、中学校の近くの小さなレコ-ド屋のおばさんに、恥をしのんで、こんな感じであんなメロディがあってとそれらの曲の雰囲気を、身振り・手振り・ハミング・たとえなど、相手の気づきをもたらしそうなものすべてを動員して伝えようとしました。ELPの『展覧会の絵』にはどうにかたどり着いたのですが、もう一曲の方に関しては、私の必死のパーフォーマンスは、おばさんに通じませんでした。おばさんは、ロックには強いがフォークには弱かったのでしょう。学校帰りにそのお店に立ち寄って、買いたいレコードを見定め、小遣いを貯めてはその店に駆け込むうちに、私は、そこの店主のおばさんと知り合いになっていたのです。

それからさらに、四年の歳月が流れました。いつものように、大学の文芸サークルの仲間と夜遅くまで飲み明かし、終電車に間に合わなくなったので、駅周辺の深夜喫茶で始発電車を待つことにしました。中島みゆきの『別れうた』や渡辺真知子の『カモメが飛んだ日』がBGMで流れてくる、そんな時代でした。数人でウトウトしながらBGMをけだるそうに聴くともなく聴いていると、なにやら聴き覚えのある歌声とメロディが流れてくるではありませんか。「ああ、アレだ」と気づいて、隣の船をこいでいる仲間の肩をたたいて、迷惑そうにしている彼に確認してみたところ、私が中学校一年生のときに親友のお兄さんから聴かされたフォーク・ソングが岡林信康の『チューリップのアップリケ』であるとやっと分かったのでした。

とするならば、冒頭には当然『チューリップのアップリケ』が掲げられるはずですよね。ところが、私は『手紙』を掲げました。

私が当ブログで取り上げる歌は、すべて私の心に染み透ってきたものだけを「厳選」しています。その厳しい「基準」からすると、『チューリップのアップリケ』は次点で『手紙』に最高点がついてしまったのです。だから、冒頭には、個人的に懐かしい『チューリップのアップリケ』ではなく『手紙』が掲げられることになってしまいました。

実は、『手紙』を聴いたのは、ごく最近のことです。だから、懐かしいという感じはまったくといっていいほどにありません。しかも、この曲が発売された一九七〇年当時はメッセージ・ソングが大流行りで、この曲にもそういう要素が大いにあります。で、実は私はメッセージ・ソングが大の苦手なのです。だから、そういう傾向の曲に最高点をつけてしまった自分に正直なところ驚いています。

驚いてはいるのですが、それを撤回する気にはどうしてもなれません。ということは、この曲にはメッセージ・ソングという「欠点」を補って余りある魅力がある、ということになるでしょう。

それは、何なのでしょう。それを知るために、その歌詞に虚心に耳を傾けてみましょう。

岡林の、底に激しい怒りと悲しみを秘めた優しくて張りのある声で、その歌詞が紡ぎだされると、完全にその世界に持っていかれる自分を感じます。それは、この歌の世界によって創り出された「私」に、岡林が深く感情移入をしていて、しかも、「私」の悲しみが被差別部落問題によってもたらされているという覚めた社会意識が、岡林を「私」の悲しみに没入させることからぎりぎりのところで距離をとらせているからではないか、ととりあえず考えています。つまり、岡林は聴く者の目の前で「私」になりきると同時に「私」の黒子にもなることによって、自分ではなく、観客を「私」に没入させることにどうやら成功しているようなのです。

この曲を聴き終わると、歌詞のなかの「私」の心根のつつましさ、美しさが印象に残ります。古典的な日本女性像と言ってもいいくらいです。その印象が、「私」の深い悲しみ、怒りを説得力のあるものにして、この歌をしてただのメッセージ・ソングであることから免れしめているのではないでしょうか。もしかしたら、岡林さん自身の理想の女性像が「私」に投影されているのかもしれませんね。

前奏の生ギターの旋律の美しさも尋常ではありません。一度聴いたら耳に貼り付いてしまいます。

この歌はまだ映画化されていないようです。「放送禁止歌」であった暗い過去と、被差別部落問題というモチーフの厄介さに、制作側が二の足を踏んでしまうのかもしれません。しかしながら、これだけ映像的で、これだけドラマティックな曲はめったにありません。もったいないことです。私は、亡くなった田中好子さんが主演したら大変な名作になったと思います。いまなら、堀北真希さんが適役なのではないかと想像します。心根が美しそうで芯の強そうな女優さんでないとダメということです。相手役は、そうだなぁ、吉岡秀隆あたりかな。彼なら、純粋だけど気が弱くて最後のところで愛する女性を図らずも裏切ってしまう役柄に合っているのではないでしょうか。配役はともかくとして、誰か撮ってくれないものでしょうか。

それにしても、この手紙の宛名はいったいだれなのでしょうか。少なくとも、「みつるさん」ではないと思われます。それをこちらに考えさせるのもこの作品の魅力なのかもしれません。

わが友・蔵井幸好くんのことを、最近しきりに思い出します。いまどこでどうしているのでしょうか。


岡林信康 手紙

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ロバート・シラー インタヴュー記事の盲点  ―― 「週間現代」より (イザ!ブログ 2012・7・14 掲載分)

2013年11月23日 18時48分19秒 | 経済
meniawoba7123さん からコメント欄にご投稿いただいた、ロバート・シラーのインタヴュー記事への、私のコメントがやや長くなったので、こちらに掲載します。

*****

To meniawoba7123さん

ロバート・シラーの話の要点は、日本は消費増税をどうやら決めたようだが、それなら、今後は景気政策を積極的に実施するべきである、ということですね。それに付け加えれば、それは「均衡の取れた景気刺激策」という正しい経済政策である、とも言っています。なぜなら、それは「増税と景気刺激策を同時に行えば、新たな雇用が生まれて、政府債務が増えないから」であると。

meniawoba7123さんは、おそらく「もし、今後野田政権によって景気刺激策が積極的に行なわれるのであれば、この理論からすると、野田さんの消費増税路線は正しいことになってしまうではないか。」という疑問を抱かれて、消費増税反対の立場から戸惑われたから、この文章を送ってこられたのではないかと推察します。

もしシラーが、自分の経済理論への確信から「野田の消費増税路線はそれ自体では誤りといは言えない。その是非は、今後の経済政策の実施内容による」と本気で考えているのであれば、私としては、イェール大学の偉い先生には大変申し訳ありませんが、「シラー先生、ちょっと議論が変ですよ」と申し上げるよりほかはないという結論に達しました。それはこういうことです。

シラーがこの文章でまったく触れていないのは、第二次世界大戦の先進国で長期的なデフレに陥った(し、いまでも陥っている)のは日本だけだという厳然たる歴史的な事実です。それと、デフレ不況下での消費増税という「社会実験」を敢行したのも戦後では日本だけだという同じく歴史的な事実です。(日本政府・日銀は国益を毀損する経済政策を大真面目になって実行し続けるので、諸外国から馬鹿だと思われているようです。日本だけデフレを続けてくれるのは有難いことなので、正面切ってはそう言わないのですが。理にかなっていますね。)

1997年の橋本デフレの経験から、日本は「シラーさん、デフレ不況下の消費増税の実施は、消費の停滞を招くことによって、デフレ・ギャップを広げるので、長期のさらなるデフレを招くことになってしまいます。それによって、税収も減り、財政再建が遠のきます。だから、デフレ下の消費増税は絶対に避けるべきなのです」と主張することができます。

さらには、「2%程度の増税で日本はさんざん苦しめられたのですから、今度の5%の増税ではもっと苦しめられるはずです。だから消費増税なんてますますダメ」とも主張できます。

だから、消費増税法案中のいわゆる「景気条項」を達成義務数値としてもっと厳格化し、数値そのものも「名目3%・実質2%」を「名目4%、実質2%」に上げることがとても重要になってくると、私は考えます。インフレ・ターゲットの目標をいまの微温的な1%から2%に上げよというわけです。円高状態を真剣に脱しようとすれば、2%のインフレ・ターゲットが欧米先進国のスタンダードであるという国際情勢に鑑みて、それは当然のことであると私は考えます。

2%-1%=1%の上積みは、世界恐慌レベルのデフレ圧力の襲来に備える経済シェルターあるいは保護膜の役割を期待してのことです。これは、総合安全保障の観点からも、絶対に実行しなければならないことであると、めずらしく断言しましょう。

この、消費増税をめぐる核心的な議論に、シラーはまったく触れていません。そういう状態で、シラーの議論の是非を速断するのは妥当ではない、というのが私の結論です。

さらに邪推すれば、この記事を載せた編集者の意図がもしも野田の消費増税路線を肯定することにあるのだとすれば、シラーの発言のうち、自分たちに都合の悪い部分を削除している可能性がありうるので(よくあることです)、要注意、と考えます。だって、私ごときが指摘できるような議論の盲点を、イエール大学の偉い先生が見過ごすとは考えにくいからです。

その他にも「過去20年間日本政府はインフラ投資をたくさんしてきた」という発言があるますが、これは事実に反する認識です。ちょっと統計を見れば、過去15年間、日本は公共投資を無謀にも削減し続けてきたことは一目瞭然です。それで、いまの日本のインフラが、耐用年数の限界という危機に直面しているのは、meniawoba7123さん も報道などでご存知のことと思われます。これは、シラーさんの認識不足なのか、それとも誤訳しているのか、はてまた意図的な曲解が存在するのか、なんともいえません。

いま、公共投資悪玉論がまたぞろ跋扈しはじめていますね。怪しいですね。日本の大手マスコミは、一般国民に対して、自分で自分の首を絞めるのが正義だと言い続けています。本気であれば、彼らは変態にちがいありません。また、一国の首相が、財務官僚に他愛なく籠絡されて、子々孫々に国富を残さないのが正義だと胸を張ります。経済システムをぶち壊してまでもとにかく目の前の(政府の!)借金を返すことだけが正義だと、それを「決める」のがとにもかくにも良いことなのだと、吠え続けています。愚かしいにもほどがあります。(それが民主主義の一番大事なことだと言って悪乗りする頓馬な亡国社会学者まで最近登場してきました)

「財務省・日銀翼賛諸団体」は、東大教授だとか、IMFだとか、OECDだとか、イエール大学だとか、権威に弱い日本人の泣き所を突く形で、ご立派な肩書きをつけて「デマ経済理論」を垂れ流します。そんなふうにやられても動揺しないように、というのはむずかしい注文のようですが、私ごとき「にわか勉強」の輩(やから)でも見抜けるくらいの薄っぺらな議論ばかりですから、自信を持って「王様は、裸だ!」と言いたいものですね。

私の意見はそんなところです。参考になりましたでしょうか。

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消費増税、是か非か  「橋爪大三郎VS高橋洋一」架空対談  (イザ!ブログ 2012・7・12 掲載分)

2013年11月23日 08時33分00秒 | 経済
橋爪:初めまして。
高橋:初めまして。
橋爪:今日は「消費増税、是か非か」というテーマで、高橋さんと議論をすることになっています。
高橋:企画者のフトコロの都合でギャラが出ないらしいそうですよ。
橋爪:ええ。まあ、とにかく手っ取り早く済ましてしまいましょう。
高橋:橋爪さんは、賛成のお立場だそうですね。
橋爪:はい。
高橋:なんでまた。
橋爪:私は、良心的な知識人たちが揃いも揃って消費増税に異議を唱えているとついムズムズと天邪鬼の魂が目を覚ますらしいのです(笑)。
高橋:では、本当はどちらでもいい、と。
橋爪:いいえ。あくまでも賛成です。
高橋:なんでまた。
橋爪:政府の財政が危機的状態にあることはご存知ですね。
高橋:ああ、いつもの財務省のデマね。でも、まあいい や。で?
橋爪:二〇一二年度予算で、税収は約46兆円。それに対して歳出は総額で90兆円。その差額の44兆円は赤字国債で埋めるしかない。その累計が今や1000兆円にも達しようとしている。それは、対GDP比で約200%を超えようとしています。むろん、その数値は、先進国の中で突出して最悪です。
高橋:うーん。で?
橋爪:このやり方を続けるには、政府としては、毎年赤字国債を売り続ける必要があります。その上限は、全国民の預貯金の1500兆円と考えられます。そこにまで達してしまうと、もう国債を現金にできなくなってしまう。すると、国債価格が暴落し、金利が急騰し、ハイパー・インフレが起こり、国の債務も家計の貯蓄もアッという間にゼロ同然になってしまいます。国の債務がチャラになるのはまあ良しとしても、家計の預貯金がゼロになるのは国民にとって身の毛のよだつ話です。また、国債が紙切れ同然になってしまったせいで、それを大量に保有する市中銀行も保有資産が目の前で消えてしまうし、年金や社会保障もアウトになります。敗戦直後のように現物経済でのゼロからのスタートとなってしまいます。
高橋:まだ、あるの?
橋爪:もうすぐ結論に至ります。財政破綻・国民財産の消滅がいやなら、増税して、政府の支出もバッサリとカットする。そうやって、国債の残高(政府の借金)を毎年着実に減らしていく。それをずっと続ければ、国債の信用はどうにか保たれる。ゆえに増税は不可欠。安定した合理的な課税は消費税なのだから、消費税率を上げる。だれが考えても、これ以外にない。以上です。
高橋:おっしゃりたいことは分かりました。なんだか、財務官僚と話をしているような気がしてくる(私は元財務官僚だけれど)。私とあなたとの考え方はまるで反対だから、これからいろいろと話しますが、もしも腑に落ちないところがあるなら、その都度言ってください。
橋爪:分かりました。
高橋:まず、日本政府の財政状態が先進国で突出して最悪というのはウソです。日本政府の債務は1000兆円で確かに世界最高です。しかし、政府の債権(つまり財産)もまた世界最高で650兆円なんですね。だから、その差額の1000兆円-650兆円=350兆円が純債務で、これが国際比較で使われる数値です。これでいくと、純債務対GDP比は350兆円÷500兆円=70%となり、先進国中突出して悪い、というわけではない。(OECDの場合、金融資産だけを資産として計上するので数値がずれる)さらに、政府には、(私会計にはない)徴税権と貨幣発行権もあります。これらは、数値が膨大すぎて計上するのが困難なので簿外資産扱いをされるだけです。これが、公会計と私会計との決定的な違いでもあります。では、財務省は、なぜそんなウソをつくのか。それは、財務省が「財政再建待ったなし。消費増税待ったなし」の風潮を大手マスコミを使って作り出し、国民のマインド・コントロールをするためである。ウソをついてでも、とにかく増税したいわけですよ、財務官僚は。
橋爪:しかし、財政状態が良くないのは確かです。
高橋:それは、そうです。決して良くはない、財務省が振りまくウソほどではないけれど。では、なぜ財政状態が悪化したのか。それは、税収が減ったからです。では、なぜ税収が減ったのか。それは名目GDPが減ったからです。つまり、景気が悪いからです。では、景気が悪い原因は何かといえば、それはデフレ・円高です。人口減少が原因ではありませんよ。人口減少と名目GDPとの間に統計学的に有意な相関関係は認められません。だから、財政状態を良くしたいのならば、一日でも早くデフレ・円高から脱却をして、景気を回復させることが必要なのです。デフレ状態を放置したまま消費増税をすれば、税収はかえって減ります。それは、1997年の橋本デフレで経験済です。その愚を決して繰り返してはいけない。
橋爪:しかし、そんなに急に景気が良くなるはずがない。
高橋:いいえ。それは簡単な話です。お金をどんどん刷ればいいのです。デフレ・ギャップを一気に埋めるために二〇兆円から三〇兆円を日銀にどーんと引き受けさせればいいのです。全体で六〇兆円程度お金を刷れば、為替は1ドル=100円程度になる。米ドルが約2兆ドルあるので、現状の一三〇~一四〇兆円を二〇〇兆円に増やせば、二〇〇兆円÷2兆ドル=100円/ドルという単純な割り算の話です。そうやって為替は動いています。そんなふうにして円安になれば、輸出企業は息を吹き返します。中国・韓国と堂々と渡り合えます。そうすると株価も上がってきます。だいたい1万3000円~1万5000程度になるでしょう。それにつれて設備投資も盛んになってきます。統計上、10%の円安で名目GDPは0.5%伸びることが分かっているので、現状で1ドル=80円として、(100円-80円)÷80円×100=25%、25%÷10%=2.5、0.5%×2.5=1.25%の名目GDPの伸びが期待できます。また、名目GDPが1%伸びると法人税収は4%伸びるから、法人税収4%×名目GDPの伸び率1.25%=5%の法人税収の伸びが期待できます。所得税収ももちろん増えるし、景気が良くなれば消費の絶対量も増えるので消費税収だって増えます。そうすれば、財政状態は自ずと良くなりますよ。そういう状態を、適切な財政・金融政策によって続ければいいのです。まともな国なら、政府が国民の足を引っ張って馬鹿なことをしなければ、自然実質成長率約2%が実現されるので、実質2%+インフレ率1~2%=3%~4%くらいの名目GDPの持続的成長は十分に可能です。
橋爪:でも、そんなにたくさんお金を刷って、日銀が20兆円も30兆円も国債を引き受けたら、ハイパー・インフレになってしまいます。
高橋:まずは、言葉の定義をはっきりさせましょう。ハイパー・インフレというのは、金融用語として「極めて短期間のうちに、物価が数倍、数十倍に高騰するような激しいインフレのこと」を意味します。日本は、終戦直後の46年に一度だけ500%程度の、ハイパー・インフレとしては最低のものを経験しています。もっとも、それは、国債の乱発が原因ではなく、戦争によって生産システムが麻痺したことによるモノ不足が原因です。国債の乱発でハイパー・インフレを経験したことは一度もないのです。いまの日本は、インフレではなくデフレの真っ只中にいます。だから、日銀が20~30兆円の国債を引き受けた場合、単にデフレ・ギャップが埋まるだけで、ハイパー・インフレどころかただのインフレも起こりっこない。むしろ、3%~4%のマイルドなインフレは、人々の投資心理や購買心理を刺激するので、景気に対してプラスに作用するから、ぜひ実現したいくらいです。そのためには、経済指標をにらみながら、50兆円、60兆円と大胆な金融緩和を実施すべきです。もちろん、マイルドなインフレを超えそうな兆しが見えれば、そこで金融緩和をストップすればいいのです。景気が加熱気味になれば、そこではじめて法人税や所得税の増税さらには消費増税を実施すると良い(消費税は逆進税なのでその逆の順ではありません)。そのことにまで、私は反対しません。というか、景気が加熱気味のときの増税は理にかなっています。すべては、状況次第です。それが、経済政策の当たり前の理路なのです。
橋爪:しかし、ハイパー・インフレの可能性はゼロではありません。万難を廃して、これだけは避けなければならない。
高橋:分かりました。100歩も1000歩も譲りましょう。国民が愚かにも消費増税を拒否して、橋爪さんが最も恐れていたハイパー・インフレが起こったとします。そうして、家計の預貯金がゼロになり、国債が紙切れ同然になり、それを大量に保有する市中銀行の保有資産もゼロになり、年金や社会保障もアウトになったとしましょう。しかし、戦争が起こったわけではないので、高度な生産設備はまるまる残っています。また、円の価値が暴落したせいで空前の円安が実現します。だから、景気の牽引車である輸出産業が俄然息を吹き返し、生産設備の稼働率は100%になり、完全雇用状態が実現します。日本を20年間苦しめ続けたデフレと円高などどこかへ吹き飛んでしまいます。また、暴落した国債の高い利率に目をつけた日本国民は、われ先に国債を買い求めることでしょう(私もそれなら喉から手が出るほどに買いたいー企画者言)。
だから、ハイパー・インフレを招くために消費増税しないことは、日本の窮状を救う起死回生の大ホームランになるのではありませんか。残念ながら、消費増税しなかったら、ハイパー・インフレは起こりそうにもありませんが。
橋爪:私は、民主主義の根本の話をしているのです。民主主義においては、一般国民が主権者です。主権者である国民は、政府のご主人様として、税で政府を支え、財源で政府をコントロールする。だから、財政均衡(歳入と歳出が均衡すること)は、財政の基本であるだけではなく、民主主義の基本でもあるのです。だから、長年税金をケチっておいて、公共サーヴィスだけはちゃっかり受け取ろうとするのは、日本国民の主権意識の欠如を物語る恥ずかしい話なのです。
高橋:うーん。そうかなぁ。国民がケチるもケチらないもなくて、名目GDPが伸びなければ、税収が減るだけのことではないのかなぁ。財政赤字と民主主義とは、あまり関係がないと思うなぁ。名目GDPが伸びないのは、政府・日銀の財政・金融政策の失敗が原因でしょ?それを、国民の主権者意識の欠如のせいにされたら、いくら大人しい日本国民だって、気分を害するんじゃないの?
橋爪:気分を害そうと怒ろうと、日本の民主主義にはそういう根本問題があります。財政赤字は、国民がそれを考える絶好の機会なのです。
高橋:まったく賛成できませんが、あなたの心意気だけは分かりました。
橋爪:では。
高橋:では。

ギャラを払えなくて二人から呆れられた、この架空対談の企画者から、一言。

「財政赤字問題は、日本国民の主権者意識の欠如を示す、民主主義の根本問題である」という、橋爪氏のユニークかつ斬新な問題提起に面食らって、私のあまり性能の良くない脳の働きがしばらく停止してしまったのですが、なんだか変だと思って書架をゴソゴソ探していたら、橋爪氏のかつての次の発言が目に飛び込んできました。

「政治家が(収賄などの政治腐敗を原因とするものよりもー引用者補)信用できないもっと重要なケースは、政治家が約束を守らないことです。公約を実行しない。これは、民主主義の制度を根底から破壊する行為にほかならなりません。」 (『橋爪大三郎の政治・経済学講義』ちくま学芸文庫)

いまでも橋爪氏がこの発言を撤回していないのだとすれば、消費増税をめぐる民主党のマニフェスト違反を、橋爪氏は当然のことながら「民主主義の制度を根底から破壊する行為にほかならなりません」と糾弾するものと愚考します。(マニュフェストって、公約の、国民に対する契約的な側面を数値的に強化したものですよね?)

ところが、消費増税を推進しようとする民主党執行部に対して、今回は何のお咎めもなく、「マニフェスト違反の民主党に消費増税をする資格はない」とゴネる国民に対しては「おお、なんと主権意識の乏しい、しかもケチな国民であることよ」と嘆き、かつケナす橋爪氏の頭の中をどう理解すればいいのか、戸惑わざるをえません。

参考資料

・「そもそも税金と国家とは」(橋爪大三郎『Voice』二〇一二年八月号・ 巻頭の言葉)
・『橋爪大三郎の政治・経済学講義』ちくま学芸文庫
・「『上げ潮派』知恵袋が消費税率引き上げに反対する3つの理由」(月刊「経営塾フォーラム」二〇一二年7月号)
・『日本経済の真相』(高橋洋一・中経出版)
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『二十四の瞳』と『陸軍』について (イザ!ブログ 2012・7・10掲載分)

2013年11月23日 07時55分17秒 | 映画
 映画『二十四の瞳』(一九五四)は、二〇一〇年末に亡くなった女優・高峰秀子を偲び、池袋新文芸座で昨年の三月十三日に上映された。思えば、東日本大震災の二日後である。当作品は、木下作品のなかで最も人口に膾炙しているのと同時に、彼の全作品の頂点を成し、さらには日本映画の最高傑作のひとつでもある 。

そう断言できるようになったのは、新文芸座で、往年の高峰秀子ファンたちと一緒にその大画面にすっぽりとつつまれて共に魂を揺すぶられる経験をしてからのことである。DVDを観たくらいでは、実のところそこまでの確信が持てなかったのだ。

そういったことと関連して、高峰秀子が市川崑との対談(一九七八年)で面白いことを言っている。「とにかく、首をズーっとめぐらせなければならないほどの大きいスクリーンで、映画を一度見て欲しいの。それから、大勢で同じものを見るというということねえ。茶の間でひっくり返って、一人でアクビしながら見るのと、ぜんぜん違うもの‥…。ちゃんと腰かけて、前向いてさ、後ろ向けないんだから。後ろ向けば、よその人の顔があるだけでさ。ぜんぶ一方を見て、大勢でものを見るってことは、何かの役に立つことだと思う。‥…うまくいえないけど。」まったくそのとおりである。言っていることがあまりにも的を射ているせいで、微妙なユーモアさえ感じられるくらいである。高峰は、映画鑑賞の核には、観客としての情緒の共有、あるいは感動の共有体験が織り込まれていることを彼女一流の直観的な語り口で述べているのである。


当映画館で配布された資料で確認してみたら、当作品の画面のサイズはシネマ・スコープではなくスタンダードであるという。しかし、私の実感としては、とても大きな画面で見たという印象が残っている。これは、当作品の主人公が個々の登場人物なのではなく、総体としての子供たちなのであり、彼らの合唱の歌声なのであり、さらにはそれを大きく包む小豆島の風土そのものなのであることを物語っているように思われる。作風のスケールの大きさがそういう錯覚をもたらす、ということである。そのことを、木下恵介は、理屈ではなく映像そのものによって観客にダイレクトに知らしめている。

ここに、木下恵介が映像の天才である所以の一端がある。大急ぎで付け加えておきたいが、これはどこかしら酩酊気分を自分に許しながら大言壮語するたぐいの物言いではなく、まったくの素で申し上げているのである。DVDでしか彼の映画を観たことがない方には、どうしても伝わらないところがあるような気がするのではあるが。

木下恵介の天才ぶりについて、高峰秀子は『私の渡世日記』で次のように言っている。「子(ね)年のくせに爬虫類の如く冷たく澄んだ眼光は、対象物をチラと見やっただけで間髪を入れぬ早さで分析し、彼一流の判断で処理してしまう。佐々木小次郎の燕がえしもなんのそのである。昭和五十一年現在、東京のテレビチャンネルは七つだが、木下恵介のチャンネルは数かぎりなく、彼の頭のテッペンから無数のアンテナが針ネズミのようにそそり立っているとしか思えない。彼の触覚は猫のヒゲより聡く、彼の感覚は矢のごとく鋭い。やはり「天才」というよりしかたがないだろう。」


また、「喜怒哀楽の明快な木下恵介は、スタッフにとって実にやりやすい監督である。気にいったカットが撮れると、感にたえたような表情で、『ああ、僕はなんてうまい監督だろう!』と叫び、俳優がいい演技をすると、それこそ手を打って、躍りあがって喜ぶ。秒きざみに変化する木下恵介の表情をポカンと見ているうちに、いつの間にか映画が出来上がってしまう、というのが実感だった。私は五歳の時から何十人何百人という映画監督に出会ったが、やはり木下恵介は性格的にも作品的にもずば抜けて多才で特異な演出家だ」とも言っている。木下恵介の仕事振りがまるで映画のようにまぶたに浮かんでくる見事な人物描写である(一緒に仕事をする人たちは、彼の一挙手一投足に振り回されて大変だったことだろう。成瀬巳喜男は、現場の人たちにそういう負担を一切かけない人であったようだ)。

高峰秀子は、目の前の人間を虚心に見つめるうちにその本質が瞬時に分かってしまう。直観が人並みはずれて鋭い女性であったようだ。一般に、男よりも女のほうが、直観力において数段勝っているように感じるのではあるが。私を含めてのことだが、男は理屈で納得しないと安心しない傾向が強いように思われる。

本作品は個々の登場人物が主人公なのではない、という話にもどろう。


とするならば、高峰秀子扮する大石先生の、当映画において果たすべき役割はなんなのであろうか。それは、教え子たちを取り巻く抜き差しならないつらい現実や彼らの相次ぐ戦死に直面して、おのれの無力さを嘆きながら、魂の底から涙をふりしぼって泣き続けることである。大石先生役には、これといった大げさな劇的身振りが求められているわけではない。徹底的に受身であることによってもたらされる、不思議な包む力としか名づけようのないものを観客が感じ取ることができるように演じることが求められているだけである。しかし、演技者としてこの要求にきちんと応えるのは並大抵のことではないように思われる。というのは、人の心を深く動かす身体表現とはどういうものなのかについての、深い知恵と鋭い勘の持ち主でなければ、そういう要求にきちんと応えることなどできないからである。大石先生役のハードルは実のところきわめて高いのである。木下恵介には、高峰秀子がそのハードルをきっちりと越えられる力量の持ち主であることについての、ゆるぎない信頼感があったのである。また、そういう監督の心を高峰秀子は無言でしっかりと受けとめた。それが、この作品に秘められた語られざるもうひとつの内面劇である、といえよう。

当作品は、大東亜戦争をモチーフとする悲劇的叙事詩である。叙事詩は神の独り言であるといったのは民俗学者の折口信夫である。当作品の場合、神にあたるのは、悠久の小豆島それ自体であり、それをやわらかく包む瀬戸内の穏やかな海である。高峰秀子は、そのような自然神の依り代として魂の底からさめざめと落涙し続ける。その天地有情の世界によって、民族の悲痛な記憶に静かなカタルシスがもたらされる。


観客は、大画面に自分をゆだねることによってそのことの奥行きを体全体で深く感じ取る。だから、はじめて上映されてから五七年の歳月が流れているのにもかかわらず、上映会場には往年のファンがびっしりと詰めかけ、こらえ切れない嗚咽の声があちらこちらから遠慮深そうに漏れてきて、私のとなりの老夫婦が顔を涙でぐしょぐしょにぬらして頬を痙攣させることにもなるのである。単に過去をノスタルジックに振り返るという振る舞いの集合体にしては、会場で起こっていることがあまりにも生々しいのであった。私には、大東亜戦争にまつわる戦死者の荒魂(あらたま)が和魂(にぎたま)に少しずつ姿を変えていく変貌のプロセスの一端がつかの間現前したかのように感じられた、というのが正直なところだ。言わずもがなではあろうが、私がその場の情動に感応して、わが身が崩れてしまうほどにむせび泣いたことは申し添えておこう。われながら意外な反応であった。

壺井栄の童話『二十四の瞳』が反戦思想に重きを置いているせいか、当映画もこれまでしばしば反戦映画として語られてきたようである。しかし、私としては、いま述べたような評価を抱いてしまっている以上、当映画に「反戦」などという戦後民主主義の手垢にまみれた形容詞をかぶせることには到底賛意を表しえない。そのことをめぐって、いろいろと申し上げようと思う。


まず、映画は原作としての文学作品の似せ絵ではないということ。そこには、文学作品こそが真の芸術であって、映画はそれに比べればせいぜい大衆芸能であるにすぎない、という映画蔑視がこれまで主流であった知識人的な事情が横たわっている。これはなにも遠い過去のことではなく、たとえば、映画批評の権威と化した観のある蓮見重彦が映画を論じるときのいけ好かない過剰な文体にも裏返された形で見透かすことができる。

文化人ではないが、政治家の映画蔑視については、高峰秀子自身腹に据えかねていたようである。彼女は『私の渡世日記』で次のように言っている。「女優という仕事の関係上、私はトップクラスといわれる政治家と対談や座談会などで同席することが少なくない。そんなときの彼らの開口一番のセリフはいつも決まっていた。『どうも‥…私は映画には縁がありませんのでねェ‥…』そして、その表情の奥にはいつも『たかが映画なんか』という薄笑いが浮かぶのを私は見逃さなかった。」彼女によれば、映画に多少なりとも関心を示した政治家は、宮沢喜一と大平正芳と佐藤栄作の三人だけだったという。では、当時の社会党や共産党の政治家はどうだったのか。いささか興味のあるところではある。

映画と原作の関係の話に戻ろう。端的に言えば、映画と原作とは「別物」である。文字表現としての原作を映像表現としての映画にそのまま「翻訳」することなど、原理的に不可能なのである。(ただし、文字表現と映像表現とをともに見渡す言語の本質論的な観点からは、両者を融通無碍に論じることが可能であろう)そういうわけだから、映画が原作をいかに忠実に再現しているのかを映画評論の機軸に据えるのならば、映画は常に原作に劣るに決まっている。それは、映画の観方としてあまりにも不毛である、というよりほかはない。というか、実はきわめて頭の悪い映画批評法である。映画はあくまでも映画なのである


このあたりの機微について、高峰秀子が役者の立場からとても味わい深いことをいっている。「 どうして役をつかむか」という一九五七年の『キネマ旬報』に載った彼女のエッセイからの引用である。少々長くなる。「映画の根本は何といってもシナリオである。シナリオが悪かったらどんな名監督だってよい映画は作れない。それと同じように俳優にとっても、役をつかむ唯一の手がかりはシナリオである。私は、シナリオを手にしたら、まず自分を計算に入れずに白紙の状態でそれを何度でも読む。何度も何度も読みかえしながら、自分の気持ちをそのシナリオの世界に溶け込ませてゆく。(中略)原作のある場合は、原作には一度くらい目を通すが、それ以上は読まない。そして、脚本からだけではどうしても理解できないところだけパラパラとひもといてみるくらいである。映画をみる人全部が、原作を読んでいるとはかぎらないし、自分の役だけ原作に忠実に演じようとしたら、ひとりよがりの、自分にだけわかったようなものになるだけだからである。(中略)俳優にとって大切なことは、監督さんがその映画にどういう意図をもっているのか、絵がらはどうなるのか、つまりどんな映画にするつもりなのか、を理解するということがある。つまりその映画の中に自分がどうおさまるべきか、自分をパートの一つとして考えて見る事である。自分だけ熱演したり、自分の気持ちをおしつけたりすれば画面からはみ出してとんでもない作品が出来上がる。たとえば「二十四の瞳」は風景と子供が中心なのだから、自分の演技も、それと同一化したものにならなければならない。ここで百面相をして力んだら、作品をぶちこわすことになる。(中略)また、原作のイメージだけからミス・キャストだとか何とか批評する人がいるが、これもおかしな話である。前に述べたように、映画は大衆を相手とするものであって原作ものはなんでもかんでも原作通りでなけばならないというキマリはない。映画として納得できればそれで成功であると私は思っている。」ここには、誠実に役者の分限を守り実行しようとする者としてのゆるぎなさ、真実味、迫力が感じられる。私が「高峰秀子はタダモノではない」という思いを深めたのは、この言葉に接してからである。

「ケインズ革命」あるいは「ケインズ政策」にその名をとどめるジョン・メイナード・ケインズの、経済学上の師匠だったアルフレッド・マーシャルは、「経済学者は冷静な頭脳と暖かい心を持たねばならない」と言った。「経済学者は」を「役者は」と入れかえたならば、女優高峰秀子は深くうなずいたことであろう、とつい妄想をたくましくしてしまいたくなるくらいに、彼女の先の言葉にはある絶妙のバランス感覚が感じられる。男優では、森雅之に同質のバランス感覚を感じる。

話が拡散した嫌いがあるので、ここまでをまとめよう。私が言いたいのは、原作の『二十四の瞳』が仮に反戦童話であったとしても、それを映画にしたものが同様にそうであるとは限らない。特に映像表現の場合、映像が表現してしまっているものが命であるから、それをきちんと受けとめたうえで、いろいろと論じるべきであるということである。

そのうえで申し上げるのであるが、映画『二十四の瞳』の映像思想は、「神の独り言」としての悲劇的叙事詩であるところにその核心がある。木下恵介の、骨がらみの庶民派映像作家としての本能がそういう理解を求めている、と私には感じられるのである。彼は、日本民族のそれぞれの家族が避けようもなく経験した大東亜戦争の悲劇を共同体験としての映像詩に昇華しようと試みた。その試みが成功を収めたのかどうかの判断は、庶民としての観客ひとりひとりに委ねられる。表現対象の「値踏み」を完全に一般庶民に委ね、一般庶民から掛け値なしの高い評価を得た作品には、「偉大な」という形容こそがふさわしい。


勝負は、観客が高峰秀子扮する「小石先生」「泣きミソ先生」とどこまでいっしょにさめざめと泣けるかどうかなのである。

そう。当映画館に集った人々の反応から察するに、『二十四の瞳』は、文句のつけようのないほどの偉大な作品なのである。木下恵介は、いまだに当作品において、その「勝負」に勝ち続けているのだ。

話をさらに進めよう。

戦局が極限にまでその厳しさを増してきた一九四四年(昭和一九年・『二十四の瞳』の十年前)に、木下恵介は『 陸軍』という戦意高揚映画を作っている。それについていささか触れておこう。木下恵介の手になる戦争映画の本質をくっきりとあぶりだしたいと思うからである。そのことを通じて、「反戦」という理念を戦後民主主義に通有する平板な意味合い(戦争が終わった後にのこのこ顔を出して「オレは実は戦争に反対だったのだ」などと申し出るのはつまらないことである)を超えて深堀りすることにもなるだろう。結論を先取りしておけば、木下恵介の戦争映画は、いわゆる反戦映画ではないけれど、より深い意味で反戦の色彩を強く帯びた映画である、となる。


当映画のアウトラインについては、一九九九年一月に発行された『週刊ザ・ムービー 1944年』に要領良くまとめられた記載があるので、それを引用しよう。

これは、弱虫の息子が、両親の励ましによって立派な兵隊として戦場に赴くまでの物語を中心に、福岡のある一家の三代にわたるドラマを描いた作品。題名が示すように陸軍の企画で製作された作品であるが、軍はこの映画のラストシーンに対して批判的であった。そのラストとは、それまで気丈な態度をとっていた母親が、戦地に向かっていく息子を哀しみの表情で送るシーンで、見る者にとっては胸に迫る感動的な場面である。脚本では詳しく書かれず、検閲は通っているのだが、完成した映画を見て、陸軍は「軍国の母はこんなに女々しくない」と批判したのだった。戦後、このシーンは木下が大胆に戦争批判をしたと評価されている。母親に田中絹代、父親に笠智衆が扮したほか、杉村春子、上原謙、東野栄治郎らが出演している。火野葦平の新聞連載小説の映画化である。

また、その記載の右に注として「『陸軍』が公開されるや、問題のラストシーンに怒った陸軍将校が、松竹撮影所にサーベル片手に怒鳴り込んだといわれている。陸軍の批判を受け、木下恵介監督は松竹に辞表を提出、戦後まで閉居することになる」とある。


では、問題の「ラスト10分」をやや細かく見てみよう。母親役の田中絹代はその10分間を通して身体表現だけで、つまりほとんどせりふ抜きで、その心理的な陰影を余すことなく観る者に伝ええている。

気丈にも周りに、出征する息子を見送らない、息子の命はお国に預けてあるから、と言い放った母親(田中絹代)は、息子が家を出た後、エアポケットにはまりこんだような形でしんとした我が家に一人取り残される。戦陣訓をぶつぶつと唱えてはみるもののどこか浮かない。「軍国の母」に似つかわしいとは到底言えない心のうごめきを身のうちに感じ取るともなく感じ取っている。動揺が隠し切れなくなってきたところで、はるか彼方から進軍ラッパの響きがかすかに聞こえてくる。それに触発された瞬間に彼女の顔から「 軍国の母」のペルソナがずり落ちる。おもむろに外に出て、たすきがけをほどきながら、ラッパの聞こえてくる方角を本能的に確かめようとする。その視野に、同じく外に出てきた隣人が入るが一瞬それと気づかない。そのすぐ後にそれと気づいて気がなさそうに自動的にぺこりとお辞儀をする。(心そこにあらず、の微細な演出が冴えている)進軍ラッパの響きに誘われて身体がふらふらと彷徨いはじめる。彼女には、もはや戦地に赴く息子を一目見たいという一念よりほかになにもない。その一念が彼女の身体を導いている。途中けつまずいたりしながらも、ようやく進軍を取り巻く群衆に追いつく。熱狂的な群衆のなかで、小柄な母は息子の姿を行軍のなかに探し求めようとする。しばらくのときが経って、母はようやく息子の進軍に交じってともに行進する姿を探し出す。「あ、信太郎」というつぶやきとともに、伊藤久男と女性たちとの、悲壮感にあふれたマーチが響き渡りはじめる(伊藤久男は『イヨマンテの夜』が有名だ)。人垣をかきわけかきわけ、母はようやくのことで息子に追いつく。息子も母の姿に気づく。お互い、言葉を交わすわけにもいかず、万感の思いをこめてうんうんとうなずくばかりである。やがて、息子は胸を張りなおし、軍人としての自覚を取り戻そうとするかのように視線を母から前方に移す。息子の視線からはずれた母は、せりあがってくる思いに表情をくずす。なおも息子に追いつこうとするところで、母は、熱狂した群衆にもみくちゃにされ、アスファルトの地面にたたきつけられる。ようやく立ち上がった母は、こきざみに震えるちいさな両の掌を静かに合わせ目を閉じる。ジ・エンド。


おおよその感じは伝わっただろうか。(下にこのラスト10分の動画を掲げておきました)池袋新文芸坐の田中絹代特集でこのラスト・シーンを目の当たりにしたとき、私は不意打ちを喰らったような形で感動してしまい、終わってからしばらくはほの暗い館内の片隅で呆然としていた。そこには、時代の大波にもみくちゃにされながら生きていくよりほかにない、小舟のような存在であることをおのずから知り尽くしている国民の情感をわしづかみにして彼らに紅涙をしぼらせることに長けた、木下恵介の天与の才が鮮やかに示されていたのである。私は、『二十四の瞳』のみならず『陸軍』についても「民族の痛ましい記憶の共同体験としての浄化が織り込まれた叙事詩」であることにその本質を求めたい。いわゆる反戦映画であるなどとは到底言えないだろう。

また、このラスト・シーンには、木下恵介が文学の本質をきっちりとふまえた表現者であることも示されている、とも言えるだろう。本居宣長は、『排蘆小船』(あしわけおぶね)のなかできっぱりとこう言っている。「人の情のありていは、すべてはかなくしどけなくをろかなるもの也としるべし。歌は情をのぶるものなれば、又情にしたがふて、しどけなくつたなくはかなかるべきことはり也。これ人情は古今和漢かはることなき也。しかるにその情を吐き出す咏吟の、男らしくきつとして正しきは、本情にあらずとしるべし。」本居のこの言葉を『陸軍』に即して用いるならば、そのラスト・シーンにおいて木下は、「きつとして正しき」軍国の母がそのペルソナの下にひた隠しにしていた「はかなくしどけなくをろかなる」母の「本情」を鮮やかに描き切ったのである。そのことで、木下は、本作を人間の真実を表現した傑作たらしめた。そう言えるのではないだろうか。


木下恵介の戦争映画は、いわゆる反戦映画ではないけれど、より深い意味で反戦の色彩を強く帯びた映画である、という最後の論点に触れよう。

『陸軍』で田中絹代が演じた銃後の母の「本情」は、次の詩にこめられている、最前線で戦い露と消えていった名もなき兵士の魂にじかにつながっている。


アッツの酷寒は  
私らの想像のむこうにある。  
アッツの悪天候は  
私らの想像のさらにむこうにある。  
ツンドラに  
みじかい春がきて  
草が萌え  
ヒメエゾコザクラの花がさき  
その五弁の白に見入って  
妻と子や  
故郷の思いを  
君はひそめていた。  
やがて十倍の敵に突入し  
兵として  
心のこりなくたたかいつくしたと  
私はかたくそう思う。  
君の名を誰もしらない。  
私は十一月になって君のことを知った。  
君の区民葬の日であった。   

(詩集「白い花」(秋山清)より「白い花」昭和十九年)

この詩について、詩人の故吉本隆明は、こう述べている。「アッツ島玉砕の詩で、表面だけ見ると戦争詩、戦意を高揚した詩と受け取れるかもしれないが、そうではない。人間らしさを守ろうとする感情が、少しのうそもなく書かれていると思える。」(『詩の力』新潮文庫)

「人間らしさを守ろうとする感情」が避けようもなくそこに織り込まざるをえないあらがいの身振り、それをあえて反戦的なものと名付けるならば、その意味においてだけ、私はこの詩が反戦詩であることを肯おう。それとまったく同じ意味においてだけ、『陸軍』さらには『二十四の瞳』が反戦映画であることを私は肯おう。先に「木下恵介の戦争映画は、いわゆる反戦映画ではないけれど、より深い意味で反戦の色彩を強く帯びた映画である」と申し上げた所以である。「本情」の表出は、この世においては、どこかしらあらがいの様相を呈さざるを得ないものと思われる。その「あらがいの様相」が、楽天的な戦後民主主義のあずかり知らぬものであることはいうまでもない。

だから、戦後に生きる私たちが、反戦の思想的源泉を求めようとするのならば、戦中のただ中にわが身を一度は投じてみなければならないのである。そうして、ひとまず戦中とともに滅亡し、その灰の中から蘇ったものだけが、反戦の思想的肉体を成すはずである(この知的営みは、想像力の上限の活用を要するだろう)。

映像作家として、木下恵介は、そのことを熟知していたように思われる。彼の映像表現は、その核心において、戦中と戦後との断絶を内包していない。なぜなら、彼はその映像を庶民にさらし続けることで、表現者として庶民と喜怒哀楽を共にしたからである。

そのことを馬鹿にできる資格を持った戦後知識人が、果たして何人いるというのだろう。

私は、庶民の生活実感から遊離した前衛芸術家気取りのキザな気風を持った表現者を心の底から嫌い抜く者である。ここが私の左翼嫌いの根源である、と最近気づいた。あの小津安二郎は、人から「芸術家」と呼ばれるとがっかりした表情を浮かべたそうだ。で、「親方さん」と呼ばれると会心の笑みを浮かべたそうだ。私は、そういう小津がとても好きである。

http://www.youtube.com/watch?v=LU_Y52wNNK8 『二十四の瞳』(ダイジェスト版)



『陸軍』
 *全編をご覧になるのはちょっと、というお方は、ラスト10分だけでもご覧ください。
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松田聖子 あなた (イザ!ブログ 2012・7・8 掲載分)

2013年11月23日 06時11分05秒 | 音楽


『あなた』といえば小坂明子さんの持ち歌として有名です。確か私が中学校三年生のとき、今から四〇年ほど前のことです。一六歳の小坂さんは、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストに出場し、ピアノを弾きながらこの曲を熱唱してグランプリを獲得しました。また、同じ年の世界歌謡祭でも最優秀賞・グランプリを受賞しました。もちろんレコードは売れに売れました。私と同年代の方なら、そのときの記憶が残っているものと思われます。

この歌を、松田聖子さんが、往年の人気歌番組「夜のヒットスタジオ」で歌ったことがあります。ちょうど郷ひろみとの熱愛のうわさが持ちきりだったころのことです。八二~三年なのかなぁ。ピアノを弾いていたのが、なんとこの歌の主・小坂明子さんという豪華バージョンでした。そのときの記憶も鮮やかに残っています。なぜなら、聖子さんがこの歌を完全に自分のものにしていて、この曲が他人の持ち歌であることを聴く者にすっかり忘れさせてしまったからです。図らずも引き立て役に回ってしまった小坂さんが気の毒なくらいでした。

最近たまたま、その模様を録画した動画をインターネットで見つけました。

改めて聴いてみて、その歌唱の凄みを再認識しました。聖子さんは、このときこの曲の心を掴みきっています。自分の持ち歌にし切っています。最後の「あなーたー あなーたー」のリフレインのところで、ついに持ちこたえることができずに、彼女の不安定で強い情動が曲のフォームを食い破って顔をのぞかせています。

週刊誌的なセンスで解釈すれば、郷ひろみのことを思って「聖子ちゃん、思わず泣きじゃくる」という見出しになるのでしょう。当時は、ふたりの噂で世間は持ち切りでしたからね。

そういう要素もなくはないのでしょうが、私にはそれは瑣末なことのように思えます。彼女は、この曲の核心の表現が、どれほどの過酷な心の抑制を必要とするのかを、表現者として身をもって半ば以上無意識に示してしまったのではないかと思えてしょうがないのです。

だから、このときの彼女の表現には絶対感があります。つまり、『あなた』の歌唱として、このときの聖子さんは空前絶後のレベルに達してしまったのです。これから先だれがこの曲を歌っても、もっと上手に歌う歌い手は登場するかもしれませんが、彼女の隔絶性を脅かす表現はついに現れないのではないかと思えてしょうがありません。

このときの彼女は、その終末部で歌唱の完全なコントロールを犠牲にすることで、情緒的身体をあげてこの曲の真価を現前させてしまったのです。

あの独特の粘り気のある伸びやかで高音部が微妙にかすれる歌声によって、彼女は、一途な女心と艶やかなエロスをじっくりと表現します。その表現において他の追随を許さない歌い手である、というのが私の聖子評です。『抱いて』なんて、とてもいい曲だと思います。これもアップしておきましょう。

松田聖子☆抱いて‥


それにしても、曲の終わりのところで、ほんの少しだけ映し出された郷ひろみの毒気を抜かれたような表情がなんともいえません。男は、愛する女の真情がほとばしり出て取り乱したところを目の当たりにするとみんなあんなふうになるものなのではないでしょうか。

*追記  「松田聖子 あなた 小坂明子」で検索してみたら、小坂さんが後に、このときのことを振り返っているのが見つかりました。事実は事実として、掲げておきましょう。予想どおり、小坂さんはこのときの聖子さんのことをあまり良いようには言っていません。それはそれで、仕方のないことだと思います。だって、たしかに「食われて」しまったのですから。しかし、聖子さんにあからさまな計算はなかったと私は思います。生まれついての大スターとしての無意識が、ドラマを不可避的に演出したとはいえるような気はしますけれど。才能って、残酷ですね。また、聖子さんのこのドラマティックな『あなた』は、どうやら八四年のことのようです。

http://saintkid.blog116.fc2.com/?m&no=558


松田聖子 あなた


〔コメント〕

*Commented by イド さん

はじめまして。

阿比留瑠比さんのブログへのコメントありがとうございます。
人間性と政策と行動は分けて考えるほうが良いと思っています。
小沢新党について、マスコミはそこをわざとなのかごっちゃにして、政策批判ではなく印象批判をしています。
まず批判するべきは消費税増税です。

プロフィールを拝見して、趣味が近いので嬉しくなりました。
私もブリティッシュ・ロックと岩崎宏美・昭和歌謡が大好きです。
聖子ちゃんの「あなた」もとてもいいですね。感動しました。

私は思想的には岸田秀先生に師事しています。
阿比留さんブログに献本して2回取り上げてもらいました。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1074670/
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2267036/
参考までに。

2012/07/12 16:22



*Commented by 美津島明 さん

To イドさん

わざわざ当ブログにおいでいただいてまで、ご返事をいただけて、感激です。

>人間性と政策と行動は分けて考えるほうが良いと思っています。
>小沢新党について、マスコミはそこをわざとなのかごっちゃにして、政策批判ではなく印象批判をしています。
>まず批判するべきは消費税増税です。

まったくその通りだと思います。私を含めて国民の六割は、いまだに三党による民意無視の、消費増税法案の持って行き方とデフレ不況下での大型増税の実施そのものにまったく納得していないのですから、その意思を投票行為できちんと示すことを最優先して考えるべきであると私は考えます。

その場合、小沢新党が選択肢として大きな存在であることは間違いがないのですから、そこは現実的に考えたいと思っています。好き嫌いはこの際後回しです。財務官僚翼賛体制の包囲網で、国民の選択肢は相当に限られているのですから。

>プロフィールを拝見して、趣味が近いので嬉しくなりました。
>私もブリティッシュ・ロックと岩崎宏美・昭和歌謡が大好きです。

同好の士に出会えたこと、とても嬉しいです!

>聖子ちゃんの「あなた」もとてもいいですね。感動しました。

分かっていただけて、私も感動しました。

>私は思想的には岸田秀先生に師事しています。

私も、処女作の『ものぐさ精神分析』以来、彼の本はたくさん読んできました。とにかくめっぽう面白いですからね。私は、彼の本に接すると、なんとなく山上たつひこの『喜劇新思想大系』や『がきデカ』を連想してしまいます。あまり自覚していませんが、私も強い影響を受けているはずです。

阿比留さんのブログでイドさんの本が取り上げられたとのこと。早速見てみます。
コメント (3)
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